「努力が足りない」と言う前に、私が知らなかったこと

『誤解だらけの発達障害』岩波明 著を読んで
知っているつもりで、知らなかった
「発達障害」という言葉を、いつから耳にするようになったのだろう。
少なくとも、私の子どもの頃には、今のように身近な言葉ではなかった。
最近は新聞やテレビで、ASDやADHDという言葉もよく目にする。でも、正直に言えば、私はその違いさえよくわかっていなかった。
知っているつもりで、何も知らない。
そんな私に、「誤解だらけの」という題名は、こちらを向いて語りかけているように思えた。
人にはそれぞれ、得意なことと苦手なことがある。
私自身にも、うまくできないことや、つい繰り返してしまう失敗がある。誰もが何かしらの生きづらさを抱えているのではないか。
そんな漠然とした思いから、この本を手に取った。
「これは私にもあるな」と立ち止まる
読み進めながら、何度も「これは私にもあるな」と立ち止まった。
余計なひと言を口にしてしまう。
やることが重なると、何から手をつければいいかわからなくなる。
相手に悪気はなくても、こちらが勝手に腹を立ててしまう。
もちろん、似た経験があるからといって、発達障害だということにはならない。対人関係が苦手というだけでも、判断はできない。
けれど、自分にも覚えのある困りごとを、日々もっと強く、繰り返し経験している人がいる。
そう考えると、遠い話だったものが、少しずつ自分の近くへ来た。
その「頑張れ」は、誰のためだろう
私の心に残ったのは、症状の名前よりも、周囲の人の言葉だった。
「努力が足りない」
「甘えている」
「頑張ればできる」
言う側は、励ましているつもりかもしれない。
私も長い人生の中で、似たような言葉を口にしてきたかもしれない。
でも、本人はすでに十分頑張っているとしたら。
できないことに悩み、何度も自分を責めているとしたら。
そこへ、もうひと押しするように「頑張れ」と言う。
その言葉を受け取った人の気持ちを、私はどれほど想像していただろう。
本を読みながら、相手のことを考えているようで、実は自分の物差しを当てていただけなのかもしれないと思った。
自分にはできる。だから相手にもできるはずだ。
その「はず」が、人を追い詰めることもあるのだろう。
百パーセント、わかり合えなくても
家事でも仕事でも、できないことを指摘し続けるより、どうしたらやりやすくなるかを一緒に考える。
予定を見えるところに置く。頼むことを一つずつ伝える。一人で落ち着ける時間をつくる。
大きなことをしなくても、関わり方を少し変える余地はある。
ただ、支える側にも限界はある。
本の中にあった、お互いを百パーセント理解したり、支えたりすることはできないという考えには、ほっとした。
できることはする。
難しいことは断る。
助けてほしいときは頼む。
断られても、相手を責めない。
これは発達障害のある人との関係に限らず、家族や友人との付き合いにも、そのまま重なる話だと思った。
わかり合いたいと思うことと、すべてわかり合えると思うことは、少し違う。
その余白があるほうが、一緒に生きていきやすいのかもしれない。
困難だけで、その人を見ない
著者が繰り返す「特性」という言葉にも、考えさせられた。
困難があることは、軽く扱えない。
けれど、その人を困難だけで見てしまえば、好きなことも、得意なことも、その人らしい面白さも見えなくなる。
本には、優れた記憶力や独特な感覚についての話も出てくる。人の感じ方というのは、私が思っているより、ずっと幅があるのだろう。
ただ、特別な才能があるから、その人に価値があるということでもない。
何ができるかを確かめる前に、一人の人として知りたい。
その当たり前のことを、私は時々忘れてしまう。
終盤で、人間の進化とこうした特性を結びつけて考える話に触れたとき、少し視界が広がるような気がした。
人間は、みんな同じ性質を持って生きてきたわけではない。
違う感じ方や考え方があるからこそ、開かれてきた道もあるのかもしれない。
そう思うと、「自分と違う」ということを、もう少しゆっくり受け止めてみたくなった。
次のひと言の前に
読み終えて、発達障害をわかったとは、まだ言えない。
自分の苦手なことを振り返るきっかけにもなったけれど、それだけで誰かの苦しさがわかるわけでもない。
ただ、誰かに「どうしてこんなことができないんだろう」と思ったとき、その言葉をすぐに口にする前に、立ち止まってみたい。
私の知らない難しさが、この人にはあるのかもしれない。
この本を読んで得たものは、誰かを見分けるための知識よりも、その小さな間だったように思う。
まずは、身近な人と交わす次のひと言から、少し変えてみたい。
