高齢になったら、恥ずかしく面白いことを探す

背中に編んだQRコードという、小さな実験
高齢になったら、少し恥ずかしくて、少し面白いことを探したい。
そうしないと、思考も行動もだんだん硬直して、ますます衰退していく気がするからです。
今回始めた「背中に編んだQRコード」の試みは、そんな自分なりの小さな実験です。
私のモットーがある。
高齢になったら、恥ずかしく面白いことを探す。
なぜそんなことを思うのか。
それは、年齢を重ねるほど、人はどうしても無難な方へ、目立たない方へ、説明しなくていい方へと流れていくからだと思うからだ。
もちろん、それは自然なことでもある。
失敗は減るし、余計な摩擦も少ない。
けれど、その「無難」を積み重ねていくうちに、気がつけば発想まで小さくまとまり、行動まで縮こまってしまう。
それが、私には少し怖い。
だからこそ、少し照れくさくて、少し可笑しくて、自分でも「何をやっているんだろう」と笑ってしまうようなことを、あえて探したいと思っている。
今回の「背中に編んだQRコード」も、その延長線上にある。
話しかける代わりに、背中でひらく入口
私は写真を撮ることが好きだ。
自然の風景も、人の気配も、偶然の光も、その場にしかない空気も、なるべく自分らしく受けとめて残しておきたいと思う。
そして撮った写真をInstagramに上げ、誰かに見てもらえたり、「いいね」をもらえたりすると、また次の景色に会いに行きたくなる。
私にとって写真は、ただの記録ではない。
次の一歩をくれるものでもあり、誰かとのゆるやかな接点でもある。
本当は、同じ景色に心を動かされた人と、その感動を少し共有したい。
「あ、わかるなあ」とか、
「ここ、良かったですね」とか、
ほんのひと言でも交わせたら、きっと楽しい。
でも、見ず知らずの人にいきなり話しかけるのは、なかなか勇気がいる。
こちらは親しみのつもりでも、相手は静かにひとりでいたいかもしれない。
その距離感は、やはり大事にしたいと思う。
そこで考えたのが、背中にQRコードをつけるという方法だった。
こちらから無理に話しかけない。
興味を持った人だけが、後ろからそっと読み取る。
言ってみれば、背中に小さな入口をひとつ下げて歩くようなものだ。
声をかける代わりに、背中でやわらかく「どうぞ」と言う。
そんな仕組みがあってもいいのではないかと思った。
印刷ではなく、あえて手で編む
この仕組みだけなら、印刷したワッペンでも、アイロンプリントでもできる。
けれど、それでは少しおとなしい。
どうせやるなら、見た人が
「え、これ編んであるの?」
と少し驚き、少し面白がってくれるものにしたかった。
そこで思いついたのが、かぎ針編みのQRコードだった。
ローテクなのにデジタルにつながる。
手仕事なのにSNSへの入口になる。
この少しちぐはぐな感じが、なんとも面白い。
しかも、手で編んだものには、印刷物にはない温度がある。
きれいすぎない。
少し不器用で、少し人の気配が残る。
私は、そういうものに惹かれる。
正直に言えば、こんなことを考えている自分を、どこかで可笑しいとも思っている。
でも、その可笑しさがあるからこそ、やってみたくなる。
普通の名刺ではつまらない。
少し照れくさくて、少し笑えるくらいが、今の私にはちょうどいい。

実際に姪に一枚作ってもらって、少し伸びても読み取れることが分かった。
これは私にとって、とても大きかった。
面白い思いつきで終わるのではなく、ちゃんと使えるかもしれない。
そんな手応えが、少しずつ出てきたからだ。
ここで私は、単に変わったものを作りたいのではなく、人とのつながり方そのものを少し変えてみたいのだと気づいた。
話しかける勇気の代わりに、背中に編んだQRコードを下げる。
なんとも遠回りで、不器用なやり方だと思う。
けれど、今の私にはそれがしっくりくる。
無理をしない。
押しつけない。
でも、ひらいている。
そんな在り方が、この小さなQRコードには宿っている気がする。
高齢だからこそ、少し恥ずかしいことをやる
年齢を重ねると、どうしても自分の中のブレーキが強くなる。
「そんなことしてどうする」
「今さら恥ずかしい」
「わざわざそんなことをしなくても」
そんな声が、どこからか聞こえてくる。
他人の声というより、自分の中から聞こえてくることの方が多いかもしれない。
でも、その声に従ってばかりいると、思考も行動も固まり、だんだん世界が狭くなっていく。
だから私は、あえて少し恥ずかしいことをする。
少し恥ずかしい。
でも少し面白い。
その境目にこそ、新しい風通しがある気がしている。
手編みのQRコードを背中に下げて歩くなんて、たしかに少し照れくさい。
でも、その照れくささを越えた先に、誰かとの思いがけない会話や、やさしい接点が生まれるかもしれない。
笑われても、それはそれでいい。
むしろ少し笑ってもらえたら、この企画は半分成功したようなものかもしれない。
「何それ、面白いですね」
そのひと言が生まれたら、もう十分価値がある。


Instagramへ直接つなぐことも考えた。
けれど、私の知り合いには高齢の方も多く、Instagramを使っていない人も少なくない。
そこで飛び先は、リットリンクの方がやさしいのではないかと思うようになった。
写真に興味がある人にも、そうでない人にも、まず入口として受け止めてもらいやすいからだ。
さらに取り付け方法もいろいろ考えた。
面ファスナー、ピン留め、ワッペン式。
その中で、今いちばん面白く、見た目にもわかりやすいのは、ゼッケン式のひも付きだと思っている。
上から下げ、下のひもを前に回して結ぶ。
どこか昔ながらで、少し滑稽で、でもその真ん中にはQRコードがあり、その先にはデジタルの世界がつながっている。
古いようで新しい。
この感じが、なんともたまらない。
たぶん私は、こういう「ちょっと時代遅れに見えて、実は今っぽいもの」が好きなのだと思う。
背中でひらく、小さなギャラリー
私はこの企画を、単なる遊びだとは思っていない。
もちろん、自分がいちばん楽しみたい。
そこが出発点だ。
でも同時にこれは、好きなことを好きなやり方で、人と共有していくための、小さな装置でもある。
押しつけず、急がせず、興味のある人だけがそっと入ってこられる入口。
見るだけでもいい。
無言フォローでもいい。
そんな距離感の交流が、今の時代にはむしろ心地いいのではないかと思っている。
ARグラスのようなものが普通になれば、また別の発信の仕方も出てくるのだろう。
でも、そこへ行く前の今だからこそ、あえて手で編んだQRコードを背負うローテク感が面白い。
便利さだけでは出せない、人の気配のようなものが、そこにはある気がする。
高齢になったら、恥ずかしく面白いことを探す。
この背中のQRコードは、そのモットーから生まれた。
そして私は、こういう少し照れくさい実験を、これからも続けていきたいと思っている。
硬直しないために。
衰退しないために。
そして何より、自分自身がまだ面白がれる人間でいたいからだ。


