人生は、いただいたものでできている

喜多川泰著『いただきます。人生が変わる「守衛室の師匠」の教え』を読んで
喜多川泰さんの本は、これまでにも何冊も読んできた。
そのたびに、自分は何のために生まれてきたのか、何のために生きていくのかという、普段は心の奥にしまっている問いを静かに差し出される。
今回読んだ『いただきます。人生が変わる「守衛室の師匠」の教え』も、まさに喜多川ワールドに満ちた一冊だった。
読み終えたとき、私はもう一度、自分の人生を真剣に考えてみたいと思った。
小説なので、物語の内容にはあまり触れないでおきたい。
登場人物が誰と出会い、何を教えられ、どのように変わっていくのか。それは、実際に読んだ人がそれぞれの人生と重ねながら感じるものだと思うからだ。
同じ本を読んでも、心に残る言葉は人によって違う。
そして同じ人であっても、読む年齢や置かれている状況によって、見えてくる景色は変わる。
今の私に強く残ったのは、「いただきます」という言葉だった。
私たちは、何をいただいて生きているのか
「いただきます」は、食事の前に口にする言葉である。
しかし、この本を読みながら考えていると、私たちがいただいているのは、目の前の食べ物だけではないことに気づかされる。
動物や植物の命。
食べ物を育てた人の時間。
運んだ人、販売した人、調理した人の働き。
大地や水、太陽の光。
そして、遠い昔から今日まで受け継がれてきた無数の命。
私たちは、自分一人の力で生きているのではない。
誰かの命をいただき、誰かの思いや時間をいただき、数え切れないほどのつながりの中で今日を生きている。
それを完全に理解したとは、とても言えない。
「分かった」と言ってしまうことさえ、おこがましいように思う。
それほど「いただきます」という言葉には、深く、広く、簡単には消化し切れないものが込められている。
すべてのものが、自分の師匠になる
物語には、若者に大切なことを伝える「師匠」が登場する。
私は以前から、世の中にあるすべてのものが、自分の師匠になり得ると思っている。
師匠とは、必ずしも年上の人ではない。
地位の高い人でも、有名な人でも、特別な肩書を持つ人でもない。
道端に生えている草も、転がっている石も、自分の見方次第では師匠になる。
生まれたばかりの孫からも、私は多くのことを教えられる。
まだ言葉を話せない子どもが見ている世界は、私が想像するよりも、はるかに豊かで新鮮なのかもしれない。
若い人の考え方に驚かされることもある。
何気なく出会った人の一言によって、それまでの自分の思い込みに気づくこともある。
人は、置かれた環境や出会った人によって、少しずつ考え方を変えていく。
だからこそ、自分が知っている世界だけがすべてだと思ってはいけない。
この年齢になっても、知らないことはたくさんある。
学べば学ぶほど、自分はまだ何も知らない素人なのだという気持ちは、むしろ強くなっていく。
私に見えている世界は、きっと世界のほんの一部分にすぎない。
そのことを忘れずにいたい。
過去を後悔しないために、今を生きる
私はこれまでの人生を振り返って、それほど大きな後悔はない。
もちろん、失敗も間違いもたくさんあった。
周囲から見れば、「あの判断は間違っていた」と言われることもあるだろう。
それでも、自分なりにその時々を一生懸命考え、選び、行動してきた。
そして後になってから、その出来事の意味を自分なりに解釈し直してきた。
だから、「あの時やっておけばよかった」「あの時こうしていれば」と、過去に立ち止まり続けることが少ないのだと思う。
私が一番避けたいのは、やらなかったことを後悔する人生である。
正しかったかどうかは、すぐには分からない。
それでも、その時の自分が本気で考えて選んだ道なら、そこからまた学び直せばいい。
大切なのは、誰かの人生をお手本にして、その通りに生きることではない。
誰かと同じになろうとしすぎれば、かえって自分を見失ってしまう。
出会った人から学びながらも、最後は自分の人生を自分で引き受ける。
そのために、今を一生懸命生きる。
この本を読みながら、私は自分がこれまで大切にしてきたことを、あらためて確認することができた。
命のバトンを、次の人へ
本の中には、私の暮らす新潟県長岡市に関係する学生や、懐かしい方言も登場する。
その言葉に触れるたび、物語が急に身近なものになり、心が温かくなった。
人は、自分が生きてきた証しを、形あるものだけで残すのではない。
誰かに伝えた言葉。
誰かに示した姿勢。
誰かを励ました記憶。
そうしたものもまた、命のバトンとして次の人へ渡っていく。
私たちは、多くの人からさまざまなものをいただいて、ここまで生きてきた。
そしていつか、自分がいただいてきたものを、次の誰かへ渡していく。
知識だけではない。
考え方や優しさ、生きる勇気も手渡していくことができる。
「いただきます」は、ただ食事を始めるための言葉ではない。
命を受け取る言葉であり、つながりに気づく言葉であり、自分もまた次へ何かを渡していく覚悟の言葉なのかもしれない。
読み終えたあと、心が温かくなると同時に、深い場所を静かに揺さぶられた。
久しぶりに、誰かに心から勧めたいと思える本に出会った。
私たちの人生は、これまでに「いただいたもの」でできている。
だからこそ、今日という一日も、当たり前だと思わずに受け取りたい。
そしていつか、自分も誰かから「いただきました」と思ってもらえるようなものを、静かに手渡していきたい。
