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4万年の旅に、私はいる

―『「新装版」アフリカで誕生した人類が日本人になる』溝口優司 著を読んで―

私たちは、みんなアフリカから来た

「日本人はどこから来たのか」

そんな問いに答えようとすると、私はこれまで縄文人や弥生人の話から考えていた。

学校で習った歴史も、だいたいそのあたりから始まる。

縄文時代があり、弥生時代があり、大陸から人が渡ってきて、少しずつ今の日本人がつくられていった。

私は、なんとなくそう理解していた。

しかし、この本を読んでいると、それでは時間の幅があまりにも短いことに気づかされた。

私たちの物語は、もっともっと遠い。

人類はアフリカで誕生した。

そこから何万年、何十万年という時間をかけ、世界中へ広がっていった。

山を越え、砂漠を越え、寒い土地へ入り、海を渡り、さまざまな環境に適応しながら、ようやく日本列島までたどり着いた。

日本で見つかっている最古のホモ・サピエンスの人骨は、約4万年前のものだという。

4万年。

数字で書けば、たった三文字である。

しかし、私にはその時間の長さがまったく想像できない。

私は70年生きてきた。

自分では、ずいぶん長く生きてきたつもりでいる。

会社の歴史も見てきた。

世の中の変化も見てきた。

コンピューターも、インターネットも、スマートフォンも、AIも、自分の人生の中で登場した。

それだけでも、ものすごい変化だったと思う。

しかし、4万年という時間の前では、70年などほんの一瞬でしかない。

その一瞬の中に、私は今いる。

そして、その遠い遠い旅の先に、今の私の身体がある。

この本を読んで、まずそのことに驚いた。

人間の身体は、環境に合わせて変わってきた

人間の身体は、最初から今の形だったわけではない。

直立二足歩行をするようになり、手が自由になった。

手が自由になると、道具を使えるようになった。

石器を使い、火を使い、食べ物を加工するようになった。

すると、それまで必要だった大きな顎や大きな歯が、少しずつ小さくなっていったという。

特に面白かったのは、犬歯の話だった。

動物にとって犬歯は、食べるためだけでなく、威嚇や攻撃のための武器でもある。

しかし、人間は手に道具を持つようになった。

口で相手を威嚇するより、手に武器を持った方が強い。

その結果、犬歯は小さくなっていったのではないかという。

人間は、身体そのものを強くするだけではなく、自分の外側に道具をつくることで生き延びてきた。

ここは、今の私たちにもつながっているように思う。

私は日頃からAIを使っている。

CADも使う。

3Dも使う。

点群スキャナーも使う。

自分の頭や手だけではできないことを、道具によって補っている。

考えてみれば、人間は何万年も前から、ずっと同じことをしてきたのではないだろうか。

自分に足りないものを、道具で補う。

弱いから工夫する。

できないから考える。

それが人間なのだと思う。

一重まぶたにも、祖先の旅の記憶がある

この本の中で、私が特に面白いと思い、何度も考えたのが、まぶたの話だった。

日本人を含む東アジアや北アジアの人々には、一重まぶたの人が多い。

私は最初、この話を聞いて少し不思議に思った。

一重と二重。

言葉だけで考えると、「二重」の方が何かが重なっているように見える。

だから私は、

「二重まぶたの方が、脂肪が多いのではないか」

と一瞬思った。

しかし、実際には逆だという。

一重まぶたは、まぶたの脂肪や組織に厚みがあるため、皮膚が折れ込みにくく、二重の線ができにくい。

二重まぶたは、目を開ける筋肉と皮膚のつながりによって、皮膚が折れ込んで線ができる。

だから、「二重」という言葉だから脂肪が二重についているわけではない。

むしろ、まぶたに厚みや脂肪があることで、折れ目ができにくくなり、一重に見えるという。

私は、ここでようやく納得した。

そして、この本では、その一重まぶたの特徴について、寒冷地への適応との関係が紹介されている。

遠い祖先が寒い地域を通り、厳しい寒さの中で暮らすうちに、眼球や目の周りを寒さから守るため、まぶたに脂肪や厚みが増えたのではないか。

その結果として、一重まぶたにつながる特徴が生まれたのではないかという。

もちろん、これは一つの仮説であり、すべてが完全に解明されたわけではない。

しかし、私はこの話にとても驚いた。

なぜなら、今の日本が特別に寒いから、日本人に一重まぶたの人が多い、という話ではないからだ。

もっと遠い祖先の話なのである。

アフリカを出た人類が、何万年もの時間をかけて移動する途中で、寒冷な地域を通った。

そこで身体が環境に適応し、その特徴を持つ人々の子孫が、さらに長い移動を続け、やがて日本列島へたどり着いた。

つまり、今の自分のまぶたに、何万年も前の祖先の旅の跡が残っているかもしれないのである。

これは、本当に不思議なことだと思う。

私たちは普段、一重か二重かを、美しさの基準として見てしまう。

二重にしたい。

目を大きく見せたい。

そんな話はよく聞く。

しかし、人類の長い時間で考えると、見え方がまったく変わる。

一重まぶたは、単なる見た目の違いではない。

そこには、遠い祖先が寒さを生き抜いた記憶があるのかもしれない。

自分の顔を鏡で見る。

そこに、何万年も前の人類の移動が残っている。

そう考えると、顔というものが急に不思議に思えてくる。

鼻の形。

肌の色。

髪の濃さ。

体格。

まぶた。

私たちは、自分の身体を「自分のもの」だと思っている。

しかし実際には、何千世代もの祖先から受け継いだものなのである。

私の顔は、私一人でつくられたものではない。

遠い昔の人々が、どこを歩き、どんな寒さに耐え、どんな食べ物を食べ、どんな環境を生き抜いてきたか。

その積み重ねの先に、今の私がいる。

そう思うと、自分の身体を見る目さえ変わってくる。

肌の色も、髪も、体格も、長い環境の中で生まれた

人間の身体の違いは、何か優れているとか、劣っているとか、そういう話ではない。

ただ、その土地で生き延びるために変化してきた。

寒い地域では、熱を逃がしにくい体格が有利になる。

暑い地域では、また別の身体の特徴が有利になる。

肌の色も、髪の特徴も、環境との関係の中で長い時間をかけて変化してきた。

考えてみれば、当たり前のことなのかもしれない。

人間だけが自然から切り離されて存在しているわけではない。

私たちも、生物である。

植物が環境によって姿を変えるように、動物も環境によって姿を変える。

人間も同じなのである。

しかし、私たちはつい、人間だけを特別に考えてしまう。

国籍で分ける。

人種で分ける。

文化で分ける。

肌の色で分ける。

顔の違いで分ける。

けれど、もっと長い時間で見れば、私たちはみんな同じホモ・サピエンスである。

もともとは、みんなアフリカから始まった。

そこから、違う道を歩いただけなのだ。

そう考えると、人間同士が小さな違いで争うことが、なんとも不思議に思えてくる。

強かったから生き残ったのではない

ネアンデルタール人の話も興味深かった。

彼らは寒冷地に適応した、頑丈な身体を持っていた。

身体そのものが寒さに強かった。

一方、ホモ・サピエンスは、身体だけでは寒さに十分対応できなかった。

だから、考えた。

服をつくった。

針を使った。

住居をつくった。

火を使った。

道具を発達させた。

私は、ここに人間という生き物の面白さを感じる。

強かったから生き残ったのではない。

弱かったから工夫した。

足りなかったから考えた。

不便だったから、つくった。

もしかしたら、人間の進化とは、身体を強くすることではなく、自分の外側に新しいものをつくり続けることだったのかもしれない。

今、私たちはAIという新しい道具を手にしている。

AIによって、人間の仕事が奪われると言う人もいる。

AIを恐れる人もいる。

しかし、人類の長い歴史から見れば、道具を使うことは、人間らしさそのものなのではないか。

石器を使った。

火を使った。

針を使った。

機械を使った。

コンピューターを使った。

そして今、AIを使う。

そう考えると、AIも突然現れた異質なものではなく、人類が何万年も続けてきた自己拡張の延長線上にあるように思える。

私は、人間とAIが融合する時代を面白いと思っている。

それは、もしかすると人類が昔から続けてきた旅の、次の一歩なのかもしれない。

2000年と1万3000年

この本を読んで、私が最も立ち止まったのは、縄文時代の長さだった。

縄文時代は、およそ1万3000年も続いたという。

1万3000年。

これも、私には想像できない時間である。

私たちはよく、

「日本の伝統」

「日本の文化」

「日本人らしさ」

という言葉を使う。

もちろん、それは大切である。

日本の歴史や文化を大切にすることに、私は何の異論もない。

しかし、今の私たちが日本文化と呼んでいるものの多くは、せいぜい2000年ほどの歴史である。

それに対して、縄文時代は1万3000年も続いた。

そう考えると、私は急に時間の感覚が分からなくなった。

今まで自分が見てきた「日本の歴史」は、なんと短いのだろう。

縄文時代だけでも1万3000年ある。

その前には、日本列島へたどり着くまでの何万年という人類の移動がある。

さらにその前には、アフリカで始まった人類の歴史がある。

そう考えると、

「日本人とはこういうものだ」

「日本の文化とはこういうものだ」

と簡単に言い切ることが、少し怖くなる。

私たちは、ほんの短い時代の価値観を見て、それが永遠に続いてきたもののように考えているのではないだろうか。

今の常識も、何千年後の人から見れば、ほんの一時期の習慣でしかないかもしれない。

今、絶対に正しいと思っていることも、未来から見れば不思議な考え方に見えるかもしれない。

そう思うと、もっと長い時間で物事を考えなければならないと思う。

「日本人」という完成品はない

DNA分析の技術が進み、日本人の起源についても、これまでの考え方が少しずつ変わっているという。

縄文人。

弥生人。

大陸から来た人々。

北から来た人々。

南から来た人々。

アイヌの人々。

琉球の人々。

昔は、もっと単純に説明されていたように思う。

しかし、今はそう簡単ではないことが分かってきている。

私は、そこがとても面白い。

日本人は、ある時突然完成した民族ではない。

いろいろな場所から来た人々が出会い、混ざり、環境に適応しながら、少しずつ今の姿になってきた。

そして、それは今も続いている。

そう考えると、「日本人」という完成品はないのではないかと思う。

人間は、いつも変化の途中にいる。

日本人も変化の途中。

人類も変化の途中。

今の私たちが最終形ではない。

それは、考えてみれば当たり前のことなのだが、普段はそんなふうに考えない。

私たちは、今を完成形だと思い込んでいる。

しかし、未来の人類から見れば、今の私たちも「途中の人間」なのである。

70年も、4万年の中では一瞬

私は70年生きてきた。

自分の人生を振り返ると、たくさんのことがあった。

会社を経営してきた。

失敗もした。

うまくいったこともある。

いろいろな人に出会った。

いろいろな場所へ行った。

本もたくさん読んだ。

写真もたくさん撮った。

自分なりに、長い人生を歩いてきたと思っている。

しかし、4万年という時間の前では、70年など一瞬である。

縄文時代の1万3000年と比べても、ほんの点にもならない。

そう思うと、少し気持ちが楽になる。

今、自分が悩んでいること。

今、社会が大騒ぎしていること。

今、絶対に変えられないと思っていること。

それらも、長い時間で見れば、ほんの一時期の出来事なのかもしれない。

もちろん、今を大切に生きることは必要である。

しかし、今だけをすべてだと思わないことも大切なのではないか。

もっと長く見る。

もっと遠くから見る。

私は、この本からその視点をもらった。

私の顔にも、4万年の旅がある

この本を読み終えて、改めて自分の顔を考えた。

まぶた。

髪。

肌。

体格。

それは、ただの「私の身体」ではない。

遠い祖先が、長い長い時間をかけて生き延び、移動し、環境に適応してきた結果でもある。

一重まぶたの話を聞いた時、私は最初、

「日本はそれほど寒い国なのだろうか」

と思った。

さらに、

「二重まぶたの方が、脂肪が多いのではないか」

とも思った。

しかし、よく考え、仕組みを知っていくと、それは今の日本の気候の話ではなかった。

何万年も前の祖先の旅の話だった。

そして、一重と二重という言葉の印象とは逆に、まぶたの厚みや脂肪が多いことで、一重の特徴が生まれることも知った。

私は、こういう瞬間が本を読む面白さだと思う。

自分が当たり前だと思っていたことが、一度ひっくり返る。

疑問を持つ。

調べる。

そして、今までとは違う景色が見えてくる。

今の私の顔にも、祖先の旅の記憶が残っているのかもしれない。

アフリカを出発し、長い時間をかけ、寒い地域を通り、さまざまな場所で生き延び、ようやく日本列島へたどり着いた。

その旅の先に、私はいる。

そう思うと、自分という存在が急に大きな時間の中に置かれる。

私は、自分一人で生きているのではない。

何万年という命の連続の先にいる。

そして私もまた、その長い旅のほんの一瞬を生きている。

この本を読んで、私は改めて思った。

人間を考えるときも、日本を考えるときも、目の前の数十年だけを見てはいけない。

もっと長く。

もっと遠く。

4万年の旅の中に、自分を置いてみる。

すると、

「私はどこから来たのか」

という問いは、いつの間にか、

「人類は、これからどこへ行くのか」

という問いに変わっていた。

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