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自分の暮らしを、自分だけの言葉にする

――黒田充代著『腎臓Lover』を読んで

この本を手に取ったのは、私自身が胆のうを摘出してから、以前より体の中のことに関心を持つようになったからかもしれない。

肝臓や胆のう、腎臓、子宮、卵巣。
普段はほとんど意識することのない臓器が、私たちの命を黙って支えている。

『腎臓Lover』という少し意外な題名にひかれて読み始めたが、本書に書かれていたのは、病気や臓器についての話だけではなかった。

黒田充代さんが、自分の体や家族、友人との別れ、旅先での失敗、何でもない日々の暮らしを、一つ一つ静かに綴った本だった。

著者の一場面と、自分の一場面が重なる

著者は、本書を通して、自分の人生の一場面と読者の一場面が交わり、まだ自分の中に眠っている世界に気づいてもらえたら嬉しい、という趣旨のことを書いている。

読み進めていると、著者の記憶と私自身の記憶が、何度も重なった。

親しい友人から、ひょっこりメールが届く。
しかし、その後間もなく、その人は亡くなってしまう。

年齢を重ねるにつれて、友人や家族との別れが少しずつ増えてくる。若い頃には遠い出来事のように感じていた死が、いつの間にか、自分の日常のすぐ近くにあるものとなる。

悲しみに慣れることはない。

ただ、悲しみを抱えながら暮らすことを、少しずつ覚えていくのかもしれない。無理に忘れるのではなく、自分の中で時間をかけて受け止め、消化していく。

それも、年齢を重ねるということなのだろう。

何もない一日にある、静かな幸福

若い頃は、何かを成し遂げなければならないと思っていた。

仕事で結果を出すこと。
人から認められること。
新しい場所へ行き、新しい経験をすること。

しかし年齢を重ねると、何でもない一日や、何も起こらない時間こそが、軽やかで素敵なものだったのだと、じんわり気づく。

朝、無事に目を覚ます。
食事をする。
家族と言葉を交わす。
好きな本を読む。
静かに一日を終える。

若い頃には退屈に見えた時間が、今ではありがたい。

幸福とは、激しく輝くものばかりではない。むしろ最後に残るのは、音を立てずに心の中へ広がっていく、静かな幸福なのかもしれない。

何のために生きてきたのか、その答えが分からなくてもよい。

自分にとって何が大切なのか。
どのような時間に心が安らぐのか。

それが少しでも分かっていれば、人は自分の人生を静かに歩いていけるのではないだろうか。

失敗も、いつか自分の物語になる

本書を読みながら、私自身の旅先での失敗も思い出した。

自分では正しいと思っていたことが、実は間違っていた。自分の判断や言動によって、せっかくの旅行を台無しにしてしまったように感じる。

そのときは本当に落ち込む。

なぜ、あんなことをしたのか。
もっと違う言い方ができなかったのか。
せっかくの時間を無駄にしたのではないか。

私はよく、年を取ったら、もっと恥をかいてもよいと言っている。しかし、実際に失敗すれば、やはり心は傷つく。

それでも長い時間が過ぎると、その失敗も一つの思い出に変わっていく。

成功したことだけが人生ではない。

間違えたこと、遠回りしたこと、落ち込んだこと、逃げ出したくなったこと。それらも含めて、自分の人生だったと思える日が来る。

失敗を無理に忘れるのでも、いつまでも自分を責め続けるのでもない。

少しずつ自分の中で消化し、自分の物語の一部として受け入れていく。それが大切なのだと思う。

体と向き合うことは、人生と向き合うこと

本書には、腎臓移植をめぐる体験をはじめ、子宮や卵巣の摘出、父親の死、家族の病気など、簡単には言葉にできない出来事も綴られている。

病気は、誰にでも起こり得る。

昨日まで当たり前に動いていた体が、ある日突然、自分の思いどおりにならなくなる。

私も胆のうを摘出してから、自分の体を以前より身近に感じるようになった。

体は自分のものでありながら、自分の意思だけでは動かせない。目に見えないところで、多くの臓器が休むことなく働き、今日まで命をつないでくれている。

失って初めて、その存在の大きさに気づくこともある。

病気や手術について書くことは、単なる治療の記録ではない。

自分が何を恐れ、何に支えられ、何を大切にして生きてきたのかを見つめ直すことなのだと思う。

機微の風景を言葉にする

今回、この感想文の題名を、

「自分の暮らしを、自分だけの言葉にする」

とした。

本書を読んで強く感じたのは、日々の出来事を言葉にすることで、自分の心の細かな動きが見えてくるということだった。

うれしかった。
悲しかった。
悔しかった。
恥ずかしかった。

それだけでは、自分が何を感じていたのか、まだ十分には分からない。

なぜうれしかったのか。
何が悲しかったのか。
本当は誰に何を伝えたかったのか。

言葉を探しながら書いていると、自分でも気づいていなかった感情が、少しずつ姿を現す。

それは、心の中にある機微の風景を言葉にすることなのだと思う。

感情は、はっきりと一つの形を持っているわけではない。

喜びの中に寂しさがあり、悲しみの中にも温かさが残っている。光の加減によって表情を変える風景のように、心も絶えず揺れ動いている。

その微妙な揺れを、自分だけの言葉ですくい上げる。

言葉は、自分の奥底を映してくれる鏡なのだと思う。

言葉にできないものも、大切にしたい

私は写真を撮る。

写真には、一瞬の光、空気、距離、沈黙、その場に立った人にしか分からない感覚が写り込む。

しかし、その写真を言葉で説明しようとすると、もともと写真の中にあった何かが、だんだん薄まっていくように感じることがある。

言葉にした瞬間、見る人が自由に感じる余白を狭めてしまうこともある。

一方で、言葉にすることで初めて、自分がなぜその場所に立ち、なぜその瞬間にシャッターを切ったのかが分かることもある。

写真は、外の世界に向けた自分のまなざしである。

言葉は、自分の内側へ向けた鏡である。

写真だけでは見えない自分が、言葉によって見えてくる。言葉だけでは伝えられない空気が、写真の中に残る。

だから私は、写真と言葉、その両方で表現していきたい。

言葉にできるものを、丁寧に言葉にする。

そして、どうしても言葉では表せないものは、無理に説明せず、そのまま大切に残しておく。

すべてを言葉にする必要はない。

言葉にならない感情や、説明できない美しさも、確かに自分の人生の中に存在している。

自分の暮らしを、自分だけの言葉にする。

そして、言葉にならない機微の風景にも、静かに目を向けていく。

その二つを大切にすることで、私はこれからも、自分の人生を自分なりの方法で残していきたいと思う。

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