いつまで「働くこと」を正義にするのか!

いつまで「働くこと」を正義にするのか!
――池田清彦著『人はなぜ働かなくてもいいのか』を読んで
働いていないと、いけないのだろうか
何もせずに休んでいると、どこか後ろめたい。
忙しくしている人を見ると、立派だと思う。
私たちの中には、そんな感覚が根強くある。私自身、長く会社経営に携わってきたのだから、働くことの大切さは十分に感じてきた。
それでも、年齢を重ねた今、考える。
働くことは、それだけで正しいのだろうか。
池田清彦さんの『人はなぜ働かなくてもいいのか』は、そんな問いを私に投げかけてくれた。
池田さんは、テレビで見ていても話し方が柔らかい。昆虫好きというところにも、養老孟司さんに通じるものを感じる。
人間の常識を、ほかの生き物の側から眺めてみる。私は、そういう視点に共感するところが多い。
今回は、題名を知っただけで「よし、読んでみよう」と思った。
アリだって、いつも働いているわけではない
冒頭から、アリの話が面白い。
働きアリといえば、せっせと働く勤勉な生き物という印象がある。しかし、本には、巣の中であまり働いていないアリの話も出てくる。
一匹ずつの働きぶりを見るだけでは、コロニー全体の生き方は分からない。集団として長く存続するという視点で見ると、休んでいることにも意味がある。
さらに、野生の生き物にとって、エネルギーは貴重だ。
食料がいつでも手に入るわけではないのだから、必要のないときまで動き回れば、それだけ消耗してしまう。
休めるときには休む。
本で語られるその生存戦略に、私は妙に納得した。
人間は、働いていない時間まで問題にしてしまう。けれど、生きるために必要なものが足りているなら、休むことを責める理由はどこにあるのだろう。
「もっと働く」は、いつから始まったのか
池田さんは、農耕と蓄えの誕生から、人間の働き方を考えていく。
穀物は貯蔵できる。
今日の食料を確保するだけでなく、明日や来年のためにも働くようになる。蓄えが増えれば、安心も増える。
しかし、余剰が生まれれば、それを管理する人が現れ、配分する権限が生まれる。蓄えを守る仕組みや、社会の秩序を支えるための労働も必要になる。
生きるための営みが、次第に社会の義務へと変わっていく。
私は、その流れを読みながら、自分たちの暮らしを振り返った。
もっと稼ぐ。もっと蓄える。もっと先に備える。
その一つ一つには理由がある。けれど、どこまでいけば「これで十分」と言えるのだろう。
将来のために働き続けているうちに、今を生きる時間がなくなってはいないか。
この問いは、私にも向けられている。
AIが働く社会で、人間は何をするのか
私は、AIや自動化に大きな可能性を感じている。
ものづくりでも、設計でも、情報の整理でも、人間が時間をかけていた仕事を短くできる。これからは、機械が担う仕事がさらに増えていくだろう。
そこで池田さんが示すのが、作る力と買う力の問題だ。
AIやロボットで生産できるものが増えても、人が仕事と収入を失えば、その商品を買えなくなる。
労働者は、同時に消費者でもある。
企業にとって人件費の削減が利益になっても、それが社会全体で進めば、購買力まで弱くなる可能性がある。
作れるのに、買えない。
そんな社会になったら、何のための技術進歩なのだろう。
経営に携わってきた私には、この問題は身近に感じられる。商品は、作っただけでは商売にならない。必要とする人の手に届いてこそ、意味がある。
生きる安心を、働くことだけに結びつけない
この問題への仕組みとして、本ではベーシックインカムが論じられている。
働いて得る賃金だけに頼らず、最低限の生活を支える所得を保障するという考え方だ。
私は、これからの社会で真剣に考える必要があると思う。
制度を実現するには、財源や物価、必要な仕事を誰が担うかなど、検討すべきことはある。
それでも、生活の不安を抱え続ける人に、ただ「もっと働け」と言うだけでよいのだろうか。
仕事を失うことが、そのまま生きる安心を失うことにつながる。その状態を変えていくことには、大きな意味がある。
人口も消費も増え続ける社会を前提にした仕組みについても、考え直す時期なのだと思う。
人が安心して暮らせることを中心に置いたとき、経済のあり方も、働く意味も変わってくるはずだ。
給料にならなくても、人生には大事な営みがある
働く必要が小さくなったら、人は何もしなくなるのか。
私は、そうは思わない。
写真を撮る。本を読む。文章を書く。家族と過ごす。地域の活動に参加する。誰かの相談に乗る。
私自身、やりたいことはいくらでもある。
写真を撮っている時間が、必ずしも収入になるわけではない。読んだ本について考え、こうして感想を書く時間にも、給料は出ない。
けれど、その時間があるから、私は人生を面白く感じている。
暮らしを支える家事も、誰かを気遣うことも、お金だけでは測れない。
稼いでいないからといって、その人の時間まで無価値になるわけではない。
立派な成果を出すことまで求めなくてもいい。本人が楽しく、心穏やかに過ごせることにも、十分な意味があると思う。
経営してきた私が、今考えること
私の会社では、長く残業のない働き方を続け、定年制も廃止してきた。
仕事以外の時間を持てること。年齢だけで、働く機会を区切られないこと。
どちらも、一人一人が自分の生き方を選ぶことにつながると思っている。
仕事には、喜びがある。
お客様の思いを形にできたとき。工夫がうまくいったとき。仲間と何かを成し遂げたとき。
私も、その充実感を何度も味わってきた。
だからこそ、仕事を失う恐怖や生活への不安だけで、人を働き続けさせる社会について考えたい。
安心して生きられる土台があれば、自分から関わりたい仕事を選べる人も増えるだろう。
経営する側も、人が時間を使いたいと思える仕事を、どう作るかが問われる。
この本は、私にそんな課題も残してくれた。
「いつか楽しもう」では、間に合わない
年齢を重ねると、人生の時間には限りがあることを実感する。
一生懸命に働いて蓄えを増やしても、それを使い、自分の時間を楽しむ前に人生を終えてしまうことがある。
その姿を見ると、何のために働いてきたのだろうと考えてしまう。
家族のために残すことにも意味はある。備えが安心につながることも、よく分かる。
それでも、自分が生きている今しか味わえないものがある。
妻と旅をすること。
心が動く風景を撮ること。
孫の成長を見て笑うこと。
一冊の本に出会い、考えが少し変わること。
そういう時間を、いつまでも後回しにしたくない。
「落ち着いたら」「もう少し蓄えたら」と言っている間にも、今日という日は過ぎていく。
働くことを、人生の物差しにしすぎない
この本を読んで強く残ったのは、人生は短いという実感だった。
お金を稼ぐことだけに、自分の時間を使い切ってしまってよいのか。
私は今、その問いを以前より深く受け止めている。
社会の仕組みは、すぐには変わらない。暮らすために働く必要も、現実にある。
それでも、働いている人は立派で、働いていない人はよくないという見方は、変えられる。
自分に対しても、ほかの人に対しても。
私はこれからも会社の未来を考え、新しい技術に触れ、写真を撮り、本を読んでいきたい。
自分が面白いと思うことに、時間を使いたい。
いつまで「働くこと」を正義にするのか。
この問いは、働いてきた人生を振り返りながら、これからの時間を自分の手に取り戻すための問いなのだと思う。
まずは今日、やりたかったことを一つやってみる。
これからの私の生き方は、そんなところから始めたい。
