たくさん読むほど危ない?読書で自分がズレる瞬間
『死ぬ前に後悔しない読書術』(適菜収)を読んだ。タイトルに惹かれて手に取ったが、中身は想像以上に辛辣で、冒頭の「生きているだけではダメになる時代」という一文から、いきなり背筋を正された。読みながら何度も「自分の読書は、どこへ向かっている?」と問い返す時間になった。
本書で特に刺さったのは、「危険な読書家」という見立てだ。たくさん本を読み、知識が増えるほど偉い……ではなく、むしろ“膨大な知識を持つ人ほど危うい”という。大事なのは冊数ではなく、「真っ当な世界に連なる意志」を持てるかどうか。知識をひけらかすだけの読書は、賢くなるどころか、かえって人を歪ませる可能性がある。ここは耳が痛い。読書が“自分を整える道具”ではなく、“自分を飾る武器”になった瞬間、読書は毒にもなる。
その処方箋として、本書は繰り返し「古典を読め」と言う。真っ当な価値判断は、独学でゼロから作るより、すでにそれを体現してきた人たちから学ぶ方が早い。速読についても同じで、情報処理としては役に立っても、思想や価値判断を育てる読み方にはなりにくい。500冊を流し読みするより、5冊を腹に落とす。読みっぱなしではなく、心に引っかかった一節を“頭の中に保存する”ように読む。それが「大人の読書」だと受け取った。
また「分かりやすい説明」への警戒も印象的だった。分かりやすく言い切れる問題は、そもそも大した問題ではないことが多い。すぐ答えを求め、反論を受け付けず、自分の正義だけを叫ぶ態度は、政治の世界に限らず、日常でも起こりうる。近代人は知識や情報は持っているのに、思想としては劣化している――「考えること」と「答えの出る計算」を同一視してしまう、という指摘は今の時代に刺さる。
古典の価値についての語りも力強い。古典は“古い本”ではなく、いつでも現在を突き動かす「現在に生きている本」。しかも最上の本と最低の本の値段が大差ない。高額な自己啓発セミナーより、数千年の時間で磨かれた言葉に触れる方が、よほど人生の骨格を作る。乱読から精読へ、一流を尊重する方向へ――これは自分の読書にも取り入れたい。
一方で、新聞やネットとの付き合い方は、私は少し立場が違う。本書は「新聞を読むな」「社説は危ない」と切り捨てるが、結局は読み手の姿勢次第だと思う。私自身、社説や政治経済を追いかけるというより、評論や解説の中に“違う視点”や“真摯な取材”を感じることがあるから新聞を購読している。ネットやテレビ、携帯をやめるという主張にも私は賛成しない。いまの時代、それらをうまく使ってこそ新しい発想が生まれる面もある。大切なのは遮断ではなく、距離感と選び方だ。
結局この本は、読書を「知識の収集」から「正気を保つための営み」へ引き戻してくれた。古典を読み、バイアスの強いコメンテーターを鵜呑みにせず、自分の価値判断の軸を育てる。辛口ではあったが、人生観を再確認し、組み直すきっかけをくれた一冊だった。
