「言語化できないから、私は写真を撮る――『眠れない夜に、言語化の話をしよう』を読んで」
眠れない夜に、言語化の話をしよう
——中野信子×川田十夢 対談を読んで
眠れない夜にこの本を開きながら、「確かに言語化できないことの方が多い」と思いました。だから私は写真を撮っているのだと改めて気づかされます。芸術家に共通するのは、言語でうまく言い表せないものを、別の方法で伝えようとする姿勢なのではないでしょうか。
印象的だったのは「ポジショントークをする人=移動したくない人」という一言。自分の立場や居場所を守ろうとする人は多い。しかし、次に進む人の言葉には違いがある。マイナスからゼロに戻す話ではなく、ゼロからプラスへ動かす視点を持っている。そういう人と会話をすると、不思議と楽しくなる。自分がこれまで見てきた人間模様の中で、確かにその違いを実感してきました。
また、海の生き物「ホヤ」の話も示唆的でした。動いている時は脳を持っているのに、定住すると脳を分解してしまう。人間も安心できる場所にとどまると、思考を手放してしまうという比喩は鮮烈です。新しい人間関係や刺激のない暮らしでは、脳の萎縮が進むという指摘にも納得しました。コロナ禍で知り合いが「倦怠感で何もやる気が出なかった」と語っていたことを思い出し、健康を保つことが脳にとっても大切だと痛感しました。病気療養中の兄が「もう草花を見ても感動できない」と悲しんでいた言葉も胸に残ります。
AIの話題も興味深く読みました。AIには「身体性」がない。食べ物をつくれず、身体を通して得られるメタ情報を扱えない。だからこそ人間に残されているのは「センス」や「感性」だと指摘されます。AIは何かを生み出す目的のためだけではなく、人と人をつなぐ「接着剤」としての役割を担うべきだ、という視点も新鮮でした。AIに抗おうとする無駄な思考は手放し、共に使いこなす方へ意識を向けたいと思います。
「うろ覚え経済学」という表現にも頷きました。人間の脳は、わざと忘れる機能や曖昧に覚える性質を持っている。AIのように完全記憶ではなく、ぼんやりした記憶があるからこそ柔軟に生きられる。過度に言語化すると、こぼれ落ちてしまうものも増えるのだと気づかされました。だからこそ芸術や自然に触れ、非言語的な感覚を養うことが大切なのです。
「老いと死」に関する考察も印象深いものでした。老いることは悪ではなく、死ぬことは敗北でもない。それは人間にだけ与えられた贈与であり、かけがえのないプロセスだという視点。死を受け入れると、かえって「生」が鮮やかになるという逆説も心に響きました。脳は恐怖や不安にとらわれると現実を正しく知覚できません。しかし死を受け入れることで、安心と快の方向へ脳のネットワークは切り替わる。今まさに死と向き合っている人を見守っていると、この言葉の重みを実感します。
「マイルールの誇示は老化の産物」という言葉も耳が痛いものでした。確かに自分も相当マイルールを押し出している気がします。そのルールを超えてなお表現できるのが芸術の世界なのかもしれません。「いつまでも若々しく」というフレーズも、一見希望に満ちているようで「老い=劣化」という思考回路を脳に定着させてしまう危うさがある。老いをポジティブに語る人でさえ、無意識にネガティブを前提にしているのかもしれません。
さらに「言語と嘘」の関係も興味深く感じました。人間は言語を持つことで嘘を巧みに生み出すようになった。真実か虚構かよりも、想像や物語を楽しむことに熱中する。神様さえも言語から生まれたのだという指摘には、思わず笑ってしまいました。宗教も否定するのではなく、人間にとっての支えとして語られているのが印象的でした。
最後に「笑い」の話。人類は言葉を話す前にすでに笑っていた。だから笑いは最も人間的な反応であり、生きる力そのものです。
——この本は言語化の効用を語りながら、むしろ「言語以前の世界」の大切さを思い出させてくれました。芸術や自然に意味を求めすぎなくてもいい。ただ共感し、感じること。それが人間に残された特権であり、老いも死も含めた人生を豊かにする営みなのだと、ページを閉じた後も余韻が残っています。

