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  • 自分を楽にするとは、宇宙を信じることかもしれない | 2026.06.22

    大木ゆきのさんの『世界で一番楽チンな奇跡の起こし方 宇宙におまかせ!』を読んで、最初は正直、「宇宙におまかせ」という言葉が少し大きすぎるようにも感じました。

    宇宙というと、どこか遠くにある壮大なもののように思ってしまいます。
    でも読み進めていくうちに、これは何か特別な力にすがる話ではなく、自分を必要以上に追い詰めないための考え方なのだと思いました。

    私たちはつい、「こうならなければならない」「これができなければだめだ」と、自分で自分に命令してしまいます。
    そして、思い通りにならないことに不安になり、足りないものばかりを見てしまう。

    でも本当は、もうすでに持っているものもたくさんある。
    見えていないだけで、海の中に沈んでいる氷山のように、自分の中にも、まだ気づいていない力や可能性があるのかもしれません。

    思考から少し離れる時間

    本の中で印象に残ったのは、「思考を観察する」という考え方です。

    考えないようにしようとしても、人間はなかなか考えないことはできません。
    だから、思考に巻き込まれるのではなく、「今、自分はこんなことを考えているんだな」と眺めてみる。

    これは簡単なようで、なかなか難しいことです。

    でも私の場合、少し似た感覚になる時間があります。
    それが切り絵をしている時です。

    細かいところに集中して、ただ手を動かしていると、余計な考えが少しずつ静かになっていく。
    その時間は、仕事のことも、心配事も、過去の反省も、少し遠くへ行くような気がします。

    洗い物でも、掃除でも、切り絵でもいい。
    ただ目の前の動作に集中するだけで、心が澄んでいく瞬間がある。
    家事や手仕事には、思っている以上に人を整える力があるのかもしれません。

    「ない」ではなく「ある」から始める

    私たちはどうしても、「ない」ものを探してしまいます。

    お金がない。
    時間がない。
    才能がない。
    若さがない。
    自信がない。

    でも、「ない」を前提にすると、その方向に心が引っ張られてしまう。
    足りないものを埋めるために生きると、いつまでたっても満たされない。

    この本では、そもそもありのままで完全なのだ、と語られています。
    これは甘やかしではなく、自分の土台をどこに置くかという話だと思いました。

    「足りない自分が何とか頑張る」のではなく、
    「すでにある自分が、さらに経験してみたいことを選ぶ」。

    この違いは、とても大きいと思います。

    今までの人生で、いろいろなことがありました。
    失敗もあったし、思い通りにならないこともたくさんあった。
    でも、それでもここまで生きてきた。

    それだけでも、実はすごいことなのだと思います。

    自分に対しては、少し傲慢でいい

    私はこの本を読んで、「自分に対しての傲慢さはあっていいのかもしれない」と感じました。

    もちろん、人に対して傲慢になるのは違います。
    人を見下したり、自分だけが正しいと思ったりする傲慢さは、人を遠ざけてしまいます。

    でも、自分に対してはどうでしょうか。

    「私は受け取っていい」
    「私は幸せになっていい」
    「私はここまでよくやってきた」

    そう思うことまで、控えめにしなくてもいいのではないか。
    昔から、謙虚に生きることが美徳だと言われてきました。
    でも、その謙虚さが行きすぎると、自分を小さく見積もる癖になってしまう。

    ここまで生きてきた自分を、もう少し堂々と認めてもいい。
    それは人への傲慢ではなく、自分への礼儀なのかもしれません。

    恐れの回路から、信頼の回路へ

    人間は、恐れを感じやすい生き物です。
    危険を察知し、命を守ってきた歴史があるから、どうしても不安の方が先に立つ。

    うまくいかなかったらどうしよう。
    失敗したらどうしよう。
    人にどう思われるだろう。

    そう考えるのは、ある意味では自然なことです。
    でも、その恐れにずっと支配されていると、動けなくなってしまいます。

    だから恐れを否定するのではなく、まず内側から見つめる。
    「ああ、自分は今怖がっているんだな」と気づく。
    それだけでも、恐れとの距離が少し生まれる気がします。

    宇宙におまかせするというのは、何もしないことではないと思います。
    自分で全部をコントロールしようとしすぎないこと。
    思い通りにしようとする力を、少しゆるめること。

    すると、思い通りではなく、思った以上の出会いや流れが入ってくるのかもしれません。

    無垢な自分から、もう一度始める

    この本を読んで、私は自分の気持ちを少し楽に捉えることができました。

    世の中は自分が思っているより大きい。
    自分一人の頭で考えられる範囲など、本当に小さいものです。

    だからこそ、全部を抱え込まなくてもいい。
    全部を自分で設計しなくてもいい。
    出会う人、起こる出来事、そのタイミングにも、何か意味があるのかもしれない。

    これからは、もう少し「ない」ではなく「ある」に目を向けたい。
    やらなければならないことだけでなく、気が進むこと、心が少し明るくなることも大切にしたい。

    切り絵をする時間のように、ただ目の前のことに集中して、自分を整える時間も持ちたい。

    宇宙におまかせとは、遠い空の話ではなく、
    力を抜いて、自分を信じ直すことなのだと思います。

    今日までいろいろあった。
    それでもここまで来た。
    ならば、これから起こることも、少し信じてみてもいい。

    無垢な自分から、もう一度出発してみる。
    その方が、人生は少し楽チンで、少し面白くなるのかもしれません。

  • 土を知らずに、私は生きてきた | 2026.06.19

    『土と生命の46億年史』藤井一至 著を読んで

    孫と絵本を読んでいた時、ふと「土」という言葉が心に引っかかった。

    土なんて、そこにあるものだと思っていた。
    畑にも、山にも、道端にも、庭にも、当たり前のようにある。
    歩けば靴につき、雨が降ればぬかるみ、乾けばほこりになる。

    でも私は、その土について、今までほとんど何も考えてこなかった。

    この本を読んで、正直に言えば、地球の成り立ちや、岩石がどう変化して土になるのか、微生物がどう働いているのか、その細かな仕組みを全部理解できたわけではない。

    それでも、大きく一つだけ感じたことがある。

    土は、ただの地面ではない。
    生命を支える、大きな循環そのものなのだ。

    土は、簡単には作れない

    本の中で強く残ったのは、現代の科学技術をもってしても、作れないものがあるという話だった。

    それが、生命と土。

    人間はビルも車もAIも作る。
    工場で肥料を作り、農作物の収量も増やしてきた。
    けれど、本当の意味での土は簡単には作れない。

    石が風化し、粘土になり、微生物が働き、植物や動物の命が重なり、長い時間をかけて土になっていく。

    そこには、人間の都合では短縮できない時間がある。

    私は建築の仕事をしているので、鉄やコンクリートや構造物については日頃から考えている。
    けれど、その下にある土については、あまりにも当たり前すぎて見ていなかった。

    家も、工場も、道路も、田んぼも、すべて土の上にある。
    そのことに、今さらながら恥ずかしさを覚えた。

    食べ物も、山も、海もつながっている

    この本を読んで驚いたのは、人類の食料の大部分が、直接的にも間接的にも土に依存しているということだった。

    米も、野菜も、果物も、草を食べる動物も、結局は土から始まっている。
    魚介類も、海だけで完結しているわけではない。
    山から川へ、川から海へと栄養が流れ、海の命も支えられている。

    山の環境が、海の環境にもつながっている。

    私は今まで、山は山、川は川、海は海と別々に見ていた。
    けれど本当は、すべてが循環の中でつながっている。

    家計でいえば、収入と支出のバランスが崩れれば、貯金は減っていく。
    土も同じで、循環する力を超えて取り出し続ければ、やがて土の力は弱っていく。

    これは農業だけの話ではなく、人間の暮らし方そのものの話だと思った。

    土が疲れるということ

    人類は、食料を増やすために耕地を広げ、やがて面積あたりの収穫量を増やそうとした。
    その大きな力になったのが、窒素肥料だった。

    これは大発明だったのだと思う。
    多くの人が食べられるようになったことは、否定できない。

    ただ、その便利さの裏側で、土が疲れている。

    人間の体も無理をすれば疲れる。
    会社も無理な経営をすれば持たない。
    土も同じなのだ。

    自然の循環を超えて、人間だけが取り出し続けている。
    このことを考えると、少し怖くなる。

    恥ずかしさから、敬意へ

    この本を読んで一番感じたのは、知識が増えたことよりも、自分の無関心への恥ずかしさだった。

    私はこれまで、山も海も田んぼも花も、たくさん見てきた。
    写真も撮ってきた。
    でも、そのすべてを支えている土のことを、ほとんど考えてこなかった。

    けれど、その恥ずかしさは悪いものではない。
    知らなかったことに気づくと、世界の見え方が少し変わる。

    道端の土も、田んぼの泥も、山の斜面も、ただの地面ではなくなる。
    そこには、長い時間があり、生命の積み重ねがあり、見えない微生物たちの働きがある。

    私はこの本を読んで、土に対して少し頭を下げたくなった。

    足元にある奇跡

    未来の住宅を考えるなら、建物の形や性能だけでは足りない。
    その建物がどんな土地に立ち、どんな自然の循環の中にあるのか。
    災害に強い住宅、気候変動に対応できる住宅を考えるなら、土や水や山や海のつながりを無視してはいけない。

    土は、ただ建物を支える地盤ではない。
    生命を支える基盤であり、人間の暮らしの根っこなのだ。

    土は、当たり前にあるものではなかった。
    時間と生命と循環が重なって生まれた奇跡だった。

    孫と絵本を読んだ時に引っかかった小さな言葉が、こんな大きな世界につながるとは思わなかった。

    足元にあるものほど、見えにくい。
    でも本当に大切なものは、いつも足元から私たちを支えているのかもしれない。

     

  • メタバース事務所を一度たたみます | 2026.06.18

    それでも、私はメタバースの未来をあきらめていません

    五十嵐工業では、これまで約3年間、Spatial(スペーシャル)というメタバース空間を使い、バーチャル事務所を運用してきました。

    当社の空間には、応接室の大型水槽、製品紹介、施工事例、写真展、各種案内パネル、QRコードなどを配置し、どなたでも自由に入れる「未来の展示場」のような場所を目指してきました。

    建築の仕事は、写真や図面だけでは伝わりにくいものがあります。

    大きさ、空間の雰囲気、製品の使い方、会社の考え方。
    それらを、少しでも楽しく、直感的に伝えられないか。

    そんな思いで、メタバース空間を作り、運用してきました。

    しかし、このたびSpatialのサービス終了に伴い、現在公開しているバーチャル事務所も、2026年7月27日をもってご覧いただけなくなります。

    正直に言えば、Spatialはとても面白いサービスでした。

    無料、または低価格で部屋を作ることができ、多くの人が自由に空間を持つことができました。
    当社も、年間3万5千円ほどで複数の空間を運用することができていました。

    ただ、3年間使ってみて感じたのは、技術が先行しすぎていたのかもしれない、ということです。

    まずは無料や低価格で多くの人に部屋を作ってもらう。
    そこから利用者を増やし、サービスとして成り立たせていく。
    おそらく、そういう考え方だったのだと思います。

    けれども、空間がどんどん増えていく一方で、そこから安定して収益を上げる仕組みは難しかったのではないかと感じています。

    広告を入れるにも限界がある。
    利用者から大きな料金を取るにも、まだ一般のお客様の日常利用には遠い。
    その結果、サービスとして継続することが難しくなったのではないかと思います。

    今回、Spatial終了に伴い、他のメタバースサービスもいろいろ検討しました。

    しかし、現在の代替サービスは、1部屋で月額数万円かかるものもあります。
    これまで年間数万円で複数空間を運用できていたことを考えると、そこまで費用をかけて続ける意味があるのか、冷静に考える必要がありました。

    結論として、今回は一度、部屋をたたむことにしました。

    ただし、これはメタバースをあきらめるという意味ではありません。

    私は、メタバースの未来はまだ終わっていないと思っています。

    むしろ、これから本当の意味で始まっていくのではないかと思っています。

    現在のVRゴーグルは、長時間使うにはまだ負担があります。
    装着感、重さ、暑さ、目の疲れ。
    私自身も使ってみて、長時間の運用は厳しいと感じました。

    では、メガネ型のグラスになればよいのかというと、そこにもまた別の課題があります。

    グラスは軽くなりますが、没入感は弱くなります。
    また、カメラがついていることで、プライバシーや情報管理の問題も出てきます。

    今はAIが画像や文字を自動で読み取り、検索し、クラウドに送ることもできる時代です。

    人の顔、書類、会社の情報。
    何気なく見たものが、知らないうちに記録される可能性があります。

    これは、単なるカメラではありません。

    人間に「第三の目」がつくようなものです。
    しかも、その目には高度な頭脳がついている。

    便利である一方で、悪用される可能性もある。
    そのため、グラスをつけて日常の中を歩く世界には、まだ法律や倫理の整理が必要だと思います。

    それでも、私が初めてメタバースを体験した時の衝撃は、今でも忘れられません。

    遠く離れた人が、すぐ隣にいるように感じる。
    右にいる人の声は右から聞こえ、左にいる人の声は左から聞こえる。
    距離感や空気感が、まるで本当に同じ場所にいるように伝わってくる。

    あの体験をした時、私は「これはすごい」と思いました。

    画面越しの会話ではなく、同じ空間にいる感覚。
    それは、Zoomや電話とはまったく違うものでした。

    私は将来、もっと自然な形のメタバース空間が生まれると思っています。

    たとえば、一つのブースや部屋に入るだけで、特別なゴーグルや重い機器をつけなくても、メタバース空間に入れる。

    そこでは、遠くの人と会話ができる。
    アバターで参加することもできる。
    顔の表情や手の動きも伝わる。
    必要なら、自分の姿を見せずに、別の姿で交流することもできる。

    さらに、部屋の中を歩けば、その動きに合わせて仮想空間の中も歩ける。
    同じ場所をぐるぐる歩いているだけなのに、森の中や展示場や遠くの街を散歩しているように感じられる。

    風、温度、匂い、触感。
    そうした五感に近いものまで再現できるようになれば、メタバースは今とはまったく違うものになると思います。

    駅や商業施設の中に、小さなメタバースブースが並ぶ日も来るかもしれません。

    今、駅などに一人用の仕事ブースがあります。
    それと同じように、そこに入ると、パソコンもモニターもいらず、話せば文字になり、目の前に資料が表示され、遠くの人と同じ空間で打ち合わせができる。

    そんな時代が来るのではないかと、私は想像しています。

    物理的なものを身につけなければ体験できない世界ではなく、もっと自然に、もっと軽く、もっと人間に近い形で入れる仮想空間。

    指輪のような小さなセンサーだけで、握手した感覚や、ものに触れた感覚が伝わるような世界。

    それは、今すぐではないかもしれません。

    でも、必ず近づいてくると思っています。

    今回、五十嵐工業のバーチャル事務所は一度たたみます。

    しかし、3年間の経験は決して無駄ではありませんでした。

    お客様にどう伝えるか。
    会社の雰囲気をどう見せるか。
    製品や施工事例をどう体験してもらうか。
    未来の展示場とはどうあるべきか。

    そうしたことを、実際に試すことができました。

    これからは、メタバース空間に置いていた写真、動画、施工事例、説明文、3Dデータなどを整理し、ホームページやSNS、動画などの中で活かしていきたいと思います。

    そして、これから出てくる新しいガジェットやサービスにも、引き続きアンテナを高くしていきます。

    五十嵐工業として、お客様とどうつながるか。
    お客様にどう伝えられるか。
    お客様のまだ言葉になっていない要望に、どう寄り添えるか。

    それを考えることは、これからも変わりません。

    メタバース事務所は、しばらくお休みします。

    でも、未来の空間づくりは終わりません。

    また再開できる機会が来た時には、今よりもっと自然で、もっと役に立ち、もっと楽しい空間として戻ってきたいと思います。

    現在の五十嵐工業バーチャル事務所は、2026年7月27日までご覧いただけます。

    ぜひ終了までに一度、訪問してみてください。

    少し先の未来を考えながら、五十嵐工業が試してきた空間です。

    ▼五十嵐工業バーチャル事務所はこちら
    https://www.spatial.io/s/Wu-Shi-Lan-Gong-Ye-wakuwakuGuang-Chang-63aba6f8b3a03b00019e2f5f?share=6945061951970486719

    公開期間:2026年7月27日まで

     

  • 読書は、知識をためることではなく、自分の考えを動かすこと | 2026.06.16

    ――『最大インプット 超アウトプット 最強の読書術』浅井さとこ 著を読んで

    本を読むことは、知識を増やすことだと思っていた。

    もちろん、それは間違いではない。
    けれど最近、少し違うことを感じている。

    あれだけ本を読んだのに。
    付箋も貼ったのに。
    その時は確かに「わかった」と思ったのに。

    時間が経つと、どんどん曖昧になっていく。

    「あの本に確か書いてあった」
    「たしか、いいことを読んだはずだ」
    そう思うのに、自分の言葉としてうまく出てこない。

    この本を読んで、私はその理由が少しわかった気がした。

    問題は、読む量ではなかった。
    読んだものを、自分の中でどう咀嚼し、どう外へ出すか。
    つまり、読書を「運動」にしているかどうかだった。

    本は、夢の島を探すための地図

    この本の中で印象に残ったのは、読書を「海で島を探すようなもの」と表現していたところだ。

    読者は、自分の夢の島を探している。
    本は、そのための地図のようなもの。

    この考え方は、とても腑に落ちた。

    本は、ただ知識をもらうものではない。
    著者の考えをそのまま受け取るものでもない。
    自分の頭で考えるための道具なのだ。

    何の準備もなく本を読み始めると、著者の考えにそのまま流されてしまうことがある。
    「なるほど、そうだ」と思いながら読んでいるうちに、自分の考えがどこかへ行ってしまう。

    だからこそ、読む前の準備が大切なのだと思った。

    表紙を見る。
    帯を見る。
    前書きや目次を見る。
    この本は何を言おうとしているのか。
    自分はこの本から何を受け取りたいのか。

    そうやって、まず大きな地図を見る。

    いきなり細かい道に入るのではなく、まず全体を眺める。
    これは、仕事にも通じることだと思う。

    図面でも、現場でも、会社経営でも、最初に全体を見ないと判断を間違える。
    読書も同じなのだ。

    同時読書は、私にとって思考の息抜きでもある

    この本では、同じジャンルの本を並行して読み、比較しながら理解することの大切さも書かれていた。

    共通点を探す。
    違いを見つける。
    著者によって、同じテーマをどう見ているのかを比べる。

    たしかに、比較すると理解は深くなる。

    ただ、私の場合は少し違う感覚もある。

    私は飽きっぽいところがあるので、常に何冊も同時に読んでいる。
    10冊くらい同時に読んでいることもある。

    同じジャンルの本を読むこともあるが、まったく違うジャンルの本を息抜きのように読むことも多い。

    ところが、それが不思議とつながることがある。

    まったく違う本の中に、前に読んだ本と同じ匂いを感じる。
    建築の本を読んでいたはずなのに、人間関係の話につながる。
    心理学の本を読んでいたはずなのに、会社経営の考え方につながる。
    花や雑草の本を読んでいたはずなのに、生き残る戦略の話になる。

    本棚の背表紙や帯に呼ばれて、ふと別の本を開く。
    その偶然のような読書が、私にはとても大事な時間になっている。

    読書のための息抜き。
    思考のための息抜き。
    そして、息抜きのようでいて、実は頭の中では何かがつながっている。

    読書とは、まっすぐ進むものではなく、寄り道しながら深くなっていくものなのかもしれない。

    アウトプットは、知っていることを出すだけではない

    この本を読んで、一番強く残ったのはアウトプットについての考え方だった。

    アウトプットというと、すでに知っていることを発信することだと思いがちだ。
    SNSに書く。
    noteにまとめる。
    人に話す。

    もちろん、それも大切だ。

    けれど本当のアウトプットは、単に「知っていることを出す」ことではない。

    自分がまだ知らないことを知るために書く。
    次にどんな言葉が出てくるのかを、自分で確かめるために書く。
    これまで読んできたもの、考えてきたこと、感じてきたことが、どうつながるのかを試すために書く。

    そこにこそ、アウトプットの意味があるのだと思った。

    これは、今の私がAIを使いながらやっていることにも重なる。

    以前の私は、ぼんやりした知識の寄せ集めを、なかなか一つの考えとしてまとめることができなかった。
    本を読んではいる。
    考えてもいる。
    でも、それを外へ出す形にするのが難しかった。

    今は、AIを使いながら、自分の言葉を探している。

    AIに書いてもらっているというより、自分の中にある曖昧なものを引き出してもらっている感覚に近い。
    自分が何に反応したのか。
    どこで引っかかったのか。
    何を自分の仕事や人生に結びつけたいのか。

    その整理を助けてもらっている。

    だから、私にとってAIは、読書のアウトプットを加速する道具でもある。

    読んだ本を、忘れないためではなく、再び動かすために

    人間の脳は、省エネにできている。
    必要ないと判断したものは、どんどん忘れていく。

    本を読んだ時は感動しても、時間が経つと薄れていく。
    それは仕方のないことなのだと思う。

    だからこそ、必要な情報をあとで見返せる仕組みが大切になる。

    本に付箋を貼るだけでは足りない。
    ノートに書くだけでも、眠らせてしまえば同じことだ。

    大切なのは、もう一度そこへ戻れること。
    もう一度、自分の考えを再起動できること。

    本を読む。
    考える。
    書く。
    また読み返す。
    また考えが変わる。
    また書く。

    この繰り返しの中で、読書はただの知識ではなく、自分の血肉になっていくのだと思う。

    読書は、私の中の未来を探す行為

    私はこれまで、たくさんの本を読んできた。

    うまく消化できた本もあれば、読んだのに忘れてしまった本もある。
    難しくて途中で止まった本もある。
    何年も経ってから、急に意味がわかった本もある。

    でも、それでいいのだと思う。

    読書は、全部を覚えるためのものではない。
    著者の考えを暗記するためのものでもない。

    自分の中に、まだ言葉になっていない考えを見つけるためのものだ。

    この本を読んで、私はあらためて思った。

    本は読むだけでは終わらない。
    読んだ後に、自分の中でどう動き出すかが大事なのだ。

    そして、アウトプットとは完成品を出すことではない。
    まだ形になっていない自分の考えを、外に出しながら育てていくことなのだ。

    これからも私は本を読む。
    同時に何冊も読み、寄り道もしながら読む。
    そして、AIの力も借りながら、自分の言葉として外へ出していく。

    読書は、知識をためることではない。
    自分の考えを動かすこと。

    そう思うと、本棚に並ぶ本たちが、また少し違って見えてくる。

  • 本は、終わったとは言わせない | 2026.06.15

    『本を楽しむ教科書』大島梢絵 監修を読んで

    本というものは、やはり不思議なものだと思います。

    情報を得るだけなら、今はいくらでも方法があります。
    スマホを開けば、知りたいことはすぐに出てくる。
    動画もあるし、SNSもある。
    わかりやすくまとめられた情報も、毎日のように流れてきます。

    それでも私は、やっぱり本が好きです。

    今回読んだ『本を楽しむ教科書』は、
    「本を読む」ということを、もう一度やわらかく考え直させてくれる本でした。

    読書は、勉強だけではない。
    情報収集だけでもない。
    もっと感覚的で、もっと自由で、もっと個人的なものなのだと感じました。


    本は、時間を旅する道具でもある

    本を読むということは、時間を遡ることでもあります。

    歴史の本を読めば、過去の人たちが何を考え、何に悩み、どう生きてきたのかに触れることができます。
    一方で、未来について考える本を読めば、まだ見ぬ時代のことまで想像することができます。

    つまり本は、今ここにいながら、過去にも未来にも行ける道具なのだと思います。

    私は普段、本を選ぶときに、そこまで真面目に構えているわけではありません。
    美味しいものを食べるように、心地よい音楽を聴くように、
    「なんとなく気になる」
    「これは面白そうだ」
    という感覚で手に取ることも多いです。

    時には、これは難しそうだなと思う本にも手を出します。
    すぐには読めない。
    何ページか読んでは止まり、また戻ってくる。
    何ヶ月もかけて、少しずつ溶かしていくような読書もあります。

    それもまた、読書の楽しみ方なのだと思います。

    わからない本を無理にわかろうとしなくてもいい。
    ただ、そこに触れている時間そのものが、自分の中に何かを残してくれる。
    そんな読書もあっていいのだと感じました。


    心に刺さる一文があれば、それでいい

    本の価値は、全部を理解することだけではないと思います。

    たとえば、綺麗な写真を眺めていたい。
    そこに短い言葉が添えられていて、その一文が心に深く残る。
    それだけで、その本と出会った意味は十分にあるのではないでしょうか。

    写真集でもいい。
    絵本でもいい。
    自然の本でも、生き物の本でも、健康の本でも、子育ての本でもいい。

    自分の気持ちが少し疲れている時には、メンタルを整える本に助けられることもあります。
    人間関係に悩んだ時には、どうしたら人と幸せに関われるのかを考える本が必要になることもあります。
    生き方に迷った時には、どうやって生き延びていくのかを教えてくれる本もあります。

    本は、自分のその時の心の状態によって、まったく違って見えます。

    同じ本でも、若い時に読んだ時と、今読む時では、心に届く場所が違う。
    それは、本が変わったのではなく、自分が変わったからなのだと思います。

    読書とは、著者との対話であると同時に、
    今の自分自身との対話でもあるのだと、改めて感じました。


    紙の本と電子書籍は、別の楽しみ方でいい

    よく、紙の本と電子書籍のどちらが残るのか、という話があります。

    でも私は、これはどちらか一方を選ぶ話ではないと思っています。
    紙の本と電子書籍は、似ているようでまったく別のものです。

    電子書籍には、電子書籍の良さがあります。
    場所を取らない。
    移動中でも読める。
    どこにいても、すぐに開ける。
    これは本当に便利です。

    一方で、紙の本には紙の本の良さがあります。

    手に取る重さ。
    ページをめくる感覚。
    本棚に並んでいる姿。
    ふと目に入った背表紙から、もう一度読み返したくなる感覚。

    これは電子書籍とは違う、五感に近い楽しみです。

    本屋さんや図書館も同じです。
    目的の本を探しに行ったのに、まったく違う本に出会うことがある。
    その偶然が楽しいのです。

    効率だけで言えば、検索すればいいのかもしれません。
    けれど、本との出会いには、効率では測れない豊かさがあります。

    楽しい本屋さんがあれば、人はきっとまた足を運ぶ。
    図書館にも、本屋さんにも、まだまだ役割はあると思います。


    読書離れではなく、読み方が変わったのかもしれない

    「若者の読書離れ」という言葉をよく聞きます。

    もちろん、それは半分は事実かもしれません。
    大人になるほど、仕事や生活に追われて、本を読む時間が減っていく。
    スマホや動画、SNSなど、ほかのメディアに時間を使うことも増えています。

    けれど、若い人たちがまったく文字に触れていないわけではないと思います。

    SNSで読む。
    SNSで書く。
    短い文章の中で考えを伝える。
    それもまた、文字を使った表現です。

    本だけが読書ではない、という見方も必要なのかもしれません。

    ただ、やはり本には本の深さがあります。
    一つの考えをじっくり追いかける。
    すぐに答えを出さずに、自分の頭で考える。
    わからないものを、わからないまま抱えておく。

    これは、今の時代にとても大事な力だと思います。

    これから先、世の中はもっと大きく変わっていくはずです。
    その時に、正解のない問題を自分の頭で考えられるか。
    人の意見に流されるだけでなく、自分なりの考えを持てるか。

    読書は、そのための大切な訓練にもなるのだと思います。


    本は、終わったとは言わせない

    この本を読んで、私は改めて思いました。

    本は、まだ終わっていない。
    紙の本も、電子書籍も、図書館も、本屋さんも、
    形を変えながら、これからも人のそばに残っていくのだと思います。

    なぜなら、人間はただ情報が欲しいだけではないからです。

    知らない考えに触れたい。
    自分の気持ちを言葉にしたい。
    誰かの人生を少しだけ追体験したい。
    今の自分にはない見方を手に入れたい。

    そういう欲求がある限り、本はきっとなくならない。

    私にとって読書は、情報収集ではなく、
    今まで触れたことのないものの見方や価値に出会う時間です。

    そして時には、自分でも気づいていなかった自分の心に出会う時間でもあります。

    美味しいものを味わうように。
    心地よい音楽を聴くように。
    綺麗な写真を眺めるように。

    これからも私は、肩に力を入れすぎず、
    いろいろな本と出会っていきたいと思います。

    本は、終わったとは言わせない。

    むしろ、これからの時代だからこそ、
    本を読むことの意味は、ますます深くなっていくのだと思います。

  • 当たり前の中に、勇気づけはある | 2026.06.11

    『勇気づけの方法』野田俊作 著を読んで

    野田俊作さんの『勇気づけの方法』を読んで、子どもとの関わり方は、想像していた以上に深いものだと感じました。

    この本は、子どもに対する教育や育児の話が中心ではありますが、読んでいるうちに、これは子どもだけの話ではないと思いました。
    会社の中で人と関わること、若い人と向き合うこと、そして家族との関係にも、そのまま通じる話だと感じました。

    特に強く残ったのは、勇気づけとは、特別な成功を褒めることではなく、日々の当たり前の行動に目を向けることだという点です。

    朝、自分で起きる。
    学校へ行く。
    元気に帰ってくる。
    ご飯を食べる。
    お風呂に入る。
    寝る。

    こうした日常の行動を、私たちはつい「できて当たり前」と思ってしまいます。
    けれど本当は、その一つひとつが子どもにとっては大切な生活の積み重ねなのだと思いました。

    「起こさなくても一人で起きてくれたね」
    「今日も学校に行って帰ってきたね」
    「ありがとう」

    そんな何気ない言葉が、子どもの心の中に小さな勇気を育てていく。
    これは、とても大事な視点だと思いました。

    4歳の朱音ちゃんを見て感じること

    今、4歳の朱音ちゃんを見ていると、本当に子どもは大人の言葉や感情に敏感だと感じます。

    その場では、きょとんとした顔をしていることがあります。
    分かっていないようにも見えます。
    けれど、実はちゃんと感じ取っている。
    大人の声の調子、表情、空気の変化を、こちらが思っている以上に受け取っているのだと思います。

    子どもだから分からないだろう。
    まだ小さいから大丈夫だろう。
    そう考えるのは、少し違うのかもしれません。

    もちろん、幼い子どもは長く記憶しておく力はまだ発達の途中です。
    昨日のことを全部覚えているわけではないかもしれません。
    それでも、その瞬間に心が動き、脳が育ち、世界の見方を少しずつ覚えていく。

    だからこそ、幼児期の言葉がけや関わり方は、とても大切なのだと思いました。

    構いすぎも、管理しすぎも、勇気を奪う

    この本を読んで、もう一つ考えさせられたのは「構いすぎ」のことです。

    子どもが頼んでいないことを、大人が先回りして全部やってしまう。
    きっとこうしてほしいのだろう。
    きっとこう考えているのだろう。
    そう思って、何でも代わりにやってしまう。

    一見すると、優しさのように見えます。
    けれど、それが続くと、子どもは「自分が言わなくても周りが分かってくれる」「困ったことは誰かが解決してくれる」と思うようになる。

    これは子どものためになっているようで、実は自分で考える機会を奪っているのかもしれません。

    「起きなさい」
    「ご飯を食べなさい」
    「学校に遅れるよ」
    「宿題しなさい」
    「お風呂に入りなさい」
    「早く寝なさい」

    日常の中で、つい大人は子どもを管理してしまいます。
    でも、何から何まで管理してしまうと、子どもは自分で生活を組み立てる力を育てにくくなる。

    子どもは子どもなりに、自分で問題を解決しようとしている。
    その力を信じて、少し待つこと。
    失敗も含めて体験させること。
    それもまた、勇気づけなのだと思いました。

    育児と教育に必要な4つのS

    本の中で紹介されていた、育児と教育に必要な4つのSも印象に残りました。

    一つ目は、尊敬。
    子どもを上から見るのではなく、対等な一人の人間として見ることです。
    これは「尊重」と少し違い、相手の存在そのものを認める姿勢なのだと思いました。

    二つ目は、責任。
    日本では、責任を取るというと、辞めることや謝ることのように考えがちです。
    でも本当の責任とは、失敗したあとにどう回復するか、どう次につなげるかということなのだと思います。

    これは会社経営にもつながります。
    失敗した人を責めて終わりにするのではなく、どうすれば取り戻せるか、どうすれば次に同じことを繰り返さないかを一緒に考える。
    その方が、よほど本当の意味で責任を学べるのではないかと思いました。

    三つ目は、社会性。
    人と関わる力です。
    「言わなくても分かるだろう」ではなく、言葉にして伝えること。
    相手と関係をつくること。
    これは家庭でも会社でも、とても大切なことです。

    四つ目は、生活力。
    生きていく力です。
    知識だけではなく、現実の中で何とかしていく力。
    困った時に考え、周りと関わり、自分で立ち上がる力。
    これからの時代には、ますます必要になる力だと思いました。

    会社でも、勇気づける言葉を学び続けたい

    この本を読んで、私は「育てる」という言葉についても考えました。

    子どもを育てる。
    社員を育てる。
    若い人を育てる。

    そう言うと、どうしても上から目線になりやすい。
    けれど本当は、相手をこちらの思い通りに育てるのではなく、その人が持っている力を信じて、勇気づけることが大切なのだと思います。

    経営者として、これまでの自分の経験値だけで人を見るのは危ないことだと、改めて感じました。
    時代は大きく変わっています。
    若い人の考え方も、働き方も、価値観も変わっています。

    昔はこうだった。
    自分たちはこうやってきた。
    その経験は大切ですが、それだけで今の人を理解できるわけではありません。

    だからこそ、こちらの言葉もブラッシュアップしていかなければならない。
    相手を責める言葉ではなく、勇気づける言葉を選ぶ。
    管理する言葉ではなく、自分で考える力を引き出す言葉を使う。
    これは、これからの会社づくりにも必要なことだと思いました。

    当たり前を見つける目を持ちたい

    勇気づけとは、大きなことをした時だけに与えるものではない。
    日々の当たり前の中にある小さな行動を見つけ、言葉にして伝えることなのだと思います。

    子どもにも、社員にも、家族にも、そして自分自身にも。
    できなかったことばかりを見るのではなく、できていることを見る。
    責める前に、相手がすでにしている努力に気づく。

    それは簡単なようで、意外と難しいことです。

    けれど、その小さな言葉が、人の心を少し軽くする。
    明日もやってみようと思える力になる。
    それが「勇気づけ」なのだと、この本を読んで感じました。

    朱音ちゃんを見ていると、子どもは本当に毎日成長しています。
    そしてその姿を見ている私自身も、まだまだ学ばなければならないと思わされます。

    子どもを勇気づけることは、大人が学び直すことでもある。
    人を育てることは、自分の言葉を育てることでもある。

    そんなことを考えさせられた一冊でした。

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