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老害を笑うつもりで、少し自分を見てしまった!

『老害の人』を読んで

――老害は他人事なのか、それとも未来の自分なのか

この本を手に取った理由は、実に率直なものだった。
自分はもう、誰が見ても「老人」と言われる年代にいる。そして同時に、「老害」と呼ばれる側にいてもおかしくない年齢でもある。だからこそ、どんな態度や振る舞いが老害と受け取られるのかを、きちんと知っておきたいと思った。

本当は、もっと他人事として、少し距離を置きながら面白可笑しく読めると思っていた。
しかし実際に描かれている人物たちは、私より10歳以上年上の世代が中心で、生活環境や立場も少し違っていた。
そのため、共感しきれない部分もあり、結果として「やはり他人事」として読んでしまったところが正直な感想だ。

それでも、私の趣味である写真の会の仲間は同世代が多く、「これは確かにあるな」と思える場面も少なくなかった。
五人の主人公たちの思考や行動は、それぞれが生きてきた時代や環境を色濃く反映しており、良くも悪くも「そうなってしまうのは仕方がない」と感じる部分がある。同時に、これからの自分の姿を重ねて考えると、多くの気づきを与えてくれた。

ちょうど本を読んだ時期に、私自身も入院治療を経験した。
肉体の弱さを知ると、心まで引きずられるように弱くなる。その感覚を身をもって知った今、登場人物たちの不安や執着が、以前よりも現実味をもって迫ってきた。

戸田福太郎が会社の会長となり、毎日会社に通って自分の居場所を確保しようとする姿は、決して特別な話ではない。
「最後まで何らかの形で社会と関わり、役に立っていたい」という思いは、私自身にも十分あり得るものだと感じた。だからこそ、今からでも学び続ける姿勢を忘れないでいたいと思えた。

吉田夫婦の趣味の押し売り――見てほしい、わかってほしいという欲求の表れにも、強く頷かされた。
今はSNSという発表の場がいくらでもある時代だ。使い方次第では、SNSは高齢者の承認欲求や孤立感を救う手段にもなり得るのではないかと思う。

春子の死にたがりや無気力な状態は、決して高齢者だけの問題ではない。
人は誰でも、物事がうまくいかなくなると、自分で自分を追い込み、投げやりになってしまう。年齢を問わず起こり得る心の動きだ。それでも春子が毎回食事を完食している描写に、体はちゃんと生きようとしているという、静かな力強さを感じた。

村井サキのクレーマー的な行動には、「こういう人、確かにいる」と思わず苦笑した。
そして、こういう人ほど自分を老害だとは思っていない。その点が一番難しいのだろう。
多くの役職や立場を終えても、「自分が言ってやらなければ」「指導しなければ」という思考が抜けない姿は、どこか自分自身の鏡のようにも感じられ、静かに反省させられた。

ここまで読んできて、最後に一つ強く思ったことがある。
誰でも毎年一歳ずつ年を重ねていく。もし年を重ねること自体が老害なのだとしたら、老害は一歳から始まっていることになる。
しかし、年齢を重ねただけで、誰かの害になる人間になるわけではない。

人はどうしても、物事をわかりやすくするためにラベルを貼りたがる生き物だ。
「老害」という言葉を使うことで、自分をその外側に置き、安心しようとしてはいないだろうか。
この本を読み終えた今、老害を他人事として切り分けること自体が、少し違うのではないかと感じている。

大切なのは年齢ではなく、今の自分をどう見つめ、どう振る舞うか。
その問いを、静かに、しかし確かに突きつけてくる一冊だった。

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