「空海とアインシュタイン」――宗教と科学が交差するとき、世界はどう見えるのか?
空海とアインシュタインが交差する場所で
――宗教と科学の“干渉パターン”をたどる読書体験
「宗教」と「科学」って、まったく別の世界にあると思っていました。
でも、最近いろんな本を読んでいる中で、実はそれらが意外なところでつながっていたり、干渉しあっているという感覚が、少しずつ“腹落ち”してきたんです。
そんな中で出会ったのが、広瀬立成さんの『空海とアインシュタイン』。
タイトルを見たとき、「えっ?空海とアインシュタイン?」って思わず二度見してしまいました。千年以上も時代が違うふたりが、どう交わるのか。そのギャップに惹かれて手に取りました。
東寺の曼荼羅に衝撃を受けたアインシュタイン
本の中で特に印象に残ったのは、アインシュタインが日本に滞在していたとき、東寺の立体曼荼羅を見て大きな衝撃を受けた、というエピソード。
彼が理論物理の世界から見ていた“宇宙”と、空海が曼荼羅に託した“世界”とが、どこかで重なった瞬間だったのかもしれません。
アインシュタインは「物理法則は絶対的なものではない」とし、ニュートン力学の常識を覆す相対性理論を打ち立てました。
光の普遍性、重力による光の曲がり……目に見えないものを想像する力と、それを証明しようとする探究心は、ある種の“信仰”にも似ている気がします。
左脳と右脳、理性と感性の共鳴
本書では、空海とアインシュタインを「左脳と右脳のバランスに優れた人物」として捉えています。
アインシュタインは数式に強い“理系の頭”を持ちながらも、バイオリンを愛し、直感やイメージからアイデアを得ていたそう。空海もまた、仏教哲学だけでなく詩や書、絵など芸術的な感性に富んでいた人物でした。
宗教と科学、感性と理性をそれぞれの「対立するもの」として見るのではなく、互いに交差して生まれる“干渉パターン”にこそ、真理があるのではないか――著者はそんな視点を私たちに示してくれます。
「縁起」と「因果律」――未来をつくる思考
空海の教えの中にある「縁起」という言葉。
すべてのものは、それ単体で存在するのではなく、必ず何らかの関係性(=縁)によって生じているという仏教の考え方です。
一方、科学の世界では「因果関係」として、原因があって結果があるという仕組みを説明します。
このふたつは表現の仕方は違えど、どちらも“今の行為が未来に影響する”という点で本質的に通じている。
アインシュタインも、この「縁起」という思想にふれて、深く感銘を受けたそうです。
精神性をどう活かしていくか
アインシュタインは、日本滞在中にこんな言葉を残しました。
「西洋の知的業績を賞賛しつつも、日本人にはそれ以上の価値観を持ち続けてほしい」
それはきっと、日本人がもともと持っている精神性や宗教観の深さを指していたのだと思います。
合理主義が進む現代においても、目に見えないものを大切にする姿勢は、地球環境や社会の在り方を見直す上で、これからますます大切になっていく気がしています。
自然との戦争をやめるために
この本を読みながら、「人間は自然に対してずっと戦争を仕掛けてきたのではないか」とも思いました。
便利さや支配を追求するあまり、自然の摂理を無視し、気候変動や災害という“反撃”を受けるようになっているのではと。
科学がどれだけ発展しても、私たちは自然の一部であることを忘れてはいけない。
宗教が伝えてきた「謙虚であること」や「つながりを感じること」が、これからの時代により必要とされているのかもしれません。
最後に:未来は、今ここからつくられる
この本の最後にあった一文が、強く印象に残りました。
「未来世代は現世代の責任を追及できない」
これは、つまり“今”を生きる私たちの責任がいかに大きいか、ということ。
未来は突然やってくるものではなく、私たちの現在の選択が積み重なってできていく。
宗教と科学という異なるアプローチを通して、そうした視点を持つことの大切さを改めて感じました。
この本は、探求心を刺激されたい人、価値観を広げたい人にこそおすすめです。
「自分の信じている世界だけがすべてじゃない」と気づいたとき、きっと新しい視界が開けてくるはずです。

