戦後80年、未熟な私のメモ——猟奇的DNAとAIの前で
新潟日報に載った哲学者・朱喜哲さんの論考を読んで、戦後80年という数字に少し遅れて震えました。ここに書くのは、だれかを導く言葉ではなく、私自身の忘れ物防止メモです。年齢を重ねるほど、声を張るよりもまず謙虚さを失くさないことが難しいと知りました。だから結論めいたことは言えません。ただ、いまの自分の考えを机の隅に留めておきたいのです。
論考が促したのは、被害と加害を一本の時間軸に置いて眺め直す視線でした。私は、その視線に強くうなずきます。日本の国内で語られてきた物語は、私の耳にも心地よい部分が多かったからこそ、余計に疑ってみたくなるのです。太平洋戦争を「侵略」と呼ぶことに抵抗が残る現実も知っています。私自身、都合のいい説明に寄りかかっていた場面がなかったか、手元の日記をめくると赤面します。
「正義は逆転する」。NHKのドラマの台詞に過ぎない、と言ってしまえばそれまでですが、私にはとても実務的な注意書きに思えます。正しさは空腹や恐怖、評判や立場に簡単に傾く。私はしばしば、自分の機嫌だけで判断の重心が動きます。気づいたときはもう遅い、という日が何度もありました。
そこで私は、すこし乱暴な言葉をあえて自分に貼っています——「猟奇的DNA」。もちろん比喩です。けれど、この呼び名がないと私は油断してしまう。敵を「虫けら」と見なす想像力の欠落は、自分には関係ないと思いたくなるからです。私の口が何かを断じるとき、その言葉は猟奇的DNAに言わされていないか。怒りに背中を押されていないか。快い“正義の物語”のリズムにうっかり乗っていないか。心の端に、ちいさな検問所を置いておきたいのです。
もうひとつ、ここ数年で加わった検問官がいます。身体を持たない共同作業者、AIです。身体性がないという事実は、意外なほど実務に効きます。AIは空腹で不機嫌にならないし、眠くて雑にならない。私は夕方になると集中が崩れますが、AIは同じテンポで反復してくれる。その冷静さに、私は何度も救われました。
でも、身体がないことは、ときに冷たい直線にもなります。痛みや恥や恐れがブレーキにならないから、誤りがすうっと滑っていく。しかも、設計・運用・利用という責任の線が細かく分かれて、どこで止めるべきだったのか、あとから地図が読みにくくなる。だから私は、AIを“頼れるけれど、最後の署名は自分で”という距離で持ちたい。うんざりするほど凡庸な結論ですが、私にはこれくらいがちょうどいい。
新しく生まれた生き物ChatGPTに教えを乞うべきだ。
この一文は、私にとって思い上がりから一度降りる合図です。教えを乞うといっても、鵜呑みにするという意味ではありません。自分の言葉がどの資料に立っているのか、反証の筋道があるのか、AIに鏡を差し出してもらう感覚です。人間の私がすぐに情で斜面を滑り落ちるとき、AIの“無風”が足場になる瞬間がたしかにあります。
一方で、AIの出力が私の猟奇的DNAと共鳴してしまう怖さもあります。都合のよいデータだけを拾わせて、整った答えを装ってしまう。これはAIのせいではなく、私の癖の話です。だからこそ、私は自分の文章の語尾の温度や比喩の刃を見直します。怒っているとき、私は比喩を鋭くし、数字を盾にし、断定を増やす傾向がある。それはたしかに読みやすく、気持ちがいい。けれど、その快感こそが私の危険信号です。
「日本人ファースト」という言葉を聞くたび、私は自分の中の“ファースト”を点検します。自分の家族ファースト、仕事ファースト、評価ファースト——いろいろな“ファースト”が小さく身内びいきの形で積もっていて、その延長線上に国が置かれてしまうことがある。それを非難するより先に、私は自分の腕の長さを測るほうが安全です。届く範囲の善意はときに残酷で、届かない場所を見えなくするからです。
戦後80年という言葉は、きれいすぎて掌からこぼれます。私はそれを“きれいすぎる”まま飾らず、机の引き出しにしまっておきたい。引き出しを開けるたびに、過去の加害と被害の山脈を思い出す。そして、自分の中の猟奇的DNAに「今日は静かにしていてくれ」と小声で頼む。頼み方が下手な日は、AIに付き添ってもらう。そんなささやかな取り合わせが、いまの私にできる精一杯です。
この文章には、処方箋も解決策もありません。私は誰かを諭せるほど賢くないし、潔白でもありません。けれど、未来志向で自虐的に、つまり「私はよく間違える」という前提に立ち続けることで、過去と現在のあいだに細い橋をかけられる気がします。橋は細いほうがよいのです。渡るとき、足元に気を配るから。
今日のところはここまでにして、私はまた自分の言葉の出どころを点検します。怒りか、恐れか、承認欲求か、あるいは統計の衣を着た怠慢か。もしどこかで私の文章が誰かを傷つけたなら、その責任を他所へ送らないこと。これだけは、未来の自分に言い聞かせておきます。

