旅先に、古い自分を置いてくる

『こうして無意識は現実になる』タッカー著を読んで
「無意識」というものについて、私はこれまでにもいろいろな本を読んできた。
けれど、読めば読むほど、
無意識とは結局、何なのだろう。
そんな疑問が残る。
自分では意識していないものを、自分で理解しようとしているのだから、そもそも簡単にわかるはずもない。
だから今回も、「もう少しわかるかもしれない」と思いながら、この本を手に取った。
私たちは、世界のすべてを見ているわけではない
本書でまず印象に残ったのは、人は目の前の現実を、そのまま見ているわけではないという話だった。
同じ出来事を見ても、
ある人は希望を感じ、
ある人は不安を感じる。
同じ言葉を聞いても、
ある人は励まされたと思い、
別の人は傷ついたと感じる。
出来事そのものよりも、自分の中にあるフィルターを通して世界を見ているということだ。
過去の経験、親から言われた言葉、成功や失敗、人間関係、文化、価値観。
そうしたものが積み重なって、自分でも気づかないうちに「見るべきもの」を選んでいる。
そして、その見方から感情が生まれ、感情から行動が生まれ、その行動の積み重ねが現実になる。
さらに、その現実を見て、
「やっぱり自分はこういう人間なんだ」
と思えば、その認識がまた無意識を強くしていく。
本書では、こうした循環を「現実創造ループ」として説明している。
なるほどと思った。
現実を変えたいと思ったとき、私たちはつい外側を変えようとする。
しかし、その前に、
「なぜ私は、この現実をこう見ているのだろう」
と考える必要があるのかもしれない。
感情は、無意識から届く知らせかもしれない
怒ったとき。
不安になったとき。
妙に誰かの言葉が引っかかったとき。
私はこれまで、その感情そのものを問題だと思うこともあった。
しかし本書を読むと、感情はむしろ、自分でも見えていない無意識を教えてくれるサインなのだと思えてくる。
なぜ私は腹を立てたのか。
なぜ、この言葉だけが気になったのか。
本当は何を恐れているのか。
そこを少し掘り下げてみると、
「こうあるべきだ」
「失敗してはいけない」
「人からこう見られたい」
という、自分でも気づかなかった思い込みが出てくることがある。
問題は、そうした価値観を持つことではない。
昔は必要だった価値観を、今も握りしめ続けていることなのかもしれない。
無意識を変える前に、まず無意識に気づく。
この順番が大切なのだと思った。
親や文化から受け取ったものも、自分の中にある
本書には、幼少期の親の言葉や態度が情動記憶として残り、その後の自己認識や人間関係にも影響するという話が出てくる。
考えてみれば、私たちは自分一人だけで「自分」をつくってきたわけではない。
家庭、学校、地域、社会、そして時代。
そこから知らないうちにたくさんの価値観を受け取っている。
文化によっても無意識は違う。
日本では相手の話を聞きながら頷くことが多いが、それが必ずしも「同意」を意味するわけではない。
ヒーロー像一つをとっても、日本では仲間との連帯が強く描かれ、アメリカでは一人で正義を貫く存在として描かれることが多いという。
どちらが正しいという話ではない。
無意識というものは、個人の経験だけではなく、その人が生きてきた文化や時代とも深く結びついている。
グローバルな時代になれば、この違いを知ることはますます大切になるのだろう。
「こうなりたい人」が、私はあまり思い浮かばない
本の中に、
「こういう人になりたいと思う人は誰ですか」
という問いがあった。
考えてみたけれど、私はあまり思い浮かばなかった。
もちろん、素晴らしいと思う人はたくさんいる。
この人の、この考え方はいい。
この生き方には共感する。
しかし、人間は誰でも完璧ではない。
一人の人間を丸ごと理想にするよりも、
いろいろな人のいいところを、その都度自分の中に取り入れていけばいい。
私はそんなふうに考えているようだ。
そして、「これだけは絶対に変えない」と決めすぎることにも、少し警戒している。
信念は大切だ。
しかし、強く握りしめすぎれば、それがいつの間にか自分を縛る殻になることもある。
時代も変わる。
環境も変わる。
自分自身も変わる。
だから私は、できるだけ柔らかくいたい。
旅先に、古い自分を置いてくる
この本の中で、とても好きな表現があった。
旅行が好きな人なら、
「旅先に古い自分を置いてくる」
という感覚で過ごしてみるのもいいという。
これは面白いと思った。
私は写真を撮るためによく旅に出る。
旅に出れば景色が変わる。
出会う人が変わる。
いつもの生活の時間から少し離れる。
そんな場所で、
「この悩みは、本当に持ち帰る必要があるのだろうか」
と考えてみる。
古いこだわり。
誰かに言われた一言。
もう終わった出来事。
自分で勝手につくった不安。
全部を持って帰る必要はない。
旅には、新しい景色を見るだけではなく、
古くなった自分を少し置いてくる役割もあるのかもしれない。
次の撮影旅行では、本当に一つくらい置いて帰ってこようと思う。
noteに書くことも、無意識に気づく時間
本書では、思考や感情を書き出す「ジャーナリング」についても触れている。
書くことで、自分の中にあるモヤモヤが言葉になる。
「自分はこんなことを考えていたのか」
と、初めて気づくこともある。
考えてみれば、私がこうして本を読み、心に残ったことや、その時に感じたことをnoteに書き留めていることも、同じなのかもしれない。
本について書いているつもりで、
実はずっと、
自分について書いている。
どの言葉が心に残ったのか。
どこに引っかかったのか。
何に反発したのか。
どこに共感したのか。
そこに、その時の自分が表れてくる。
だから、本の感想をnoteに書き留めることは、本の内容を記録するためだけではない。
自分でも気づいていなかった自分を見つける作業でもあるのだと思う。
これからも私は、本を読んで感じたことをnoteに書き留めていきたい。
あとから読み返したとき、そこには本の記録だけではなく、その時々の自分の無意識の一部まで残っているのかもしれない。
「足りない」より「すでにあるもの」へ
もう一つ心に残ったのが、
「欠乏ではなく、充足に目を向ける」
という考え方だった。
私たちはどうしても、
まだできていない。
まだ足りない。
あの人は持っている。
という方向へ目を向けてしまう。
特にSNSで多くの人の生活が見える時代では、比較しようと思えば際限なく比較できる。
人と比べれば、どれほど恵まれていても「自分にはないもの」が必ず見つかる。
しかし、自分がすでに持っているもの、できていること、恵まれていることに目を向ければ、世界の見え方は変わってくる。
現実そのものが突然変わるわけではない。
でも、
どの現実を見るかが変わる。
そして、見えるものが変われば、感情も行動も変わっていく。
これもまた、無意識が現実につながっていくということなのだろう。
手放すと、心に余白ができる
この本を通して、何度も出てきたのが「手放す」という考え方だった。
必要のなくなった思い込み。
古いセルフイメージ。
過去へのこだわり。
「こうでなければならない」という考え。
それを手放す。
言葉にすれば簡単だが、実際には難しい。
物がいっぱい詰まった部屋では、新しいものを置く場所がない。
心も同じなのかもしれない。
頭の中に古い考えや心配事がいっぱい詰まっていれば、新しい考えが入ってくる余白がなくなる。
一つ手放せば、一つ余白ができる。
その余白から、
「こんなことをやってみようかな」
という気持ちが生まれる。
手放すことは、失うことではなく、新しいものが入ってくる場所をつくることなのだ。
この考えは、とても印象に残った。
いくつになっても、古い殻は脱げる
この本を読み終えても、「無意識とは何か」を完全に理解したとは言えない。
たぶん、これからも別の本を読むだろう。
それでいいと思っている。
今回、一つだけ以前よりはっきりしたことがある。
無意識を書き換えようと力む前に、
まず、
自分の中に何があるのかに気づくこと。
そして、
「これはもう、今の自分には必要ないな」
と思ったものを少しずつ手放していく。
空いた場所には、また新しいものが入ってくる。
自分を変えるというと、大げさな決意が必要なように思える。
しかし実際には、小さな違和感に気づき、小さな思い込みを一つ手放す。
その繰り返しなのかもしれない。
古いセルフイメージの殻を脱ぎながら、
いくつになっても、新しい自分になっていく。
そう考えると、まだまだ自分の中には、自分でも知らない自分がいる。
そして本書の最後にある、
幸せの種は、すでに自分の中にある。
という考えにもつながってくる。
何かを外から足していくことばかりではない。
自分の中にあるものに気づき、もう必要のないものを手放してみる。
無意識とは、少し怖い存在でもあるけれど、
同時に、
これからの自分をつくるための余白でもあるのだと思った。
次の旅では、何を置いて帰ろうか。
そんなことを考えるだけでも、少し心が軽くなる。
