頭の中の独り言を、温泉に沈める

『右脳温泉―すべてが輝き始める幸福脳への招待状』を読んで
「右脳温泉」というタイトルに惹かれて、この本を手に取った。
右脳と左脳という言葉はよく聞く。左脳は言葉や論理を扱い、右脳は芸術やイメージを得意とする。そんな大まかな知識は持っていた。
しかし、その右脳を「温泉」と表現したところが面白い。
著者の岡田信光さんは、72歳のときに「右脳回帰」を果たしたという。
それは、まるで温かい湯に毎日どっぷりと浸かっているような、大きな安心感と意識の変化に包まれる状態らしい。
喜び、幸福、安心、感謝、直感、気づき。
それらが心の奥から、温泉のようにこんこんと湧き出してくる。
私も70歳を迎えた今、この感覚には大変興味を持った。
頭の中で吠え続ける「自動思考」
本書で特に印象に残ったのが、「自動思考」という言葉だった。
私たちの頭の中には、頼んでもいないのに、さまざまな言葉が浮かんでくる。
「あのとき、ああすればよかった」
「あの人は、なぜ分かってくれないのか」
「失敗したらどうしよう」
「自分は間違っているのではないか」
気がつけば、同じ考えが頭の中を何度も回っている。
いわゆる「ぐるぐる思考」である。
脳には、ぼんやりしているときにも経験や記憶を整理し、自分自身や他人との関係について考える働きがある。これは一般にデフォルト・モード・ネットワークと呼ばれている。
本来は必要な働きなのだろう。
しかし、過去の失敗や不安、怒りに結びつくと、解決策が見つからないまま、同じ思考だけが何度も再生されてしまう。
著者は、この自動思考を生み出す存在を、よく吠える「番犬くん」として表現している。
番犬くんは、私たちを危険から守ろうとしている。
だから、番犬くんそのものが悪いわけではない。
けれども、一度吠え始めると、怒りや不安、恐れ、嫉妬まで呼び起こし、自分自身を苦しめてしまう。
若い頃の私も、この番犬くんをずいぶん吠えさせていたように思う。
仕事でも家庭でも、
「なぜ分からないのか」
「どうして言ったとおりにできないのか」
と、相手を責めることがあった。
しかし、その言葉によって最も苦しくなっていたのは、相手ではなく自分だったのかもしれない。
思考は「私」そのものではない
本書を読みながら、最も大切だと思ったのは、
思考は私の中に起こるが、思考そのものが私ではない
ということだった。
私たちは、自分の頭に浮かんだ考えを、すぐに事実だと思ってしまう。
「嫌われているに違いない」
「自分にはできない」
「あの人は間違っている」
しかし、それは事実ではなく、過去の経験や価値観、思い込みから生まれた、一つの反応にすぎないことも多い。
本書では、こうした思考の土台にある信念や思い込みを「ビリーフ」と呼んでいる。
過去に傷ついた経験があれば、「もう傷つきたくない」という思いが生まれる。
失敗を強く責められた経験があれば、「失敗してはいけない」という信念が残る。
そのビリーフが刺激されるたびに、番犬くんが吠え、自動思考が始まる。
大切なのは、無理に思考を消そうとすることではない。
「ああ、また頭の中で番犬が吠えているな」
と、一歩引いて眺めることなのだと思う。
湧いてきた考えに、すぐ反応しない。
正しい、間違っていると、すぐに判断しない。
ただ、そこにあることに気づく。
それだけでも、思考に振り回される時間は少しずつ短くなるのではないだろうか。
比べる左脳、つなげる右脳
著者は、左脳の基本的な働きを「相対意識」や「分離意識」と表現している。
良いか悪いか。
正しいか間違いか。
成功か失敗か。
優れているか劣っているか。
私たちは物事を比較し、分類することで、社会生活を成り立たせている。
計画を立て、問題を整理し、言葉を使って人に伝えるには、この働きが欠かせない。
一方、右脳は、物事を分けるよりも、全体として受け取ろうとする。
自分と他人を完全に切り離さず、すべてがつながっている感覚を持つ。
そこには、喜び、共感、直感、気づき、無条件の愛といったものがあるという。
ただし私は、この右脳と左脳の説明を、脳の機能を厳密に二分した科学的説明というより、心の状態を理解するための比喩として読んだ。
左脳が悪く、右脳が良いということではない。
論理も言葉も、仕事や生活には欠かせない。
問題は、比較や判断ばかりが強くなり、心の中の番犬が吠え続けてしまうことなのだろう。
必要なときには左脳に働いてもらう。
しかし、普段は右脳温泉に浸かるように、安心や喜び、直感を大切にする。
そのバランスが重要なのだと思う。
頭ではなく、腹で感じる
本書には、左脳と右脳に加えて、「腑脳さん」という存在も登場する。
「腑に落ちる」
「腹を決める」
「腹の底から感じる」
昔から日本語には、頭だけでは説明できない感覚を、腹で表現する言葉が多い。
理屈では正しいと分かっていても、どうしても納得できないことがある。
反対に、理由はうまく説明できなくても、
「こちらへ進んだ方がいい」
と感じることもある。
著者は、こうした身体感覚や生命の感覚を「腑脳さん」と表現している。
私も会社経営やものづくりの中で、最後は理屈だけでは決められない場面を何度も経験してきた。
数字や条件を検討したうえで、それでも最後は、
「こちらの方がワクワクする」
「この人となら一緒に仕事ができる」
という感覚で決めることがある。
それは単なる思いつきではなく、これまでの経験が身体の中で統合された結果なのかもしれない。
宇宙意識という考え方
本書の後半では、魂や宇宙意識についても語られる。
ここまで来ると、かなりスピリチュアルな世界に入っていく。
また、「人間が観測するまで現実は存在しない」という量子力学の説明については、そのまま私たちの日常や意識の問題に当てはめることには慎重でありたい。
量子力学の「観測」は、必ずしも人間の心や意識だけを意味するものではないからだ。
それでも私は、
人間も宇宙から切り離された存在ではなく、大きな自然の一部である
という感覚には共感する。
私たちの身体をつくる物質も、遠い昔に宇宙で生まれたものだ。
呼吸をし、水を飲み、食べ物をいただき、太陽の光を受けて生きている。
そう考えれば、自分だけの力で生きている人など、誰もいない。
「自分」と「他人」を分けすぎず、生命全体のつながりを感じることは、決して不思議なことではないと思う。
私たちは、本来愛される子どものまま
本書にあった、
「私たちの本質は、本来愛される子どものままなのだ」
という言葉も心に残った。
年齢を重ね、肩書を持ち、責任を背負うほど、人は自分を守ろうとする。
否定されたくない。
失敗したくない。
弱い人間だと思われたくない。
そうして、頭の中の番犬を何度も吠えさせる。
けれども、その奥には、ただ認めてほしい、分かってほしい、愛してほしいという、子どものような気持ちが残っているのかもしれない。
他人を許せないとき、そこには相手に対する否定的な思い込みが残っている。
しかし、その思い込みに気づくことができれば、すぐに許せなくても、少なくとも自分の苦しみの正体は見えてくる。
私も、右脳温泉に浸かってみたい
自動思考を完全に止めることは、簡単ではない。
私も今でも、頭の中で考えがぐるぐる回ることがある。
会社のこと。
家族のこと。
過去の失敗。
これからの不安。
けれども、考えが浮かぶことと、その考えに従うことは別である。
頭の中で番犬が吠え始めたら、
「また守ろうとしてくれているのだな」
と気づけばいい。
そして、少し呼吸を整え、目の前にあるものを見る。
人の話を聞く。
風景を眺める。
写真を撮る。
本を読む。
孫と過ごす。
その瞬間、思考の外側にある世界が、少しずつ見えてくる。
右脳温泉とは、何も考えなくなることではないのだろう。
思考だけを自分だと思わず、喜びや安心、直感、身体感覚にも居場所を与えることなのだと思う。
頭の中の独り言から、ほんの少し離れてみる。
すると、今まで当たり前だと思っていた日常が、少し違って見えてくる。
湯気の向こうから、すべてが静かに輝き始める。
私もこれから、頭の中の番犬をなだめながら、ゆっくりと「右脳温泉」に浸かってみたいと思う。
