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50年目の答え合わせ――「写真以外のことを学べ」という教えと、リベラルアーツの正体

「写真が上手くなりたければ、写真以外のことを多く学びなさい」

50年前、私が写真の師から受け取ったこの言葉を、私は今日まで愚直に守ってきました。写真の技術だけを磨くのではなく、世界そのものに触れ続けること。そう思って、本を読み、音楽に浸り、映画を観て、スポーツに熱くなり、宗教や歴史にも手を伸ばしてきました。一見、写真とは無関係に見えるものほど、実は私の“目”を広げてくれる――そんな確信があったからです。

最近、その師が旅立ちました。大きな喪失感がありながら、不思議と、言葉は以前よりも近くに感じます。あの教えが、いまになって静かに胸の奥で鳴り続けている。師匠はもう目の前にはいないけれど、その視点は私の中で生き続け、これからの一枚一枚に息を吹き込んでくれる気がしています。

点が、線になりはじめた

最近、少し不思議な感覚の中にいます。これまでバラバラだった興味や知識が、自分の中で一つの大きな「流れ」になって、つながり始めたのです。言語化しきれないもどかしさは残るのに、確かな手応えがある。撮る前から、すでに心が反応しているような感覚です。

この感覚の正体を確かめたくて、私は「リベラルアーツ(自由教養)」という言葉を、AIと一緒にほどいてみました。すると腑に落ちました。リベラルアーツとは、雑学の寄せ集めではない。既存の枠組みに縛られず、一人の人間として自立して生きるための“自由のための知恵”なのだ、と。

「自由」になるための教え

師の「写真以外を学べ」という教えは、私を「写真の技術」という狭い檻から解き放ち、世界を多角的に見るための自由な視点を授ける道標だったのでしょう。学びの幅を広げるほど、被写体の見え方が変わる。撮る行為が、世界との対話になっていく。私は半世紀かけて、その意味を体で理解してきたのだと思います。

そして今は、その教えを受け取った側として思います。これは私の中だけで終わらせてはいけない。師が残してくれた火種は、私の中で燃え続けている。だから今度は私が、誰かに手渡していきたい。写真を通じてだけではなく、「世界の見方」を伝えるように。

見えないものを写す、ということ

50年前の私は、綺麗なものや驚くべき記録を追い求めていました。けれど今の私は、そこにある「空気感」や「音」、そして「名もなき情報」を写したい。スポーツ観戦で感じた一瞬の緊張、音楽が描く目に見えない旋律、本が教えてくれた深い洞察……。それら“写真以外”の学びが、私の感性のフィルターを幾層にも重ねてくれました。

たとえば雨の夕暮れ、誰も足を止めない路地で、私はふと本で読んだ一節を思い出し、音楽の残響のように濡れた光を感じたことがあります。シャッターを切ったのは景色そのものではなく、その場に漂う“気配”でした。こういうとき写真は、目だけでなく、耳や記憶や価値観まで総動員して撮っているのだと分かります。
遠回りに見える学びが、結局いちばんの近道でした。写真はレンズの前だけで完結しない。生き方そのものが、静かに写り込む。

リベラルアーツがくれる自由は、何でも知っている状態ではなく、「何を大切に見るか」を自分で選べる状態だと思います。だから私は、撮る前に急がない。まず感じ、確かめ、迷い、最後に一枚を選ぶ。その迷いこそが、私の表現の根になります。

知的自由の旅は続く

言葉にできないものがあふれるこの世界で、その豊かさを少しでも残し、誰かと共感したい。そしてもう一つ、師の思いを、かたちを変えて受け継いでいきたい。私が写真を続け、学び続ける限り、師は私の中で生き続けます。だから今日の一枚は、過去への追悼であり、未来への手渡しでもあります。

学びには終わりがありません。機材の進化、他者の表現、そしてまだ見ぬ世界の気配。無限に広がるこの「知の宇宙」を、これからも衝動のままに歩き続けていこうと思います。

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