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  • 「わかる」ことより、「見続ける」こと | 2026.04.17

    『観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか』を読んで

    佐渡島庸平さんの『観察力の鍛え方』を読んで、あらためて自分は「観察する」ということが好きだったのだと気づかされました。
    人を見て、物を見て、風景を見て、天気を見て、写真を撮る。そうやって生きてきた時間そのものが、私にとっては観察の積み重ねだったのだと思います。

    この本の題名を見たとき、私はすぐに惹かれました。
    観察力という言葉が好きだったからです。好きというより、たぶん私はそれをずっと大事にしてきました。しかも最近は、他人や世界を観察するだけではなく、自分自身を観察することの大切さを強く感じていました。だからこの本は、まるで今の自分に向けて差し出された本のように思えました。

    観察とは、情報をただ受け取ることではない

    読んでいて特に共感したのは、観察力とはインプットの質を高める力だという考え方でした。
    私たちは毎日たくさんの情報に触れています。でも、ただ情報が目の前を通り過ぎていくだけでは、本当の意味でのインプットにはならない。そこに自分の目がなければ、自分の問いがなければ、情報はただ流れていくだけのものになってしまうのだと思います。

    経営でも、創作でも、写真でも、結局大事なのは「何を見るか」よりも「どう見るか」なのかもしれません。
    この本では、良い観察とは、仮説を持ちながら物事を見て、そのズレに気づき、仮説を更新していくことだと語られていました。私はここに深くうなずきました。人はつい、自分の思った通りのものを見つけると安心してしまいます。「やっぱりそうだった」と思った瞬間に、観察は止まってしまう。けれど本当は、その“思っていたこと”と“現実のズレ”にこそ、新しい発見があるのでしょう。

    年齢を重ねるほど、経験があるぶん、自分の見方に自信を持つようになります。けれど、その自信がそのまま偏見や思い込みになることもある。
    人は目で見ているようで、実は脳で見ている。見たいものだけを見て、見たくないものは見落としてしまう。観察を阻んでいるものの多くは、外ではなく、自分の中にあるのだとあらためて感じました。

    外を見るだけでなく、自分の内面を観察する

    この本を読みながら、最近の自分の実感とも重なる部分がいくつもありました。
    昔の家庭の映像をDVD化して見返しているのですが、その中に映る妻の言葉やしぐさを見て、今になって「ああ、自分のことをこんなふうに思ってくれていたのか」と気づくことがあります。

    その当時はまったく見えていなかったものが、今の自分には見える。
    事実は変わっていないのに、その意味は変わるのです。つまり過去でさえ、今の自分の認知によって更新されていく。これはとても不思議で、同時にとても人間らしいことだと思いました。

    だからこそ、自分をもう一人の自分が見るように観察することが大切なのだろうと思います。
    私は最近、ChatGPTのようなAIを脇に置きながら、自分の考えや感情を見つめ直すことが面白くなってきました。AIが答えをくれるというより、自分の内面を映す鏡のような役割を果たしてくれることがあるからです。これからの時代は、外の世界を観察する力と同じくらい、自分の内面を観察する力が大事になるのではないか。そんなことも感じました。

    さらに印象に残ったのは、感情もまた観察を左右しているということでした。
    怒っているとき、不安なとき、うれしいとき、誇らしいとき。同じ出来事でも、感情が違えば受け取り方も判断も変わってしまう。感情は観察を豊かにもするし、歪めもする。だから大事なのは、感情を無理に消すことではなく、「今、自分はこういう感情の中にいるな」と一度立ち止まって気づくことなのだと思います。自分の感情を観察できるようになれば、行動の質も変わっていく。これは年齢を重ねた今だからこそ、いっそう大切にしたい視点でした。

    「わかる」と言い切らず、見続ける人でありたい

    この本を読んでいて、何度も胸に引っかかったのは、「わかる」という言葉の危うさでした。
    私たちは会話の中で簡単に「わかる」と言います。けれど本当にわかるのか。相手の人生は相手のもので、自分の経験とは違います。だから「あなたの気持ち、よくわかります」と言い切ることは、ときに相手を突き放す言葉にもなってしまう。これは本当にそうだと思いました。

    共感しようとすることは大切です。けれど、「わかった」と言い切ってしまった瞬間に、観察も対話も止まってしまう。
    むしろ「わからないまま、わかろうとし続けること」のほうが、ずっと誠実なのではないか。そんなことを考えました。

    私はこれまで、感想文や作文のようなものに、どこか苦手意識がありました。
    誤字脱字を気にしたり、正しい言葉を使わなければいけないと思ったり、そういう“正解主義”が先に立っていたからだと思います。でも本当は、文章とは正しさを競うものではなく、自分の感情や違和感をすくい上げるものなのかもしれません。子どもの作文に必要なのも、間違いを細かく正すことではなく、その子の中に動いた感情に応答することなのだろうと思いました。

    さらに深かったのは、「する」より「いる」という考え方でした。
    相手のために何かをしてあげる、ではなく、相手のためにどう“いる”か。これは簡単なようでいて、とても難しいことです。何かをするほうが結果は見えやすい。けれど本当に信頼や愛情が試されるのは、曖昧で、何も起きない時間を一緒に過ごせるかどうかのほうなのかもしれません。

    孫といる時間、家族といる時間、夫婦でいる時間もそうでしょう。
    何か特別なことをしなくても、ただ一緒にいる時間の中でしか見えてこないものがある。観察とは、効率や成果の反対側にある、静かで贅沢な時間なのかもしれません。

    この本を読んで、私はますます「わかる人」になりたいとは思わなくなりました。
    それよりも、見続ける人でありたいと思いました。人を、世界を、自分を、簡単に決めつけずに見続ける。その先にしか、本当の意味での創造も、優しさも、深い言葉も生まれないのだと思います。

    観察とは、世界を見る技術であると同時に、自分の内側に小さな革命を起こすための静かな習慣なのだ。
    この本を読んで、そんなふうに感じました。

  • 自分の常識がいちばんあぶない | 2026.04.15

    自分の「あたりまえ」を切り崩す

    『文化人類学入門』を読んで

    最近、本を読んでいて強く感じるのは、年齢を重ねた今だからこそ、若いころとは違う引っかかり方をする本があるということです。
    この『文化人類学入門』も、まさにそんな一冊でした。

    文化人類学というと、どこか遠い国の珍しい風習や民族の暮らしを学ぶ学問のように思っていました。けれど読んでみると、むしろ問われているのは「相手」ではなく、自分の見方そのものでした。
    自分は何を当たり前と思い、何を自然だと思い、何を正しいと感じているのか。
    その足元を静かに崩されていくような感覚がありました。

    上に立つ人ほど、まず痛みを知れと思った

    この本の中で、私がいちばん面白いと思ったのは、首長の任命儀礼の話でした。
    新しく市長になる人が、村人たちから罵倒され、侮辱され、聖職者からも厳しい言葉を浴びせられる。しかも、それを恨んではいけないし、復讐してもいけない。読んでいて、なんともすごい仕組みだと思いました。

    なぜそこまでさせるのか。
    それは、上に立つ人間が権力を自分のために使わないようにするためでした。人の痛み、不満、怒りを自分の身で受けてからでないと、本当の意味で人の上には立てない。そういう知恵が、この儀礼には込められているのだと思いました。

    私はここを読んで、思わず「日本の政治家にもこういう儀礼があったらいいのに」と感じました。
    総理大臣でも、市長でも、会社の社長でもそうですが、上に立つ人ほど、人のつらさや理不尽さをわかっていなければいけない。ところが現実には、立場が上になるほど見えなくなるものもある。だからこそ、こういう“いったん下に置かれる経験”には、大きな意味があるのだろうと思いました。

    経営をしていても感じます。
    人の上に立つというのは、偉くなることではなく、むしろ自分を抑えることなのだと思います。自分の気分で人を動かさないこと。立場を使って押し切らないこと。相手の声の奥にあるものを聞くこと。
    この儀礼の話は、遠い異文化の話なのに、妙に今の社会や自分の仕事にも重なって見えました。

    「日本人とは誰か」と言われると、簡単には答えられない

    もうひとつ印象に残ったのは、「日本人とは誰か」という問いでした。
    普段、私たちは何気なく日本人という言葉を使っています。でも、この本を読むと、その境界は決して固定されたものではなく、時代や政治の力の中で形づくられてきたものだとわかります。

    アイヌや沖縄の話も、あらためて考えさせられました。
    同じ国の中にいても、もともとは異なる言葉や文化を持っていた人たちがいた。それが近代国家の形成の中で一つにまとめられ、同じ日本人という枠の中に組み込まれていった。そこには便利さだけでは済まされない痛みもあったはずです。

    私はこういう話を読むと、自分が普段どれだけ単純に物事を見ているかに気づかされます。
    日本人という言葉ひとつとっても、その内側にはいろいろな歴史や立場や感情が折り重なっている。にもかかわらず、私たちはつい、ひとつの言葉で全部をわかったような気になってしまう。
    文化人類学は、その“わかったつもり”を崩してくる学問なのだと思いました。

    疑うより、切り崩すという言葉が残った

    この本を読んで、私の中に残ったのは「疑う」より「切り崩す」という感覚でした。
    疑うというと、少し外から眺める感じがあります。けれど切り崩すという言葉には、自分の中にある思い込みを一枚ずつはがしていくような、もっと実感のある響きがあります。

    私たちは皆、自分なりの常識を持って生きています。
    それがあるから日々の判断もできるし、仕事も進む。けれど、その常識が強くなりすぎると、今度は自分を縛るものにもなる。見たいものしか見えなくなり、自分に都合のよい理解ばかりを並べてしまう。
    この本は、そんな自分に対して「その見方は本当に絶対なのか」と、やわらかく、それでいて鋭く問いかけてきます。

    私は年齢を重ねるほど、知識を増やすこと以上に、自分の思い込みをほぐすことのほうが大事なのではないかと思うようになりました。
    新しいことを学ぶというのは、何かを足すことだけではなく、自分の中にこびりついていた“あたりまえ”を少しずつ手放していくことでもある。
    文化人類学は、その作業を助けてくれる学問なのだと感じました。

    この本は、異文化を知るための入門書であると同時に、自分を見直すための入門書でもありました。
    人を理解しようとすることは、自分を問い直すことでもある。
    そう考えると、この本の面白さは、単なる知識の面白さではなく、思考を自由にしてくれるところにあるのだと思います。

    読後、すぐに何かが変わるわけではありません。
    けれど、自分の中の「あたりまえ」は少し崩れました。
    そして、その崩れた隙間から、これまでとは違う景色が見え始めた気がします。
    そういう本に出会えると、読書はやはりいいなと思います。

  • いま、目覚めゆくあなたへ | 2026.04.13

    「自分」を生きるとは何かを問い直す読書

    マイケル・A・シンガー著『いま、目覚めゆくあなたへ』を読みながら、私は何度も「自分とは何だろう」と立ち止まりました。

    自分と言っても、いつも同じではありません。
    機嫌のいい日もあれば、心がざわつく日もある。弱気になる日もあれば、不思議に前向きになれる日もある。では、そのどれが本当の自分なのか。私は年齢を重ねてきた今でも、その問いにすぐ答えることはできません。

    けれど、この本はその問いから逃げずに、自分の内側を見つめてみなさいと静かに促してくる一冊でした。
    外の世界をどう生きるかではなく、その外の世界を受け止めている「内側」がどうなっているか。そこに目を向けることの大切さを、あらためて考えさせられました。

    心の中にも、確かにエネルギーがある

    この本で特に印象に残ったのは、人は内側にエネルギーを持って生きている、という考え方でした。

    身体が疲れることはよく分かります。けれど心が疲れていることには、案外鈍いものです。何となく気力が湧かない日、感情だけがすり減っていく日、あります。そんなときは食べて休んでも、すぐには回復しないことがある。逆に、何かに感動したとき、人に励まされたとき、あるいは夢中になれるものに出会ったとき、人は驚くほど力が湧いてきます。

    私はこの感覚にとても共感しました。
    仕事でも、読書でも、写真でもそうです。ただ義務感だけで動いていると、心はだんだん細っていく。けれど「これは面白い」「もう少し知りたい」「この瞬間を残したい」と思えたとき、人はまた動き出せる。

    生きる力というのは、単なる体力だけではない。
    むしろ、人を前へ進ませるものは、心の奥から湧いてくる見えない力なのだと感じました。私たちは外側のエネルギーには敏感でも、自分の内側で何が詰まり、何が流れているのかには無頓着なのかもしれません。

    人は、自分を守るために壁をつくる

    この本には、人は自分を守るために心の壁をつくる、とあります。

    これもまた、よく分かる気がしました。
    傷つきたくない。失敗したくない。否定されたくない。そう思ううちに、人は少しずつ自分の中に囲いをつくっていく。過去の経験や思い込みを積み上げて、「ここから出なければ安全だ」と思ってしまう。

    けれど、その壁は自分を守る一方で、光まで遮ってしまう。
    この表現は、とても深く胸に残りました。人は年齢を重ねると経験が増える分、守りも強くなります。経営でも人生でも、知らず知らずのうちに「こうあるべき」に縛られてしまうことがある。ですが本当は、そこを少し開いて風を通さないと、新しい景色は見えてこないのだと思います。

    私は日々、時代の変化の速さに驚かされます。AIもそうですし、働き方も、人の価値観も大きく変わってきました。そんな時代だからこそ、自分の内側まで固く閉ざしてしまったら、ますます苦しくなる。少しでも心を開いて、流れを受け取ることが大切なのだと感じました。

    死を見つめることが、今日を生きる力になる

    この本では、死を遠ざけずに見つめることの大切さも語られています。

    この部分は、私には特に重く、そして深く響きました。
    身近な人の死に触れると、人はどうしても立ち止まります。そして、その人の不在を通して、自分が今ここに生きていることの意味を考え直すことになります。

    昨年、私自身もそうした経験をしました。
    そのときに感じたのは、死はただ悲しいだけの出来事ではなく、「あなたはどう生きるのか」と問い返してくるものでもある、ということでした。

    明日が必ず来るとは限らない。
    だから今日を雑に生きてはいけない。
    会いたい人には会い、伝えたいことは伝え、やりたいことは少しでも前に進める。

    当たり前のようでいて、実はなかなかできないことです。だからこそ、この本は「今」を生きることの大切さを、静かに教えてくれた気がします。

    この本を読み終えて感じたのは、「本当の自分を見つける」というより、「自分の中で眠っているものを目覚めさせる」読書だったということです。

    すぐに答えが出る本ではありません。
    けれど、読んだあとに自分の内側に問いが残る。その問いが、日々の見え方を少しずつ変えていく。そんな本でした。

    忙しく生きていると見失いがちな「内なる感覚」を、そっと取り戻させてくれる一冊。
    いまの自分をもう一度見つめたい人に、静かに手渡したい本です。

  • アンパンマンは、なぜ日本人の心に深く届くのか | 2026.04.08

    『アンパンマンと日本人』柳瀬博一 著を読んで

    アンパンマンは、子どもに人気のキャラクター。
    その程度の認識でこの本を読み始めました。けれど読み進めるうちに、アンパンマンは単なるヒーローではなく、日本人の心の深いところに触れる存在として生まれてきたのだと感じました。

    私も孫を見ていて実感します。少しぐずっていても、アンパンマンが出てくると表情が変わる。あの力は何なのだろうと前から不思議でした。この本を読んで、その理由が少しわかった気がします。

    アンパンマンには、いわゆる派手な強さがありません。悪を徹底的に倒すわけでもない。むしろ、自分の顔をちぎって、お腹をすかせた人に与える。かっこいいというより、どこか不格好です。でも、その“不格好さ”こそが、ほかのヒーローにはない大きな魅力なのだと思いました。

    柳瀬さんは、幼い頃から身近な人の死をいくつも経験し、さらに戦争という時代を生きました。その中で痛感したのが、「正義は簡単にひっくり返る」ということだったのでしょう。昨日まで正しいとされたものが、今日はそうではなくなる。そんな時代を見たからこそ、逆転しない正義とは何かを考え抜いた。その答えが、「目の前で困っている人を助けること」だったのだと思います。

    アンパンマンの正義は、とても静かです。
    大げさな理想ではなく、空腹の人に食べ物を差し出すこと。見返りを求めず、ただ助けること。これは理屈ではなく、人間のもっと根っこのところにある感覚なのではないでしょうか。

    この本を読んで、アンパンマンはアメリカ的なスーパーヒーローとは正反対のところから生まれた存在なのだと感じました。力でねじ伏せるのではなく、弱さを引き受けながら人を助ける。そこに、日本人が長く大切にしてきた感覚が宿っているように思います。

    しかも、それを赤ちゃんや幼児がちゃんと感じ取っている。言葉では説明できなくても、子どもたちは本能的にわかるのでしょう。だからアンパンマンは、世代を超えて支持されるのだと思います。頭で理解する前に、心が反応しているのです。

    私はこの本を読んで、アンパンマンとは「利他性」をもっともわかりやすく形にした存在なのだと感じました。
    人を助けること。亡くなった人を悲しみながらも、生きている人に手を差し伸べること。そうした人間の根本にある願いが、アンパンマンというキャラクターに結実している。だからこそ、あれほど長く愛されるのでしょう。

    アンパンマンは、決して強さだけの象徴ではありません。
    むしろ、傷つきながらも誰かのために差し出せるやさしさの象徴です。

    この本を読んで、私はあらためて思いました。
    本当に強い人とは、勝つ人ではなく、困っている人に自分の一部を差し出せる人なのかもしれません。アンパンマンが日本人の心に深く根づいている理由は、そこにあるのだと思います。

  • 「人は変えられない。だからこそ、自分の立ち位置を見直したい」 | 2026.04.07

    —『劣等感と人間関係 アドラー心理学を語る』野田俊作 著を読んで—

    人間関係の悩みは、年齢を重ねてもなくならない。
    むしろ、仕事でも家庭でも地域でも、関わる人が増えるほど、難しさは深くなるように思う。

    『劣等感と人間関係 アドラー心理学を語る』を読んで、あらためて感じたのは、悩みの原因を外に探しすぎると、自分が本当にやるべきことから遠ざかってしまう、ということだった。

    「あの人が悪い」「自分はかわいそうだ」と考え始めると、話はどんどん過去へ、あるいは周囲へ広がっていく。
    けれど本当に考えるべきことは、もっとシンプルなのだろう。
    “私にできることは何か”
    この問いに立ち返ることが、アドラー心理学の大事な出発点なのだと感じた。

    健康な心は、まず自分を受け入れることから

    この本で特に印象に残ったのは、健康なパーソナリティの条件として「自己受容」が語られていたことだ。

    自分に足りないところや弱さがある。
    それでも、まず自分を受け入れる。
    ここが出発点になる。

    私たちはつい、もっと立派になってから、もっと評価されてから、自分に価値があると思いたくなる。
    けれど、それではいつまでも苦しい。
    他人からの承認や条件つきの愛情を求めている限り、心は安定しないのだと思う。

    さらに心に残ったのは、
    「まず自分が幸福になること」
    という考え方だった。

    家族のため、社員のため、周囲のため。
    もちろんそれは大事だ。
    しかし、自分自身が不幸のままでは、その空気を周りに広げてしまうこともある。
    自分がまず落ち着き、満たされ、穏やかであること。
    それが結果として、いちばん身近な人を支えることにつながる。
    この考え方は、きれいごとではなく、とても現実的だと感じた。

    人間関係を壊すのは「縦」の意識かもしれない

    本書では、怒りや正義感が人間関係を「縦」にしてしまう、という話が出てくる。
    これはとても考えさせられた。

    怒るとき、人は無意識に自分を上に置き、相手を下に置いている。
    正しさを振りかざすときも、同じことが起きやすい。
    すると関係は壊れやすくなる。

    逆に、よい関係とは「横の関係」であるという。
    大人も子どもも、夫婦も、職場の仲間も、役割は違っても人としては平等。
    ここを取り違えると、関係はぎくしゃくし始める。

    私は経営に関わる立場として、この感覚はとても大切だと思った。
    立場上、判断したり指示したりする場面はある。
    けれど、役割の違いと人間としての価値の違いを混同してしまうと、組織の空気は一気に悪くなる。
    平等とは「同じ」ではない。
    能力も経験も役割も違う。
    それでも、人としての値打ちは平等である。
    この視点を持ち続けるのは、簡単なようで難しい。

    「信用」より「信頼」、「干渉」より「協力」

    この本では、アドラー的な人間関係の考え方がいくつも対比で語られていた。
    その中でも特に印象に残ったのは、
    信用ではなく信頼
    干渉ではなく協力
    という考え方だ。

    信用は、相手の行動や実績を見て判断するもの。
    一方で信頼は、もっと根本的に、その人の背後にある善意や可能性を見る姿勢なのだと思う。

    また、協力とは、頼まれない限り相手の人生に過度に踏み込まないことでもある。
    よかれと思って口を出しすぎることは、実は協力ではなく干渉になっていることがある。
    これは親子でも夫婦でも、職場でも本当によくある話だと思う。

    つい「相手のために」と思って手を出したくなる。
    でもそこで一歩引き、相手の課題を相手のものとして尊重すること。
    この距離感こそが、成熟した関係をつくるのかもしれない。

    不完全な人間同士が、どう付き合うか

    この本を読みながら、結局、人間関係に特効薬はないのだと思った。
    ただし、持つべき姿勢はある。

    全部の人に好かれようとしないこと。
    自分の価値観を絶対だと思わないこと。
    感情で押し切らず、冷静に話し合うこと。
    そして、自分は変えられても他人は変えられないと知ること。

    どれも当たり前のようで、実際にはとても難しい。
    だからこそ、何度でも立ち返る価値がある。

    人間は不完全だ。
    自分もそうだし、相手もそうだ。
    その前提に立ったうえで、それでもどう付き合っていくか。
    そこに人間関係の本当の課題があるのだと思う。

    劣等感をなくして完璧になることがゴールではない。
    劣等感を抱えたままでも、他人と比べすぎず、自分の立ち位置を見つめ直し、より健康な関係を築こうとすること。
    この本は、そのための静かで実践的なヒントをたくさん与えてくれた。

    私自身も、つい相手を変えたくなる時がある。
    正しさを振りかざしたくなる時もある。
    けれどそんな時こそ、まず問うべきなのだろう。

    いま、自分にできることは何か。

    人間関係を少し良くする入口は、いつもそこから始まるのだと思う。

  • あたまを退化させない人がやっていること | 2026.04.03

    西剛志著『80歳でも脳が老化しない人がやっていること』を読んで

    老化は避けられなくても、脳の老け方は変えられる

    最近、物忘れが増えたとか、集中力が続かなくなったとか、前より新しいことが少し面倒になったとか、そんな小さな変化を感じることがあります。
    年齢を重ねれば自然なことだと頭ではわかっていても、やはり少し気になる。だから私はこの本の題名に引かれました。

    老化そのものは止められない。
    でも、脳の老け方は変えられるのではないか。
    もしそうなら、今のうちに知っておきたい。そんな思いで読み始めた一冊です。

    この本を読んでまず感じたのは、「ああ、やっぱりそうなんだな」という妙に腑に落ちる感覚でした。
    本の中で何度も出てくるのが、「スーパーエイジャー」という存在です。
    年齢を重ねても、元気で、前向きで、どこか若々しい人。
    私のまわりにも、確かにそういう人がいます。
    そしてそういう人たちは、特別な才能があるというより、日々の過ごし方が違う。
    この本は、その違いを脳科学の視点からやさしく教えてくれます。

    印象に残ったのは、脳の老化は高齢になってから急に始まるのではなく、ずっと前から少しずつ進んでいる、ということでした。
    そしてその進み方は、生活習慣や考え方、言葉の使い方で変わる。
    ここが、とても希望の持てるところでした。

    趣味もデジタルも、脳に風を通してくれる

    私は昔から、本を読んだり、写真を撮ったり、新しいものに触れたりすることが好きです。
    旅行も好きですし、ITやAIにも興味があります。
    それは単に「面白いからやっている」つもりでしたが、この本を読んで、それらが脳にとっても良い刺激になっているのだとあらためて感じました。

    とくに共感したのは、趣味が多い人は認知症になりにくいという話です。
    趣味は人生を豊かにするだけでなく、脳の働きまで支えてくれる。
    そう考えると、好きなことを持つというのは、老後の暇つぶしではなく、生きる力そのものなのだと思いました。
    私は従業員にも「趣味を持ったほうがいい」と言いたくなることがありますが、それは気分の問題ではなく、人生の質に関わる話なのだと感じます。

    また、65歳を過ぎたらむしろデジタルを使ったほうがいい、という話にも深く頷きました。
    私は前から、高齢者ほどSNSやデジタルに触れたほうがいいと思っていました。
    新しいことを覚える。誰かとつながる。自分の思いを外に出す。
    それだけでも、脳には十分な刺激になる。
    今は難しい操作をたくさん覚えなくても使える道具が増えています。
    少しの注意を持ちながら、楽しむために使う。
    その姿勢は、これからますます大事になる気がします。

    昼寝をすること、音楽を聴くこと、旅行の予定を立てること、人と会話すること。
    そういう何気ないことの一つ一つが、脳を守る行動になる。
    大げさなことではなく、日常の中に小さな刺激や喜びを持ち続けることが大切なのだと、この本は教えてくれました。

    人を老けさせるのは、年齢よりも言葉と思い込みかもしれない

    この本を読んでいて、いちばん耳が痛かったのは「言葉」の話でした。
    脳にとって良くない言葉として、
    「疲れた」「もう年だから」「無理だ」「面倒くさい」「できない」
    そんな言葉が挙げられていました。

    たしかに、人は自分の言葉に引っぱられるものだと思います。
    「もう年だから」と口にするたびに、本当にその方向へ進んでいく。
    逆に、「疲れた、でも今日はよくやった」と言い換えるだけで、脳の受け取り方が変わる。
    この“でも”をつけるだけでいい、という話はとても印象に残りました。

    私は日ごろから、言葉は大事だと思っています。
    仕事でも、家庭でも、発信でも、言葉ひとつで空気は変わる。
    そしてその言葉は、相手だけでなく、自分の脳にも返ってくる。
    だからこそ、歳を重ねるほど、自分が何を口にしているかには気をつけたいと思いました。

    さらに、この本は「頑固さ」についても触れています。
    歳を取ると頑固になる人と、柔らかいままでいられる人の違いは何か。
    それは、自分の考えだけを正しいと思うかどうか。
    この話も、経営をしている者としてとても考えさせられました。

    人は経験を積むほど、自分のやり方や価値観に自信を持ちます。
    それ自体は悪いことではありません。
    でも、その自信が強くなりすぎると、違う考え方を受け入れにくくなる。
    すると脳も硬くなる。
    これは年齢の問題というより、生き方の問題なのだと思いました。

    この本を読んであらためて感じたのは、
    脳を若く保つとは、結局、今日を面白がる力を失わないことなのかもしれない
    ということです。

    大きな目標を掲げることも大事ですが、年齢を重ねるほど必要なのは、日常の中に小さな楽しみを埋め込むことなのだと思います。
    「今を楽しむことに貪欲である」
    この本に流れていたメッセージは、まさにそこにあったように感じます。

    人は誰でも歳を取ります。
    でも、歳を取ることと、心や脳まで古びることは、同じではない。
    老化を嘆くより、少しでも面白く、少しでも柔らかく、少しでも前向きに生きる。
    その積み重ねが、人生の後半をずいぶん違うものにしていくのだと思います。

    この本は、脳の老化を怖がるための本ではありませんでした。
    むしろ、これから先の時間をどう生きるかを、静かに励ましてくれる本でした。
    私自身、これからも好奇心を失わず、本を読み、写真を撮り、新しい道具にも触れながら、脳にも心にも風を通していきたいと思います。

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