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自分の体は、いちばん身近な未知の世界

『未知なる人体への旅 自然界と体の不思議な関係』を読んで

年齢を重ねるにつれて、私は人体について考えることが多くなった。

昨年、私は胆のうの切除手術を受けた。
そして、兄を白血病で亡くした。

兄の闘病中、医師から血液や骨髄、白血球、赤血球、血小板について何度も説明を受けた。病気について調べながら、兄の体内で何が起きているのかを必死に想像しようとした。

しかし、どれだけ説明を聞いても、目に見えない体の中を頭の中に思い描くことは難しかった。

最先端の医療が発達した現在でも、人間の体には、まだ分からないことが数多く残されている。

そんな思いを抱えながら、ジョナサン・ライスマン著、羽田詩津子訳の『未知なる人体への旅 自然界と体の不思議な関係』という電子書籍を開いた。

生命の舞台裏をのぞく

本書には、体内を見ることは「生命の舞台裏をのぞくようなものだ」という意味の言葉が出てくる。

確かにそうだと思った。

私たちは普段、皮膚に包まれた外側の姿で生きている。

人と話し、空気を吸い、自然に触れ、食べ物を口にする。そこには会話や仕事、人間関係など、日常生活のすべてがある。

しかし、その皮膚の内側では、心臓が動き、血液が流れ、肺が空気を取り込み、肝臓が物質を選別し、腸が栄養を吸収している。

私たちが眠っている間も、その働きが止まることはない。

本書には、喉、心臓、胆のう、便、尿、粘液、肝臓、松果体、脳、皮膚、指先など、人体のさまざまな部位や働きが登場する。

私は、その中から自分が驚いたことや、「なるほど」と感じたことを拾いながら読んでいった。

喉は、驚くほど危うくできている

特に印象に残ったのは、喉の構造だった。

人体のほかの臓器が精巧にできているのに対して、喉は驚くほど危うい。

私たちは同じ喉を使って、空気を吸い、食べ物を飲み込み、言葉を発している。

空気が通る気管と、食べ物が通る食道が、喉の奥という非常に近い場所で分かれている。

少し間違えば、食べ物は食道ではなく気管へ入ってしまう。

飲み込むという何げない動作にも、五つの脳神経と二十以上の筋肉の協力が必要だという。

考えてみれば、これはすごいことだ。

私たちは食事のたびに、意識することなく複雑な動作を成功させている。

しかし、食べながら話すと、その連携が乱れやすくなる。食道へ送るはずの食べ物が気管へ入り、空気の通り道を塞げば、窒息する可能性もある。

昔から「食事中は黙って、よく噛んで食べなさい」と言われてきた。

これは単なる行儀の話ではなく、命を守るための教えでもあったのだと気づいた。

喉の奥で、細菌は隙を待っている

さらに驚いたのは、肺炎の原因となる細菌が、外から突然襲ってくるとは限らないことだった。

肺炎の原因になり得る細菌は、人間の口や喉の奥、気管の入り口のすぐ近くにも存在している。

健康な時には、飲み込む力や咳の反射が働き、細菌が肺へ入るのを防いでいる。

ところが、高齢になったり、病気で体力が落ちたり、睡眠中に防御反応が弱くなったりすると、細菌を含んだ唾液などが気管へ流れ込むことがある。

まるで喉の奥で、肺へ続く扉が開く瞬間を待っているかのようだ。

もちろん、細菌に人間のような意思があるわけではない。

それでも本書を読んでいると、普段は喉の奥で共存していながら、こちらの防御が緩んだ時に肺へ滑り込む、その危うさを感じずにはいられなかった。

肺へ入った細菌が繁殖すれば、誤嚥性肺炎を引き起こすことがある。

高齢者に肺炎が多いことは知っていたが、その原因が、自分の口や喉に普段からいる細菌である場合もあることに衝撃を受けた。

咳をすることも、これまでは厄介な反応としか考えていなかった。

しかし咳は、気管や肺へ入りかけた異物を外へ追い出すための重要な防御機能である。

咳は肺を守り、くしゃみは鼻を守り、おう吐は消化器を守る。

不快だと思っていた反応にも、命を守る意味があったのだ。

なくなって初めて知った胆のう

私は胆のうの切除手術を受けてから、胆のうの働きに興味を持つようになった。

それまでは、胆のうが体のどこにあり、何をしているのかも、ほとんど知らなかった。

胆汁は肝臓でつくられ、胆のうに蓄えられる。

そして食事に応じて送り出され、細い管を通り、膵臓から出る消化液とも合流しながら小腸へ運ばれ、脂肪の消化を助ける。

本書では、こうした体内の流れを、地上を流れる川に重ねて描いている。

細い支流が合流し、やがて大きな川になっていく。

胆のうは単独で働いているのではない。

肝臓や膵臓、小腸などとつながり、消化という大きな流れの一部を担っている。

私は胆のうを失って、初めてその働きを知った。

人間は、あるものが正常に働いている時には、その存在をほとんど意識しない。

なくなったり、痛んだりして初めて、それまで黙って働いてくれていたことに気づく。

健康も同じなのだと思う。

人体の中にも川が流れている

人体の血管や管は、自然界の川によく似ている。

細い流れが集まって太い流れになり、体の隅々まで必要なものを届ける。

配管を修理する時、内科医は主に「詰まり」に注目し、外科医は「漏れ」に目を向けるという説明も興味深かった。

水道管が詰まれば、水は流れない。

管に穴が開けば水圧が下がり、全体の機能が失われる。

人体も同じである。

血管が詰まれば、その先に血液が届かない。血管から血液が漏れれば、血圧が下がり、命に関わる。

人体は機械のようでありながら、自ら傷を修復し、流れを変え、何とか生き続けようとする。

そこが人工の配管とは違う。

私たちの体は、固定された構造物ではない。

絶えず変化しながら自分自身を保っている、生きた自然なのだ。

便と尿は、臓器から届く信号

便についての章も面白かった。

便は、私たちができるだけ早く流してしまいたいと思うものだ。

しかし医療の立場から見ると、便は内臓の状態を伝える重要な情報源である。

便の色や形、硬さ、においを見ることで、体内の異常が分かることがある。

普通の便が茶色になるのは、古くなった赤血球が分解される時に生じるビリルビンなどの色素が関係している。

つまり便は、単なる食べ物の残りではない。

体の中で使われ、分解され、役目を終えたさまざまなものが集まった、体内からの報告書でもある。

尿も同じである。

色や濃さ、量、成分には、腎臓をはじめとする体内の状態が表れる。

健康診断で便や尿を調べる意味を、私はこれまで深く考えたことがなかった。

しかし本書を読んで、便や尿は捨てて終わるものではなく、臓器が外へ送り出している信号なのだと分かった。

体の中を直接見ることはできなくても、体から出てくるものを調べることで、内側で何が起きているのかを知る手がかりになる。

健康診断で便検査や尿検査が重視される理由も、ようやく実感として理解できた。

私たちの体は、痛みが出る前から、さまざまな方法で小さな変化を知らせているのかもしれない。

その信号を見逃さないことも、自分の体と付き合ううえで大切なのだと思う。

粘液は、静かな防御壁だった

粘液についての話も印象に残った。

鼻水や痰などの粘液は、汚くて厄介なものと思いがちである。

しかし粘液は、鼻や喉、肺、消化器などの表面を覆い、細菌や異物が体内へ入り込むのを防いでいる。

空気中のほこりや病原体を捕まえ、外へ排出する。

食べ物が通る場所では、組織を傷つけないように滑りをよくする。

粘液があるからこそ、私たちの体は外の世界と接しながら、内側を守ることができる。

鼻水や痰が出る時、これまでは不快な症状としか考えなかった。

しかし、それも体が自分を守ろうとしている結果なのである。

人体の働きには、きれいなものと汚いものという区別はない。

便も尿も粘液も、それぞれに重要な役割がある。

人間が勝手に不快だと決めているだけで、体にとってはどれも必要な働きなのだ。

肝臓は、全身へ向かう前の関所

肝臓は、人体の門番のような役割を果たしている。

腸で吸収された栄養の多くは、全身へ向かう前に、まず肝臓という関所を通る。

肝臓はそこで、栄養を必要に応じて蓄えたり、別の形に変えたりしながら、全身へ送り出す。

一方で、脂肪の一部はリンパ管を経由して血液に入るため、すべての栄養が最初に肝臓を通るわけではない。

それでも肝臓が、体内に入ってきた多くの物質を調整する重要な場所であることに変わりはない。

アルコールや薬など、体にとって負担になる物質の処理も、肝臓が引き受けている。

私たちは酒を飲み、薬を飲み、それが体に入った後のことをあまり考えない。

しかし、その後始末をしている臓器がある。

肝臓は文句も言わずに働く。

症状が表れにくいからこそ、私たちはその負担に気づかないまま、さらに仕事を押しつけてしまう。

黙って働いているものほど、限界が見えにくい。

これは会社や家庭にも似ている。

何も言わずに支えてくれている人に、私たちはつい甘えてしまう。

人体を知ることは、人間関係や組織のあり方を考えることにもつながるのだと思った。

朝の光が、体の奥へ届く

睡眠をつかさどる松果体の章も興味深かった。

松果体は脳の中央付近にある小さな器官で、メラトニンを分泌し、私たちの睡眠のリズムに関わっている。

夜になると眠くなり、朝の光を浴びると目が覚める。

当たり前のことに見えるが、その裏側では、目が受け取った光の情報が脳へ伝わり、体内時計が調整されている。

太陽の光が直接、頭の奥まで差し込むわけではない。

しかし、目を通して入った光の情報は、体の奥深くにある小さな器官まで届く。

私たちは皮膚の内側だけで完結しているのではない。

光、空気、食べ物、気温、昼と夜、季節の変化。

外の自然とつながりながら生きている。

睡眠の重要性は誰もが知っている。

それでも私たちは、仕事や趣味を優先し、真っ先に睡眠時間を削ってしまう。

しかし、睡眠は何もしていない時間ではない。

体が自分自身を回復させ、翌日を生きる準備をしている時間なのである。

睡眠がどのように心と体を回復させているのかは、まだ完全には分かっていないという。

毎晩、誰もが経験していることなのに、その仕組みは未知のままである。

これもまた、人体の不思議である。

指先は、世界に触れる小さな入り口

指先についての話も、よく理解できた。

私たちは指先で、物の硬さや柔らかさ、温かさや冷たさ、ざらつきや滑らかさを感じ取っている。

目で見るだけでは分からない情報を、指先は一瞬で受け取っている。

物をつかむ。
文字を書く。
機械を操作する。
人に触れる。

日常の多くの行為が、指先の繊細な感覚に支えられている。

写真を撮る時にも、シャッターを押すのは指先である。

ほんのわずかな力加減やタイミングが、一枚の写真を決める。

普段はあまり意識していなかったが、指先は外の世界と自分の内側をつなぐ、小さくても重要な入り口なのだと思った。

皮膚は、単なる体の包み紙ではない。

その中でも指先は、世界の情報を最も細かく受け取る場所の一つなのだ。

映画が見せてくれたミクロの世界

本書を読みながら、兄の闘病中に観た映画『はたらく細胞』を思い出した。

映画に登場する患者も、白血病を発症する設定だった。

赤血球や白血球、血小板などを人間の姿で描き、目には見えない体内の世界を、誰にでも分かる形で見せてくれた。

兄の体の中でも、このような細胞たちの闘いが続いているのだろうか。

そう思いながら観たことを覚えている。

実際の人体は、映画よりもはるかに複雑だろう。

それでも、体内のミクロの世界をこれほど分かりやすく想像させてくれた、秀逸な映画だった。

『未知なる人体への旅』が言葉で生命の舞台裏を見せる本なら、『はたらく細胞』は映像でその舞台裏を見せてくれた作品だった。

私たちは脳から世界を眺めている

脳は、世界を見るための深遠な展望台である。

私たちは目で景色を見ていると思っている。

しかし、目から入った情報を受け取り、色や形をつくり、意味を与えているのは脳である。

頭蓋骨のすぐ内側にある脳が、私たちの見る世界、聞く音、感じる痛み、記憶、感情をつくっている。

同じ景色を見ても、人によって感じ方が違う。

それは、私たちが外の世界をそのまま見ているのではなく、自分の脳を通して世界を見ているからなのだろう。

意識はどこにあるのか。

自分という感覚は、どのように生まれるのか。

脳の中を電気信号が走ることで、なぜ悲しみや喜びが生まれるのか。

考え始めると、あまりにも奥が深い。

脳については、脳だけを扱った本を、さらに何冊も読んでみたいと思った。

体の中では、すべてが支え合っている

兄の白血病闘病を通して、私は血液の重要性を知った。

赤血球、白血球、血小板。

血液は一つの赤い液体に見えるが、その中には異なる役割を持ったものが存在する。

酸素を運ぶもの。
感染から守るもの。
出血を止めるもの。

どれか一つが正常に働かなくなるだけで、体全体に影響が及ぶ。

兄の体の中で何が起きていたのか、私は最後まで完全に理解することはできなかった。

それでも兄の病気を通して、人体は臓器や細胞が単独で働いているのではなく、すべてがつながり、支え合っていることを知った。

それは会社や社会にも似ている。

目立つ仕事だけが重要なのではない。

表には見えない場所で働く人がいて、全体が成り立っている。

人体には、一つとして意味のない働きはないのだと思う。

最も身近な未知の世界

私たちは、宇宙や深海に未知の世界があると考える。

しかし、最も身近な未知の世界は、自分の体の中なのかもしれない。

七十年近くこの体と一緒に生きてきても、私は自分の体についてほとんど知らない。

心臓が動くことも、食べ物を飲み込めることも、朝になれば目が覚めることも、これまで当たり前だと思ってきた。

しかし、その当たり前の裏側では、数えきれないほどの細胞や器官が連携し、毎日、私の命を守ってくれている。

私は自分の力で生きているつもりだった。

けれど本当は、この体に生かされている。

胆のうの手術を受け、兄の病気を経験し、本書を読んだことで、そのことを強く感じた。

人体について知れば知るほど、分からないことが増えていく。

それでよいのだと思う。

すべてを理解することよりも、自分の中に未知の世界があることに気づく方が大切なのかもしれない。

よく噛んで食べる。
咳やくしゃみを、体を守る反応として受け止める。
薬や酒を取りすぎない。
便や尿の変化にも目を向ける。
健康診断をおろそかにしない。
朝の光を浴び、眠る時間を大切にする。

どれも特別なことではない。

しかし、その一つひとつが、自分の体という自然と付き合っていく方法なのだと思う。

私の体の中にも川が流れ、昼と夜があり、数えきれない生命が働いている。

便も尿も粘液も、体から届く大切な知らせである。

指先は、外の世界を感じ取るための小さな窓である。

その世界を、私はこれからも少しずつ旅していきたい。

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