「面白い」で選ぶ読書が、結局いちばん強い
『ぼくは古典を読み続ける』(出口治明 著)を読んで、いちばん腑に落ちたのは「古典を読む理由」が、教養のためというより“予測できない時代の備え”として語られていたことでした。世の中って、景気も技術も価値観も、こっちの都合を待ってくれません。だからこそ、目の前の流行やノウハウだけに頼るより、人間がずっと経験してきた「まさか」の連続を、長い時間の目で見直す。その材料として古典が効く――この感じが、すごく現実的でした。
冒頭の話も強烈で、「生命の歴史はすごく長い。その中で人間が偉いと思い込むのは危ないよね」という視点がいきなり来ます。地球にいる生き物は、同じDNAの仲間で、ミミズみたいに土の世界に完全適応している生き物も、クモの糸みたいに“細いのにめちゃくちゃ強い”仕組みも、すでに最高レベルに進化して今の形になっている。ここを読むと、「人間がピラミッドの頂点」みたいな感覚が、ふっと崩れます。世界は上下じゃなくて、横に広がったフラットな場所で、それぞれがそれぞれのやり方で“最適化して生きてる”んだな、と。
あと、出口さんの「本の選び方」が、私はかなり好きでした。よく「仕事に役立つ本を5冊教えて」とか言われますが、出口さんはそこにツッコミを入れますよね。5冊読んだくらいで仕事がうまくいくなら、人生そんな甘くないだろう、と。これ、私も同感です。本は“すぐ効く薬”じゃなくて、自分の考え方を広げたり、視点を増やしたりする道具です。だから「役に立つ」より「面白い」が先でいい。
そして実践方法がわかりやすい。時間がある時は書店で、本文の最初の10ページを読む。最初の10ページは著者が一番気合い入れて作るから、そこで「おっ」とならないなら、その先も厳しい可能性が高い。忙しい時は新聞の書評を頼る。書評を書く人は“打率が高い人”だから、そこから選ぶとハズレが少ない。最後は古典。これを「10ページ・書評・古典」って覚えておいて、と。私も普段、書評やレビューを見たりして選ぶので、このやり方はそのまま使えるなと思いました。
もう一つ、刺さったのが「人間の脳は進化しないけど、学問は進化する」という話です。遺伝子研究や脳科学が新発見でどんどん更新されるのはみんな納得するのに、なぜか歴史や宗教は“もう結論が出てるもの”みたいに思いがち。でも実際は、文章そのものは変わらなくても、解釈は変わる。聖書もそうだし、古典もそう。だから、子どもの頃に挫折した本でも、今読めば違うものになる。逆に同じ本でも、読む自分が変わったら感想も変わる。本は何回読んでもいい――この言葉に背中を押されました。源氏物語に挫折した話も、むしろ「あ、挫折してもいいんだ」って気がラクになります。
さらに、人間の無意識の話も面白かったです。脳は意識できる部分がせいぜい数パーセントで、残りは無意識がフル回転してる、という話。認知症で言葉が通じにくくても、丁寧に扱われているか、雑に扱われているかは伝わってしまう、というエピソードは胸に残りました。つまり人は、理屈より先に“空気”や“扱われ方”を受け取っている。古典や哲学が繰り返し言ってきた「人を人として扱う」って話が、机上じゃなく現場のリアルとして響いてくる感じでした。
結局この本が教えてくれるのは、予測できないことが起きる時代ほど、古典が効くということです。みんな昔から、戦争も災害も恐慌も病も、いろんな「まさか」を経験してきた。その経験が凝縮されて残っているのが古典。だからこそ、未来が読めないほど、古典を読むのが“いま自分たちができる最善策”になる。私はその考えに、かなりうなずきました。読むほどに、安心材料が増えるというより、「揺れた時に立ち戻れる軸」が少しずつ太くなる。そんな読書の仕方を、これからも続けていきたいと思います。

