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コーヒーは嗜好品じゃなく「話がはずむきっかけ」だった

落ち着いた時間を楽しみたいと思うようになって、最近はコーヒーをドリップで淹れる時間が小さな楽しみになっている。湯気と一緒に立ち上がる香りの中で、部屋の静けさが少し深くなる。
以前からインスタントは毎日2杯くらい飲んでいたのに、なぜか今になって急に「コーヒーに愛着」が湧いてきた。そんなタイミングで手に取ったのが、**『世界のビジネスエリートは知っている。教養としてのコーヒー』(井崎英典 著)**だ。

本書でまず驚いたのは、コーヒーが“世界規模の存在”だということ。著者は、コーヒーの貿易取引総額が石油に次ぐ規模であること、さらに世界で1日に飲まれる量も桁違いであることを紹介している。私にとっては身近な飲み物だったものが、一気に「世界を動かす液体」に見えてきた。

そして何より面白かったのは、コーヒーが“議論とコミュニティの飲み物”として歴史を作ってきた点だ。コーヒーハウスは、酔いが回って話が流れてしまう酒場と違い、しらふで頭が冴えたまま言葉を交わせる場所だった。保険の仕組みや情報交換の文化が、こうした場から育ったという話は妙に腑に落ちた。

ここでふと思う。商談や打ち合わせで、自然にコーヒーが出てくるのはなぜなんだろう、と。たぶん理由は単純で、コーヒーは場を整える。人の気持ちをほどき、頭を起こし、言葉を前に進める。つまりコーヒーは、嗜好品というより**「対話の装置」**だったのかもしれない。

一方で、本書はコーヒーの明るい面だけで終わらない。ヨーロッパでは“コーヒーを飲む権利”が人権に近い感覚で語られることがある一方、その裏で人権を無視された労働や植民地主義の歴史があったという指摘も重い。好きになったものほど、都合のいい部分だけ見たくなる。でも、背景も知って飲む一杯のほうが、たぶん味わいが深い。

日本の話も印象的だった。日本は消費国として存在感が大きく、喫茶店文化も独特に育ったという。ファーストウェーブ/セカンドウェーブ/サードウェーブという“流行の波”の整理もされていて、いま当たり前に美味しいコーヒーが飲める時代が、実は長い積み重ねの上にあることがわかる。

個人的な記憶も呼び起こされた。昔、長崎で飲んだ水出しコーヒーのこと。飲み物は味だけじゃなく、時間や場所の記憶まで連れてくる。そういう意味でも、コーヒーは「人と場」を運ぶ飲み物なんだと思う。

結局、この本が何度も言っているのは、コーヒーの本質的な価値は“精神の解放”にある、ということだ。淹れようと思った瞬間から、湯を沸かし、香りが立ち、抽出が終わって口に運ぶまで——その一連が、すでに体験になっている。私はただ落ち着きたくて飲んでいたのに、いつの間にか「世界史と哲学」を飲んでいたのかもしれない。

さらに怖い話として、本書では「2050年問題」にも触れている。気候変動で栽培適地が減り、いま当たり前に飲んでいるコーヒーが当たり前ではなくなるかもしれない。そう思うと、目の前の一杯を雑に扱えなくなる。

一杯のコーヒーの背後には、神話のようなはじまりの物語から、宗教、政治、植民地、ビジネス、そして未来の環境問題まで、途方もない話が折り重なっている。これからは、なんとなく飲む一杯に、少しだけ“彩り”を足して味わっていきたい。

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