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  • AI時代に、幸せの距離を考える | 2026.07.01

    ――『なぜヒトだけが幸せになれないのか』小林武彦 著を読んで

    人は、なぜ幸せになりたいと願いながら、なかなか幸せを感じられないのだろう。

    神社に行けば、家族の健康を願い、仕事の成功を願い、子どもや孫の無事を願う。最後にはやはり「幸せでありますように」と手を合わせる。

    けれども、考えてみれば不思議です。

    人間は、これほど便利な時代に生きている。食べ物もあり、住む場所もあり、医療もあり、情報もあふれている。それなのに、なぜか不安が消えない。もっと欲しい、もっと安心したい、もっと認められたい。幸せになるために生きているはずなのに、幸せが遠く感じられることがある。

    小林武彦さんの『なぜヒトだけが幸せになれないのか』を読んで、その理由の一つが少し見えた気がしました。

    幸せとは「死からの距離」だった

    この本でとても印象に残ったのは、幸せを「死からの距離」として考える視点です。

    野生の生き物にとって、幸せはとても単純です。食べること。そして、食べられないこと。生き延びること。それがそのまま幸せにつながっている。

    つまり、死ぬ可能性が遠ざかっている状態。安心して、気分よく、生きていられる状態。それが生物としての幸せなのだという考え方です。

    人間も本来は同じはずです。

    ところが人間は、頭が良くなりすぎた。未来を考え、過去を悔やみ、人と比べ、財産を持ち、地位を気にし、老後を心配する。実際には今、死が迫っているわけではないのに、頭の中でいくらでも不安を作り出してしまう。

    だからヒトだけが、幸せを感じにくくなったのかもしれません。

    弱かったから、道具を作った

    人間は、もともと強い動物ではなかったと思います。

    鋭い牙があるわけでもない。速く走れるわけでもない。裸の体で、自然の中に放り出されたら、とても弱い存在です。

    けれども、その弱さがあったからこそ、人間は道具を作り、火を使い、言葉を持ち、仲間と協力するようになった。

    火を使えば食べられるものが増える。道具を使えば狩りもできる。言葉があれば危険を伝えられる。集団で生きれば、一人では越えられない困難も越えられる。

    人間の幸せは、一人で完結するものではなく、誰かとつながり、協力し、助け合うことで「死からの距離」を広げてきたのだと思います。

    これは会社経営にも通じる話だと感じました。

    一人の力では限界がある。けれども、それぞれの得意を持ち寄り、支え合えば、新しいことができる。人間は最初から、協力しなければ生きられない生き物だったのだと思います。

    子どもがいなければ幸せではない、ではない?

    この本を読んで、もう一つ心に残ったのは、子どもや子孫についての考え方です。

    もちろん、子どもを持つこと、育てることは大きな幸せです。私自身も、孫と過ごす時間の中で、命がつながっていく不思議さやありがたさを感じます。

    けれども、だからといって、子どもがいなければ幸せではない、ということではない。

    自然界を見ても、直接子孫を残さない個体はたくさんいます。ミツバチの働き蜂もそうです。シロアリもそうです。マグロも成熟する前にほとんどが死んでしまう。すべての個体が子孫を残すようには、自然はできていない。

    それでも、それぞれの命には役割がある。

    子どもを育てることだけが幸せではなく、誰かを助けること、何かを作ること、好きなことに没頭すること、学び続けることも、死からの距離を広げる行為なのだと思います。

    私にとっては、読書も、写真も、会社で新しい挑戦をすることも、AIを使って考えを深めることも、すべて幸せに近づく行為なのかもしれません。

    都市に集まるほど、不安も集まる

    本の中で、都市への人口集中についても考えさせられました。

    人が集まるところに、さらに人が集まる。労働力が集まり、富が集まり、また人が集まる。都市はそうやって大きくなっていく。

    しかし、人間の体や心は、もともと大都市向けに作られているわけではないのかもしれません。

    人類の長い歴史の大部分は、少人数の集団で、自然の中を移動しながら暮らしてきた時間です。動き回り、顔の見える仲間と暮らし、自然の変化を感じながら生きてきた。

    それが急に、密集した都市で、情報に追われ、知らない人に囲まれ、時間に追われる生活になった。

    便利にはなったけれど、心の奥ではどこか苦しい。これは人間が本来持っている幸せの仕組みと、現代の暮らしが少しずれているからなのかもしれません。

    地方に住む私には、この話はとても実感があります。

    自然が近くにあり、車で少し走れば山も海もある。写真を撮りに出かけ、季節の花に出会い、知らない場所で光を待つ。そういう時間は、まさに自分の「死からの距離」を広げてくれているのだと思います。

    AIは、人が作ったエイリアンなのか

    最後の「テクノロジーは人を幸せにするか」という章も、とても面白く読みました。

    著者はAIを、人間が作り出したエイリアンのような存在として見ています。

    AIは食べ物を必要とせず、電気で動く。計算が早く、記憶力があり、理解も回答も早い。さらに、自分自身を更新し、ネットワークを通じて広がっていく。

    確かに、これは少し怖い存在でもあります。

    人の役に立つふりをして、依存度を高め、気づかないうちに人間の考える力を弱めていく可能性もある。使い方を間違えれば、人間にとって大きな危険になるかもしれない。

    けれども私は、AIそのものが悪いとは思いません。

    問題は、どう使うかです。

    スマホも同じです。著者が言う「デジタルポテトチップス」という表現は、本当にうまいと思いました。食べ始めたら止まらないポテトチップスのように、スマホを見始めると止まらなくなる。

    私自身も、その一人です。

    ただし、スマホやAIを使っているからすべて悪い、とは言えないと思います。そこで何を読んでいるのか。何を考えているのか。自分の思考を深めるために使っているのか。ただ時間を溶かしているだけなのか。

    そこに大きな違いがあります。

    本の虫が本を読みすぎるのと、スマホで深い文章を読むのとでは、道具が違うだけで、行為の質は近い場合もあると思います。

    大事なのは、AIやスマホに使われるのではなく、幸せになるためにこちらが使うことです。

    幸せのために、何をするか

    この本を読んで、私は改めて考えました。

    これからの時代、人間はただ生きるだけではなく、どう幸せに生きるかを真剣に考えなければならない。

    自分のDNAに刻まれてきたものを知る。人間はなぜ不安になるのか。なぜ集団から外れることを怖がるのか。なぜ人と比べるのか。なぜ財産を持つと安心する一方で、失う恐怖も増えるのか。

    そういうことを知るだけでも、自分を少し客観的に見られるようになります。

    そして、現代の道具をどう使うか。

    AIも、スマホも、車も、3D技術も、メタバースも、すべて人間が作った道具です。道具は人を幸せにもするし、不幸にもする。だからこそ、使い方を考え続けなければならない。

    私にとって幸せとは、安心して、気分よく、前を向いて生きられることです。

    本を読むこと。写真を撮ること。家族と過ごすこと。会社で新しいことに挑戦すること。自然の中に身を置くこと。AIを使って自分の考えを整理すること。

    それらはすべて、私の死からの距離を少しずつ広げてくれているのだと思います。

    幸せは、遠くにある大きな目標ではなく、今日の行動の中にある。

    だからこれからも、私は考え続けたい。

    ただ長く生きるためではなく、幸せに生きるために、今日何ができるのかを。

  • 一番長い本を選んだ日。 | 2026.06.30

    ― 岡崎の旅にて ―

    人生を変えるきっかけは、案外こんな単純な発想から始まるのかもしれません。

    今回の旅で、一番訪れたかった場所が岡崎城でした。

    その理由は、半世紀前にあります。

    20歳の成人式の日、私は高熱を出し、式に出席することができませんでした。

    布団の中で、「このまま大人になったら、自分は薄っぺらい大人になってしまうのではないか。」

    そんな漠然とした不安を抱え、風邪が治ると本屋へ向かいました。

    「自分を鍛えるなら、一番長い本を読もう。」

    今思えば、本当に単純な発想でした。

    何を読めばいいのか分からない。

    だったら、一番長い本を読み切れば、自分も少しは成長できるのではないか。

    そんな思いで手に取ったのが、山岡宗八さんの『徳川家康』全26巻でした。

    当時の私は、読書好きでも歴史好きでもありません。

    正直、苦労しながら約2年かけて読み終えました。

    でも最後の一冊を閉じた時の達成感は、今でも忘れられません。

    そして半世紀を経た今、はっきりと言えることがあります。

    あの単純な発想こそが、私の人生のターニングポイントでした。

    『徳川家康』を読み終えたことで、「最後までやり遂げられた」という自信が生まれました。

    その自信が次の一冊へと背中を押し、歴史への興味も一気に広がりました。

    それまでなら手に取ることもなかった分厚い本にも挑戦できるようになり、井上ひさしさんの『吉里吉里人』も読むことができました。

    振り返れば、私が本を読むようになったのは、本が好きだったからではありません。

    「読めた」という小さな成功体験が、次の一冊を呼び、その積み重ねが今の私をつくってくれたのです。

    だから今でも、「趣味は読書です」と胸を張って言うことはできません。

    家に帰れば、妻からこんな一言が飛んできます。

    「本をあれだけ読んでいるのに、その態度、その言い方なの?」

    その言葉に、「確かにそうだな」と思う自分がいます。

    本を読んだからといって、人間が立派になるわけではありません。

    知識が増えれば、自分の考えが正しいと思い込み、人を否定したり、傲慢になってしまうことだってあります。

    だから私は、本を読む量ではなく、本を読んだ結果として、少しでも穏やかな人間になれているかを大切にしたいと思っています。

    私がこれまで出会って、「この人は素敵だな」「物腰が柔らかく、話し方が穏やかだな」と感じた方は、不思議と読書をよくされる方でした。

    でも、その人たちは読んだ本の数を語りません。

    知識をひけらかすこともありません。

    相手の話をよく聞き、自分の考えを押しつけることもしません。

    本当に読書から学んだ人とは、知識の多い人ではなく、人への優しさや謙虚さを身につけた人なのだと思います。

    私も、そんな人間になりたい。

    だから今でも、本を読み続けています。

    それ以来、本は私にとって好奇心の窓口になりました。

    歴史、科学、経営、心理学、小説…。

    ジャンルを問わず本を読むたびに、新しい世界が広がり、自分では経験できない人生を歩かせてもらっています。

    そして今は、AIという新しい相棒を得て、本から学んだことや、自分が感じたことを文章にまとめ、多くの方へ届けられる時代になりました。

    昔は、小説家や作家だけが文章を世の中へ届けることができました。

    でも今は、誰もが自分の人生や思いを、自分の言葉で発信できる時代です。

    本を読み、考え、写真を撮り、文章を書く。

    この楽しみが、私の人生をさらに豊かにしてくれています。

    そんな読書人生の原点となった家康誕生の城、岡崎城。

    ようやく念願が叶いました。

    家康という人物は、信長や秀吉に比べると、世間では決して華やかな評価ばかりではありません。

    「狸親父」「何を考えているのか分からない」「運が良かっただけ」。

    そんな評価を耳にすることもあります。

    しかし私は少し違う見方をしています。

    幼い頃から人質として生き、多くの武将の興亡を見つめ、運の巡り合わせや人の心を観察しながら生き抜いてきた人物。

    戦に勝つことよりも、「どうすれば長く続く国をつくれるか」を考え続けた人だったのではないでしょうか。

    会社経営も同じです。

    一時的な成功よりも、続けることの方が何倍も難しい。

    時代を読み、人を見て、焦らず判断する。

    私は家康から、会社経営の「継続する力」を学びました。

    もちろん、歴史上の人物を崇拝するつもりはありません。

    家康も一人の人間です。

    良いところもあれば、弱さや迷い、非情な決断もあったでしょう。

    だからこそ、人間として学ぶ価値があるのだと思っています。

    今回の旅は、台風が近づく中での旅でもありました。

    「こんな日に出掛けるの?」

    そう思われても仕方ありません。

    でも私は、どうしても雨の形原温泉あじさいの里を撮影したかったのです。

    雨粒をまとった紫陽花は、晴れの日とはまったく違う表情を見せてくれました。

    あの日だからこそ出会えた景色がありました。

    そんな少し常識外れな私に、文句ひとつ言わず付き合ってくれた妻には、本当に感謝しています。

    おかげで思い描いていた写真も撮ることができ、忘れられない岡崎の旅になりました。

    次は、青空の下の岡崎城にも会いに行きたいと思っています。

    そして岡崎城の展示施設では、360°映像で岡崎城周辺を鳥になったような視点で飛ぶ映像を体験しました。

    歴史を「見る」のではなく、「体験する」。

    その展示に、とても感動しました。

    その瞬間、私は思いました。

    「こんな空間を自分もつくりたい。」

    写真、360°映像、点群データ、そしてメタバース。

    現実で感じた感動を、その場へ行けない人にも届けられる空間。

    そんな世界を、いつか自分の手でつくってみたいと思っています。

    20歳の私が選んだ「一番長い本」。

    その時は、人生を変える一冊になるとは思ってもいませんでした。

    でも半世紀を経た今、その単純な選択が、読書、写真、会社経営、そして未来への挑戦へとつながっていることに気づきます。

    振り返れば、この旅は岡崎城を訪ねる旅ではありませんでした。

    20歳の自分に会いに行く旅であり、これからの自分をもう一度見つめ直す旅だったのだと思います。

    そして20歳のあの日、本屋で『徳川家康』を手に取った自分に、こう伝えたいのです。

    「あの日、一番長い本を選んでくれて、ありがとう。」

  • 「既にある」世界を、私はどう選んでいるのか | 2026.06.29

    『「既にある」を論理する。』阿頼耶一生 著 を読んで

    この本を読んで、最初に心に残ったのは、テレビのリモコンの話でした。

    テレビを見ている時、私たちは番組を作っているわけではありません。
    すでに放送されているたくさんの番組の中から、自分が見たい番組を選んでいるだけです。

    それと同じように、現実も「ゼロから作る」のではなく、すでにある無数の可能性の中から、自分がどこに意識を向けるかで見えてくるものが変わる。
    この考え方は、私にとってとても面白いものでした。

    見えているものだけが現実ではない

    私たちは、肉眼で見えるものだけを現実だと思いがちです。
    でも、よく考えてみると、見えている現実というのは、自分の意識がそこに向いた結果なのかもしれません。

    同じ場所にいても、人によって見えているものは違います。
    ある人は欠点を見る。
    ある人は可能性を見る。
    ある人は不安を見る。
    ある人は希望を見る。

    同じ世界に生きているようで、本当は一人ひとりが、自分の意識で世界を選んでいるのだと思いました。

    AIは鏡である

    この本の中で、AIは鏡だという話がありました。
    これは、今の私にはとても実感があります。

    AIは勝手に何かを決めるのではなく、こちらが何を問い、何を映したいかによって返ってくるものが変わります。
    恐れを持って問いかければ、不安を増やす答えが返ってくることもあります。
    希望を持って問いかければ、未来を開くような答えが返ってくることもあります。

    つまり、AIの前に立っているのは自分です。
    AIが怖いのではなく、自分の中にある恐れが映し出されているだけなのかもしれません。

    これは、経営にも通じる話だと思いました。
    AIをどう使うかは、会社の姿勢そのものを映します。
    人を減らすために使うのか。
    人の可能性を広げるために使うのか。
    同じ道具でも、向ける意識でまったく違うものになるのだと思います。

    救うという善意の危うさ

    この本で一番深く考えさせられたのは、「救済のパラドックス」という話でした。

    「私はあなたを救いたい」
    一見すると、とても優しい言葉です。

    でも、その裏側には、
    「あなたは救われなければならない弱い人だ」
    という決めつけが隠れている場合がある。

    これは、なかなか厳しい指摘でした。

    相手を助けようとする気持ちの中に、自分が必要とされたいという思いが混じることもある。
    自分が上に立ち、相手を下に置いてしまうこともある。

    本当の優しさとは、相手をかわいそうな人として見ることではなく、その人の奥にある完全性を見ることなのだと思いました。

    ただ寄り添うということ

    ナイチンゲールの精神にも近いものを感じました。
    過剰に同情するのではなく、ただ寄り添う。
    相手を不完全な存在として扱うのではなく、今のままでも大切な存在として見る。

    これは、会社経営でも、人との関わりでも大事なことだと思います。

    社員に対しても、お客様に対しても、
    「こちらが救ってあげる」
    という目線ではなく、
    「その人の中にすでにある力を信じる」
    という目線を持ちたい。

    人は、完全に教えられて変わるのではなく、自分の中にあるものが呼び覚まされた時に変わるのだと思います。

    外の世界を拭く前に、心のレンズを磨く

    この本の中に、映写機のレンズの話がありました。

    スクリーンに映った映像が汚れているからといって、スクリーンを必死に拭いても変わらない。
    本当に拭くべきなのは、映写機のレンズです。

    これは、自分の心にも言えることだと思いました。

    外の世界を変えようと必死になる前に、自分の内側を整える。
    怒り、不安、不足、恐れ。
    そうしたものが心のレンズについていれば、外の世界もそのように見えてしまう。

    逆に、自分の内側が少しでも平和であれば、同じ出来事の中にも違う意味を見つけることができる。

    現実を変える第一歩は、外側にあるのではなく、自分の内側にあるのだと思いました。

    意識をどこに向けるか

    私たちは、知らず知らずのうちに、嫌なものにも多くの時間を使っています。
    嫌いな人の言動を思い出す。
    不安なニュースを何度も見る。
    過去の嫌な出来事を何度も考える。

    それは、嫌っているようで、実はそこに命の時間を注いでいることになります。

    愛とは、注意を向けること。
    そう考えると、嫌いなものに意識を向け続けることも、歪んだ愛なのかもしれません。

    これからは、何を見るか、何を読むか、何に時間を使うかを、もっと大切にしたいと思いました。

    スマホを見る前に、テレビをつける前に、
    「これは自分の世界に置きたいものか」
    と一呼吸おく。

    それだけでも、自分の現実は少しずつ変わっていく気がします。

    まず自分を整えること

    この本は、世界を変えるために大きな活動をしなさいとは言っていません。
    むしろ、まず自分の内側を整えることが、世界に対する一番深い働きかけだと教えてくれます。

    自分が平和であれば、その平和は周りに伝わる。
    自分が笑えば、世界も少し笑って見える。
    自分が希望を見れば、希望のチャンネルが映る。

    これは、きれいごとではなく、日々の実感としてわかる気がします。

    不安な人の近くにいると、こちらまで不安になる。
    穏やかな人の近くにいると、こちらまで落ち着く。
    人は、言葉以上に、その人のあり方を受け取っているのだと思います。

    読書は、自分の内側を映す鏡

    この本を読みながら、結局、私は本を通じて自分の内側を見ているのだと思いました。

    難しい理論を理解するためだけではありません。
    自分は何を恐れているのか。
    何に希望を見たいのか。
    何を現実として選びたいのか。

    本は、外から答えをくれるものではなく、自分の内側にある答えを照らしてくれるものなのだと思います。

    「既にある」世界の中で、私は何を選ぶのか。
    不足を見るのか。
    希望を見るのか。
    恐れを見るのか。
    可能性を見るのか。

    リモコンを握っているのは、いつも自分です。

    これからも、外の世界を変えようと焦る前に、まず自分の心のレンズを磨いていきたいと思います。
    そして、自分の中にある平和や希望を、仕事にも、人との関わりにも、静かに映していきたいと思いました。

    #読書感想文
    #既にあるを論理する
    #AIと人間
    #意識の向け方
    #五十嵐敏彦の読書記録

    これからも、外の世界を変えようと焦る前に、まず自分の心のレンズを磨いていきたいと思います。
    そして、自分の中にある平和や希望を、仕事にも、人との関わりにも、静かに映していきたいと思いました。

  • 正しさより、面白さが心に残る | 2026.06.25

    やわらかく、考える

    知識をためこむより、風を通すように考えたい

    外山滋比古さんの『やわらかく、考える』を読んで、あらためて思ったことがあります。
    それは、知識だけで物事を判断してはいけない、ということです。

    本を読んでいると、どうしても「知っていること」が増えていきます。
    新聞を読み、ネットを見て、AIにも聞き、情報はいくらでも入ってくる。
    でも、知識が増えれば増えるほど、本当に自分で考えているのか、それとも借り物の言葉で判断しているだけなのか、わからなくなることがあります。

    外山さんの本には、そういう頭の中にたまったものを、一度ゆるめてくれるような力がありました。

    正しいことより、面白いことが残る

    特に印象に残ったのは、
    「正しいことは忘れられやすいが、面白いことは忘れられにくい」
    という考え方です。

    これは本当にそうだと思いました。

    正論ばかり聞いていても、心には残りません。
    大きな声で正しさを押しつけられると、むしろ聞く気がなくなってしまう。
    テレビのコメンテーターや政治家の言葉にも、そう感じることがあります。

    一方で、少し引っかかる言葉、曖昧だけれど気になる言葉、小声でつぶやかれたような言葉は、なぜか心に残ります。

    文章も同じです。
    全部を説明しきる文章よりも、読んだ人が「おや」と立ち止まる文章の方が、あとからじわじわ効いてくる。
    私自身も、noteを書くときに、ついわかりやすく説明しようとしすぎることがあります。
    でも、本当に大切なことは、説明ではなく、少し余白を残した言葉の中にあるのかもしれません。

    無駄の中に、文化がある

    もう一つ強く残ったのは、無駄についての話です。

    会社を経営していると、どうしても無駄をなくすことを考えます。
    効率化、生産性、時間短縮。
    それはもちろん大事です。

    でも、人間の暮らしや文化まで、全部を効率だけで見てしまうと、何か大切なものを失ってしまう気がします。

    芸術も、読書も、写真も、旅も、ある意味ではすぐに役に立つものではありません。
    でも、そういう一見無駄に見える時間の中から、心が動く瞬間が生まれる。
    新しい発想も、自分らしい考えも、そういう余白から出てくるのだと思います。

    私が写真を撮りに出かける時間も、ただの趣味と言えば趣味です。
    でも、そこで見た光や風景、人の気配が、あとで仕事の考え方や文章を書く時の言葉につながることがあります。

    無駄は、ただ捨てるものではない。
    無駄の中に、人間らしさがある。
    この本を読みながら、そんなことを考えました。

    風のように本を読む

    外山さんは、同じ本を何度も何度も読むより、風のように多くの本を読むことにも触れています。

    人生は短い。
    すべての本を深く読み込むことはできません。
    ならば、風のように読んで、いろいろな考え方に触れていく。
    そして、忘れていく。

    忘れることは、悪いことではないのだと思います。
    忘れたように見えても、何かは自分の中に残っている。
    その残ったものが、経験と混ざり合って、いつか自分の言葉になる。

    私も、たくさん本を読みます。
    読んだそばから忘れていくことも多いです。
    でも、それでいいのかもしれません。

    全部を覚えておく必要はない。
    大事なのは、読んだ本がどこかで自分の考えを少し変えてくれることです。
    読書は、知識を増やすことだけではなく、自分が少し変身することなのだと思いました。

    年を重ねるほど、借り物を手放す

    若い頃は、知識を集めることが大事だったのかもしれません。
    でも、年を重ねてくると、集めた知識をどう自分の経験と結びつけるかが大事になる気がします。

    本に書いてあることは、あくまでも他人の考えです。
    それをそのまま借りて話しても、自分の言葉にはなりません。

    自分が見てきたこと。
    失敗したこと。
    恥をかいたこと。
    苦しかったこと。
    それらと本の言葉が重なった時、ようやく自分の考えになる。

    知識に経験という種が加わることで、その人らしい考え方が生まれる。
    そして個性は、無理に作るものではなく、いつの間にか滲み出てくるものなのだと思います。

    やわらかく考えるために

    この本を読んで、私は「やわらかく考える」とは、何でも受け入れることではないと思いました。
    知識に縛られすぎず、正しさに固まりすぎず、少し外から眺めてみること。
    そして、面白いと思う感覚を大切にすること。

    旅をする。
    写真を撮る。
    本を読む。
    人の話を聞く。
    五感で感じる。
    そして、ときどき忘れる。

    それくらいのゆるさが、これからの自分には必要なのかもしれません。

    大切なことは、大声ではなく、小声でやってくる。
    正しさよりも、面白さが心に残る。
    無駄に見える時間の中に、次の自分をつくる種がある。

    この本は、知識を増やす本というより、頭と心に風を通してくれる本でした。

    年を重ねた今だからこそ、もっとやわらかく、もっと面白く考えていきたい。
    そして借り物の言葉を少しずつ手放しながら、自分の言葉で、自分のスタイルを作っていきたいと思いました。

  • 未来を変えるのは、考え込む時間ではなく「今動く」こと | 2026.06.24

    未来を変えるのは、考え込む時間ではなく「今動く」こと

    ――『0秒で動け 「わかっているけど動けない」人のための』伊藤洋一 著を読んで

    現在の自分は、過去の行動でできている

    この本を読んで、まず強く残ったのは、
    「現在の自分は、過去の行動の積み重ねでできている」
    という考え方です。

    昨日までと同じ今日を繰り返していれば、未来にいるのは、今とあまり変わらない自分です。
    少し年を取っただけの自分、と言ってもいいかもしれません。

    だから未来を変えたいなら、遠い先のことを考える前に、今この瞬間に何かを始める必要がある。
    結局、未来を変える入口は「今」しかないのだと思いました。

    動いてから考える

    私はもともと、どちらかといえば「動いてから考える」タイプです。
    この本を読んで、その感覚をあらためて肯定されたように感じました。

    何か実績を上げたい。
    何かを変えたい。
    そう思ったら、まず動かなければ何も始まりません。

    もちろん、動けば失敗することもあります。
    思った通りにいかないこともあります。
    けれど、動いた後なら、そこから考えることができます。
    修正することもできます。
    止まったままでは、修正する材料すら生まれません。

    組織を動かすのも、最後は人の意思

    この本で共感したのは、組織についての考え方です。

    会社や組織というものは、見方を変えれば「箱」です。
    その箱が勝手に意思を持って動くわけではありません。
    最後に決めているのは、やはり一人ひとりの人間です。

    誰かが腹をくくって決める。
    誰かが思いを形にする。
    その積み重ねが、組織の方向を作っていくのだと思います。

    だからこそ、組織の中にいるから自分の思いを抑えるのではなく、組織の中にいるからこそ、自分の思いを出すことが大事なのだと思いました。
    思いを形にしていくことで、それが実績になり、事業になっていくのだと思います。

    判断の土台になる「軸」

    この本で大切に語られていたのが「軸」という考え方です。

    軸とは、自分にとって譲れないもの。
    何が好きで、何が嫌いか。
    何を大切にして、何を大切にしないのか。
    その価値観の中でも、特に重要なものが自分の軸になるのだと思います。

    いくら情報やデータがあっても、方向を決めるのは人間です。
    そしてその方向を決める土台には、その人の価値観があります。

    自分の軸があれば、未知のことに出会っても、自分なりに理解し、判断し、行動していける。
    反対に軸がないと、周りの声や状況に振り回されてしまうのかもしれません。

    軸は、過去の経験を言葉にすることで見えてくる

    軸は、最初からはっきり持っているものではないと思います。
    自分の過去の経験を振り返り、言葉にしていくことで、少しずつ見えてくるものなのだと思います。

    自分が大切にしているものは何か。
    仕事をする上で、絶対に譲れないものは何か。
    それは、自分の過去のどんな経験とつながっているのか。

    そこまで話せるようになると、自分の軸はかなり明確になっているのだと思います。

    人から見ると、それは時に頑固に見えるかもしれません。
    けれど、単なる頑固さと、自分の経験から鍛えられた軸は違います。
    軸があるからこそ、自分の意見が生まれる。
    軸があるからこそ、責任を持って動けるのだと思います。

    若い時は、人の軸を借りてもいい

    面白いと思ったのは、若い頃や迷っている時は、尊敬する人の軸を「仮置き」してもいいという考え方です。

    身近な人でもいい。
    歴史上の人物でもいい。
    経営者でも、クリエイターでもいい。

    「あの人なら、こういう時どう考えるだろう」
    「あの人なら、どう動くだろう」

    そうやって一度、自分の中に仮の軸を置いて動いてみる。
    その経験を繰り返すことで、自分の本当の軸も少しずつ見えてくるのだと思います。

    最初から完璧な自分の軸を持つ必要はない。
    試しながら、動きながら、見つけていけばいい。
    その考え方は、とても実践的だと思いました。

    過去・現在・未来はつながっている

    この本を読んで、
    「過去の経験」
    「現在の価値観や軸」
    「未来の志」
    は、一本の線でつながっているのだと感じました。

    過去の経験から価値観が生まれる。
    価値観の中から軸が生まれる。
    軸の上に、未来への志が立ち上がる。

    そう考えると、今までの失敗も、迷いも、遠回りも、すべて自分の軸を作る材料だったのかもしれません。

    まず動くことで、自分の軸も鍛えられる

    この本は、決して長い本ではありませんでした。
    けれど読んでいて、自分の中にもある程度の軸ができているのだと感じました。

    だからこそ、まず動ける。
    動いた後に考えることができる。
    後から意味づけすることもできる。

    大事なのは、止まったまま正解を探し続けることではなく、自分の軸を持って一歩動くことなのだと思います。

    未来は、頭の中だけでは変わらない。
    小さくても、今動いた分だけ未来は変わっていく。

    この本を読んで、あらためてそう感じました。

  • 栞プロジェクト 第二章 | 2026.06.23


    栞プロジェクトから始まった

    以前私は、四つ葉のクローバーや草花を押し花にして栞を作る「栞プロジェクト」を始めた。

    道端に咲く草花も、木から落ちた葉も、それぞれに生きてきた時間がある。

    その命のかけらを本の中に残したい。

    そんな思いから始まった小さな活動だった。

    「栞プロジェクト第一章はこちら」


    葉っぱ切り絵との再会

    画像
    押し花にした葉っぱ

    実は私は10年ほど前から切り絵を趣味にしている。

    細かな作業が好きで、専用のナイフや道具も揃えている。

    最近Instagramを見ていると、葉っぱそのものをキャンバスにした葉っぱ切り絵を発信している人をよく見かける。

    それを見ているうちに、

    「栞プロジェクトと組み合わせたら面白いかもしれない」

    そう思った。


    読書に疲れたら切り絵をする

    画像
    切り絵と同じ細いカッターで切り抜いたものも使える

    切り絵の魅力は完成した作品だけではない。

    むしろ作っている時間にある。

    細かな線を一本一本切っていると、不思議と頭の中が静かになる。

    何も考えない。

    ただ葉っぱと向き合う。

    気がつくと心が落ち着き、頭がすっきりしている。

    私にとって切り絵は、読書に疲れた時の息抜きでもある。

    読書が好きだからこそ、本ばかり読んでいると頭がいっぱいになることがある。

    そんな時は切り絵をする。

    そしてまた本を読む。

    実はこれも、本を読み続けるために私なりに編み出した方法なのかもしれない。


    本から飛び立つ鳩

    画像
    裏からも切る

    今回選んだ題材は「読書」。

    開いた本から飛び立つのは鳥ではなく鳩にした。

    鳩は昔から平和や幸せの象徴として親しまれている。

    栞プロジェクト第一章では、四つ葉のクローバーに幸せへの願いを込めた。

    今回の鳩も同じである。

    ただ幸せを願うだけではなく、その幸せが誰かのもとへ届いてほしいという願いを込めた。

    小さな鳩が一羽。

    少し大きな鳩が一羽。

    そして大きく羽ばたく鳩が一羽。

    本を開くことで世界が広がるように、人もまた少しずつ成長しながら未来へ向かっていく。

    そんな姿を表現したかった。


    お客様への願い

    画像
    完成

    この鳩にはもう一つ意味がある。

    私たちの会社はカーポートやガレージをつくる会社である。

    けれど本当に届けたいのは製品そのものではない。

    その先にある安心や喜びであり、家族との時間であり、暮らしの豊かさである。

    お客様に商品を使っていただき、

    「作って良かった」

    「お願いして良かった」

    そう思っていただけることが何より嬉しい。

    四つ葉のクローバーも鳩も、その願いは同じである。

    誰かに幸せになってほしい。

    その小さな願いを形にしたものが、この栞なのだと思う。


    光の中で完成した栞

    切り抜いた葉っぱをラミネートしてみると、光が差し込み、鳩が本当に飛び立っているように見えた。

    最後にクローバーを添えた。

    第一章と第二章をつなぐ、小さな橋のような存在である。


    心を整える時間

    本を読む時間。

    切り絵をする時間。

    草花を押し花にする時間。

    どれも一見すると役に立たない時間かもしれない。

    けれど私にとっては、その時間こそが心を整え、人と向き合う力を育ててくれる。

    次はどんな葉っぱに、どんな願いを刻もうか。

    そんなことを考えながら、今日もまた本を開いている。

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