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  • 「伝わらない」の正体は、脳が見せる世界の違いだった | 2026.02.18

    「なんでこんなに丁寧に話しているのに、伝わらないんだろう。」
    西剛志さんの『なぜ、あなたの思っていることはなかなか相手に伝わらないのか?』は、このモヤモヤを“話し方の上手い下手”ではなく、もっと根っこの構造から説明してくれる本でした。結論はシンプルで強烈です。自分の脳と相手の脳が、そもそも「見せている世界」が違う。だから、すれ違いは起きて当たり前。ここから出発できる人が、コミュニケーションがうまい人なのだと本書は語ります。

    本書では、人の情報処理には「視覚」「聴覚」「身体感覚」の優位があると紹介されます。たとえば視覚優位の人は、頭の中の映像をそのまま言葉にしようとして早口になりやすい。身体感覚優位の人は、感じたことを確かめながら話すのでテンポがゆっくりになりやすい。もし会話の速度が合わないなら、性格ではなく“入り口の違い”かもしれない。さらに、伝え方のコツも示されます。図や全体像が効く人、丁寧な言葉が効く人、体験させるのが一番早い人。ただし著者は、タイプで決めつけること自体が新たなバイアスになる、と注意も促します。人は状況によって使い分けるからです。

    また、脳の違いはタイプだけでは終わりません。性別、利き手、文化の違いでも、見ているポイントや記憶の残り方が変わる。自分が「見えた」「分かった」と思った瞬間に、相手も同じように見えていると信じてしまうのが危険だと気づかされます。夫婦や身近な相手ほど「分かってくれているはず」が強くなり、すれ違いが深くなる――この指摘は、胸に刺さりました。

    さらに本書の面白さは、認知バイアスを具体例で見せてくれるところです。脳は効率のため、関心のある情報だけを拾い、都合よく世界を編集してしまう。いわゆる「一度気にし始めると急に目につく」現象や、「現状を変えたくない」気持ち、そして記憶のあやふやさ。私たちは“事実”を見ているつもりで、実は“脳が加工した世界”を見て話している。だから「1を見て10を決める」ほど、話は噛み合わなくなっていきます。

    そして極めつけは、環境と身体感覚の話でした。温かい飲み物、天気、緑、場所――そんな一見些細なものが気分や行動に影響し、結果として相手への印象まで変えてしまう。つまり、行き詰まったら「言い方」を変える前に、場を変えることが効く場合がある。環境を変えることは、脳に新しい刺激を入れて、世界の見え方を更新する行為なのだと本書は教えてくれます。

    読み終えて、私の中に残った実践メモはこれです。
    ・まず「相手の世界は違う」を前提にする
    ・「どこが気になります?」と相手の見ている焦点を聞く
    ・要点を相手の言葉で言い直して確認する
    ・詰まったら環境を変える(場所・時間・光・空気)

    伝わらないのは、能力不足ではなく“違い”の問題。だからこそ、責めるより先に、相手の世界を見にいく。読書そのものが自分の内側の環境を変える力を持つ――そんな余韻とともに、私は「伝わらない」を嘆く前に、まず一歩“翻訳”してみようと思いました。

  • 宗教は「世界を見るためのレンズ」だった | 2026.02.17

    出口治明さんの『世界は宗教で読み解ける』を読んで、あらためて思った。私は史実を語りたいわけじゃない。宗教を“俯瞰の道具”として手に持ち、世界の出来事や人の行動が、なぜそう動くのかを少しでも腑に落としたい。もっと言えば、以前から感じていた「宗教も、哲学も、自然法則も、現代科学も、物理学も、医学までも、どこかでつながっている」という感覚を、自分の中で確かめたかったのだ。

    本書が面白いのは、宗教を「信じる・信じない」で切らずに、世界を読むための共通言語として扱っているところだ。人は昔から、「世界はどこから来たのか」「死んだらどうなるのか」という問いを抱える。科学がまだ答えられない時代、あるいは今でも完全には答えきれない領域に、宗教は“物語”と“意味”を与えてきた。人が不安を抱えたとき、共同体が揺れたとき、秩序を作るために「神」や「教え」が必要になった、という説明は妙に納得感があった。

    ゾロアスター教やユダヤ教のような初期の流れから、一神教が形を取り、やがてキリスト教がローマという巨大な仕組みと結びついていく。そこで宗教は、祈りの世界だけでなく、政治や情報、権力とも強く絡み合っていった。十字軍や宗教改革の話は、その象徴のように見える。そして近代以降、教会が過去を振り返り、謝罪という形で態度を変えていったことも、本書の視点だと「組織が生き延びるための変化」として読めてくる。

    イスラム教についても、私は勝手なイメージで見ていた部分があったと反省した。本来の教えが持つ「慈愛」や「生活と信仰の一体感」は、日々の習慣として根づく強さがある。一方で、若年人口が急増する社会状況のような現実が、原理主義の温床になることもある。教えそのものというより、解釈と社会条件が組み合わさって、宗教が“利用される”局面が生まれる。この構造は、宗教に限らず、どんな思想にも起こり得ることだろう。

    仏教やヒンドゥー教の話に触れると、輪廻転生や「空」の感覚が、心の扱い方や世界観の土台として生きているのがわかる。日本の神仏習合の歴史も含めて、宗教は「対立の火種」だけではなく、人が自然や死を受け止め、共同体を保つための知恵としても働いてきたのだと思う。

    結局、私がこの本から受け取ったのは、「宗教を学ぶことは、世界の解像度を上げること」だった。ニュースの裏にある価値観、国家や集団の動き、人の正義感や恐れ――それらが宗教というレンズを通すと、少し輪郭を持ちはじめる。そして不思議なことに、その先で哲学や科学ともつながってくる。人間はどこまで分かるのか。分からなさとどう付き合うのか。そこに宗教と科学の共通点があるように感じた。

    疑問や興味を、とことん学べる時代に生きている。昔なら、調べるだけで一生かかったかもしれない。だからこそ、感謝と感動を鈍らせずに、学びを続けたい。宗教は、答えを押しつけるためではなく、世界を広く見るための道具になり得る。私はそんなふうに、この一冊を受け止めた。

  • たくさん読むほど危ない?読書で自分がズレる瞬間 | 2026.02.16

    『死ぬ前に後悔しない読書術』(適菜収)を読んだ。タイトルに惹かれて手に取ったが、中身は想像以上に辛辣で、冒頭の「生きているだけではダメになる時代」という一文から、いきなり背筋を正された。読みながら何度も「自分の読書は、どこへ向かっている?」と問い返す時間になった。

    本書で特に刺さったのは、「危険な読書家」という見立てだ。たくさん本を読み、知識が増えるほど偉い……ではなく、むしろ“膨大な知識を持つ人ほど危うい”という。大事なのは冊数ではなく、「真っ当な世界に連なる意志」を持てるかどうか。知識をひけらかすだけの読書は、賢くなるどころか、かえって人を歪ませる可能性がある。ここは耳が痛い。読書が“自分を整える道具”ではなく、“自分を飾る武器”になった瞬間、読書は毒にもなる。

    その処方箋として、本書は繰り返し「古典を読め」と言う。真っ当な価値判断は、独学でゼロから作るより、すでにそれを体現してきた人たちから学ぶ方が早い。速読についても同じで、情報処理としては役に立っても、思想や価値判断を育てる読み方にはなりにくい。500冊を流し読みするより、5冊を腹に落とす。読みっぱなしではなく、心に引っかかった一節を“頭の中に保存する”ように読む。それが「大人の読書」だと受け取った。

    また「分かりやすい説明」への警戒も印象的だった。分かりやすく言い切れる問題は、そもそも大した問題ではないことが多い。すぐ答えを求め、反論を受け付けず、自分の正義だけを叫ぶ態度は、政治の世界に限らず、日常でも起こりうる。近代人は知識や情報は持っているのに、思想としては劣化している――「考えること」と「答えの出る計算」を同一視してしまう、という指摘は今の時代に刺さる。

    古典の価値についての語りも力強い。古典は“古い本”ではなく、いつでも現在を突き動かす「現在に生きている本」。しかも最上の本と最低の本の値段が大差ない。高額な自己啓発セミナーより、数千年の時間で磨かれた言葉に触れる方が、よほど人生の骨格を作る。乱読から精読へ、一流を尊重する方向へ――これは自分の読書にも取り入れたい。

    一方で、新聞やネットとの付き合い方は、私は少し立場が違う。本書は「新聞を読むな」「社説は危ない」と切り捨てるが、結局は読み手の姿勢次第だと思う。私自身、社説や政治経済を追いかけるというより、評論や解説の中に“違う視点”や“真摯な取材”を感じることがあるから新聞を購読している。ネットやテレビ、携帯をやめるという主張にも私は賛成しない。いまの時代、それらをうまく使ってこそ新しい発想が生まれる面もある。大切なのは遮断ではなく、距離感と選び方だ。

    結局この本は、読書を「知識の収集」から「正気を保つための営み」へ引き戻してくれた。古典を読み、バイアスの強いコメンテーターを鵜呑みにせず、自分の価値判断の軸を育てる。辛口ではあったが、人生観を再確認し、組み直すきっかけをくれた一冊だった。

  • 他人の価値観を捨てて気づく──当たり前の言葉に宿る深さ | 2026.02.12

    この本を読んで一番刺さったのは、苦しみは外から来るだけじゃなく、自分の“頭の中の設定”が作っているという視点でした。
    脳をPCにたとえて、「執着=アプリ」を立ち上げすぎると重くなり、時にフリーズする。なるほど、と思いました。私たちは知らないうちに、いくつものアプリを起動してしまっている。

    たとえば、周りの目、評価、期待、損したくない気持ち。
    それらは全部、自分の中で常駐している“アプリ”みたいなもの。便利な反面、起動しっぱなしだと心が重くなるのも当然です。


    「他人の価値観」を捨てると、本当に楽になる

    「周りからどう思われようが、それは他人の価値観」
    ここは痛快でした。日本では小さい頃から「我慢しなさい」と言われがちで、我慢は美徳として扱われます。
    でも著者は、そこに思考停止が混ざっていないか?と問いかけます。

    我慢を積み上げると、いつか苦しくなって限界が来る。
    必要な苦労と、不要な苦労を見分けて、後者は手放していい。そう言われているようでした。


    幸せ脳を育てる「基本の習慣」

    本の中で語られていた“幸せ脳”の習慣は、派手ではないけれど強いものでした。
    親しい人との時間、笑うこと、場所を変えること、自然に触れること、健康を大事にすること、そして感謝すること。

    そして、ここで自分の中に面白い変化が起きました。
    以前からよく言われている言葉の意味を深く考える年代になったことに気づく、感謝するや健康に気を使う等、「ハイハイどんな本にも書いてありますよね!」この使い古された言葉に深い思考が宿っていることに気が付く。

    “当たり前”の言葉が、人生のある地点から急に重みを増す。
    本書は、その当たり前を「わかっているつもり」で通り過ぎず、もう一度、体に落とし直すきっかけになりました。


    人間関係が軽くなる「原則」

    人間関係についての話も、実用的でした。

    • みんな違うことを認める(「分かってくれない」は危険信号)

    • 距離感は、近すぎず遠すぎず(相手に合わせて調整)

    • 挨拶は、人間関係の最初の架け橋(相手を認める行為)

    • 期待しない(来たらラッキー、でいい)

    • 他人はコントロールできない

    • 変えられるのは自分だけ(やり直し放題)

    特に「期待しない」は効きます。
    返信が来ない、反応が薄い、思った通りにならない。そこで心が荒れるなら、自分の中で“期待アプリ”が動いている。
    期待をゼロにするのではなく、「来たら嬉しい」くらいにしておくと、心の消耗が一気に減る感覚がありました。


    損失回避と執着を、ほどく

    人は損を認められない。だから執着が生まれる。
    失敗、過去に費やした時間、お金、プライド。回収したくなるほど、次の一歩が重くなる。

    けれど著者は、失敗や挫折を「将来に活かせるなら良い体験」と言い切ります。
    すでに糧になっているのだから、過去は“役目を果たした”として区切っていい。
    この割り切りは、前へ進むための優しさだと思いました。


    私が持ち帰った結論

    メンタルを強くするのは気合いではなく、生活の土台と、脳の設定を整える技術なんだと思いました。
    そして、いちばん近くの人たちと「何でも言い合える状態」をつくること。
    それが、結局いちばんの安心になり、いちばんの回復力になる。そんなことを再確認させてくれた一冊でした。

  • 「自分」は想像より、あいまいでいい | 2026.02.10

    「自分って、結局なに?」
    この問いは昔から頭の片隅にあって、答えが出た気がしても、すぐに揺らぎます。そんなときに読んだのが、養老孟司さんの『自分の壁』でした。読み進めるほどに、「自分」というものが、思っていたよりずっと“仮の線引き”なんだと感じました。

    本の冒頭で出てくる発想が面白いんです。
    自分・自己・自我…といった大げさな言葉も、突き詰めれば「今どこにいるか」を示す“現在地の矢印”みたいなものじゃないか、という話。これ、妙に腑に落ちました。自分を「ガッチリ固まった存在」じゃなく、状況に応じて立っている場所を示す印、くらいに見てみる。そこから“自分の壁”が少しずつ薄くなっていきます。

    科学の話も、ぐっと来ました。
    脳科学者ジル・ボルト・テイラーさんが脳卒中を経験し、「自分の体と周りの境界が溶ける」ような感覚になったという話。普段、当たり前に感じている「ここまでが自分」という線は、脳がそれっぽく引いているだけなのかもしれない。そう考えると、自分の輪郭って案外あいまいです。

    日常の例だと、唾液。口の中にあるときは何とも思わないのに、体外に出た瞬間「汚い」と感じる。これも“自分の内か外か”を勝手に仕分けしてる証拠みたいで、笑えるけど深い。つまり私たちは、自分と世界を分けているつもりで、実はその線を毎秒引き直しているのかもしれません。

    さらに面白いのが、人間は最初から「つながり前提」でできている、という話です。
    ミラーニューロンのように、他人の行動を見ると自分の脳も反応する仕組みがある。顔色を読むために色覚が発達した可能性がある、という話もありました。言葉が豊かなのも、社会の中で微妙な気持ちをやり取りしてきた積み重ねなのかもしれません。

    そして決定打は、身体そのものが「単独の自分」じゃないという視点。
    ミトコンドリアは元々別の生物が共生したもの。体内にはウイルス由来の遺伝子が混ざっている。こういう話を聞くと、「自分ってどこからどこまで?」が一気に怪しくなってきます。自分は一個の塊というより、他者や環境と混ざりながら成り立つ“複合体”。そのほうが自然に見えてきました。

    ここまで来ると、社会の見え方も少し変わります。
    養老さんは「若い人に“自己を確立せよ”と迫るのは酷だ」と言います。未完成で当たり前の時期に、完成品みたいに振る舞えと言われたら苦しくなる。むしろ必要なのは、世間と折り合いながら生きる力。経営をしていても、つい「個」だの「結果」だのを強調しがちですが、孤立して勝つより、つながって続くほうが強い場面が多いと感じます。

    そして現代の敵は、情報過多。
    人は勝手に“文脈”を作り、そのメタメッセージ(読み取ったつもりの意味)を自分の意見だと勘違いしやすい。ネットはノイズが少なくて快適だけど、快適すぎると脳はすぐサボる。だから対策は意外と地味で、「自然を10分眺める」。これが効く。雪国の空を見上げるだけで、頭が勝手に整っていく感じがあります。

    最後に、私がいちばん好きだったのが「一生懸命」より「一日懸命」。
    未来のために今日を削りすぎない。今日をちゃんと使う。その積み重ねが未来になる。『自分の壁』は、頑丈な壁を築く話じゃありませんでした。むしろ、壁が最初からそんなに無いと気づいて、肩の荷が少し軽くなる本でした。

  • 政治が変わる入口は、案外テクノロジーかもしれない | 2026.02.09

    未来は「1%」から動く——『1%の革命』を読んで

    安野貴博さんの『1%の革命』を読んで、久しぶりに「未来の話って、こんなに現実的で面白いんだ」と思わされました。今の世の中は、どこか息苦しい。政治も社会も、変えたい気持ちはあっても、結局は大きな声や対立の構図に引っ張られて、前に進まない——そんな閉塞感を多くの人が感じている気がします。

    安野さんが示すのは、根性論ではなく、テクノロジーを使って“仕組み”を作り替える発想です。都知事選で15万票超を得た背景にも、AIを使って市民の声を拾い、双方向で政策を磨く姿勢があったと知り、「新しい政治家が出てきたな」と素直に感じました。

    本書で特に刺さったのは、「ホワイトボックスな政治」という考え方です。何を根拠に、どんな議論を経て、なぜその結論に至ったのか。意思決定のプロセスが見えるだけで、人の納得感は変わる。これは政治に限らず、会社でも同じです。現場での判断ほど、説明があるだけでチームの動きが揃う。逆に“よく分からない決定”が続くと、人は離れていく。透明性は、信頼の土台なんだと再確認しました。

    教育・医療・行政の話も、夢物語ではなく「今ある技術で、ここまでできる」という距離感で書かれているのが良かったです。学びの場は一つでなくていい。医療はオンラインやAI問診でアクセスを広げられる。行政も、申請主義の手間を減らし、必要な人に必要な支援が届く形へ寄せられる。テクノロジーは冷たい道具じゃなく、“取りこぼし”を減らすために使える——この視点は、読後に残りました。

    そして、本書の芯は「デジタル民主主義」です。SNSなどの膨大な声をAIで要約・可視化し、誹謗中傷は抑え、建設的な議論を増やし、そのプロセス自体も公開していく。多数決だけでは拾いきれない少数意見に光が当たる社会は、たしかに今より“住みやすい”方向に近づく気がします。いきなり100%の直接民主主義ではなく、まずは「1%だけ混ぜる」。この小さな導入が革命になる、という発想がうまい。

    私は年齢的には若い世代ではありません。でも、だからこそ思うのです。変化の時代に必要なのは、「分からないから距離を置く」ではなく、「分からないから、まず触れてみる」姿勢だと。AIもデジタルも、使い方次第で人を近づけもすれば、遠ざけもする。ならば、近づける側に賭けたい。

    結局、『1%の革命』は「あなたも1%の挑戦者になれる」と背中を押す本でした。大きな正しさを振り回すより、小さな改善を積み重ねる。未来を語ることを、もう一度“ワクワクするもの”として取り戻す。私も、自分の仕事や暮らしの中で、今日できる1%を増やしていきたいと思います。

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