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何度も閉じて、また開いた『荘子の哲学』

この本を手に取ったきっかけは、帯の赤文字だった。
「考えるな!感じろ!」
その勢いのある言葉に背中を押され、「斉物論編を読み解く」という一文にも惹かれた。荘子は難しい、という先入観はあったが、理屈で構えすぎず、まずは感覚で入っていけばいいのかもしれない。そんな気持ちで読み始めた。

けれど、実際はそう簡単ではなかった。
感じる前に、まず**「???」**が立ちはだかった。
数ページ読んでは止まり、また戻る。少しわかった気がしたかと思えば、次のページでまたわからなくなる。そんなことを何度も繰り返した。結局この本は、二カ月ほどかけて、数ページで投げ出し、また挑む、という読み方になった。

でも今は、それでよかったと思っている。
すらすら読める本ではないからこそ、こういう向き合い方になった。そして、その難解さそのものが、この本の面白さでもあったのだと思う。

帯の言葉に惹かれて読み始めた

「考えるな!感じろ!」という言葉は、いかにも荘子らしい自由さと軽やかさを感じさせた。難しい本でも、頭で理解しきろうとする前に、まず何かを感じてみればいい。そんなふうに背中を押された気がした。

ところが、実際に読んでみると、感じるどころではない。
世界の始まりはあるのかないのか、知るとは何か、言葉で表せる知と表せない知とは何なのか。問いが次々に現れ、そのたびに自分の頭がかき回される。わかったつもりになった直後に、またわからなくなる。まるで霧の中を歩いているような読書だった。

それでも不思議と、本を閉じて終わりにはならなかった。
難しいのに、気になる。わからないのに、また開きたくなる。そこに、この本の引力があったのだと思う。

わからないのに、なぜか離れられなかった

この本を読んでいて何度も思ったのは、人は言葉で世界を整理し、理解しようとするけれど、その言葉や理性だけでは届かないものがたしかにある、ということだった。

知識として頭に入ることと、自分の中で腑に落ちることは違う。
言葉で説明できることと、日々の感覚として知っていることも違う。
本書は、その違いを何度も突きつけてくる。だから簡単に「わかった」と言えないし、逆にそこがこの本の深さでもあるのだろう。

私たちは普段、説明できることだけで生きているわけではない。自然の中で、社会の中で、説明しきれないものを前提にしながら日々を過ごしている。そう考えると、「わからないこと」がただの不足や欠点ではなくなる。むしろ、わからないまま抱えておくことにも意味があるのだと思えてくる。

今回の読書は、まさにそんな時間だった。
理解しきれない。けれど、何も残らなかったわけではない。
むしろ、すぐにわからなかったからこそ、心のどこかに引っかかり続けている。そういう本との出会いは、案外貴重なのかもしれない。

たまには、こんな読書もいいと思った

正直に言えば、私は『荘子の哲学』を「理解できた」と胸を張って言えるわけではない。まだ入口に立っただけなのだろう。けれど、この難しい本に二カ月かけて向き合い、何度も閉じてはまた開いた自分は、少しくらい褒めてもいいと思っている。

すぐに答えをくれない本。
簡単には理解した気にさせてくれない本。
だからこそ、自分の読み方や考え方まで試される本。

そういう本に出会うと、読書はただ情報を得るためのものではなくなる。わかったことを増やすだけでなく、わからないことに耐える力も少し育ててくれる。効率のよい読書ではなかったかもしれないが、こういう時間は決して無駄ではないと思う。

たまには、こんな読書もいい。
むしろ、こういう読書があるからこそ、本を読む面白さは深くなるのかもしれない。今はまだ霧の中にいるようでも、これから別の本を読み、別の経験を重ねたあとに、もう一度この本を開いたら、また違う景色が見える気がする。

『荘子の哲学』は、私にとって、すっきり理解できた一冊ではなかった。
けれど、何度も閉じて、また開いたという、その読書の時間そのものが、すでにこの本から受け取った大切なものだったように思う。

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