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怒りと欲を抱えたまま、それでも生きる意味を考える

きれいごとでは生きていないという前提

この本を読んであらためて感じたのは、人間はきれいごとだけでは生きられないのではなく、そもそもきれいごとでは生きていない存在だということでした。

人はつい、自分はそれなりに善く生きていると思いたくなります。誰かに親切にしたこと、真面目に働いてきたこと、人に迷惑をかけないようにしてきたこと。そうしたことを積み重ねながら、自分なりに誠実に生きてきたつもりでいます。けれどこの本は、そんな自分の見方をかなり厳しく問い直してきます。

人間の中には、欲や怒りや愚痴の心が常にうごめいている。どんなによい人に見える人でも、その心から完全に自由ではない。仏教でいう三毒の話ですが、これはただ古い教えとして読むのではなく、自分の日々に引き寄せてみると、とても重いものがあります。

特に心に残ったのは、言葉のことでした。言葉は人を励ますこともできますが、その一方で、人を深く傷つける刃にもなる。しかも厄介なのは、言った本人が気づいていないことも多いということです。私自身も、これまでどれだけ多くの人を言葉で傷つけてきたのだろうかと思わされました。悪気がなくても、正しさのつもりでも、相手の心には痛みとして残ることがある。その現実は軽くありません。

生きることそのものの重さを思う

また、人は生きるために、他の命を奪わずにはいられないという話も胸に残りました。肉や魚だけではない、植物もまた命です。さらに今の時代でいえば、森林伐採や環境破壊、便利さの裏で失われていく生き物たちのことまで含めれば、人間は「罪悪を作らずして生きていけない」という言葉の重みが、ただの観念ではなく現実として迫ってきます。

自分の手で直接何かをしていなくても、社会の仕組みの中で、その一端に加わりながら生きている。そのことを見ないふりはできないと思いました。人間は悪人だから駄目だ、と突き放すための話ではなく、人間がそもそもそういう存在であることを知ったうえで、ではどう生きるのかを考えさせる本なのだと感じます。

自分を善人と思い込んだままでは見えないものがある。自分の内側にある醜さ、弱さ、愚かさを認めて初めて、人生の意味を問う入り口に立てる。そんな厳しさを持った本でした。

それでも生きる意味を考えたい

本書の後半は、阿弥陀仏の本願、そして人間に生まれた唯一の目的へと話が進んでいきます。このあたりは宗教的な話になりますが、私には単なる宗教の勧めというより、東洋哲学として読むことができました。

人は老い、病み、そして死ぬ。その避けられない現実の中で、何を拠りどころにして生きるのか。何のために生まれてきたのか。その問いは、時代が変わっても消えることのない、人間の根本の問いなのだと思います。

振り返れば、人生には山も谷もあります。仕事でも家庭でも、うまくいくことばかりではありません。多くの人に囲まれていても、ふとした瞬間にどうしようもない孤独を感じることもある。その姿を、本書では「無人の荒野を一人で行く旅人」と表現していましたが、このたとえはとても印象に残りました。人は結局、自分の人生を自分で引き受けて生きるしかない。その孤独から目をそらさずに見つめることもまた、人生の目的を考える一歩なのだと思います。

私は、こういう本をたまに読みたくなります。世の中への怒りや不安、自分の心のざわつきが大きくなったとき、いったん立ち止まって、自分を見つめ直したくなるからです。宗教書として読むというより、自分を顧みるための本として読む。そうすると、この本が語っていることは決して遠い話ではなく、日々の自分にそのまま返ってくる問いになります。

人は怒りと欲を抱えたまま生きていく。きれいごとでは生きていない。その現実をまず認めること。そして、そのうえでなお、生きる意味を考えること。
この本は、その出発点を静かに、しかし厳しく示してくれる一冊でした。

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