「徳を意識しないという徳 ― 老子『道』の思想を生きる」
入院中にあらためて向き合った老子という思想
──『哲学として読む老子』を読んで
老子については、これまでにも多くの解説書やnoteの記事を目にしてきました。
噛み砕いて説明してくれるものも多く、理解しやすいものがたくさんあります。
それでも今回、入院という「強制的に立ち止まる時間」の中で、あらためて腰を据えて読んでみようと思ったのが、この一冊でした。
結果として、「読んでよかった」というよりも、
何度も読み返したくなる本に出会った という感覚が強く残っています。
本書を貫くキーワードは「道(タオ)」
この本全体を貫いているのは、「道」という概念です。
それは宗教的な神でも、倫理的な規範でもなく、自然法則そのものとして語られます。
老子が繰り返し用いる比喩が「水」です。
上善は水のごとし
水は無色透明だから、あらゆる色彩を映し出すことができる。
無形だからこそ、どんな形にもなれる。
無味無臭だから、全味全臭である。
水はただ、自然法則にしたがって
流れ、よどみ、溜まっているだけです。
そこに意図も、努力も、自己主張もありません。
同じ「水」でも、思想家によって見え方は違う
興味深いのは、水という同じ存在を前にしても、思想家ごとに捉え方がまったく違うことです。
孔子は川の流れの中に、不断かつ不可逆なあり方を見ました。
荘子は「流れる水は鏡にならないが、止まった水は鏡になる」と言い、
いわゆる「明鏡止水」という境地を語ります。
そして老子は、水そのものの在り方を、
「道」そのものの象徴として捉えました。
どれも納得できる。
見方や感じ方によって、世界はいくらでも違って見える のだと思わされます。
自然法則をないがしろにすると、世の中は息苦しくなる
老子は、非常に大胆な警鐘を鳴らします。
大道廃れて、仁義あり
自然法則(道)がないがしろにされると、
それを補うために「仁義」や「道徳」といった
人為的な規範 が持ち出される。
その結果、世の中はかえって面倒で、息苦しくなるのだと。
老子は、さらに過激な表現を使います。
道徳や知恵を捨てれば、人々の利益は百倍になる
仁愛や正義を捨てれば、人々は孝行や自愛の心を取り戻す
技巧や功利を捨てれば、盗人もいなくなる
欲望のハードルをあらかじめ低く抑えておけば、
人はもっと安らかに生きられる。
むやみにがんばることは、自分で自分を苦しめるだけだ。
無理をせず、最小限で生きなさい。
老子はそう語りかけてきます。
「上徳」と「下徳」という言葉に救われた
本書の中で、個人的に最も腑に落ちたのが
「上徳」と「下徳」という考え方でした。
これまで私は、
「善い行いをしている人を見たときに、なぜか心がざわつく自分」を、
どこか 自分の心が歪んでいるのではないか と感じていました。
老子の言葉は、その感覚を見事に言語化してくれました。
徳を意識せずに行われる行為が「上徳」
徳を意識して行われる行為は「下徳」
親切にしなければならない。
こんな良いことを自分はした。
ゴミも拾った、人も助けた。
もしそれを「意識して」やっているのなら、
それは上徳ではなく、下徳なのだと。
日本人の行動が海外から評価されることがあります。
海外の人が言う分には素直にうれしい。
しかし、それを自分たちで誇った瞬間に、
どこか恥ずかしさを感じてしまう理由が、ここで腑に落ちました。
おのれの徳を意識しない。
だから、そこに徳がある。
徳を失わないように意識するから、
かえって徳が失われていく。
この逆説は、強く胸に残りました。
老子とカント、正反対の倫理観
対照的なのが、西洋哲学、とりわけカントの倫理観です。
カントは、
「ただ親切にしているだけの人間がいても、そこに倫理性はない」
と考えました。
「親切にしなければならない」という規範意識があり、
そうすべきだと思って行動してこそ、倫理になる。
老子とは真逆です。
老子:自然は無限で、人間の意識は有限
カント:自然は有限で、人間の理性は無限
どちらが正解という話ではありません。
ただ私は、東洋人のDNAを持つ人間として、
老子の考え方のほうが圧倒的に腹落ちしました。
最もやわらかいものが、最もかたいものを動かす
老子の思想は、現代にも驚くほど通じます。
この世で最もやわらかいものが、
最もかたいものを操っている
老子の時代であれば、
硬い石の隙間に水が入り込み、やがて石を動かすという比喩でしょう。
現代で言えば、形のない情報やIT が、
ハードウェアや人間の身体、さらには
私たちの判断や行動そのものを動かしている世界です。
筆者は最後にこうまとめます。
世の中で最もやわらかいもの:自然法則
最もかたいもの:現実世界
そして、その自然法則こそが、
現実世界を静かに、しかし確実に操っているのだと。
赤ちゃんの「弱さ」という強さ
もう一つ印象に残った比喩が、赤ちゃんです。
私にも可愛い孫がいますが、本当に学ぶことが多い。
徳を備えたものとは、赤ちゃんのような存在だと老子は言います。
無防備で、か弱い。
だからこそ、大人は必死に守ろうとする。
赤ちゃんの強さは、まさにその弱さにある。
政治や戦いの話が続いても、
一本通っているキーワードはやはり
自然法則にしたがうこと でした。
古典を読む楽しさとは何か
この本を読み終えて感じたのは、
人間の哲学的思考は、今も昔もそれほど進化していないのではないか、ということです。
むしろ現代のほうが、
情報の波に飲み込まれ、
自分で高い壁を作り、
どこか退化している部分もあるのではないかとさえ思えてきます。
だからこそ、古典を読む意味がある。
そしてこの本は、
何度も読み返し、そのたびに自分なりの解釈を試したくなる一冊 でした。
まとめ
自然法則にしたがうとは、
何か特別なことをすることではありません。
意識しすぎず、がんばりすぎず、
ただ「在る」こと。
次に読み返すとき、
自分はどんな水の流れを見つけるのだろうか。
そんな余韻を残してくれる読書でした。

