遺伝で決まる?…だからこそ、環境を動かす
1)遺伝の話なのに、なぜか前向きになった
安藤寿康さんの『日本人の9割が知らない遺伝の真実』を読んだ。
タイトルだけ見ると、「遺伝で決まるんだよ」と突き放される本に見える。でも読み進めるほど、私の受け取り方は逆になっていった。遺伝を知ることは、諦めるためじゃなくて、無駄に自分を責めないためなんだ、と。
本の中では、人の能力や性格は「遺伝」と「非共有環境(同じ家族でもそれぞれ違う経験)」の影響が大きい、と語られる。
一方で、親の育て方や家庭の雰囲気といった「共有環境(家族を似せる環境)」の影響は、思うほど決定打にはならないらしい。
ここは最初、正直ざわついた。
「じゃあ、頑張ってきたことは何だったんだ」とか、「努力ってどこへ行くんだ」とか。
でも読み終わる頃には、焦りの正体が少し見えた気がした。できない自分を根性でねじ伏せるより、伸びる場所を探した方がいい。自分に合う環境や役割を探すことは、逃げじゃなくて戦略なんだと思えた。
しかもこの本は、遺伝を“固定”として扱わない。
年齢を重ね、いろんな環境に出会うほど、遺伝的な素質は引き出されていく。だから、遺伝子の力を引き出すには環境を変えることが重要だ、と。
「どんな遺伝子を持って生まれるか」「どんな環境に出会うか」は運。でも、出会いに行く方向は変えられる。私には、ここが一番の救いだった。
2)学校は「頑張れ」で済ませすぎている気がした
本の中に「かけっこ王国」の比喩が出てくる。短距離走だけで人の価値が決まる国。速い人は称賛され、遅い人は劣等感を抱え続ける。
これは笑い話ではなく、今の教育や社会の構造を説明するための話として刺さった。
現代は、抽象的な思考や知識処理みたいな“頭の使い方”が、ほとんど全員に求められる時代になっている。産業革命、コンピュータ、ネット。便利になったぶん、知的な処理が前提の世界になった。
教育が広がった結果、能力差が見えやすくなる。見えやすくなると、何が起こるか。努力不足で片づけられる人が増える。
時間もお金も才能も、誰もが無限に持ってるわけじゃない。限りがある。
なのに学校は、同じカリキュラムを同じテンポで走らせて、ついて来れない人に「落ちこぼれ」の烙印を押してしまう。
結果、学ぶべき大事な知識より先に、不要な劣等感だけが残って卒業してしまう。私はこの部分を読んで、「本人の問題」というより「設計の問題」だと感じた。
3)私が一番持ち帰ったのは「比較優位」と「旅」だった
本の流れの中で、堀江貴文さんの「修行は無意味」的な発言が議論になった話にも触れていた。寿司だって、数ヶ月で基礎は学べる、と。
確かに、それも一理ある。けれど著者はそこで話を終わらせない。そこは仕事の“入り口”にすぎない、という。
寿司を握る技術だけではなく、客との会話、店の空気づくり、店全体のプロデュース、複数の職人のマネジメント。
仕事とは、ひとつの技ではなく、いくつもの要素の塊でできている。
だからこそ著者は、突出した才能がない人が「人と比べて強い」と言える水準まで技能を高めるには、数年単位の時間が必要だと述べる。私はこの考え方に賛同した。現場の仕事ほど、技術の外側で差がつくのを何度も見てきたからだ。
じゃあ、得意がはっきりしない人はどうすればいいのか。
ここで腑に落ちたのが、比較優位という考え方だった。絶対的に得意がなくてもいい。これまでの経験の中で、「好きだ」と感じた方向に時間を置いていく。それが比較優位になる。
そして比較優位は、環境や集団を変えれば「ローカルな絶対優位」になり得る。自分を責める前に、場を動かす。私はこの視点を、人生の現実的な手段として持ち帰った。
最後に出てくる「人は死ぬまで旅をし続ける」という言葉も、強く残った。
子どもだけじゃない、大人も同じ。遺伝で未来を止めない。年を取るほど、素質を引き出す行動を“楽しく”積む。
環境を変える。本を読む。素敵な人に会いに行く。芸術に触れる。
この本は、遺伝の本なのに、結局は「自分の人生を動かす本」だった。

