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ブログ

  • いま、目覚めゆくあなたへ | 2026.04.13

    「自分」を生きるとは何かを問い直す読書

    マイケル・A・シンガー著『いま、目覚めゆくあなたへ』を読みながら、私は何度も「自分とは何だろう」と立ち止まりました。

    自分と言っても、いつも同じではありません。
    機嫌のいい日もあれば、心がざわつく日もある。弱気になる日もあれば、不思議に前向きになれる日もある。では、そのどれが本当の自分なのか。私は年齢を重ねてきた今でも、その問いにすぐ答えることはできません。

    けれど、この本はその問いから逃げずに、自分の内側を見つめてみなさいと静かに促してくる一冊でした。
    外の世界をどう生きるかではなく、その外の世界を受け止めている「内側」がどうなっているか。そこに目を向けることの大切さを、あらためて考えさせられました。

    心の中にも、確かにエネルギーがある

    この本で特に印象に残ったのは、人は内側にエネルギーを持って生きている、という考え方でした。

    身体が疲れることはよく分かります。けれど心が疲れていることには、案外鈍いものです。何となく気力が湧かない日、感情だけがすり減っていく日、あります。そんなときは食べて休んでも、すぐには回復しないことがある。逆に、何かに感動したとき、人に励まされたとき、あるいは夢中になれるものに出会ったとき、人は驚くほど力が湧いてきます。

    私はこの感覚にとても共感しました。
    仕事でも、読書でも、写真でもそうです。ただ義務感だけで動いていると、心はだんだん細っていく。けれど「これは面白い」「もう少し知りたい」「この瞬間を残したい」と思えたとき、人はまた動き出せる。

    生きる力というのは、単なる体力だけではない。
    むしろ、人を前へ進ませるものは、心の奥から湧いてくる見えない力なのだと感じました。私たちは外側のエネルギーには敏感でも、自分の内側で何が詰まり、何が流れているのかには無頓着なのかもしれません。

    人は、自分を守るために壁をつくる

    この本には、人は自分を守るために心の壁をつくる、とあります。

    これもまた、よく分かる気がしました。
    傷つきたくない。失敗したくない。否定されたくない。そう思ううちに、人は少しずつ自分の中に囲いをつくっていく。過去の経験や思い込みを積み上げて、「ここから出なければ安全だ」と思ってしまう。

    けれど、その壁は自分を守る一方で、光まで遮ってしまう。
    この表現は、とても深く胸に残りました。人は年齢を重ねると経験が増える分、守りも強くなります。経営でも人生でも、知らず知らずのうちに「こうあるべき」に縛られてしまうことがある。ですが本当は、そこを少し開いて風を通さないと、新しい景色は見えてこないのだと思います。

    私は日々、時代の変化の速さに驚かされます。AIもそうですし、働き方も、人の価値観も大きく変わってきました。そんな時代だからこそ、自分の内側まで固く閉ざしてしまったら、ますます苦しくなる。少しでも心を開いて、流れを受け取ることが大切なのだと感じました。

    死を見つめることが、今日を生きる力になる

    この本では、死を遠ざけずに見つめることの大切さも語られています。

    この部分は、私には特に重く、そして深く響きました。
    身近な人の死に触れると、人はどうしても立ち止まります。そして、その人の不在を通して、自分が今ここに生きていることの意味を考え直すことになります。

    昨年、私自身もそうした経験をしました。
    そのときに感じたのは、死はただ悲しいだけの出来事ではなく、「あなたはどう生きるのか」と問い返してくるものでもある、ということでした。

    明日が必ず来るとは限らない。
    だから今日を雑に生きてはいけない。
    会いたい人には会い、伝えたいことは伝え、やりたいことは少しでも前に進める。

    当たり前のようでいて、実はなかなかできないことです。だからこそ、この本は「今」を生きることの大切さを、静かに教えてくれた気がします。

    この本を読み終えて感じたのは、「本当の自分を見つける」というより、「自分の中で眠っているものを目覚めさせる」読書だったということです。

    すぐに答えが出る本ではありません。
    けれど、読んだあとに自分の内側に問いが残る。その問いが、日々の見え方を少しずつ変えていく。そんな本でした。

    忙しく生きていると見失いがちな「内なる感覚」を、そっと取り戻させてくれる一冊。
    いまの自分をもう一度見つめたい人に、静かに手渡したい本です。

  • アンパンマンは、なぜ日本人の心に深く届くのか | 2026.04.08

    『アンパンマンと日本人』柳瀬博一 著を読んで

    アンパンマンは、子どもに人気のキャラクター。
    その程度の認識でこの本を読み始めました。けれど読み進めるうちに、アンパンマンは単なるヒーローではなく、日本人の心の深いところに触れる存在として生まれてきたのだと感じました。

    私も孫を見ていて実感します。少しぐずっていても、アンパンマンが出てくると表情が変わる。あの力は何なのだろうと前から不思議でした。この本を読んで、その理由が少しわかった気がします。

    アンパンマンには、いわゆる派手な強さがありません。悪を徹底的に倒すわけでもない。むしろ、自分の顔をちぎって、お腹をすかせた人に与える。かっこいいというより、どこか不格好です。でも、その“不格好さ”こそが、ほかのヒーローにはない大きな魅力なのだと思いました。

    柳瀬さんは、幼い頃から身近な人の死をいくつも経験し、さらに戦争という時代を生きました。その中で痛感したのが、「正義は簡単にひっくり返る」ということだったのでしょう。昨日まで正しいとされたものが、今日はそうではなくなる。そんな時代を見たからこそ、逆転しない正義とは何かを考え抜いた。その答えが、「目の前で困っている人を助けること」だったのだと思います。

    アンパンマンの正義は、とても静かです。
    大げさな理想ではなく、空腹の人に食べ物を差し出すこと。見返りを求めず、ただ助けること。これは理屈ではなく、人間のもっと根っこのところにある感覚なのではないでしょうか。

    この本を読んで、アンパンマンはアメリカ的なスーパーヒーローとは正反対のところから生まれた存在なのだと感じました。力でねじ伏せるのではなく、弱さを引き受けながら人を助ける。そこに、日本人が長く大切にしてきた感覚が宿っているように思います。

    しかも、それを赤ちゃんや幼児がちゃんと感じ取っている。言葉では説明できなくても、子どもたちは本能的にわかるのでしょう。だからアンパンマンは、世代を超えて支持されるのだと思います。頭で理解する前に、心が反応しているのです。

    私はこの本を読んで、アンパンマンとは「利他性」をもっともわかりやすく形にした存在なのだと感じました。
    人を助けること。亡くなった人を悲しみながらも、生きている人に手を差し伸べること。そうした人間の根本にある願いが、アンパンマンというキャラクターに結実している。だからこそ、あれほど長く愛されるのでしょう。

    アンパンマンは、決して強さだけの象徴ではありません。
    むしろ、傷つきながらも誰かのために差し出せるやさしさの象徴です。

    この本を読んで、私はあらためて思いました。
    本当に強い人とは、勝つ人ではなく、困っている人に自分の一部を差し出せる人なのかもしれません。アンパンマンが日本人の心に深く根づいている理由は、そこにあるのだと思います。

  • 「人は変えられない。だからこそ、自分の立ち位置を見直したい」 | 2026.04.07

    —『劣等感と人間関係 アドラー心理学を語る』野田俊作 著を読んで—

    人間関係の悩みは、年齢を重ねてもなくならない。
    むしろ、仕事でも家庭でも地域でも、関わる人が増えるほど、難しさは深くなるように思う。

    『劣等感と人間関係 アドラー心理学を語る』を読んで、あらためて感じたのは、悩みの原因を外に探しすぎると、自分が本当にやるべきことから遠ざかってしまう、ということだった。

    「あの人が悪い」「自分はかわいそうだ」と考え始めると、話はどんどん過去へ、あるいは周囲へ広がっていく。
    けれど本当に考えるべきことは、もっとシンプルなのだろう。
    “私にできることは何か”。
    この問いに立ち返ることが、アドラー心理学の大事な出発点なのだと感じた。

    健康な心は、まず自分を受け入れることから

    この本で特に印象に残ったのは、健康なパーソナリティの条件として「自己受容」が語られていたことだ。

    自分に足りないところや弱さがある。
    それでも、まず自分を受け入れる。
    ここが出発点になる。

    私たちはつい、もっと立派になってから、もっと評価されてから、自分に価値があると思いたくなる。
    けれど、それではいつまでも苦しい。
    他人からの承認や条件つきの愛情を求めている限り、心は安定しないのだと思う。

    さらに心に残ったのは、
    「まず自分が幸福になること」
    という考え方だった。

    家族のため、社員のため、周囲のため。
    もちろんそれは大事だ。
    しかし、自分自身が不幸のままでは、その空気を周りに広げてしまうこともある。
    自分がまず落ち着き、満たされ、穏やかであること。
    それが結果として、いちばん身近な人を支えることにつながる。
    この考え方は、きれいごとではなく、とても現実的だと感じた。

    人間関係を壊すのは「縦」の意識かもしれない

    本書では、怒りや正義感が人間関係を「縦」にしてしまう、という話が出てくる。
    これはとても考えさせられた。

    怒るとき、人は無意識に自分を上に置き、相手を下に置いている。
    正しさを振りかざすときも、同じことが起きやすい。
    すると関係は壊れやすくなる。

    逆に、よい関係とは「横の関係」であるという。
    大人も子どもも、夫婦も、職場の仲間も、役割は違っても人としては平等。
    ここを取り違えると、関係はぎくしゃくし始める。

    私は経営に関わる立場として、この感覚はとても大切だと思った。
    立場上、判断したり指示したりする場面はある。
    けれど、役割の違いと人間としての価値の違いを混同してしまうと、組織の空気は一気に悪くなる。
    平等とは「同じ」ではない。
    能力も経験も役割も違う。
    それでも、人としての値打ちは平等である。
    この視点を持ち続けるのは、簡単なようで難しい。

    「信用」より「信頼」、「干渉」より「協力」

    この本では、アドラー的な人間関係の考え方がいくつも対比で語られていた。
    その中でも特に印象に残ったのは、
    信用ではなく信頼
    干渉ではなく協力
    という考え方だ。

    信用は、相手の行動や実績を見て判断するもの。
    一方で信頼は、もっと根本的に、その人の背後にある善意や可能性を見る姿勢なのだと思う。

    また、協力とは、頼まれない限り相手の人生に過度に踏み込まないことでもある。
    よかれと思って口を出しすぎることは、実は協力ではなく干渉になっていることがある。
    これは親子でも夫婦でも、職場でも本当によくある話だと思う。

    つい「相手のために」と思って手を出したくなる。
    でもそこで一歩引き、相手の課題を相手のものとして尊重すること。
    この距離感こそが、成熟した関係をつくるのかもしれない。

    不完全な人間同士が、どう付き合うか

    この本を読みながら、結局、人間関係に特効薬はないのだと思った。
    ただし、持つべき姿勢はある。

    全部の人に好かれようとしないこと。
    自分の価値観を絶対だと思わないこと。
    感情で押し切らず、冷静に話し合うこと。
    そして、自分は変えられても他人は変えられないと知ること。

    どれも当たり前のようで、実際にはとても難しい。
    だからこそ、何度でも立ち返る価値がある。

    人間は不完全だ。
    自分もそうだし、相手もそうだ。
    その前提に立ったうえで、それでもどう付き合っていくか。
    そこに人間関係の本当の課題があるのだと思う。

    劣等感をなくして完璧になることがゴールではない。
    劣等感を抱えたままでも、他人と比べすぎず、自分の立ち位置を見つめ直し、より健康な関係を築こうとすること。
    この本は、そのための静かで実践的なヒントをたくさん与えてくれた。

    私自身も、つい相手を変えたくなる時がある。
    正しさを振りかざしたくなる時もある。
    けれどそんな時こそ、まず問うべきなのだろう。

    いま、自分にできることは何か。

    人間関係を少し良くする入口は、いつもそこから始まるのだと思う。

  • あたまを退化させない人がやっていること | 2026.04.03

    西剛志著『80歳でも脳が老化しない人がやっていること』を読んで

    老化は避けられなくても、脳の老け方は変えられる

    最近、物忘れが増えたとか、集中力が続かなくなったとか、前より新しいことが少し面倒になったとか、そんな小さな変化を感じることがあります。
    年齢を重ねれば自然なことだと頭ではわかっていても、やはり少し気になる。だから私はこの本の題名に引かれました。

    老化そのものは止められない。
    でも、脳の老け方は変えられるのではないか。
    もしそうなら、今のうちに知っておきたい。そんな思いで読み始めた一冊です。

    この本を読んでまず感じたのは、「ああ、やっぱりそうなんだな」という妙に腑に落ちる感覚でした。
    本の中で何度も出てくるのが、「スーパーエイジャー」という存在です。
    年齢を重ねても、元気で、前向きで、どこか若々しい人。
    私のまわりにも、確かにそういう人がいます。
    そしてそういう人たちは、特別な才能があるというより、日々の過ごし方が違う。
    この本は、その違いを脳科学の視点からやさしく教えてくれます。

    印象に残ったのは、脳の老化は高齢になってから急に始まるのではなく、ずっと前から少しずつ進んでいる、ということでした。
    そしてその進み方は、生活習慣や考え方、言葉の使い方で変わる。
    ここが、とても希望の持てるところでした。

    趣味もデジタルも、脳に風を通してくれる

    私は昔から、本を読んだり、写真を撮ったり、新しいものに触れたりすることが好きです。
    旅行も好きですし、ITやAIにも興味があります。
    それは単に「面白いからやっている」つもりでしたが、この本を読んで、それらが脳にとっても良い刺激になっているのだとあらためて感じました。

    とくに共感したのは、趣味が多い人は認知症になりにくいという話です。
    趣味は人生を豊かにするだけでなく、脳の働きまで支えてくれる。
    そう考えると、好きなことを持つというのは、老後の暇つぶしではなく、生きる力そのものなのだと思いました。
    私は従業員にも「趣味を持ったほうがいい」と言いたくなることがありますが、それは気分の問題ではなく、人生の質に関わる話なのだと感じます。

    また、65歳を過ぎたらむしろデジタルを使ったほうがいい、という話にも深く頷きました。
    私は前から、高齢者ほどSNSやデジタルに触れたほうがいいと思っていました。
    新しいことを覚える。誰かとつながる。自分の思いを外に出す。
    それだけでも、脳には十分な刺激になる。
    今は難しい操作をたくさん覚えなくても使える道具が増えています。
    少しの注意を持ちながら、楽しむために使う。
    その姿勢は、これからますます大事になる気がします。

    昼寝をすること、音楽を聴くこと、旅行の予定を立てること、人と会話すること。
    そういう何気ないことの一つ一つが、脳を守る行動になる。
    大げさなことではなく、日常の中に小さな刺激や喜びを持ち続けることが大切なのだと、この本は教えてくれました。

    人を老けさせるのは、年齢よりも言葉と思い込みかもしれない

    この本を読んでいて、いちばん耳が痛かったのは「言葉」の話でした。
    脳にとって良くない言葉として、
    「疲れた」「もう年だから」「無理だ」「面倒くさい」「できない」
    そんな言葉が挙げられていました。

    たしかに、人は自分の言葉に引っぱられるものだと思います。
    「もう年だから」と口にするたびに、本当にその方向へ進んでいく。
    逆に、「疲れた、でも今日はよくやった」と言い換えるだけで、脳の受け取り方が変わる。
    この“でも”をつけるだけでいい、という話はとても印象に残りました。

    私は日ごろから、言葉は大事だと思っています。
    仕事でも、家庭でも、発信でも、言葉ひとつで空気は変わる。
    そしてその言葉は、相手だけでなく、自分の脳にも返ってくる。
    だからこそ、歳を重ねるほど、自分が何を口にしているかには気をつけたいと思いました。

    さらに、この本は「頑固さ」についても触れています。
    歳を取ると頑固になる人と、柔らかいままでいられる人の違いは何か。
    それは、自分の考えだけを正しいと思うかどうか。
    この話も、経営をしている者としてとても考えさせられました。

    人は経験を積むほど、自分のやり方や価値観に自信を持ちます。
    それ自体は悪いことではありません。
    でも、その自信が強くなりすぎると、違う考え方を受け入れにくくなる。
    すると脳も硬くなる。
    これは年齢の問題というより、生き方の問題なのだと思いました。

    この本を読んであらためて感じたのは、
    脳を若く保つとは、結局、今日を面白がる力を失わないことなのかもしれない
    ということです。

    大きな目標を掲げることも大事ですが、年齢を重ねるほど必要なのは、日常の中に小さな楽しみを埋め込むことなのだと思います。
    「今を楽しむことに貪欲である」
    この本に流れていたメッセージは、まさにそこにあったように感じます。

    人は誰でも歳を取ります。
    でも、歳を取ることと、心や脳まで古びることは、同じではない。
    老化を嘆くより、少しでも面白く、少しでも柔らかく、少しでも前向きに生きる。
    その積み重ねが、人生の後半をずいぶん違うものにしていくのだと思います。

    この本は、脳の老化を怖がるための本ではありませんでした。
    むしろ、これから先の時間をどう生きるかを、静かに励ましてくれる本でした。
    私自身、これからも好奇心を失わず、本を読み、写真を撮り、新しい道具にも触れながら、脳にも心にも風を通していきたいと思います。

  • 人は、うまく話すことより、どう生きるかがにじみ出る | 2026.04.02

    喜多川泰著『おあとがよろしいようで』を読んで

    久しぶりに喜多川泰さんの本を読みました。最近は小説を読む機会が少し減っていましたが、この本は前から気になっていて、ようやく手に取ることができました。

    読み始めてすぐに感じたのは、やはり喜多川さん独特の、読む人の心をあたためる力です。派手な言葉ではないのに、読み進めるうちにじんわりと心がほぐれていく。そんな感覚がありました。

    今回の物語は、大学生の暖平が落語研究会に入るところから始まります。私は落語にそれほど詳しいわけではありません。けれど、落語が持っている独特のおかしみや、人の心を引き込む力は、なんとなくわかるつもりでいました。だからこそ、この小説の世界にも自然に入っていけたのだと思います。

    同じ演目でも、人が違えばまったく別のものになる

    この本を読んでいて面白かったのは、同じ演目でも、演じる人によってまったく違うものになるということでした。技術だけではない。その人の経験、その人の思い、その人の人間らしさがにじみ出て、ひとつの作品が変わっていく。

    これは落語の世界だけの話ではないのだと思います。私たちの話し方もそうですし、仕事もそうです。同じ商品を扱っていても、同じような説明をしていても、最後に伝わるものは「その人がどう生きてきたか」なのではないか。そんなことを思いました。

    作中に出てくる先輩の碧さんの落語への向き合い方も、とても人間味があって印象的でした。きれいごとではないし、どこか不器用でもある。けれど、だからこそリアルで、そこに惹かれました。人が何かに本気で向き合う姿は、それだけで物語になるのだと感じます。

    緊張してうまくいかなかった自分まで思い出した

    この小説を読みながら、自分自身のこともいろいろ思い出しました。言葉がすらすら出るときもあれば、緊張してしまって、あとから「なんであんな話し方をしてしまったんだろう」と思うこともある。人生の中で、そういう場面は何度かありました。

    うまくやれたことより、むしろ、思うようにいかなかった場面のほうが、後になって自分の中に残っている気がします。でも、この本を読んでいると、そういう不格好な時間も無駄ではなかったと思えてくるのです。

    芸というのは、完成されたものを見せるだけではなく、その人の揺れや迷いや未熟さまでも含めて、人に伝わるものなのかもしれません。だからこそ、心を動かされる。落語という伝統芸能を扱いながら、この小説はとても今の時代にもつながっていると感じました。

    表現の時代だからこそ、最後は人間力なのだと思う

    今は、素人でも何かを発信できる時代です。文章も、写真も、動画も、音声も、少し前なら一部の人に限られていた表現が、誰でも手の届くものになりました。これは本当に面白い時代だと思います。

    けれど、だからこそ最後に問われるのは、人間力なのだとも感じます。どんな道具を使うかより、その人が何を感じ、どう考え、どう生きているか。それが表現の奥行きになっていくのだと思います。

    喜多川さんの小説を読むと、いつもそこに帰っていける気がします。人の弱さも、未熟さも、迷いも否定しない。そのうえで、人が前に進もうとする姿をやさしく照らしてくれる。だから私はこの人の本が好きなのだと、あらためて思いました。

    『おあとがよろしいようで』という題名も、とてもいい。落語の締めの言葉でありながら、どこか人生そのものにも重なって見えます。

    人生の終盤になって、「おあとがよろしいようで」と静かに言えるような生き方ができたらいい。大きな成功や立派な肩書きではなくても、そのときまで自分なりに精一杯、表現し、迷い、誰かと関わりながら生きていけたら、それで十分なのかもしれません。

    この本は、落語の小説でありながら、表現すること、生きること、人と向き合うことの面白さをあらためて感じさせてくれる一冊でした。本と対話する楽しさを、もう一度思い出させてくれた一冊でもあります。

    #読書感想文
    #喜多川泰
    #おあとがよろしいようで
    #note投稿
    #本と対話する時間

  • 集中しないことが、人間らしさを守るのかもしれない | 2026.04.01

     

    森博嗣著『集中力はいらない』を読んで

    この本を読んで、私は少し気が楽になりました。
    世の中では、集中することは良いことだと当たり前のように語られます。仕事でも勉強でも、ひとつのことに没頭できる人が優秀だと見られがちです。けれど森博嗣さんは、そこにあえて疑問を投げかけます。

    その視点が、今の私にはとても新鮮で、同時によくわかる気がしました。

    著者は、機械に任せられる仕事なら機械に任せればいい、人間はもっと自由にならなければいけない、と言います。私はこの言葉に強く頷きました。
    AIが広がることで仕事がなくなると不安に思う人は多いですが、私はむしろ、機械に任せられるものを人間が手放せるなら、それは悪いことではないと思っています。人間まで機械のように、速く、正確に、同じことを繰り返す必要はないはずです。

    本来、人間の役割は、決められたことをただこなすことではなく、まだ形になっていないものを感じたり、考えたり、寄り道したりすることにあるのではないか。そんなことを、この本は改めて考えさせてくれました。

    経営も創作も、少し力を抜いた時に見えてくる

    特に印象に残ったのは、本当に新しいものを生み出す人は、一つのことだけに集中しているわけではないという視点です。
    成功した人は、一心不乱にひとつのことをやり抜いたように語られることが多いですが、実際にはそうではないのかもしれません。あらゆるものを見て、関係なさそうなものまで受け取りながら、誰も思いつかなかった発想にたどり着いている。私はそんな気がしました。

    経営も、まさにそうだと思います。
    ひとつの課題だけ見ていれば済む仕事ではありません。市場の流れ、人の気持ち、時代の空気、技術の変化、自分の直感。ばらばらに見えるものを、どこかでつないでいく仕事です。だから、一点だけを見つめる「集中」では拾えないものがある。むしろ、少し頭をゆるめている時のほうが、大事な信号に気づけることがあります。

    著者が、創作をする人ほど旅行を好むと書いていることにも共感しました。
    場所を変える。空気を変える。頭をリラックスさせる。そうすると、考えようとしていたこととは別の場所から、ふっと何かが浮かんでくる。私自身も、旅に出たり、景色の中に身を置いたり、日常から少し離れたりすることの大切さを感じています。集中していない時間は、決して無駄ではなく、むしろ発想を育てる時間なのだと思います。

    比較や反応に流されず、死ぬまで考え続けたい

    もうひとつ、この本で深く心に残ったのは、自信を持ちすぎないこと、自分を賢いと思いこまないことの大切さです。
    自分を低く見るというと、少し後ろ向きに聞こえるかもしれません。けれど著者の言うそれは、卑下ではなく、問題に向き合うための謙虚さなのだと思います。

    年齢を重ねると、経験が増えるぶん、自分なりの答えや型ができてきます。けれどその反面、知らないうちに傲慢さも生まれてしまうのかもしれません。
    「自分はもうわかっている」
    「こういうものだ」
    そう思い始めた瞬間に、人は考えることをやめてしまう。そんな怖さを私は感じました。

    さらに今は、比較と反応の時代でもあります。
    SNSでは、考えているつもりで、実は反応しているだけの時間が増えやすい。著者の言葉は少し辛辣ですが、たしかにそうだと思いました。反応ばかりしていると、自分の中でじっくり考える時間が減っていきます。

    だからこそ私は、この本を読みながら、いかに楽しんで仕事をするか、いかに考える余白を残すかが大事なのだと感じました。
    集中して効率を上げることだけが正しいのではない。楽しい時間を削ってまで、無理に集中する必要はない。人は自然の一部で、常に変化している存在です。今の自分と来月の自分は、きっともう少し違っている。その変化を受け入れながら、固まらずに考え続けることのほうが、ずっと大事なのだと思います。

    本の最後に近いところで語られる、**「凝り固まるのは死んでからでも遅くない」**という考え方も、とても印象に残りました。
    本当にその通りだと思います。人は生きている限り、まだ変われる。まだ考えられる。まだ別の見方ができる。だったら、自分を決めつけず、最後まで考え続けたほうがいい。

    AIの時代になって、ますます人間の役割が問われています。
    正確さや速さでは、これからもっと機械が強くなるでしょう。けれど、寄り道をすること、ぼんやりすること、比較を手放すこと、そして自分の傲慢さを少しずつ溶かしていくこと。そういうものこそ、人間に残された大切な力なのではないか。

    この本は、集中力を否定する本というより、人間らしい思考を取り戻すための本なのだと、私は感じました。

    追伸

    実は『結局集中力が9割』という本も読んでいます。感想文にはしていませんが、脳の構造から集中力を解き明かしていく内容で、それはそれで興味深く読みました。
    ただ、私はどこかで「集中力は良いことだ」と最初から決められているような感じに、少し引っかかっていたのだと思います。だから今回、『集中力はいらない』を読んで、ああ、自分がずっと感じていた違和感はこれだったのか、と腑に落ちるものがありました。

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