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「食べること」から始まる、不動産の再定義 | 2026.01.06
「食べること」から始まる、不動産の再定義
「トーコーキッチンへようこそ!」池田峰 著を読んで。
この本は、派手な成功談や即効性のあるノウハウを語るものではない。
「小さな不動産屋が、入居者のために食堂をつくった」——その静かな事実の奥に、仕事とは何か、商いとは誰のためにあるのかという、根源的な問いが横たわっている。
読み進めるうちに、これは飲食や不動産の話ではなく、自分の仕事が、誰の暮らしのどんな場面に役立てるのかを、改めて問い直す一冊なのだと感じた。トーコーキッチンの対象は、学生に限らず、高齢者や女性、単身で暮らす人たち全体である。
ここで扱われている課題は、「一緒に食べると楽しい」といった情緒的な話だけではない。むしろ、食べるという本来とても大切な行為が、日々の生活の中で面倒になり、負担やバリアになってしまっている現実に、真正面から向き合っている点が印象的だった。献立を考え、買い物に行き、調理し、後片付けをする。
一人暮らしであればあるほど、食事は「楽しみ」よりも「作業」になりやすい。トーコーキッチンは、その生活上のハードルをそっと下げ、「きちんと食べる」ことを無理なく日常に戻そうとしている。
この視点こそが、結果として人と人を緩やかにつなぎ、場を生み出しているのだと感じた。印象的だったのは、カードキーによる利用者限定の仕組みだ。誰でも自由に入れるわけではないが、所有者と一緒なら友人も利用できる。この「少しだけ閉じている」状態が、特別感を生み、同時に興味や話題性を生む。
外からはノブが見えるのに鍵がかかっている。その違和感が「なんだろう?」という疑問を生み、それ自体が宣伝になっている点も非常に巧みだと感じた。また、年末年始の4日間を除き年中無休、朝8時から夜8時まで営業し、朝食100円、昼夜500円という価格設定にも驚かされた。普通であれば赤字になりかねないが、それでも続けている。その結果、空室率1.5%という、一般的な不動産業では考えられない数字を実現している。
管理業務を担うだけの会社でありながら、オーナーになりたい人が集まり、入居者・オーナー・運営側すべてが得をする、見事なウィン・ウィンの関係が成立している。この本で特に心に残った言葉がある。
「良い企画は脇が甘い」。ガチガチに決められた企画は面白くない。必要な剪定はするが、あえて抜け道を残す。偶然が入り込む余白、遊びのある構造が、人の創造性を引き出す。
その一方で、1%だけは譲らないルールを設ける。貸切はしない、イベント色を強めない。何のために、誰のためにやっているのか。その軸を決して手放さない姿勢が、この仕組みを支えているのだと感じた。これまで当たり前だと思っていた常識を一度疑い、流行りすたりとは別の価値をどうつくるか。
トーコーキッチンは、その問いに対して一度きりの答えを示して終わるのではなく、進化し続けることそのものを選び、新たな取り組みにも果敢に挑戦している。
時代の変化を前提とし、学び続け、形を変えながら本質を守る。その姿勢こそが、この取り組みを一過性の成功で終わらせていない理由なのだと思う。合理性や効率性を追求すれば、デジタル化は自然に進んでいく。しかし、人が集まり、関係が生まれる部分まで効率化してしまっては、本質を失ってしまう。
この本を読み終えたとき、自分自身もまた、変化を学び続ける側でありたいと強く感じた。
静かだが、深く効く。そして、読む者の仕事観を少しだけ更新してくれる。そんな一冊だった。
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AI時代の発想法:人と機械が生み出す新たな地平 | 2026.01.05
「AIを使って考えるための全技術」石井力重著 加藤昌治監修を読んで
この分厚い本を、なぜ正月前から手に取ったのか。理由はシンプルで、いまの時代に「AIを使って考える」ことが、経営者としての必須スキルになったと強く感じているからです。AIが話題だから触ってみる、という段階はもう終わっていて、これを抜きにして意思決定や企画、改善を続けるのは、正直かなり厳しくなる。そんな危機感と期待が、背中を押しました。
本書の肝は冒頭でズバッと示されます。「AIに考えてもらう」のではなく、「AIを使って考える」。ここを取り違えると、便利さに溺れて思考停止になりかねない。でも逆に、AIを“思考の道具”として使えば、人間の発想力は伸びる。私はこの一点で、読む価値が決まる本だと思いました。
印象深かったのは、人間の癖に関する指摘です。私たちはどうやら、他人が持ってきたアイデアの価値を低く見積もりがちで、人の話を十分に咀嚼する前に「自分の考え」を言いたくなる。ところがAIは“他人”ではありません。自分の分身のように扱える存在で、こちらが言語化した材料からアイデアを組み立て、磨き、増やしてくれる。つまり、AI経由で生まれたアイデアは「自分の思考の延長」なので、大事にできる。結果として、アイデア出しの量も質も、雪だるま式に大きくできる——この見立てが、とても腑に落ちました。
さらに本書は、「工夫」や「ブレイクスルー」は天才のひらめきだけではなく、パターンとして整理できると繰り返し示してくれます。世の中の課題の多く(体感としてはほとんど)が、何らかの解決策やヒントをすでに持っている。だからこそ、AIと一緒に「既存の知恵を探す」「組み合わせる」「条件を変えて試す」を高速で回していけば、挑戦の打率は上がる。私はこれを、今年の基本姿勢にしたいと思いました。
そして、未来に関する使い方も刺激的でした。未来予想をAIにさせたうえで、その未来で求められるアイデアや打ち手を聞く。これは、単なる占いではなく、複数の前提を置きながらシナリオを比較し、仮説を鍛える作業に近い。経営は「当てる」ことより、「備える」ことが重要です。AIは、その備えのための思考訓練相手になってくれる。ここに、AI活用の本当の強みがあると感じました。
読み終えて残ったのは、「AIで楽をする」ではなく、AIで考え抜くという手触りです。使うほどに、自分の問いの質が上がり、視野が広がり、挑戦が具体化していく。AIを“道具”として鍛えることは、同時に自分の思考を鍛えることでもある。そんな当たり前だけど決定的なことを、背筋が伸びる形で受け取りました。
今年は、AIを「便利な答え製造機」にせず、自分の分身=思考の相棒として、課題に果敢にぶつけていきます。小さく試し、早く学び、改善を積み上げる。その繰り返しの先に、「人と機械が生み出す新たな地平」が本当に見えてくる気がしています。

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「徳を意識しないという徳 ― 老子『道』の思想を生きる」 | 2025.12.26
入院中にあらためて向き合った老子という思想
──『哲学として読む老子』を読んで
老子については、これまでにも多くの解説書やnoteの記事を目にしてきました。
噛み砕いて説明してくれるものも多く、理解しやすいものがたくさんあります。
それでも今回、入院という「強制的に立ち止まる時間」の中で、あらためて腰を据えて読んでみようと思ったのが、この一冊でした。結果として、「読んでよかった」というよりも、
何度も読み返したくなる本に出会った という感覚が強く残っています。本書を貫くキーワードは「道(タオ)」
この本全体を貫いているのは、「道」という概念です。
それは宗教的な神でも、倫理的な規範でもなく、自然法則そのものとして語られます。老子が繰り返し用いる比喩が「水」です。
上善は水のごとし
水は無色透明だから、あらゆる色彩を映し出すことができる。
無形だからこそ、どんな形にもなれる。
無味無臭だから、全味全臭である。水はただ、自然法則にしたがって
流れ、よどみ、溜まっているだけです。
そこに意図も、努力も、自己主張もありません。同じ「水」でも、思想家によって見え方は違う
興味深いのは、水という同じ存在を前にしても、思想家ごとに捉え方がまったく違うことです。
孔子は川の流れの中に、不断かつ不可逆なあり方を見ました。
荘子は「流れる水は鏡にならないが、止まった水は鏡になる」と言い、
いわゆる「明鏡止水」という境地を語ります。そして老子は、水そのものの在り方を、
「道」そのものの象徴として捉えました。どれも納得できる。
見方や感じ方によって、世界はいくらでも違って見える のだと思わされます。自然法則をないがしろにすると、世の中は息苦しくなる
老子は、非常に大胆な警鐘を鳴らします。
大道廃れて、仁義あり
自然法則(道)がないがしろにされると、
それを補うために「仁義」や「道徳」といった
人為的な規範 が持ち出される。
その結果、世の中はかえって面倒で、息苦しくなるのだと。老子は、さらに過激な表現を使います。
道徳や知恵を捨てれば、人々の利益は百倍になる
仁愛や正義を捨てれば、人々は孝行や自愛の心を取り戻す
技巧や功利を捨てれば、盗人もいなくなる
欲望のハードルをあらかじめ低く抑えておけば、
人はもっと安らかに生きられる。
むやみにがんばることは、自分で自分を苦しめるだけだ。無理をせず、最小限で生きなさい。
老子はそう語りかけてきます。「上徳」と「下徳」という言葉に救われた
本書の中で、個人的に最も腑に落ちたのが
「上徳」と「下徳」という考え方でした。これまで私は、
「善い行いをしている人を見たときに、なぜか心がざわつく自分」を、
どこか 自分の心が歪んでいるのではないか と感じていました。老子の言葉は、その感覚を見事に言語化してくれました。
徳を意識せずに行われる行為が「上徳」
徳を意識して行われる行為は「下徳」
親切にしなければならない。
こんな良いことを自分はした。
ゴミも拾った、人も助けた。もしそれを「意識して」やっているのなら、
それは上徳ではなく、下徳なのだと。日本人の行動が海外から評価されることがあります。
海外の人が言う分には素直にうれしい。
しかし、それを自分たちで誇った瞬間に、
どこか恥ずかしさを感じてしまう理由が、ここで腑に落ちました。おのれの徳を意識しない。
だから、そこに徳がある。徳を失わないように意識するから、
かえって徳が失われていく。
この逆説は、強く胸に残りました。老子とカント、正反対の倫理観
対照的なのが、西洋哲学、とりわけカントの倫理観です。
カントは、
「ただ親切にしているだけの人間がいても、そこに倫理性はない」
と考えました。「親切にしなければならない」という規範意識があり、
そうすべきだと思って行動してこそ、倫理になる。老子とは真逆です。
老子:自然は無限で、人間の意識は有限
カント:自然は有限で、人間の理性は無限
どちらが正解という話ではありません。
ただ私は、東洋人のDNAを持つ人間として、
老子の考え方のほうが圧倒的に腹落ちしました。最もやわらかいものが、最もかたいものを動かす
老子の思想は、現代にも驚くほど通じます。
この世で最もやわらかいものが、
最もかたいものを操っている老子の時代であれば、
硬い石の隙間に水が入り込み、やがて石を動かすという比喩でしょう。現代で言えば、形のない情報やIT が、
ハードウェアや人間の身体、さらには
私たちの判断や行動そのものを動かしている世界です。筆者は最後にこうまとめます。
世の中で最もやわらかいもの:自然法則
最もかたいもの:現実世界
そして、その自然法則こそが、
現実世界を静かに、しかし確実に操っているのだと。赤ちゃんの「弱さ」という強さ
もう一つ印象に残った比喩が、赤ちゃんです。
私にも可愛い孫がいますが、本当に学ぶことが多い。徳を備えたものとは、赤ちゃんのような存在だと老子は言います。
無防備で、か弱い。
だからこそ、大人は必死に守ろうとする。赤ちゃんの強さは、まさにその弱さにある。
政治や戦いの話が続いても、
一本通っているキーワードはやはり
自然法則にしたがうこと でした。古典を読む楽しさとは何か
この本を読み終えて感じたのは、
人間の哲学的思考は、今も昔もそれほど進化していないのではないか、ということです。むしろ現代のほうが、
情報の波に飲み込まれ、
自分で高い壁を作り、
どこか退化している部分もあるのではないかとさえ思えてきます。だからこそ、古典を読む意味がある。
そしてこの本は、
何度も読み返し、そのたびに自分なりの解釈を試したくなる一冊 でした。まとめ
自然法則にしたがうとは、
何か特別なことをすることではありません。意識しすぎず、がんばりすぎず、
ただ「在る」こと。次に読み返すとき、
自分はどんな水の流れを見つけるのだろうか。
そんな余韻を残してくれる読書でした。
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私の「現実」は脳の作品だった― | 2025.12.25
『ぜんぶ無意識のせい。』(シンプリィライフ著)で自由の定義がひっくり返った
この本を読み終えて、最初に出てきた感想は「いま目の前にある世界の手触りが、少し信用できなくなった」でした。シンプリィライフ著『ぜんぶ無意識のせい。』は、私たちが当たり前に頼っている“現実感”の土台を、静かに、でも確実に揺らしてきます。
冒頭で示されるのは、私たちが知覚している世界は外界をそのまま写したものではなく、脳が受け取った電気信号を材料に組み立てた解釈だ、という見方です。たとえば停車中に隣の車が動くと自分が動いたように感じる錯覚。これは視覚が「事実の提示」ではなく「状況の推定」でもあることを端的に教えてくれます。地球が高速で移動しているのに実感がないのも同様で、私たちは“世界そのもの”ではなく“脳が生成した世界のモデル”を生きている。そう腑に落ちた瞬間、同じ出来事を見ても人によって受け取り方が違うことが、単なる性格差ではなく「世界の立ち上がり方の差」なのだと思えてきました。
読んでいて特に良かったのは、「心」という曖昧な対象を、できるだけ構造として捉え直そうとする姿勢です。私たちはよく「AIには心がない」と言いますが、そもそも心の定義は揺れている。本書はそこをごまかさず、ユングの枠組み(自我と自己)に触れながら、心が単層ではないことを分かりやすく示します。玉ねぎのように層をなす心――外側に知性があり、その内側に感性や本能、さらに深い領域がある、という説明は、私にとってかなり実感的でした。私たちはつい言語化できる部分(知性)だけで自分や他人を判断しがちですが、意思決定の最後の一押しは、本能や感性の“納得”が握っている。理屈を積み上げても、最終的に「こっちだ」と感じる方へ行ってしまうことがあるのは、そのせいなのかもしれません。
さらに、脳を三層で捉える整理(身体を守る領域/感情の領域/思考の領域)は、日常の自分を観察するレンズとして役に立ちました。思考は一番上の階にいるようでいて、下の階――感情や身体の反応――に普通に引っ張られる。ここまで読んでくると、「私は自由意思で選択している」という確信が、思ったより脆いものに見えてきます。本書が提示する核心は、むしろそこからで、意思を絶対視するのではなく「意思は幻想かもしれない」と理解することが、逆に自由への入口になる、という提案でした。意思が幻想だと言われると絶望的に聞こえますが、私はむしろ救われました。自分を責める前に、無意識がどんな脚本を書いているかを点検できるからです。
無意識の「人生脚本」という発想も印象深いところです。人は知らないうちに「自分はきっとこういう人生を送る」と筋書きを書き込み、その筋に沿う選択をしやすくなる。さらに、縁起やバタフライエフェクトを思わせるように、選択は環境や出会い、状況と強く結びついている。自分で選んだと思っていることが、実は“縁”に押し出された結果だった――そう捉えると、過去の出来事の見え方も変わってきます。
記憶の章も納得感がありました。過去の記憶は「事実の保管庫」ではなく、思い出すたびに編集される。私自身、良い記憶は濃くなり、悪い記憶は薄まっていく(あるいは別の形で尖って残る)感覚があります。過去を固定だと思い込むほど、いまの選択肢が狭くなるのかもしれません。時間についての示唆――私たちが“今”と呼ぶものは、すでに起きた出来事を今起きていると解釈しているにすぎないかもしれない――も、単なる奇抜さではなく、「現実=解釈」という主題の延長として読めました。
そして最後に、実践として提示される直観力を高める習慣(遊び心/アートと自然/利他/フロー/ジャーナリング)が、観念を日常へ戻してくれます。とくにジャーナリングは、無意識の脚本を“見える場所に持ち出す”行為だと思いました。頭の中にある限り脚本は脚本のままですが、書けば検討できる。編集もできる。
読み終えて残ったのは、「現実は脳の作品である」という少し怖い結論と同時に、「作品の作り方は更新できる」という静かな希望でした。自由とは、何でも思い通りにする力ではなく、自分を動かしているものを見誤らない力なのかもしれません。では、いまの私の“現実”を形作っている無意識の脚本は、どんな一文から始まっているのでしょう。あなたなら、最初にどの一行を書き換えますか。

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今日、何をアップデートする? | 2025.12.24
「ゲームチェンジ」大前研一|“答えのない時代”をどう生きるか
最近読んだ、大前研一さんの『ゲームチェンジ』。
まさにタイトル通り、現代は“新しい局面”に入ったんだと実感させられる一冊でした。世界は今「無極化」の時代
特に印象に残ったのが、「世界は“多極化”ではなく、“無極化”の時代に突入した」という言葉。
今やどの国のリーダーも「自国ファースト」の姿勢が目立ちます。正直なところ、僕自身も「自分の国を第一に考えてくれる」リーダーには魅力を感じることがあります。
特に混沌とした時代には、“強いリーダー”が頼もしく見えるものです。ただ、過去の日本を振り返ってみると、内閣支持率が高いときに「世の中が良くなった」と実感したことは、正直あまりありません。
むしろ支持率が低いときの方が、さまざまな意見がブレーキとなって、結果的にうまくいったケースもあるように思います。
だから僕は、「支持率」というより「期待率」と表現する方が、政治を見つめるうえで本質を捉えているんじゃないかと考えています。観光立国という視点に納得
そしてもう一つ共感したのが、日本にとって「観光」がいかに重要かという話。
2024年には、訪日外国人の国別ランキングで韓国が1位になったそうです。メディアではマナーの話題ばかりが取り上げられがちですが、実際には近隣諸国からの観光客が多く来てくれていることに驚きました。
僕自身、「日本のマナーを理解してから来てよ」と言いたくなることもありますが、そもそも“おもてなし”ってこちらが相手の文化をどれだけ理解しているかにも関わってくるんじゃないかと感じました。たとえば僕が旅先で、その土地の人に「○○から来てくれたんですね」「○○って、あの○○が有名ですよね」なんて声をかけられると、一気に心がほぐれて、その町の印象がすごく良くなるんです。
こうした温かいコミュニケーションが、また訪れたいと思わせてくれるんですよね。佐渡島の例に驚き
わが県の佐渡島も、本の中で紹介されていました。
これまでに5〜6回しか訪れたことはありませんが、同じ県民としてその魅力は十分感じています。
ただ、やはり交通の便がネック。大前さんは「寺泊〜赤泊に橋をかければいい」という、大胆な発想を提案していて驚きました。
直線距離で40km、中国や香港では同程度の橋がすでに実現しているそうです。観光は、その土地に人が来ない限り成り立ちません。
モノづくりと違って移転できない産業だからこそ、地域活性の柱としてもっと注目されるべきだと強く思いました。教育の話が一番刺さった
そして最後に、大前さんが「日本が衰退している最大の理由は教育にある」と語っていた点には、深く共感しました。
特に「知識の詰め込み」や「暗記中心」の学習指導要領が、いまだに変わらず続いているという現状。
これが原因で、社会に出てから“勉強嫌いな人”を量産している。
これは僕自身の実感でもあります。最近は「リスキリング」や「リスニング」など、大人になってからの学び直しが話題になっていますが、そもそも“学ぶことって楽しいこと”のはず。
ワクワクするために、知識を深めたり、現地に足を運んで歴史を体感したりする。
そんな「探究する姿勢」こそ、これからの教育に求められるものじゃないでしょうか。まとめ:変わることを恐れず、学び続ける
この本を読んで、「変化することを恐れず、柔軟に学び続ける姿勢」がいかに大切かを改めて実感しました。
世界も日本も、そして自分自身も、常に“ゲームチェンジ”の只中にいる。これからも日々、考え続け、学び続け、時代の波を自分なりに乗りこなしていきたいと思います。
🔸あなたは、この“答えのない時代”をどう生き抜いていきますか?

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老害を笑うつもりで、少し自分を見てしまった! | 2025.12.23
『老害の人』を読んで
――老害は他人事なのか、それとも未来の自分なのか
この本を手に取った理由は、実に率直なものだった。
自分はもう、誰が見ても「老人」と言われる年代にいる。そして同時に、「老害」と呼ばれる側にいてもおかしくない年齢でもある。だからこそ、どんな態度や振る舞いが老害と受け取られるのかを、きちんと知っておきたいと思った。本当は、もっと他人事として、少し距離を置きながら面白可笑しく読めると思っていた。
しかし実際に描かれている人物たちは、私より10歳以上年上の世代が中心で、生活環境や立場も少し違っていた。
そのため、共感しきれない部分もあり、結果として「やはり他人事」として読んでしまったところが正直な感想だ。それでも、私の趣味である写真の会の仲間は同世代が多く、「これは確かにあるな」と思える場面も少なくなかった。
五人の主人公たちの思考や行動は、それぞれが生きてきた時代や環境を色濃く反映しており、良くも悪くも「そうなってしまうのは仕方がない」と感じる部分がある。同時に、これからの自分の姿を重ねて考えると、多くの気づきを与えてくれた。ちょうど本を読んだ時期に、私自身も入院治療を経験した。
肉体の弱さを知ると、心まで引きずられるように弱くなる。その感覚を身をもって知った今、登場人物たちの不安や執着が、以前よりも現実味をもって迫ってきた。戸田福太郎が会社の会長となり、毎日会社に通って自分の居場所を確保しようとする姿は、決して特別な話ではない。
「最後まで何らかの形で社会と関わり、役に立っていたい」という思いは、私自身にも十分あり得るものだと感じた。だからこそ、今からでも学び続ける姿勢を忘れないでいたいと思えた。吉田夫婦の趣味の押し売り――見てほしい、わかってほしいという欲求の表れにも、強く頷かされた。
今はSNSという発表の場がいくらでもある時代だ。使い方次第では、SNSは高齢者の承認欲求や孤立感を救う手段にもなり得るのではないかと思う。春子の死にたがりや無気力な状態は、決して高齢者だけの問題ではない。
人は誰でも、物事がうまくいかなくなると、自分で自分を追い込み、投げやりになってしまう。年齢を問わず起こり得る心の動きだ。それでも春子が毎回食事を完食している描写に、体はちゃんと生きようとしているという、静かな力強さを感じた。村井サキのクレーマー的な行動には、「こういう人、確かにいる」と思わず苦笑した。
そして、こういう人ほど自分を老害だとは思っていない。その点が一番難しいのだろう。
多くの役職や立場を終えても、「自分が言ってやらなければ」「指導しなければ」という思考が抜けない姿は、どこか自分自身の鏡のようにも感じられ、静かに反省させられた。ここまで読んできて、最後に一つ強く思ったことがある。
誰でも毎年一歳ずつ年を重ねていく。もし年を重ねること自体が老害なのだとしたら、老害は一歳から始まっていることになる。
しかし、年齢を重ねただけで、誰かの害になる人間になるわけではない。人はどうしても、物事をわかりやすくするためにラベルを貼りたがる生き物だ。
「老害」という言葉を使うことで、自分をその外側に置き、安心しようとしてはいないだろうか。
この本を読み終えた今、老害を他人事として切り分けること自体が、少し違うのではないかと感じている。大切なのは年齢ではなく、今の自分をどう見つめ、どう振る舞うか。
その問いを、静かに、しかし確かに突きつけてくる一冊だった。
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