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過去の読書は、未来の自分を待っているのかもしれない

本は不思議なものだと思う。
読んだその時にはうまく言葉にならなかったことが、何年も経ってから、まったく別の出来事をきっかけによみがえることがある。今回の私にとって、それが加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』だった。

この本を私は7年前に読んでいた。ブクログには2017年12月15日読了の記録が残っていた。けれど感想は書いていなかった。本も捨ててはいないはずなのに、本棚のどこにあるのか思い出せない。読んだという事実だけが残り、その時の自分が何を思ったのかは空白のままだった。

そんな一冊が、最近読んだ二つの記事によって、ふいに私の中で動き出した。
ひとつは、高校生がこの本を読んで書いた読書感想文。
もうひとつは、慰安婦問題の実態にあらためて向き合った新聞記事だった。

高校生の感想文に、私は教えられた

まず驚いたのは、高校生の感想文の深さだった。
文章がうまい、というだけではない。歴史を「昔の出来事」として遠くへ置かず、自分の足元につながる問題として引き寄せて考えている。その姿勢に、私は本当に驚かされた。

過去の人々を、ただ「間違った判断をした人たち」と切り捨てるのではなく、自分もその時代にいたら同じ空気に流されたかもしれない、と見つめている。その想像力と思慮深さに、私は脱帽した。

正直に言えば、高校生の頃の私が同じ本を読んでも、ここまでの感想文はとても書けなかったと思う。環境も情報量も違うのだろう。けれど、それを差し引いても、若い世代の中にある感受性や思考の深さを軽く見てはいけないと痛感した。
「今時の若い子は」などという言葉は、こういう文章を読んだ後では、とても口にできない。

7年前の読書が、今になって戻ってきた

私は20代の頃から本を読み続けてきた。気がつけば4000冊ほどになる。ジャンルも決めず、興味が湧けばすぐ読む。新聞も雑誌も好きだし、映画も芸術も好きだ。自然の中に身を置いて感じることも、私にとっては大切な学びの一つだ。

だから一冊の本も、その本だけで終わることは少ない。別の本とつながり、社会の出来事と重なり、時間が経ってから思わぬ形で意味を持ち始めることがある。今回の出来事は、まさにそれだった。

7年前の私は、この本を読んで何かを感じていたはずだ。けれど、それを言葉に残していなかった。今なら少し違う形で向き合える気がする。社会情勢も変わり、自分も年齢を重ね、さまざまな本や現実に触れてきたからこそ、あの時には受け止めきれなかったものが、今ようやく輪郭を持ち始めている。

読書は、その場で感想を書いて終わるものではない。
時間の中で熟し、別の経験と結びつき、ある日突然、自分の中で開き直されることがある。
過去の読書は、案外、未来の自分を待っているのかもしれない。私は今回、そんなことを強く感じた。

負の歴史から目を背けないために

もうひとつの記事を読んで、私はその問題を今あえて記事にした新聞社にも敬意を抱いた。
どの国でも、自分たちにとって不都合な過去には目を背けたくなるものだと思う。忘れたい、軽く済ませたい、都合の良い解釈で包みたい。そういう気持ちは、国にも社会にも、人間にもある。

しかし、だからこそ、そこから目をそらし続けることの危険性を私たちは学ばなければならないのだと思う。負の歴史を見ないままでいることは、同じ過ちを別の形で繰り返すことにつながる。
歴史に学ぶとは、誇らしい出来事だけを並べて安心することではない。目を背けたくなるような出来事も含めて、人はなぜそうしたのか、なぜ止められなかったのか、なぜ沈黙したのかを考え続けることなのだと思う。

私は今回、日本人として考えた、というだけでは足りないとも感じた。
これは日本という国の問題である前に、人間そのものの問題でもある。
人はなぜ、都合の悪いことから目をそらすのか。
なぜ、空気に流されるのか。
なぜ、正しさよりも安心を選んでしまうのか。
そこを見つめない限り、本当の意味での進化はないのではないか。そんな思いが、今回いっそう強くなった。

私の中に流れていた思考の軸

今回の二つの記事を読んで、自分の中の思考軸が少し固まった気がした。
それは、「人間の愚かさを理解しないと、人間としての進化はないのではないか」ということだ。

進化というと、技術の進歩や知識の蓄積を思い浮かべる。けれど、どれだけ便利な時代になっても、人間の弱さそのものが消えるわけではない。むしろ便利さや情報の多さが、新しい同調圧力や分断を生むことすらある。だからこそ、過去の歴史をただ知識として知るだけでは足りない。その中にある弱さ、恐れ、保身、沈黙、そして愚かさを、自分の問題として感じ取ることが大切なのだと思う。

高校生の感想文には、歴史を自分事として引き受ける若さならではの鋭さがあった。
一方で今の私には、長年の読書や新聞、映画や芸術、そして自然に触れながら積み重ねてきた時間の中で、人間とは何かを問い続けてきた感覚がある。若い感性には若い感性の力があり、年齢を重ねた視点にはまた別の重みがある。今回私は、その両方の価値を感じた。

高校生の感想文に教えられ、新聞記事に背中を押され、7年前に読んだ一冊が、今の自分の中で静かによみがえった。
それは単なる懐かしさではなかった。
過去の読書が、今の自分の問いとつながった瞬間だった。

本は、読むたびに同じではない。
読む自分が変われば、本もまた違う顔を見せる。
そして時には、一度読み終えたはずの本が、何年も経ってからもう一度、自分の生き方や考え方を照らしてくれることがある。

今回よみがえったのは、本の内容だけではなかった。
自分がこれからも大切にしたいと思う、ひとつの軸だった。
負の歴史から目を背けないこと。
人間の愚かさを忘れないこと。
そして、それを「昔の誰かの話」で終わらせず、自分の中にも同じ危うさがあると認め続けること。

その姿勢だけは、これからも失いたくないと思っている。

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