お問合せはお気軽にどうぞ!

0258-24-7567

[ 営業時間:8:00~17:00 ]

LINEからもお問い合わせを受付中

line

[ お急ぎの場合はお電話でどうぞ ]

ZOOM
youtube
LINE
メニュー

ブログ

  • 想像力がいちばん速い。だから世界は変わる | 2026.01.09

    『時空を変える設定にオン!世界はひとつだけではない。選べるのだよ』(ケルマデック著)を読んで、最初は正直「多次元とかパラレルワールド系のスピリチュアル本かな?」と思って手に取りました。
    でも読み進めるうちに、ただ不思議な話を並べた本というより、「自分が今見ている世界って、どこまで“固定”なんだろう?」と考えさせてくる本だと感じました。

    特に面白かったのは、著者が漫画やアニメ、映画や小説を「ただのフィクション」とは見ていないところです。むしろ、ああいう作品は人の心や世の中にちゃんと影響を与えていて、場合によっては“現実を動かす力”にもなる、と言うんですね。

    これ、私はけっこう共感しました。社会がモヤモヤしている時ほど、妙に刺さる作品が流行ったりしますよね。単なる娯楽のはずなのに、見終わったあとに心が落ち着いたり、逆に「自分も変わろう」と思えたりする。
    たぶん私たちは気づかないところで、みんなの気分とか、時代の空気とか、そういうものとつながっているのかもしれません。

    そして、私が「なるほど」と思ったのが、**“究極の速さは想像力”**という考え方です。人の脳は、過去にも未来にもひとっ飛びできる。場所だって一瞬で移動できる。考え方ひとつで、今いる世界の感じ方が変わってしまう。確かにこれは、ものすごい力です。

    ここで私は、写真のことを思い出しました。花を見て「うわ、きれいだな」と感じる時って、花がきれいなだけじゃなくて、こちらの心の状態も関係している気がします。疲れていると見逃す光が、余裕がある日はちゃんと見える。
    つまり“きれい”って、外側だけで完結していない。自分の中の感受性があって、初めて立ち上がってくる。
    この本はそれを、「世界は意識に影響される」と言葉にしているように感じました。

    また、著者は「今、世界がグラグラしているのは、古い考え方を手放す時期だから」とも言います。不安や絶望に出会った時は、つらいけれど、見方を変えるチャンスでもある。
    これもスピリチュアルっぽいようで、意外と現実的だと思いました。昔の常識や成功体験が、今の自分を守ってくれるどころか、逆に重荷になることってありますから。

    読み終えて残ったのは、「世界はひとつじゃない」というより、**“自分はどの世界を生きる設定にしている?”**という問いでした。
    現実は石みたいにガチガチに固定されているだけじゃなくて、同じ出来事でも受け取り方で意味が変わる。意味が変わると行動が変わる。行動が変わると、出会う人も未来も変わる。
    そう考えると「設定を変えたら時空が変わる」という言い方も、私は“自分の意識の置き場を変える技術”として読むと腑に落ちました。

    神秘的なところもあるけれど、読み終わったあとに「今の現実の見え方」を少しだけ変えてくれる本。私にとっては、“信じる・信じない”より、「自分の世界の選び方を点検する本」だった気がします。

  • 「面白い」で選ぶ読書が、結局いちばん強い | 2026.01.08

    『ぼくは古典を読み続ける』(出口治明 著)を読んで、いちばん腑に落ちたのは「古典を読む理由」が、教養のためというより“予測できない時代の備え”として語られていたことでした。世の中って、景気も技術も価値観も、こっちの都合を待ってくれません。だからこそ、目の前の流行やノウハウだけに頼るより、人間がずっと経験してきた「まさか」の連続を、長い時間の目で見直す。その材料として古典が効く――この感じが、すごく現実的でした。

    冒頭の話も強烈で、「生命の歴史はすごく長い。その中で人間が偉いと思い込むのは危ないよね」という視点がいきなり来ます。地球にいる生き物は、同じDNAの仲間で、ミミズみたいに土の世界に完全適応している生き物も、クモの糸みたいに“細いのにめちゃくちゃ強い”仕組みも、すでに最高レベルに進化して今の形になっている。ここを読むと、「人間がピラミッドの頂点」みたいな感覚が、ふっと崩れます。世界は上下じゃなくて、横に広がったフラットな場所で、それぞれがそれぞれのやり方で“最適化して生きてる”んだな、と。

    あと、出口さんの「本の選び方」が、私はかなり好きでした。よく「仕事に役立つ本を5冊教えて」とか言われますが、出口さんはそこにツッコミを入れますよね。5冊読んだくらいで仕事がうまくいくなら、人生そんな甘くないだろう、と。これ、私も同感です。本は“すぐ効く薬”じゃなくて、自分の考え方を広げたり、視点を増やしたりする道具です。だから「役に立つ」より「面白い」が先でいい。

    そして実践方法がわかりやすい。時間がある時は書店で、本文の最初の10ページを読む。最初の10ページは著者が一番気合い入れて作るから、そこで「おっ」とならないなら、その先も厳しい可能性が高い。忙しい時は新聞の書評を頼る。書評を書く人は“打率が高い人”だから、そこから選ぶとハズレが少ない。最後は古典。これを「10ページ・書評・古典」って覚えておいて、と。私も普段、書評やレビューを見たりして選ぶので、このやり方はそのまま使えるなと思いました。

    もう一つ、刺さったのが「人間の脳は進化しないけど、学問は進化する」という話です。遺伝子研究や脳科学が新発見でどんどん更新されるのはみんな納得するのに、なぜか歴史や宗教は“もう結論が出てるもの”みたいに思いがち。でも実際は、文章そのものは変わらなくても、解釈は変わる。聖書もそうだし、古典もそう。だから、子どもの頃に挫折した本でも、今読めば違うものになる。逆に同じ本でも、読む自分が変わったら感想も変わる。本は何回読んでもいい――この言葉に背中を押されました。源氏物語に挫折した話も、むしろ「あ、挫折してもいいんだ」って気がラクになります。

    さらに、人間の無意識の話も面白かったです。脳は意識できる部分がせいぜい数パーセントで、残りは無意識がフル回転してる、という話。認知症で言葉が通じにくくても、丁寧に扱われているか、雑に扱われているかは伝わってしまう、というエピソードは胸に残りました。つまり人は、理屈より先に“空気”や“扱われ方”を受け取っている。古典や哲学が繰り返し言ってきた「人を人として扱う」って話が、机上じゃなく現場のリアルとして響いてくる感じでした。

    結局この本が教えてくれるのは、予測できないことが起きる時代ほど、古典が効くということです。みんな昔から、戦争も災害も恐慌も病も、いろんな「まさか」を経験してきた。その経験が凝縮されて残っているのが古典。だからこそ、未来が読めないほど、古典を読むのが“いま自分たちができる最善策”になる。私はその考えに、かなりうなずきました。読むほどに、安心材料が増えるというより、「揺れた時に立ち戻れる軸」が少しずつ太くなる。そんな読書の仕方を、これからも続けていきたいと思います。

  • 移動とは、自由を取り戻す環境設計だ | 2026.01.07

    『移動する人はうまくいく』(長倉顕太 著)を読んで、いちばん刺さったのは「行動は意思の力だけじゃ変えられない」という前提でした。人は、意思→行動ではなく、環境→感情→行動の順で動いてしまう。だから「やる気を出そう」と気合いを入れても空回りしやすいし、逆に言えば、環境を少しズラすだけで行動は意外と変わる。最初からその視点で話が進むのが、この本の面白さだと思いました。

    そしてテーマである「移動」。人間って、ラクになればなるほど定住したくなる生き物です。慣れた場所、同じ人間関係、いつものルーティン。確かに安心はある。でも定住が進むと、領土や所有の概念が強くなり、農耕の広がりとともに納税や組織のヒエラルキーが生まれ、主人と奴隷のような関係が固定化していく——本書のこの見方は刺激的だけれど、妙に腑に落ちました。現代に置き換えれば、資本家と労働者、得をする側と損をする側、といった構造が見え隠れする。定住が進むほど「考えなくても生きられる仕組み」は整う一方で、「自分の頭で考える力」は退化しやすい。だからこそ、移動が必要になる、という論理です。

    ただ、ここでいう移動は「旅行しよう」「引っ越そう」という話だけではないと、私は受け取りました。今の時代、物理的な移動手段だけじゃなく、空間的・情報的な移動がいくらでもある。例えばYouTubeで、普段なら会えない人の思考に触れる。オンラインで、知らないコミュニティの空気に身を置く。本を読むのも、まさに移動だと思うんです。ページをめくるたびに、自分の常識が置いていかれて、別の視点に連れていかれる。読書が「移動力」になる、という感覚はすごく共感しました。

    「8割の人が同じことをしている時代に、2割側へ行くにはどうするか」。結局これは、才能よりも環境設計の話なんだろうと思います。同じ場所に居続けると、心も体も病みやすい。天候や季節を変えるだけでも人は回復するし、視野も変わる。コロナの話も印象的でした。人口が密集し、不潔さが継続しやすい定住地は、病気にとって理想の温床になりやすい。一方で移動する民族は小集団で散らばっていたから、大流行になりにくかった——この視点で見ると、「家にいましょう」が唯一の正解だったのか?と考えたくなる。密集から離れる方向へ“移る”ことも、本当は選択肢だったのかもしれない。移動できないこと自体が、不幸の種になる。そんな問いが残りました。

    さらに刺さったのは、「欲しい」「やりたい」というセンサーが壊れがちな時代、という感覚です。ずっと同じ環境にいると、好き嫌いすら曖昧になって、望む力が弱っていく。だからこそ、移動で刺激を入れる必要がある。ここで私が大事だと思ったのは、アウトプットです。今は個人でも発信できる時代で、しかもChatGPTのような道具があれば、思考を言語化する筋トレができる。私は毎日本を読み、noteに感想を書くようにしていますが、これは「自分の頭で考える」環境を自分で作っている行為なんだと、あらためて思いました。

    もう一つ、面白かったのが「年下の知人を積極的につくる」という発想です。新しい人間関係は、経験の有無を超えて、新しい経験を連れてくる。離れた人とも意思疎通ができる時代だからこそ、価値観が狭くならず、世界が広がっていく。これも立派な“移動”だと思う。身体を動かす移動だけじゃなく、情報・人・思考が動く場所へ、自分を連れていく。

    そして最後に、自分の言葉をもう一段深くするとこうなります。
    私も、移動を「気分が乗ったらやること」ではなく「自由を回復するための仕組み」にしたい。
    物理の移動なら、月に一度は“初めて”を入れる。初めての店、初めての道、初めての展示、初めて会う人。大きな旅じゃなくていい。小さくズラすだけで、感情が変わり、行動が変わる。
    情報の移動なら、同じ意見が流れ続ける場所から少し離れて、意識的に「違う速度」「違う価値観」「違う世代」に触れる。年下の知人を増やすのも、そのための具体策だと思う。
    そして、その移動で得たものを必ずアウトプットして定着させる。言葉にした瞬間、ただの刺激が、自分の考えに変わる。
    移動とは、遠くへ行くことじゃない。環境を更新し続けて、思考のセンサーを修理し続けること。そうやって私は、自分の自由を少しずつ取り戻していきたいと思います。

  • 「食べること」から始まる、不動産の再定義 | 2026.01.06

    「食べること」から始まる、不動産の再定義

    「トーコーキッチンへようこそ!」池田峰 著を読んで。

    この本は、派手な成功談や即効性のあるノウハウを語るものではない。
    「小さな不動産屋が、入居者のために食堂をつくった」——その静かな事実の奥に、仕事とは何か、商いとは誰のためにあるのかという、根源的な問いが横たわっている。
    読み進めるうちに、これは飲食や不動産の話ではなく、自分の仕事が、誰の暮らしのどんな場面に役立てるのかを、改めて問い直す一冊なのだと感じた。

    トーコーキッチンの対象は、学生に限らず、高齢者や女性、単身で暮らす人たち全体である。
    ここで扱われている課題は、「一緒に食べると楽しい」といった情緒的な話だけではない。むしろ、食べるという本来とても大切な行為が、日々の生活の中で面倒になり、負担やバリアになってしまっている現実に、真正面から向き合っている点が印象的だった。

    献立を考え、買い物に行き、調理し、後片付けをする。
    一人暮らしであればあるほど、食事は「楽しみ」よりも「作業」になりやすい。トーコーキッチンは、その生活上のハードルをそっと下げ、「きちんと食べる」ことを無理なく日常に戻そうとしている。
    この視点こそが、結果として人と人を緩やかにつなぎ、場を生み出しているのだと感じた。

    印象的だったのは、カードキーによる利用者限定の仕組みだ。誰でも自由に入れるわけではないが、所有者と一緒なら友人も利用できる。この「少しだけ閉じている」状態が、特別感を生み、同時に興味や話題性を生む。
    外からはノブが見えるのに鍵がかかっている。その違和感が「なんだろう?」という疑問を生み、それ自体が宣伝になっている点も非常に巧みだと感じた。

    また、年末年始の4日間を除き年中無休、朝8時から夜8時まで営業し、朝食100円、昼夜500円という価格設定にも驚かされた。普通であれば赤字になりかねないが、それでも続けている。その結果、空室率1.5%という、一般的な不動産業では考えられない数字を実現している。
    管理業務を担うだけの会社でありながら、オーナーになりたい人が集まり、入居者・オーナー・運営側すべてが得をする、見事なウィン・ウィンの関係が成立している。

    この本で特に心に残った言葉がある。
    「良い企画は脇が甘い」。

    ガチガチに決められた企画は面白くない。必要な剪定はするが、あえて抜け道を残す。偶然が入り込む余白、遊びのある構造が、人の創造性を引き出す。
    その一方で、1%だけは譲らないルールを設ける。貸切はしない、イベント色を強めない。何のために、誰のためにやっているのか。その軸を決して手放さない姿勢が、この仕組みを支えているのだと感じた。

    これまで当たり前だと思っていた常識を一度疑い、流行りすたりとは別の価値をどうつくるか。
    トーコーキッチンは、その問いに対して一度きりの答えを示して終わるのではなく、進化し続けることそのものを選び、新たな取り組みにも果敢に挑戦している。
    時代の変化を前提とし、学び続け、形を変えながら本質を守る。その姿勢こそが、この取り組みを一過性の成功で終わらせていない理由なのだと思う。

    合理性や効率性を追求すれば、デジタル化は自然に進んでいく。しかし、人が集まり、関係が生まれる部分まで効率化してしまっては、本質を失ってしまう。
    この本を読み終えたとき、自分自身もまた、変化を学び続ける側でありたいと強く感じた。
    静かだが、深く効く。そして、読む者の仕事観を少しだけ更新してくれる。そんな一冊だった。

  • AI時代の発想法:人と機械が生み出す新たな地平 | 2026.01.05

    「AIを使って考えるための全技術」石井力重著 加藤昌治監修を読んで

    この分厚い本を、なぜ正月前から手に取ったのか。理由はシンプルで、いまの時代に「AIを使って考える」ことが、経営者としての必須スキルになったと強く感じているからです。AIが話題だから触ってみる、という段階はもう終わっていて、これを抜きにして意思決定や企画、改善を続けるのは、正直かなり厳しくなる。そんな危機感と期待が、背中を押しました。

    本書の肝は冒頭でズバッと示されます。「AIに考えてもらう」のではなく、「AIを使って考える」。ここを取り違えると、便利さに溺れて思考停止になりかねない。でも逆に、AIを“思考の道具”として使えば、人間の発想力は伸びる。私はこの一点で、読む価値が決まる本だと思いました。

    印象深かったのは、人間の癖に関する指摘です。私たちはどうやら、他人が持ってきたアイデアの価値を低く見積もりがちで、人の話を十分に咀嚼する前に「自分の考え」を言いたくなる。ところがAIは“他人”ではありません。自分の分身のように扱える存在で、こちらが言語化した材料からアイデアを組み立て、磨き、増やしてくれる。つまり、AI経由で生まれたアイデアは「自分の思考の延長」なので、大事にできる。結果として、アイデア出しの量も質も、雪だるま式に大きくできる——この見立てが、とても腑に落ちました。

    さらに本書は、「工夫」や「ブレイクスルー」は天才のひらめきだけではなく、パターンとして整理できると繰り返し示してくれます。世の中の課題の多く(体感としてはほとんど)が、何らかの解決策やヒントをすでに持っている。だからこそ、AIと一緒に「既存の知恵を探す」「組み合わせる」「条件を変えて試す」を高速で回していけば、挑戦の打率は上がる。私はこれを、今年の基本姿勢にしたいと思いました。

    そして、未来に関する使い方も刺激的でした。未来予想をAIにさせたうえで、その未来で求められるアイデアや打ち手を聞く。これは、単なる占いではなく、複数の前提を置きながらシナリオを比較し、仮説を鍛える作業に近い。経営は「当てる」ことより、「備える」ことが重要です。AIは、その備えのための思考訓練相手になってくれる。ここに、AI活用の本当の強みがあると感じました。

    読み終えて残ったのは、「AIで楽をする」ではなく、AIで考え抜くという手触りです。使うほどに、自分の問いの質が上がり、視野が広がり、挑戦が具体化していく。AIを“道具”として鍛えることは、同時に自分の思考を鍛えることでもある。そんな当たり前だけど決定的なことを、背筋が伸びる形で受け取りました。

    今年は、AIを「便利な答え製造機」にせず、自分の分身=思考の相棒として、課題に果敢にぶつけていきます。小さく試し、早く学び、改善を積み上げる。その繰り返しの先に、「人と機械が生み出す新たな地平」が本当に見えてくる気がしています。

  • 「徳を意識しないという徳 ― 老子『道』の思想を生きる」 | 2025.12.26

    入院中にあらためて向き合った老子という思想

    ──『哲学として読む老子』を読んで

    老子については、これまでにも多くの解説書やnoteの記事を目にしてきました。
    噛み砕いて説明してくれるものも多く、理解しやすいものがたくさんあります。
    それでも今回、入院という「強制的に立ち止まる時間」の中で、あらためて腰を据えて読んでみようと思ったのが、この一冊でした。

    結果として、「読んでよかった」というよりも、
    何度も読み返したくなる本に出会った という感覚が強く残っています。

    本書を貫くキーワードは「道(タオ)」

    この本全体を貫いているのは、「道」という概念です。
    それは宗教的な神でも、倫理的な規範でもなく、自然法則そのものとして語られます。

    老子が繰り返し用いる比喩が「水」です。

    上善は水のごとし

    水は無色透明だから、あらゆる色彩を映し出すことができる。
    無形だからこそ、どんな形にもなれる。
    無味無臭だから、全味全臭である。

    水はただ、自然法則にしたがって
    流れ、よどみ、溜まっているだけです。
    そこに意図も、努力も、自己主張もありません。

    同じ「水」でも、思想家によって見え方は違う

    興味深いのは、水という同じ存在を前にしても、思想家ごとに捉え方がまったく違うことです。

    孔子は川の流れの中に、不断かつ不可逆なあり方を見ました。
    荘子は「流れる水は鏡にならないが、止まった水は鏡になる」と言い、
    いわゆる「明鏡止水」という境地を語ります。

    そして老子は、水そのものの在り方を、
    「道」そのものの象徴として捉えました。

    どれも納得できる。
    見方や感じ方によって、世界はいくらでも違って見える のだと思わされます。

    自然法則をないがしろにすると、世の中は息苦しくなる

    老子は、非常に大胆な警鐘を鳴らします。

    大道廃れて、仁義あり

    自然法則(道)がないがしろにされると、
    それを補うために「仁義」や「道徳」といった
    人為的な規範 が持ち出される。
    その結果、世の中はかえって面倒で、息苦しくなるのだと。

    老子は、さらに過激な表現を使います。

    道徳や知恵を捨てれば、人々の利益は百倍になる

    仁愛や正義を捨てれば、人々は孝行や自愛の心を取り戻す

    技巧や功利を捨てれば、盗人もいなくなる

    欲望のハードルをあらかじめ低く抑えておけば、
    人はもっと安らかに生きられる。
    むやみにがんばることは、自分で自分を苦しめるだけだ。

    無理をせず、最小限で生きなさい。
    老子はそう語りかけてきます。

    「上徳」と「下徳」という言葉に救われた

    本書の中で、個人的に最も腑に落ちたのが
    「上徳」と「下徳」という考え方でした。

    これまで私は、
    「善い行いをしている人を見たときに、なぜか心がざわつく自分」を、
    どこか 自分の心が歪んでいるのではないか と感じていました。

    老子の言葉は、その感覚を見事に言語化してくれました。

    徳を意識せずに行われる行為が「上徳」

    徳を意識して行われる行為は「下徳」

    親切にしなければならない。
    こんな良いことを自分はした。
    ゴミも拾った、人も助けた。

    もしそれを「意識して」やっているのなら、
    それは上徳ではなく、下徳なのだと。

    日本人の行動が海外から評価されることがあります。
    海外の人が言う分には素直にうれしい。
    しかし、それを自分たちで誇った瞬間に、
    どこか恥ずかしさを感じてしまう理由が、ここで腑に落ちました。

    おのれの徳を意識しない。
    だから、そこに徳がある。

    徳を失わないように意識するから、
    かえって徳が失われていく。
    この逆説は、強く胸に残りました。

    老子とカント、正反対の倫理観

    対照的なのが、西洋哲学、とりわけカントの倫理観です。

    カントは、
    「ただ親切にしているだけの人間がいても、そこに倫理性はない」
    と考えました。

    「親切にしなければならない」という規範意識があり、
    そうすべきだと思って行動してこそ、倫理になる。

    老子とは真逆です。

    老子:自然は無限で、人間の意識は有限

    カント:自然は有限で、人間の理性は無限

    どちらが正解という話ではありません。
    ただ私は、東洋人のDNAを持つ人間として、
    老子の考え方のほうが圧倒的に腹落ちしました。

    最もやわらかいものが、最もかたいものを動かす

    老子の思想は、現代にも驚くほど通じます。

    この世で最もやわらかいものが、
    最もかたいものを操っている

    老子の時代であれば、
    硬い石の隙間に水が入り込み、やがて石を動かすという比喩でしょう。

    現代で言えば、形のない情報やIT が、
    ハードウェアや人間の身体、さらには
    私たちの判断や行動そのものを動かしている世界です。

    筆者は最後にこうまとめます。

    世の中で最もやわらかいもの:自然法則

    最もかたいもの:現実世界

    そして、その自然法則こそが、
    現実世界を静かに、しかし確実に操っているのだと。

    赤ちゃんの「弱さ」という強さ

    もう一つ印象に残った比喩が、赤ちゃんです。
    私にも可愛い孫がいますが、本当に学ぶことが多い。

    徳を備えたものとは、赤ちゃんのような存在だと老子は言います。
    無防備で、か弱い。
    だからこそ、大人は必死に守ろうとする。

    赤ちゃんの強さは、まさにその弱さにある。

    政治や戦いの話が続いても、
    一本通っているキーワードはやはり
    自然法則にしたがうこと でした。

    古典を読む楽しさとは何か

    この本を読み終えて感じたのは、
    人間の哲学的思考は、今も昔もそれほど進化していないのではないか、ということです。

    むしろ現代のほうが、
    情報の波に飲み込まれ、
    自分で高い壁を作り、
    どこか退化している部分もあるのではないかとさえ思えてきます。

    だからこそ、古典を読む意味がある。
    そしてこの本は、
    何度も読み返し、そのたびに自分なりの解釈を試したくなる一冊 でした。

    まとめ

    自然法則にしたがうとは、
    何か特別なことをすることではありません。

    意識しすぎず、がんばりすぎず、
    ただ「在る」こと。

    次に読み返すとき、
    自分はどんな水の流れを見つけるのだろうか。
    そんな余韻を残してくれる読書でした。

PAGETOP