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  • 道ばたの草に願いを込めて | 2026.06.04

    五十嵐工業の「栞プロジェクト」

    近頃の製品は、どれも驚くほどきれいに整っています。
    もちろん、それは素晴らしいことです。けれど一方で、あまりに完璧なものに囲まれていると、どこか少し窮屈さを感じることもあります。

    だからこそ当社では、少し武骨で、少し不揃いで、手のぬくもりが感じられるものにも価値があると考えています。
    そんな思いから生まれたのが、道ばたの草花を押し花にして栞にする、**「栞プロジェクト」**です。

    この取り組みのきっかけは、雑草に関する本を読んだことでした。
    それまで何気なく見過ごしていた草にも、それぞれ名前があり、居場所があり、生きるための知恵がある。そう気づいてから、道ばたの草がただの草ではなく、一つひとつ意味を持った存在に見えてくるようになりました。

    そこで、見つけた草花を自分の手で残してみたいと思い、押し花にして栞として仕上げることにしました。
    土台には越前和紙を選び、現地まで足を運んで購入しました。さらに、和紙はまっすぐ切るのではなく、濡らしてちぎることで、自然な毛羽立ちとやわらかな表情を残しています。整いすぎない風合いが、野の草の素朴さによく似合うと感じたからです。

    このプロジェクトの中でも、とくに印象深いのが四葉や五つ葉のクローバーです。
    同じように摘んで押し花にしても、若い緑のまま残るものもあれば、やわらかな黄色に変わっていくものもあります。
    若い緑には、これから始まる幸せ。
    やわらかな黄色には、静かにしみこんでいく幸せ。
    そんな思いを重ねながら、一枚一枚を仕上げています。

    四葉は小さな幸運、五つ葉はもうひとつ先の願い。
    この栞には、ただ植物を閉じ込めるだけでなく、「幸せになってほしい」という気持ちを込めています。

    五十嵐工業は、金属製品を通じてお客様の暮らしや空間づくりに関わる会社です。
    製品をお届けして終わりではなく、その先で使ってくださる方の毎日が、少しでも豊かで、心地よく、幸せなものであってほしい。
    そんな願いをかたちにしたくて、この栞を請求書などにそっと挟んでお届けしていこうと考えています。

    手間をかけてつくるものには、気持ちが宿ります。
    少し不揃いでも、少し武骨でも、そこにしかないあたたかさがあります。
    それは当社のものづくりにも、どこか通じるものかもしれません。

    道ばたの草花が、小さな栞になる。
    その小さな一枚が、ご縁への感謝と、幸せへの願いを届けるものになればうれしく思います。

    これからも五十嵐工業は、製品だけでなく、気持ちも一緒に届けられる会社でありたいと考えています。

    プロジェクトの成り立ちや思いは、noteにまとめました。
    ぜひご覧ください。
    https://note.com/toshihiko54/n/n32b5a66ddc76?app_launch=false

  • 「おしゃれですね」と言われた70歳シールの正体 | 2026.06.04

    2026年5月18日、私は古希(70歳)を迎えました。

    近年、高齢ドライバーによる交通事故が社会問題として取り上げられる機会が増えています。

    一方で地方では、車は単なる移動手段ではありません。

    通勤、買い物、通院、そして仕事。

    生活そのものを支える大切な足です。

    私自身も全国各地へ写真撮影や仕事で出掛けるため、車は今も大切な相棒です。

    しかし正直に言えば、若い頃と同じではありません。

    以前より慎重になる。

    速度も少し落ちる。

    バックモニターや俯瞰モニターが無いと不安を感じる。

    70歳になった今、ようやく認めます。

    「私は若い頃より確実に運転が下手になった」

    ということを。

    だからこそ、

    「まだ大丈夫」

    と思い続けるより、

    自分の変化を認めることが安全運転の第一歩ではないかと思っています。

    そこで今回、シルバーマークについて考えました。

    多くの人は、

    「まだ貼りたくない」

    「年寄り扱いされたくない」

    と感じるかもしれません。

    しかし私は、

    シルバーマークを嫌々貼るのではなく、

    「ここまで無事に走ってきた人生を祝う一輪の花」

    として表現できないだろうかと考えました。

    ChatGPTとの対話を重ねながらデザインを検討し、

    前面には茎とゴールドリボン、

    後面には

    「見守られてきた人生、これからも」

    という言葉を添えました。

    貼付後、ガソリンスタンドで若いスタッフさんから頂いた第一声は、

    「わぁ、おしゃれですね」

    でした。

    こちらは高齢ドライバーであることを伝えるつもりだったのに、

    返ってきた言葉は「おしゃれ」。

    少し驚き、少し嬉しくなりました。

    もしかすると、

    人は老いそのものを嫌うのではなく、

    老いを隠そうとする空気を嫌うのかもしれません。

    堂々と受け入れ、

    少し遊び心を加えることで、

    世代を超えた共感が生まれる。

    そんな可能性を感じました。

    五十嵐工業は建築会社です。

    しかし建築も、安全な暮らしを支える仕事です。

    高齢化が進む社会の中で、

    建物だけでなく、

    移動や生活の安全についても考えることが必要だと思っています。

    今回の取り組みは小さな実験です。

    高齢者自身が運転能力の変化を認め、

    周囲も少し思いやりを持つ。

    そんな社会への小さな提案でもあります。

    詳しい制作経緯は、私のnoteにまとめています。

    ▼note記事
    「おしゃれですね」と言われた70歳シールの正体

    https://note.com/toshihiko54/n/n19d63f274793

    高齢になったら、恥ずかしく面白いことを探す。

    今回の70歳シールは、その第一歩だったのかもしれません。

  • 正解を探す時代に、自分の感想を持つということ | 2026.06.03

    三宅香帆さんの『考察する若者たち』を読んで、これは単なる若者論ではないと感じました。

    若い人たちが今、何を面白がり、何に不安を感じ、どんな形で「報われたい」と思っているのか。
    その奥にある時代の空気を、かなり鋭く見つめた本だと思いました。

    そして読み進めるうちに、これは若者だけの話ではなく、私自身のことでもあると感じました。

    AIを使い、SNSを使い、noteを書き、写真を撮り、本を読み、会社経営をしながら時代の変化を見ている自分にも、この本の問いは深く刺さりました。


    批評から考察へ、正解を探す時代

    この本で一番印象に残ったのは、「批評」から「考察」へという変化です。

    昭和や平成のエンタメは、作品を自分なりに読み解き、語り合う「批評」の対象だったように思います。

    そこには、正解があるようでない。
    人によって見方が違う。
    だからこそ面白い。

    ところが令和の若者は、映画や漫画、アニメの中に隠された意味や伏線を読み解き、「作者が用意した正解」にたどり着きたいという感覚が強いのだと、この本では語られています。

    批評は、自分の解釈を持つこと。
    考察は、作者が仕掛けた謎の答えを探すこと。

    この違いは、とても大きいと思いました。

    今の時代は、正解が見えにくい時代です。
    頑張れば報われるとも限らない。
    人間関係も複雑で、正しいと思ってしたことが、相手を傷つけることもある。
    情報は多いのに、何を信じていいかわからない。

    だからこそ、せめて物語の中では、答えにたどり着きたい。
    伏線を回収したい。
    作者の意図を当てたい。
    そして「わかった」という感覚で報われたい。

    この気持ちは、私にもよくわかります。


    「報われたい」という感覚は、若者だけのものではない

    この本を読んで強く感じたのは、若者は決して軽い気持ちでエンタメを消費しているのではないということです。

    むしろ、ひとつひとつの体験に意味を求めている。

    美術館に行っても、作品をじっと見るだけではなく、スマートフォンで撮影する。
    それは単にSNSに上げたいからではなく、その時間を「意味のある時間」として残したいからなのだと思います。

    「私はここに来た」
    「私はこれを見た」
    「私はこの時間を無駄にしなかった」

    そんな実感を、写真や記録によって確かめているのかもしれません。

    これは、私自身の写真にも通じるところがあります。

    私も旅先で写真を撮ります。
    ただ綺麗なものを記録しているだけではありません。

    その時、自分が何に心を動かされたのか。
    なぜその風景に立ち止まったのか。
    そこに自分の時間を残しているのだと思います。

    若者がスマホで撮ることを、軽く見ることはできない。
    そこには、その時代なりの「生きた証」のようなものがあるのだと思いました。


    「萌え」から「推し」へ、好きが行動に変わった

    平成の「萌え」と、令和の「推し」の違いも、とても面白く読みました。

    「萌え」は、対象を好きになる感情に近い。
    自分の中に湧いてくる、少し本能的な好きという感覚。

    一方で「推し」は、ただ好きなだけではありません。
    応援したい。
    支えたい。
    もっと上に行ってほしい。
    自分もその成長に関わっている感覚を持ちたい。

    つまり「推し」は、感情であると同時に行動なのだと思います。

    これは、現代の若者が自分のアイデンティティを作る方法にもなっているのでしょう。

    「私はこの人を推している」
    「私はこの作品を応援している」

    そう言うことで、自分が何者かを表現する。

    昔であれば、趣味はもう少し内側にあるものだったかもしれません。
    しかし今は、好きなものを表明することが、自分を表明することにもなっている。

    これは会社経営にも通じると感じました。

    今のお客様は、ただ商品を買うだけではありません。
    その会社の姿勢、考え方、未来への取り組みに共感する。
    ある意味で、会社や商品も「推される」存在にならなければならないのだと思います。

    五十嵐工業としても、ただカーポートを作るだけではなく、未来の暮らしをどう楽しくするか、どんな空間を提案するかを発信していく必要がある。
    この本を読みながら、そんなことも考えました。


    転生ものに見る、努力への諦めと希望

    転生ものアニメの話も印象的でした。

    若者は努力を否定しているわけではない。
    むしろ、努力の価値はよくわかっている。

    しかし、努力すれば未来が開けるとは思っていない。

    ここに、今の時代の切実さがあると思いました。

    努力が足りないからできないのではない。
    そもそも自分には、努力に耐えるだけの能力や環境や資質がないのではないか。

    そう思ってしまう。

    だから、転生ものでは「別の能力を持った自分」としてやり直す。
    違う世界で、違うスペックで、もう一度スタートする。

    これは単なる現実逃避ではなく、「報われる可能性のある場所に立ちたい」という願いなのだと思います。

    私はこの部分を読んで、今の若者の自己肯定感の低さというより、社会全体の閉塞感を感じました。

    昔は、多少乱暴でも「頑張ればなんとかなる」と言えた時代があったのかもしれません。
    しかし今は、情報が多すぎて、失敗例も成功例も見えすぎる。

    自分より才能のある人。
    自分より若く成功している人。
    自分より軽々と結果を出しているように見える人。

    そういう情報が毎日流れてくる中で、「自分も努力すればできる」と信じるのは、かえって難しいのかもしれません。

    だからこそ、若者が最初から諦めているように見えても、それを責めることはできないと思いました。


    アルゴリズムが欲しいものを教えてくれる時代

    もう一つ考えさせられたのは、アルゴリズムとプラットフォームの話です。

    今は、自分で探す前に、向こうからおすすめが来ます。

    Amazonを見れば本がすすめられる。
    YouTubeを見れば次の動画が流れる。
    SNSを開けば、自分が好きそうな情報がどんどん出てくる。

    とても便利です。

    しかし便利であるほど、自分が本当に選んでいるのかがわからなくなります。

    自分で欲しいと思ったのか。
    それとも、欲しいと思わされているのか。

    この違いは大きいと思います。

    私も日常的にAIを使っています。
    調べものもする。
    文章も整える。
    アイデアも出してもらう。
    とてもありがたい存在です。

    しかし、AIが出してくれる答えは、どうしても整いすぎていることがあります。
    きれいで、わかりやすくて、間違いが少ない。

    でも、人間の考えは本来、もっと荒削りです。
    迷いもある。
    間違いもある。
    言葉にならない感情もある。

    その荒削りな部分を持ち続けなければ、自分の考えまでアルゴリズムに整えられてしまうのではないか。
    そんな危うさも感じました。


    本屋は、偶然に出会う場所

    この本で、書店の価値について触れられていたところにも深く共感しました。

    ネットでは、どうしても自分に近いものがすすめられます。
    読みやすそうな本。
    関心がありそうな本。
    過去の自分に似た本。

    しかし本屋に行くと、まったく違う棚が目に入ります。

    自分では検索しないジャンル。
    今まで関心がなかったテーマ。
    題名だけで気になる本。
    なぜか手に取ってしまう本。

    こういう偶然の出会いは、プラットフォームのおすすめではなかなか起こりません。

    私は本を読むことが好きですが、読む前からすべて目的が決まっているわけではありません。
    むしろ、目的なく本棚を眺めている時間の中で、自分の中にまだ名前のついていない興味が見つかることがあります。

    本屋は、買う場所である前に、自分の興味を発見する場所なのだと思います。

    そしてこれは、人生にも経営にも大事なことだと思いました。

    効率だけを求めると、偶然は減っていく。
    最適化だけを求めると、余白がなくなる。
    けれども、新しい発想は、たいてい余白や偶然から生まれる。

    本屋という場所は、AI時代だからこそ、ますます意味を持つのかもしれません。


    友達より母親へ、そしてAIへ

    若者の相談相手の変化も印象的でした。

    かつては、悩みや心配事を友達に相談する割合が高かった。
    しかし今は、その割合が低くなり、母親に相談する割合が高くなっている。

    友達関係はフラットです。
    だからこそ気楽な面もありますが、意見が対立すると関係が壊れやすい。
    一方で、親子関係にはある種のヒエラルキーがあります。

    親の言葉には、正しさのようなものがある。
    少なくとも、迷った時に頼れるものとして機能する。

    この構造は、AIとの関係にも似ていると本では語られています。

    ChatGPTのようなAIは、こちらが質問すれば、整った答えを返してくれます。
    否定しすぎない。
    怒らない。
    すぐに答えてくれる。
    しかも、それらしい正解を提示してくれる。

    まるで疑似親のような存在です。

    私もAIを使っているので、この感覚はよくわかります。

    AIはとても頼りになります。
    しかし、頼りになるからこそ、自分で迷う力を失ってはいけないとも思います。

    答えをもらうことと、考えることは違う。
    整った文章を得ることと、自分の感情を見つけることも違う。

    AI時代には、むしろ人間の側に「問いを持つ力」が必要になるのだと思います。


    若者は弱くなったのではなく、時代に敏感なのだと思う

    この本を読んで、若者に対する見方が少し変わりました。

    若者は弱くなったのではない。
    甘えているのでもない。
    むしろ、今の時代の不安定さを、私たちより敏感に受け取っているのだと思います。

    正しさはすぐに変わる。
    努力は必ず報われるわけではない。
    人間関係は壊れやすい。
    情報は多すぎる。
    おすすめは便利だが、自分の欲求まで作られてしまう。

    その中で、少しでも報われたい。
    意味のある時間を過ごしたい。
    正解に近づきたい。
    応援することで自分も生きる意味を感じたい。

    これは若者だけの感覚ではなく、現代を生きる多くの人に共通するものだと思います。


    自分の感想を持つことは、最後の自由かもしれない

    私は本を読んで、こうして感想を書くことを続けています。

    それは、自分の考えを残すためでもあります。
    同時に、自分が何に心を動かされたのかを確かめるためでもあります。

    AIに文章を整えてもらうことはできます。
    要約してもらうこともできます。
    タイトルを考えてもらうこともできます。

    しかし、最初に「ここが気になった」と感じるのは自分です。

    違和感を持つのも自分。
    引っかかるのも自分。
    読みながら過去の経験とつながるのも自分。
    会社経営や写真や家族のことに引き寄せて考えるのも自分。

    そこにこそ、私の読書の意味があるのだと思います。

    正解を早く探す時代だからこそ、自分の感想を持つことが大事になる。
    きれいに整った答えよりも、少し荒削りな自分の言葉を大切にしたい。

    この本を読んで、そんなことを強く感じました。

    若者の考察文化を通して見えてきたのは、令和のエンタメ消費だけではありません。
    正解を求めすぎる時代に、人間がどう自分の感覚を取り戻すのかという、大きな問いでした。

    私もこれから、AIを使いながらも、AIに考えを預けすぎないようにしたい。
    本屋で偶然に出会い、写真で自分の時間を残し、本を読んで自分の言葉を探す。

    それが、情報に流されずに生きるための、小さくても大事な抵抗なのかもしれません。

  • AIは想像力を奪わない。問いを返してくれるだけだ | 2026.06.02

    『マンガでわかるAI時代の「わたしらしい」デザイン』を読んで

    甲斐智美さんの『マンガでわかるAI時代の「わたしらしい」デザイン』を読んで、いちばん心に残ったのは、
    AIは人間の想像力を奪うものではない
    という視点でした。

    AIが進化すると、よく「人間の仕事がなくなる」と言われます。
    けれど、この本を読んで感じたのは、仕事がなくなる以前に、私たちが本当に恐れているのは、もしかすると**「自分が必要とされなくなること」**なのではないかということです。

    でも、AIがどれほど進化しても、
    自分自身がなくなるわけではありません。


    AIは答えを出すが、決めるのは人間である

    AIは答えを出してくれるかもしれません。
    選択肢を増やしてくれるかもしれません。
    作業を早くしてくれるかもしれません。

    しかし、最後に選ぶのは人間です。

    「私はこれが好きだ」
    「これは違う気がする」
    「なぜこちらを選ばなかったのか」

    そう考え、選び、決める責任は、やはり自分の中に残ります。

    AI時代の本質は、AIに任せることではなく、
    AIを使いながら、自分で決めていくことなのだと思いました。


    何も作らない日も、創作の一部である

    この本では、創作を成果だけで見ていません。
    何かを作った日だけが創作ではなく、何も作らない日も、立ち止まる日も、休む日も、創作の一部だと語られています。

    これは、とても大事なことだと思いました。

    私たちはつい、休むことを無駄だと思ってしまいます。
    何も生み出していない自分を、どこかで責めてしまいます。

    けれど、人間の頭や心は、止まっているように見える時間の中でも、見えない作業を続けています。

    考えを熟成させたり、傷ついた心を回復させたり、言葉にならない感覚を少しずつ形にしたりしている。

    だから、何もしていないように見える時間にも、確かに意味があるのだと思います。


    頑張らないことは、怠けではなく持続の知恵

    会社経営でも、ものづくりでも、写真でも、文章を書くことでも、これは同じです。

    頑張り続けることだけが正解ではありません。

    頑張らない日は、怠けではなく、
    持続するための選択です。

    「今日はここまででいい」
    そう思えることも、長く続けていくためには大切な知恵なのだと思います。

    無理に生み出そうとすると、自分の中の感覚が置き去りになります。
    反対に、少し立ち止まることで、見えてくるものがあります。


    問いを返してくれる存在

    この本に出てくるキャラクターは、何かを命令するのではありません。
    答えを押しつけるのでもありません。
    ただ、問いを返してくれます。

    「本当はどうしたいのか」
    「なぜそれを選びたいのか」
    「自分の感覚はどこにあるのか」

    AI時代に大事なのは、正解を早く探すことではなく、
    自分の中にある問いを見失わないことなのだと思いました。


    AIを学ぶほど、自分の声が小さくなる危うさ

    AIを学べば学ぶほど、便利な答えは増えていきます。
    文章も、画像も、アイデアも、すぐに形になります。

    しかし、その一方で、自分の声が小さくなっていく危うさもあります。

    「これでいいのだろうか」
    「AIが出したから正しいのだろうか」
    「自分は本当はどう感じているのだろうか」

    だからこそ、AIに任せるだけではなく、AIから返ってきたものを一度疑ってみることが大切です。

    これは本当に自分の感覚に合っているのか。
    自分はなぜ、これを選びたいのか。
    なぜ、これは選ばなかったのか。

    その問い直しの中に、人間らしい創作があるのだと思います。


    これからの仕事は、自分の中から生み出すものになる

    今までは、誰かに頼まれたことをきちんとこなすことが仕事だと思われてきました。

    もちろん、それも大切な仕事です。
    しかし、これからは少し違ってくる気がします。

    どんな仕事であっても、
    自分の中から何を生み出すのか
    自分の感覚をどう仕事に込めるのか
    そこがますます大事になっていくと思います。

    AIがあるから、人間の創造性が消えるのではありません。
    むしろ、AIがあるからこそ、人間は、
    自分は何を大切にしたいのか
    をより深く問われる時代になるのだと思います。


    正解よりも、感覚を大切にする

    正解を探し続けると、人は少し苦しくなります。
    なぜなら、正解は外にあると思ってしまうからです。

    でも、自分の中の問いを大切にすると、少し呼吸が深くなります。

    うまくなることよりも、優しくなること。
    成果を急ぐことよりも、自分の感覚を取り戻すこと。

    AI時代のデザインとは、単に見た目を整えることではなく、
    自分らしく生きるための問いを持ち続けることなのかもしれません。


    AIは、自分の中の問いを呼び戻してくれる

    この本を読み終えて、私は改めて思いました。

    AIは想像力を奪わない。
    むしろ、急がされる心を少し遠ざけてくれる。
    そして、自分の中に眠っていた問いを、静かに呼び戻してくれる。

    仕事がなくなるかどうかよりも、
    自分が何を感じ、何を選び、何を大切にして生きるのか。

    そこに、これからのAI時代の人間の価値があるように思います。

    答えより問いを。
    正解より感覚を。

    AIとの付き合い方は、そこから始まるのだと思います。

  • 恥をかきながら、脳をワクワクさせて生きる | 2026.06.01

    荒俣宏さんの『すぐ役に立つものは、すぐに役に立たなくなる』を読んで、まずこの題名に強く惹かれました。

    今の時代は、何でも「すぐ役に立つかどうか」で判断されがちです。
    仕事に使えるか。
    売上につながるか。
    効率化できるか。
    すぐ成果が出るか。

    もちろん、会社を経営している以上、それは大切なことです。
    私自身も、AI、IT、ホームページ、SNS、メタバース、3D設計など、役に立つものは積極的に取り入れてきました。

    しかし、この本を読みながら改めて思いました。
    すぐ役に立つものばかりを追いかけていると、人間の考え方そのものが、どこか薄くなってしまうのではないかと。

    人生は、死ぬまで恥のかき通し

    この本を読みながら、私自身の70年の人生も重ねて考えていました。

    人生なんて、死ぬまで恥のかき通しです。
    だから、失敗を気にしても始まらない。

    むしろ、恥をかかないように生きようとすると、アウトプットができなくなります。
    人前で話すことも、文章を書くことも、写真を発表することも、会社の未来を語ることも、全部どこかに恥ずかしさがあります。

    でも、その恥ずかしさを超えて外に出すから、人間は成長するのだと思います。

    読書感想文を書くことも同じです。
    うまく書こうとすれば、手が止まる。
    正しいことを書こうとすれば、言葉が硬くなる。
    でも、自分が感じたことを、そのまま少し不器用でも出してみる。
    そこにこそ、自分の学びがあるのだと思います。

    恋心も、学びの入口になる

    本の中で印象的だったのは、肖像画の始まりについての話です。

    古代ギリシャの都市国家コリントスに、彫刻家とその娘がいた。
    父のもとには多くの弟子が集まり、その中の一人の美しい青年に娘は恋をする。
    やがて青年が修行を終えて故郷へ帰ることになり、娘は彼の姿を何とか残したいと願う。

    そこで彼を壁の前に立たせ、蝋燭の光で映った横顔の影をなぞった。
    それが肖像画の始まりだという話です。

    これが本当かどうかというより、私はこの話がとても好きです。

    学びや芸術の始まりは、理屈ではない。
    「好きだ」
    「残したい」
    「知りたい」
    「近づきたい」

    そんな心の動きから始まるのだと思います。

    恋心も、好奇心も、憧れも、立派な勉強の入口です。
    学校の教科書だけが学びではない。
    人を好きになることも、旅に出ることも、写真を撮ることも、知らない世界に触れることも、すべて勉強なのだと思いました。

    未知のものに手を出す勇気

    荒俣さんは、未知のものにアクセスする勇気の大切さも語っています。

    若いうちに旅をした方がいい。
    外国語でも哲学でもいい。
    まだ知らないことに手を出してみる。
    それを乗り越えた時の達成感は、一生の宝物になる。

    これは本当にその通りだと思います。

    私は今でも、知らないものに手を出すことが好きです。
    AIも、メタバースも、3Dプリンター住宅も、最初はわからないことだらけです。
    でも、わからないから面白い。
    わからないものを避けていたら、未来には近づけません。

    批判的に構えて、最初から否定するのではなく、一度自分の中を通してみる。
    苦手なもの、嫌いなもの、よくわからないものも、すぐに拒まない。
    時には騙されて読むことも、間違えて進むことも大事なのだと思います。

    人は間違える権利がある。
    これは本当に名言だと思いました。

    勉強、仕事、遊びは分けなくていい

    私は以前から、勉強と仕事と遊びは、最終的には分けなくてもいいと思っています。

    時間が余ったら好きなことをやろう。
    退職したら勉強しよう。
    余裕ができたら本を読もう。

    そう考えていると、たぶん一生その時間は来ません。

    仕事の中に学びがあり、学びの中に遊びがあり、遊びの中に未来の仕事のヒントがある。
    写真を撮ることも、読書をすることも、旅をすることも、会社の未来を考えることとどこかでつながっています。

    すぐ売上につながるわけではない。
    すぐ成果が見えるわけでもない。
    それでも、そういう時間の中で脳がワクワクしている。
    そのワクワクこそが、本当の勉強なのだと思います。

    役に立たないものが、ゆっくり発酵する

    荒俣さんは、楽しい作業を繰り返すうちに、知識がワインのように発酵し、味わい深くなっていくというようなことを語っています。

    この感覚は、とてもよくわかります。

    すぐに役立つ知識は、すぐに使えます。
    でも、すぐに古くもなります。

    一方で、すぐには役に立たない読書、旅、写真、雑談、失敗、恥をかいた経験は、時間をかけて自分の中で発酵していきます。
    そして、何年も経ってから、ふと仕事の判断や人との関わり方、会社の未来を考える時に効いてくる。

    だから私は、これからも役に立つかどうかだけで本を選ばないようにしたいと思いました。

    「なんだかわからないけど気になる」
    「今の自分には難しそうだけど読んでみたい」
    「何に使えるかわからないけれど面白そうだ」

    その感覚を大事にしたい。

    脳がワクワクして喜ぶ人生へ

    すぐ役に立つものは、すぐに役に立たなくなる。
    この言葉は、効率ばかりを求める今の時代への、大事な警鐘のように感じました。

    人生は、すぐに答えが出るものばかりではありません。
    むしろ、わからないもの、遠回りなもの、すぐには意味が見えないものの中にこそ、人生を豊かにする種があるのだと思います。

    恥をかいてもいい。
    間違えてもいい。
    騙されて読んでもいい。
    楽天的に、少し馬鹿者のように、未知のものへ手を出してみる。

    賢くなければ、良い意味で馬鹿にはなれない。
    そして、馬鹿になれる人ほど、人生を面白がれるのかもしれません。

    脳がワクワクして喜ぶこと。
    それこそが、勉強の本来の目的であり、人生を楽しくする力なのだと思います。

    私も、融通無碍の海面のような脳になれたら、人生は絶対に楽しいに決まっている。
    そう信じて、これからも恥をかきながら、読み、考え、発信していきたいと思います。

  • 孤独は、孤立ではなく、自分に戻る力だった | 2026.04.30

    『人生を変える孤独力 幸せな生き方』谷崎玄明 著を読んで

    「孤独力」という言葉に惹かれて、この本を読みました。

    孤独というと、どうしても寂しさや孤立を思い浮かべてしまいます。
    しかし、この本を読み進めるうちに、孤独力とは「人から離れる力」ではなく、自分の心の主人公を取り戻す力なのだと感じました。

    誰かの目を気にしすぎる。
    誰かの言葉を必要以上に受け取ってしまう。
    一人の人から否定されたように感じただけで、まるで世界中から否定されたような錯覚に陥る。

    これは、決して特別な弱さではなく、多くの人が知らず知らずのうちに抱えているものだと思います。
    私自身も、会社を経営し、人と関わりながら生きてきた中で、他人の評価や期待に自分を合わせてしまう場面は少なくありませんでした。

    他人の目で生きると、自分がいなくなる

    本の中で印象に残ったのは、孤独力を養っていない人は、他者評価に依存しやすくなるという考え方です。

    誰かにどう思われるか。
    認められているか。
    嫌われていないか。

    そうしたものを自分の価値の確認方法にしてしまうと、自分の心の声がどんどん遠くなっていく。
    本来の自分、つまり人生の主人公である自分を、いつの間にか隠してしまうのです。

    これはとても怖いことだと思いました。

    人に合わせることは悪いことではありません。
    協調性も大事です。
    しかし、それが行き過ぎると、自分の心ではなく、他人の目を中心に生きるようになってしまう。

    その状態は、人と一緒にいても、かえって孤立に近いのかもしれません。
    なぜなら、本当の自分がそこにいないからです。

    孤独力は、心を鍛える静かな時間

    この本では、歩くことの大切さにも触れられていました。
    歩くことで心が躍動する。
    自分を鍛えることを、楽しみながら続ける。
    そこに孤独力を養うヒントがあるように感じました。

    孤独力とは、何か特別な修行ではないのだと思います。

    一人で考える時間。
    自分の心と体に耳を澄ませる時間。
    誰かの評価から少し離れて、自分が本当にどう感じているのかを見つめる時間。

    そういう時間の積み重ねが、心を少しずつ強くしてくれるのだと思います。

    現代は、時間術や効率化の情報があふれています。
    私自身もITやAIを活用しながら、便利さやスピードの恩恵を受けています。

    けれども、この本を読んで思ったのは、どれだけ便利になっても、最後に自分を支えるのは「自分の心と向き合う力」なのだということです。

    時間を管理する前に、自分の心を見失わないこと。
    効率を求める前に、自分が何を大切にしているのかを知ること。

    それが、孤独力なのだと思いました。

    孤独力の先にあるのは、幸せだった

    本の中で、孤独力を極めた先にあるものは「幸せ」だと語られていました。
    ここがとても心に残りました。

    孤独力は、人を遠ざける力ではありません。
    むしろ、自分の心が安定することで、人とも自然に向き合えるようになる力なのだと思います。

    一人でいることを恐れない。
    けれど、人とのつながりを拒むわけではない。
    自分の考えを持ちながら、傲慢にならない。
    いつでも柔軟に、物事を吸収できる自分でいる。

    これが、本当に孤独力の強い人なのかもしれません。

    私はこの本を読んで、孤独力とは「孤立しないための力」でもあると感じました。
    自分の中にしっかりとした軸があるからこそ、人と比べすぎず、人に振り回されすぎず、そして人に対しても優しくなれる。

    誰もが同じ性格ではなく、誰もが必ず美点を持っている。
    その美点を探し出せる人でありたい。
    そして、自分自身の美点にも気づける人でありたい。

    孤独力を養うことは、人生を閉じることではなく、人生を静かに開いていくこと。
    他人の目から自由になり、自分の心に戻っていくこと。

    この本を読んで、そんなふうに感じました。

    これからも私は、いろいろな本や人との出会いの中で、自分の中の孤独力を育てていきたいと思います。
    そして、孤独を恐れず、孤立せず、柔らかく学び続ける自分でありたいと思いました。

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