土を知らずに、私は生きてきた

『土と生命の46億年史』藤井一至 著を読んで
孫と絵本を読んでいた時、ふと「土」という言葉が心に引っかかった。
土なんて、そこにあるものだと思っていた。
畑にも、山にも、道端にも、庭にも、当たり前のようにある。
歩けば靴につき、雨が降ればぬかるみ、乾けばほこりになる。
でも私は、その土について、今までほとんど何も考えてこなかった。
この本を読んで、正直に言えば、地球の成り立ちや、岩石がどう変化して土になるのか、微生物がどう働いているのか、その細かな仕組みを全部理解できたわけではない。
それでも、大きく一つだけ感じたことがある。
土は、ただの地面ではない。
生命を支える、大きな循環そのものなのだ。
土は、簡単には作れない
本の中で強く残ったのは、現代の科学技術をもってしても、作れないものがあるという話だった。
それが、生命と土。
人間はビルも車もAIも作る。
工場で肥料を作り、農作物の収量も増やしてきた。
けれど、本当の意味での土は簡単には作れない。
石が風化し、粘土になり、微生物が働き、植物や動物の命が重なり、長い時間をかけて土になっていく。
そこには、人間の都合では短縮できない時間がある。
私は建築の仕事をしているので、鉄やコンクリートや構造物については日頃から考えている。
けれど、その下にある土については、あまりにも当たり前すぎて見ていなかった。
家も、工場も、道路も、田んぼも、すべて土の上にある。
そのことに、今さらながら恥ずかしさを覚えた。
食べ物も、山も、海もつながっている
この本を読んで驚いたのは、人類の食料の大部分が、直接的にも間接的にも土に依存しているということだった。
米も、野菜も、果物も、草を食べる動物も、結局は土から始まっている。
魚介類も、海だけで完結しているわけではない。
山から川へ、川から海へと栄養が流れ、海の命も支えられている。
山の環境が、海の環境にもつながっている。
私は今まで、山は山、川は川、海は海と別々に見ていた。
けれど本当は、すべてが循環の中でつながっている。
家計でいえば、収入と支出のバランスが崩れれば、貯金は減っていく。
土も同じで、循環する力を超えて取り出し続ければ、やがて土の力は弱っていく。
これは農業だけの話ではなく、人間の暮らし方そのものの話だと思った。
土が疲れるということ
人類は、食料を増やすために耕地を広げ、やがて面積あたりの収穫量を増やそうとした。
その大きな力になったのが、窒素肥料だった。
これは大発明だったのだと思う。
多くの人が食べられるようになったことは、否定できない。
ただ、その便利さの裏側で、土が疲れている。
人間の体も無理をすれば疲れる。
会社も無理な経営をすれば持たない。
土も同じなのだ。
自然の循環を超えて、人間だけが取り出し続けている。
このことを考えると、少し怖くなる。
恥ずかしさから、敬意へ
この本を読んで一番感じたのは、知識が増えたことよりも、自分の無関心への恥ずかしさだった。
私はこれまで、山も海も田んぼも花も、たくさん見てきた。
写真も撮ってきた。
でも、そのすべてを支えている土のことを、ほとんど考えてこなかった。
けれど、その恥ずかしさは悪いものではない。
知らなかったことに気づくと、世界の見え方が少し変わる。
道端の土も、田んぼの泥も、山の斜面も、ただの地面ではなくなる。
そこには、長い時間があり、生命の積み重ねがあり、見えない微生物たちの働きがある。
私はこの本を読んで、土に対して少し頭を下げたくなった。
足元にある奇跡
未来の住宅を考えるなら、建物の形や性能だけでは足りない。
その建物がどんな土地に立ち、どんな自然の循環の中にあるのか。
災害に強い住宅、気候変動に対応できる住宅を考えるなら、土や水や山や海のつながりを無視してはいけない。
土は、ただ建物を支える地盤ではない。
生命を支える基盤であり、人間の暮らしの根っこなのだ。
土は、当たり前にあるものではなかった。
時間と生命と循環が重なって生まれた奇跡だった。
孫と絵本を読んだ時に引っかかった小さな言葉が、こんな大きな世界につながるとは思わなかった。
足元にあるものほど、見えにくい。
でも本当に大切なものは、いつも足元から私たちを支えているのかもしれない。
