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「自分」は想像より、あいまいでいい

「自分って、結局なに?」
この問いは昔から頭の片隅にあって、答えが出た気がしても、すぐに揺らぎます。そんなときに読んだのが、養老孟司さんの『自分の壁』でした。読み進めるほどに、「自分」というものが、思っていたよりずっと“仮の線引き”なんだと感じました。

本の冒頭で出てくる発想が面白いんです。
自分・自己・自我…といった大げさな言葉も、突き詰めれば「今どこにいるか」を示す“現在地の矢印”みたいなものじゃないか、という話。これ、妙に腑に落ちました。自分を「ガッチリ固まった存在」じゃなく、状況に応じて立っている場所を示す印、くらいに見てみる。そこから“自分の壁”が少しずつ薄くなっていきます。

科学の話も、ぐっと来ました。
脳科学者ジル・ボルト・テイラーさんが脳卒中を経験し、「自分の体と周りの境界が溶ける」ような感覚になったという話。普段、当たり前に感じている「ここまでが自分」という線は、脳がそれっぽく引いているだけなのかもしれない。そう考えると、自分の輪郭って案外あいまいです。

日常の例だと、唾液。口の中にあるときは何とも思わないのに、体外に出た瞬間「汚い」と感じる。これも“自分の内か外か”を勝手に仕分けしてる証拠みたいで、笑えるけど深い。つまり私たちは、自分と世界を分けているつもりで、実はその線を毎秒引き直しているのかもしれません。

さらに面白いのが、人間は最初から「つながり前提」でできている、という話です。
ミラーニューロンのように、他人の行動を見ると自分の脳も反応する仕組みがある。顔色を読むために色覚が発達した可能性がある、という話もありました。言葉が豊かなのも、社会の中で微妙な気持ちをやり取りしてきた積み重ねなのかもしれません。

そして決定打は、身体そのものが「単独の自分」じゃないという視点。
ミトコンドリアは元々別の生物が共生したもの。体内にはウイルス由来の遺伝子が混ざっている。こういう話を聞くと、「自分ってどこからどこまで?」が一気に怪しくなってきます。自分は一個の塊というより、他者や環境と混ざりながら成り立つ“複合体”。そのほうが自然に見えてきました。

ここまで来ると、社会の見え方も少し変わります。
養老さんは「若い人に“自己を確立せよ”と迫るのは酷だ」と言います。未完成で当たり前の時期に、完成品みたいに振る舞えと言われたら苦しくなる。むしろ必要なのは、世間と折り合いながら生きる力。経営をしていても、つい「個」だの「結果」だのを強調しがちですが、孤立して勝つより、つながって続くほうが強い場面が多いと感じます。

そして現代の敵は、情報過多。
人は勝手に“文脈”を作り、そのメタメッセージ(読み取ったつもりの意味)を自分の意見だと勘違いしやすい。ネットはノイズが少なくて快適だけど、快適すぎると脳はすぐサボる。だから対策は意外と地味で、「自然を10分眺める」。これが効く。雪国の空を見上げるだけで、頭が勝手に整っていく感じがあります。

最後に、私がいちばん好きだったのが「一生懸命」より「一日懸命」。
未来のために今日を削りすぎない。今日をちゃんと使う。その積み重ねが未来になる。『自分の壁』は、頑丈な壁を築く話じゃありませんでした。むしろ、壁が最初からそんなに無いと気づいて、肩の荷が少し軽くなる本でした。

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