自分が写っていた! 風景を撮っていたつもりが。

Bunbunさんの『写真がくれた小さなきっかけ――50代からのフォトライフ入門』を読みました。
著者のnoteは以前から時々読ませていただいていました。写真についての考え方に共感することがあり、本も出版されていると知って、Kindleで読んでみました。
私も写真を撮り始めて、もう半世紀ほどになります。読みながら何度も「ああ、そうなんだよな」と頷きました。長く感じてきたことを、うまく言葉にしてもらったような気持ちです。
本では、写真を、人とつながり、自分を再発見するきっかけとして捉えています。私自身の歩みを振り返っても、写真は確かに、そういう存在でした。
写真には、その人がにじみ出る。
写真クラブで皆さんの作品を見ていると、つくづくそう思います。同じような場所で撮っていても、惹かれるものも、切り取り方も違う。優しさや寂しさ、何かを大切に思う気持ちが、写真から伝わってくることがあります。
ただ、年齢を重ねた人ほど心に届く写真が撮れるかというと、そこは少し違う気もします。若い人にも、子どもにも、こちらが驚くような感性があります。それでも、重ねてきた経験が、その人の眼差しに表れることはあるのでしょう。
私も写真を見返して、「自分はこういうものが好きだったんだ」と気づくことがあります。何を撮ったかだけでなく、なぜそこで立ち止まったのか。写真には、自分でも気づいていなかった心の動きが残っています。
著者が写真と心を重ねて語るところにも共感しました。写すのは風景ですが、そこには撮る人の心も入っている。私にとって写真は、そんなものです。
昔は、写真のあり方を断定的に語られることもありました。それでも、趣味なのだから、自分の好きな写真を撮っていたい。その気持ちは変わりませんでした。今になって思えば、やめずに続けてきたことが、何よりよかったのかもしれません。
続けるうちに、写真を取り巻く環境もずいぶん変わりました。
フィルムの頃は、シャッターを押すたびに現像代が頭をよぎりました。うまく撮れたかどうかも、その場ではわからない。今は撮ってすぐ確かめられ、思ったようでなければ撮り直せます。昔の不自由さを知っているからこそ、このありがたさを感じます。
スマホも、私の撮る楽しみを広げてくれました。花の高さまで視点を下げたり、自撮り棒で少し高いところから眺めたり。花や昆虫のそばに、自分の眼差しを置いてみる。以前は諦めていた位置から撮れることが、次はこうしてみようという意欲につながります。
機材が進化しても、変わらないことがあります。
その場に立たなければ、その写真は撮れない。
どれほど腕のよい写真家でも、その瞬間に居合わせなければ写せません。そして、そこに立った自分が何を感じ、一枚にどう写し込むか。手軽に撮れる時代になった今も、それは難しく、だからこそ面白いのだと思います。
旅と写真の関係も、私には切り離せません。
写真を見て行きたくなり、出かけた先でまた心が動く。帰ってから見返すと、そのときの気持ちまで戻ってきます。旅先の記録でありながら、自分が何に惹かれたのかを知る記録でもあるのです。
今はInstagramで、数千人の方とつながっています。昔は想像できなかったことです。誰かの写真から花の見頃を知り、知らなかった場所へ出かける。自分の写真にも反応をいただき、また撮りたくなる。写真を間に置くことで、楽しみが少しずつ行き来しています。
最近は、撮った写真をスライドショーにして、音楽や言葉を添えることも楽しんでいます。
以前から、説明を重ねすぎると写真そのものが薄まってしまう気がしていました。その思いは今もあります。だから、どんな音や言葉なら、この写真から感じたものをそっと醸し出せるだろうかと考えます。写真を撮った後にも、楽しみが続くようになりました。
この本を読んで、写真が私にくれたものを改めて考えました。
出かける理由。人との出会い。自分の好きなものに気づく時間。そして、次は何を撮ろうかと思える気持ち。
自分の人生がにじむ一枚を撮るには、一生かかるのかもしれません。それでも、その一枚を探しながら歩く日々は、なかなか楽しいものです。
次に心が動く場所で、またシャッターを押してみようと思います。
