AI時代に、幸せの距離を考える

――『なぜヒトだけが幸せになれないのか』小林武彦 著を読んで
人は、なぜ幸せになりたいと願いながら、なかなか幸せを感じられないのだろう。
神社に行けば、家族の健康を願い、仕事の成功を願い、子どもや孫の無事を願う。最後にはやはり「幸せでありますように」と手を合わせる。
けれども、考えてみれば不思議です。
人間は、これほど便利な時代に生きている。食べ物もあり、住む場所もあり、医療もあり、情報もあふれている。それなのに、なぜか不安が消えない。もっと欲しい、もっと安心したい、もっと認められたい。幸せになるために生きているはずなのに、幸せが遠く感じられることがある。
小林武彦さんの『なぜヒトだけが幸せになれないのか』を読んで、その理由の一つが少し見えた気がしました。
幸せとは「死からの距離」だった
この本でとても印象に残ったのは、幸せを「死からの距離」として考える視点です。
野生の生き物にとって、幸せはとても単純です。食べること。そして、食べられないこと。生き延びること。それがそのまま幸せにつながっている。
つまり、死ぬ可能性が遠ざかっている状態。安心して、気分よく、生きていられる状態。それが生物としての幸せなのだという考え方です。
人間も本来は同じはずです。
ところが人間は、頭が良くなりすぎた。未来を考え、過去を悔やみ、人と比べ、財産を持ち、地位を気にし、老後を心配する。実際には今、死が迫っているわけではないのに、頭の中でいくらでも不安を作り出してしまう。
だからヒトだけが、幸せを感じにくくなったのかもしれません。
弱かったから、道具を作った
人間は、もともと強い動物ではなかったと思います。
鋭い牙があるわけでもない。速く走れるわけでもない。裸の体で、自然の中に放り出されたら、とても弱い存在です。
けれども、その弱さがあったからこそ、人間は道具を作り、火を使い、言葉を持ち、仲間と協力するようになった。
火を使えば食べられるものが増える。道具を使えば狩りもできる。言葉があれば危険を伝えられる。集団で生きれば、一人では越えられない困難も越えられる。
人間の幸せは、一人で完結するものではなく、誰かとつながり、協力し、助け合うことで「死からの距離」を広げてきたのだと思います。
これは会社経営にも通じる話だと感じました。
一人の力では限界がある。けれども、それぞれの得意を持ち寄り、支え合えば、新しいことができる。人間は最初から、協力しなければ生きられない生き物だったのだと思います。
子どもがいなければ幸せではない、ではない?
この本を読んで、もう一つ心に残ったのは、子どもや子孫についての考え方です。
もちろん、子どもを持つこと、育てることは大きな幸せです。私自身も、孫と過ごす時間の中で、命がつながっていく不思議さやありがたさを感じます。
けれども、だからといって、子どもがいなければ幸せではない、ということではない。
自然界を見ても、直接子孫を残さない個体はたくさんいます。ミツバチの働き蜂もそうです。シロアリもそうです。マグロも成熟する前にほとんどが死んでしまう。すべての個体が子孫を残すようには、自然はできていない。
それでも、それぞれの命には役割がある。
子どもを育てることだけが幸せではなく、誰かを助けること、何かを作ること、好きなことに没頭すること、学び続けることも、死からの距離を広げる行為なのだと思います。
私にとっては、読書も、写真も、会社で新しい挑戦をすることも、AIを使って考えを深めることも、すべて幸せに近づく行為なのかもしれません。
都市に集まるほど、不安も集まる
本の中で、都市への人口集中についても考えさせられました。
人が集まるところに、さらに人が集まる。労働力が集まり、富が集まり、また人が集まる。都市はそうやって大きくなっていく。
しかし、人間の体や心は、もともと大都市向けに作られているわけではないのかもしれません。
人類の長い歴史の大部分は、少人数の集団で、自然の中を移動しながら暮らしてきた時間です。動き回り、顔の見える仲間と暮らし、自然の変化を感じながら生きてきた。
それが急に、密集した都市で、情報に追われ、知らない人に囲まれ、時間に追われる生活になった。
便利にはなったけれど、心の奥ではどこか苦しい。これは人間が本来持っている幸せの仕組みと、現代の暮らしが少しずれているからなのかもしれません。
地方に住む私には、この話はとても実感があります。
自然が近くにあり、車で少し走れば山も海もある。写真を撮りに出かけ、季節の花に出会い、知らない場所で光を待つ。そういう時間は、まさに自分の「死からの距離」を広げてくれているのだと思います。
AIは、人が作ったエイリアンなのか
最後の「テクノロジーは人を幸せにするか」という章も、とても面白く読みました。
著者はAIを、人間が作り出したエイリアンのような存在として見ています。
AIは食べ物を必要とせず、電気で動く。計算が早く、記憶力があり、理解も回答も早い。さらに、自分自身を更新し、ネットワークを通じて広がっていく。
確かに、これは少し怖い存在でもあります。
人の役に立つふりをして、依存度を高め、気づかないうちに人間の考える力を弱めていく可能性もある。使い方を間違えれば、人間にとって大きな危険になるかもしれない。
けれども私は、AIそのものが悪いとは思いません。
問題は、どう使うかです。
スマホも同じです。著者が言う「デジタルポテトチップス」という表現は、本当にうまいと思いました。食べ始めたら止まらないポテトチップスのように、スマホを見始めると止まらなくなる。
私自身も、その一人です。
ただし、スマホやAIを使っているからすべて悪い、とは言えないと思います。そこで何を読んでいるのか。何を考えているのか。自分の思考を深めるために使っているのか。ただ時間を溶かしているだけなのか。
そこに大きな違いがあります。
本の虫が本を読みすぎるのと、スマホで深い文章を読むのとでは、道具が違うだけで、行為の質は近い場合もあると思います。
大事なのは、AIやスマホに使われるのではなく、幸せになるためにこちらが使うことです。
幸せのために、何をするか
この本を読んで、私は改めて考えました。
これからの時代、人間はただ生きるだけではなく、どう幸せに生きるかを真剣に考えなければならない。
自分のDNAに刻まれてきたものを知る。人間はなぜ不安になるのか。なぜ集団から外れることを怖がるのか。なぜ人と比べるのか。なぜ財産を持つと安心する一方で、失う恐怖も増えるのか。
そういうことを知るだけでも、自分を少し客観的に見られるようになります。
そして、現代の道具をどう使うか。
AIも、スマホも、車も、3D技術も、メタバースも、すべて人間が作った道具です。道具は人を幸せにもするし、不幸にもする。だからこそ、使い方を考え続けなければならない。
私にとって幸せとは、安心して、気分よく、前を向いて生きられることです。
本を読むこと。写真を撮ること。家族と過ごすこと。会社で新しいことに挑戦すること。自然の中に身を置くこと。AIを使って自分の考えを整理すること。
それらはすべて、私の死からの距離を少しずつ広げてくれているのだと思います。
幸せは、遠くにある大きな目標ではなく、今日の行動の中にある。
だからこれからも、私は考え続けたい。
ただ長く生きるためではなく、幸せに生きるために、今日何ができるのかを。
