「好き」を貫くことが、生き方のセンスになる

『センスいい人がしている80のこと』有川真由美 著を読んで
「センスとは、生まれながらに持っているものだけではなく、後天的に身につけられる。どんな人でも、何歳からでも」
本書の冒頭にあったこの言葉に惹かれた。
センスと聞くと、服装や持ち物、色の組み合わせなど、生まれつき備わった感覚を思い浮かべる。しかし本書を読んでいくと、センスとは見た目だけの問題ではないことが分かってきた。
何を感じ、何を選び、何を手放すのか。
どのような人と付き合い、どのような時間を過ごすのか。
センスとは、その人の生きる姿勢そのものなのだと思う。
「好き」は、センスの母
著者は「好きはセンスの母」と書いている。
好きなものを大切にしていると、自分が何を求めているのかが、少しずつはっきりしてくる。
人は人、自分は自分でいいと思える。
なりたい自分に近づいていく。
新しいことにも挑戦したくなる。
毎日の感情を、丁寧に味わえるようになる。
そんなふうになれたら素敵だ。
ただし、「好き」を貫くことは簡単ではない。
どんな自分でいたいのか。
どんな暮らしを送りたいのか。
自分自身と真剣に向き合い、自分に合わないものを、ときには思い切って手放す覚悟も必要になる。
周囲からどう見られるかではなく、自分の心が本当に喜ぶものを選ぶ。その小さな選択の積み重ねが、自分らしいセンスをつくっていくのだろう。
自分でつくった音楽が、暮らしを豊かにする
私は最近、AIを使って音楽をつくっている。
自分で歌詞を考え、好きな雰囲気の曲をつくり、自分が思い描いた声で歌ってもらう。気がつけば、つくった曲は60曲ほどになった。
以前は、外で誰かの音楽を聴くことが多かった。しかし今は、自分の写真や体験から生まれた曲を聴くことが増えた。
自分の中にあった風景や感情が、言葉になり、音楽になって戻ってくる。それを聴いていると、何でもない日常が少しだけ特別なものになる。
お気に入りの作品や道具を大切に使う。
自分の好きな音楽とともに暮らす。
それだけでも、日々の生活に上質なエッセンスが加わり、気持ちが華やぐ。
センスとは、高価なものを持つことではない。自分が本当に気に入ったものを見つけ、その価値を味わえることなのだと思う。
本当のかっこよさは、かっこ悪さの先にある
本書の中で、特に共感した言葉がある。
間違うことがかっこ悪いのではない。間違うことを恐れて挑戦しないほうが、かっこ悪い。
私もそう思う。
傍から見れば、ばかばかしく思われる趣味でも、本人がやりたくて真剣に取り組んでいる姿は美しい。
写真を撮る。
本を読む。
文章を書く。
音楽をつくる。
新しいAIを試してみる。
一見すると別々の趣味だが、続けていると、知識や経験の点と点がつながってくる。写真が言葉になり、言葉が音楽になり、本で得た考えが仕事や暮らしにつながっていく。
大人になってからの遊びは、単なる暇つぶしではない。
自分の世界を広げ、新しい自分に出会うための学びでもある。
本当のかっこよさは、かっこ悪く見えることを恐れず、一歩を踏み出した先にあるのだろう。
妻の目を借りて、新しい自分に出会う
服装や持ち物について、私が最も信頼しているのは妻の助言である。
自分一人では選ばなかった服や色も、妻に勧められて試してみると、意外によく馴染むことがある。
自分のことは、自分が一番分かっているようで、実は見えていない。
本書には、感度のいい友人に助言をもらうことも勧められていた。他人の目を借りることで、それまで知らなかった自分の魅力に気づくことがある。
清潔感、姿勢、靴、色づかい。
どれも小さなことに見えるが、その人が自分をどう扱っているかは、自然と外見に表れる。
特に姿勢と心は直結しているという。背筋を少し伸ばすだけでも、気持ちが前向きになることがある。
おしゃれとは、流行を追うことではない。自分はどうありたいのかを、外側から静かに表現することなのだと思う。
人を喜ばせることを楽しむ
本書では、人を喜ばせることもセンスの一つとして語られている。
大げさなおもてなしではなく、相手が心地よく過ごせるように、さりげなく心を配る。
私はこの部分を読んで、デンマークで触れた「ヒュッゲ」を思い出した。
豪華な料理や特別な演出がなくても、気の合う人たちと、心地よい家具や照明の中で、無理のない時間を楽しむ。
デンマークで家具や照明、建築などの美しいデザインが育った背景には、日常の心地よさを大切にする文化があるのかもしれない。
人に喜んでもらうためには、無理をする必要はない。
自分も楽しみながら、相手にも心地よさを渡す。その軽やかさが、おもてなしのセンスなのだろう。
言葉にすることで、感性は磨かれる
著者は、自分の言葉で例え話を考えたり、自然を表す言葉を使ったりすることを勧めている。
例え話の上手な人は、一瞬で相手の中に情景をつくる。聞いた人は、まるで映画や絵画を見るように、その場面を思い浮かべることができる。
人は、自分が持っている言葉によって考える。
だから言葉が増えるほど、見える世界も細やかになっていく。
私は本を読んでも、以前はその感想をうまくまとめることができなかった。今は音声で思ったことを話し、AIの力も借りながら、自分の言葉を探している。
本を読んで終わりにせず、感想を書く。
写真を撮って終わりにせず、そのときの気持ちを言葉や音楽にする。
言葉にしようとすることで、自分が何に心を動かされたのかが分かってくる。
年齢を重ねて涙もろくなるのも、喜怒哀楽のさまざまな経験を重ね、物事の背景を感じ取る力や、他人への共感力が高まるからかもしれない。
感性は、言葉によってさらに深くなっていく。
本は、自分と対話するための話し相手
本書には、読んだ本の感想を誰かに伝えてみることも勧められている。
しかし、読んだ本の話をいつでも聞いてくれる人がいるとは限らない。
だから私は、noteに感想を書いている。
書店を歩いていると、ときどき一冊の本が「私と話しませんか」と呼びかけてくるように感じることがある。
本は、著者の考えを一方的に受け取るものではない。
自分の経験と照らし合わせ、疑問を持ち、ときには反論しながら対話するものなのだと思う。
哲学も、昔は難しくて近寄りがたいものだと思っていた。しかし最近は、唯一の正解を教えてくれるものではなく、自分と相性のよい考え方と対話しながら、生き方に取り入れていくものだと感じている。
複雑で変化の激しい時代だからこそ、自分の判断の軸を持つために、哲学や読書が必要になるのかもしれない。
みんなと仲良くしなくてもいい
本書には「みんなと仲良くしなくてもいい」という話もあった。
子どもの頃は、友達は多いほうがよいと教えられる。大人になってからも、せっかくできた縁だからと、無理につながりを保とうとすることがある。
しかし、人は成長し、立場や価値観も変わっていく。
つながる人が変わるのは、自然なことなのだ。
無理に合わせたり、その場に留まり続けたりするのではなく、自分らしくいられる関係を大切にする。
人と比べない。
人の目だけを基準にしない。
その一点を意識するだけでも、生き方だけでなく、暮らしや仕事のセンスも磨かれていくのだと思う。
「なるほど、そう来ましたか」
本書には、ピンチに直面したときの面白い言葉も紹介されていた。
「なるほど、そう来ましたか」
まず大きく呼吸し、少し他人事のようにつぶやいてみる。
困難の真っただ中では、なかなか笑うことなどできない。しかし、少しだけ距離を置いて眺めることができれば、目の前のことに集中できる。
まるでコメディー映画の一場面のように、困難さえも面白がる。
そこまでできれば、ピンチに振り回されるのではなく、自分の側に主導権を取り戻せるのかもしれない。
何でもないことに「ありがとう」と言う。
当たり前の中にある尊さに気づく。
失敗を恐れず、ワクワクすることをやってみる。
そうした心の持ち方も、センスの一つなのだ。
迷ったときは、人として美しいほうを選ぶ
センスは、苦しみや無理強いの中から生まれるものではないと著者は言う。
もっと素敵でありたい。
もっと人に喜んでもらいたい。
もっと人生を楽しみたい。
そんな前向きな気持ちから、その人らしいセンスが生まれてくる。
誰もが自分だけのセンスを持っているはずなのに、それが隠れているとすれば、他人との比較や、人の目によって、心の自由を奪われているからかもしれない。
センスを磨くとは、見た目を整えることだけではない。
自分の心を健やかに保ち、自分の可能性を信じ、好きなものを大切にしながら生きていくことなのだ。
そして迷ったときには、
人として美しいほうを選ぶ。
「好き」を貫くことは、わがままになることではない。
自分の心に正直になり、自分も周囲の人も心地よくなる生き方を選ぶことだ。
その積み重ねが、その人だけの生き方のセンスになっていくのだと思う。
