“生きづらさ”の正体は? ADHDの真実に触れて考えた進化と社会のズレ
『多動脳』 アンデシュ・ハンセン著 久山葉子訳 を読んで
最近、「ADHD(注意欠如・多動症)」という言葉をよく耳にします。
診断される人も増え、子どもから大人まで、多くの人が「自分もそうかもしれない」と感じているのではないでしょうか。
私自身、精神科でさまざまな診断名を目にしたり、聞いたりするたびに、こんな疑問が湧いてきました。
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昔は“普通”とされていた人が、今は“病気”になっているのでは?
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社会がストレスに満ちていて、だからこそ増えているのでは?
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もしかして、薬を売るための構造もあるのでは?
そしてもうひとつ。
「ADHD」と言われる特徴は、本当に“悪いこと”なのだろうか? という疑問です。
そんな問いを胸に読みはじめたのが、アンデシュ・ハンセン著『多動脳』でした。
「当てはまるかも」が、「それでもいい」に変わった
本の中で挙げられていたADHDの主な特徴──
集中が続かない、すぐ気が散る、じっとしていられない、人の話を最後まで聞けない…。
読んでいて、私自身も「これ、ほとんど当てはまるかもしれない」と感じました。
でも本書では、それを「弱点」とするのではなく、「進化の過程で獲得した大切な特性」として捉えているのです。
たとえばこんな風に:
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エネルギッシュで、実行力がある
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新しいアイデアにすぐ飛びつける
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直観的で、水平思考ができる
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失敗を引きずらず、逆境にも強い
つまり、ADHD的な脳の使い方こそが、人類が生き残ってきた理由のひとつかもしれない。
これには目から鱗が落ちました。
狩猟民と農耕民、人類はどちらの気質でできている?
とても興味深かったのが、「狩猟民」と「農耕民」の対比です。
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狩猟民:すばやい判断、直観的行動、変化への柔軟な対応
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農耕民:長期計画、ルーチンへの耐性、予測力
現代社会では農耕民的な気質が「望ましい」とされがちですが、実は人類の歴史の大半、私たちは狩猟民だったのです。
本書では「祖先5万人のうち4万9500人は狩猟民だった」と紹介されていました。
つまり、“落ち着きがない”“すぐ気が散る”といったADHD的特徴は、かつては生存に不可欠な能力だったのです。
私たちは、ほんの数百年のあいだに、性質とは合わない社会に適応しようとしているのかもしれません。
小さな「いいね!」が脳を支配する?
また、スマホやSNSが与える“報酬”についての話も印象的でした。
犬のしつけに使われる「小さな肉(ごほうび)」の話を引き合いに、人間も小さな報酬にとても弱い存在であるといいます。
Facebookの「いいね!」、通知音、タイムラインの更新…。
これらはすべて、脳にドーパミンを分泌させる“デジタル報酬”です。
とくにADHD傾向のある人にとっては、スマホの世界はとても魅力的で、依存しやすい構造をしているのです。
これは子どもに限った話ではありません。
「集中できない自分」を責める前に、脳の仕組みがそうなっているという事実を知ることも、大切なのではないでしょうか。
環境を変えるという選択肢
本書には、ADHDを改善するための方法やアドバイスも紹介されていましたが、私はむしろ、「その人に合う環境を選ぶこと」の方が大事なのではないかと思いました。
今の社会が求める「型」に自分を無理やり当てはめるより、
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気質に合う仕事を探す
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暮らす場所を変える
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「自分らしい脳の使い方」を肯定する
そんな選択肢がもっと広がってほしい。
そう感じました。
「普通」じゃないことは、悪いことではない
モーツァルトやエジソン、ダリなど、歴史的に創造的とされてきた人物たちの多くに、ADHDの特性があったという研究も紹介されていました。
「エネルギッシュ」「感情的」「好奇心が強い」「独立心がある」──
そういった性質は、ただの“困った特徴”ではなく、創造性の源なのです。
脳の違いを、「個性」として見つめる社会へ
『多動脳』を読み終えた今、私は少し安心しています。
「当てはまるかもしれない」自分を、前よりもやさしく見つめられるようになったからです。
ADHDと呼ばれる特性、自閉症スペクトラム、うつ傾向…。
こうした“違い”を排除するのではなく、人間の多様性として受け入れていく社会を、私たちはつくっていく必要がある。
「正常/異常」の線引きを問うのではなく、
「それもひとつの在り方」と言える社会に。
そのための第一歩は、知ること、そして考えること。
この本は、そんなきっかけをくれる一冊でした。

