脳は「正しさ」より「生き残ること」を選ぶ

『本当の教科書 脳科学/脳科学が教える日本社会で賢く生き残る方法』中野信子・ひろゆき 共著を読んで
中野信子さんとひろゆきさんの対談形式で進む本書。
二人の考え方や物事を見る角度は、かなり違う。
ところが、意見を激しくぶつけ合うという感じではない。
それぞれが自分の立場から本音で話し、相手の話を受けながら、さらに違う角度から話を広げていく。
「そこまで言うのか」と思うような辛辣な話も出てくるのだけれど、互いを否定し合うような雰囲気ではない。
むしろ、同じ人間や社会を、違う窓から眺めている。
その会話がとても面白かった。
そして読みながら何度も、
「人間というのは、自分で思っているほど理性的ではないのだな」
と考えさせられた。
人は、やはり「見た目」に左右される
最初からかなり刺激的な話が出てくる。
人が他人を評価するとき、見た目の影響はどうしても避けられないという話だ。
「性格が良さそう」
「信頼できそう」
と思うときも、性格検査をして判断しているわけではない。
顔、表情、声、話し方、雰囲気、愛嬌。
私たちは、そうした限られた情報から瞬間的に相手を判断している。
面白かったのは、美の基準そのものも決して絶対ではないという話だった。
時代によって魅力的だと思われる顔は変わる。
人間には新しいものを求める「新規性」と、見慣れたものに安心する「親近性」があり、その二つのバランスが、その時代の魅力を作っているのではないかという。
つまり、人間は見た目に左右される。
しかし、その見た目を判断している基準さえ、時代とともに変わっていく。
考えてみれば、人間の評価というのは、かなり曖昧なものなのだ。
そして、単に容姿が整っている人よりも、愛嬌のある人の方が好かれることがあるという話にも納得した。
年齢を重ねるほど、顔そのものより、そこに表れる表情の方が大切になるような気がする。
脳に「努力」と思わせない
私が特に面白かったのは、
自分が何なら自然に頑張れるのかを知る
という話だった。
根性で続けるのではなく、自分が動きやすい環境を作る。
ひろゆきさんは、待ち合わせ場所を書店にすることがあるという。
これは私も昔からよくやってきた。
駅前で待っているだけなら、相手が遅れると少しイライラする。
ところが本屋なら違う。
早く着いても本を見ていればいい。
待たされても苦にならない。
気になる本に出会えば、むしろ時間が足りなくなるくらいだ。
私は本屋での待ち合わせが大好きだ。
これも考えてみれば、
自分の性質を変えるのではなく、自分の性質に合う環境を選んでいる
ということなのだろう。
「自分はこういう人間だから、こうすればできる」
それを知っていることは、意志の強さ以上に大切なのかもしれない。
年を取って、自分のダメさが見えてくる
人間は自分を過大評価しやすいという話も印象に残った。
自分は意思が強い。
自分は頭がいい。
自分は人よりできる。
ところが現実の自分は、それほどでもない。
ひろゆきさんも、自分のダメさ加減が分かるようになったのは年を取ってからだというような話をしている。
これは私もよく分かる。
私も年齢を重ねてからの方が、
「自分はたいした人間ではないな」
「こんなことも分かっていなかったのか」
と思うことが増えた。
若い頃は、できないことがあると、それを克服することばかり考えていたような気がする。
しかし今は、
苦手なことは苦手でいい。
そう思えるようになってきた。
無理に苦手分野で勝負しても、その分野が得意な人の真似にしかならない。
だったら、自分が自然にできること、自分だから続けられることを大切にした方がいい。
AI時代、「頭がいい」とは何だろう
本書には、AI時代についての話も出てくる。
機械が肉体労働を代替し、今度はAIが知的作業まで担い始めた。
こうなると、
知識が多い。
計算が速い。
文章を速く作れる。
そうした能力だけで人間同士を比較する意味は、これから少しずつ変わっていくのだろう。
私は最近、AIを使えば使うほど、
AIと能力勝負をする必要はない
と思うようになっている。
AIが出した答えを、そのまま受け取るのではなく、
「何か違う」
と感じられるか。
自分の経験と照らして考えられるか。
相手が何を感じているかを想像できるか。
そして最後に、自分で決められるか。
そういった力の方が重要になるのではないか。
本書にも、テストの点がいいだけではなく、相手の気持ちを察することのできる人こそ頭がいいのではないか、という話が出てくる。
これから「頭がいい」という言葉の意味自体が変わっていくのかもしれない。
年を取ったら「覚える」より「忘れる」
今回、私が最も心に残ったところの一つが、
忘れる力
についてだった。
私たちは子どもの頃から、
「よく覚えている人は頭がいい」
と思ってきた。
ところが、人間関係では記憶が良すぎることが邪魔になる場合もある。
「あの人は昔、こんなことを言った」
「あのとき、こんなことをされた」
それを何十年も全部覚えていたら、人間関係はどんどん苦しくなる。
人間は長く付き合えば、誰でも相手の嫌なところを見る。
夫婦など、その典型かもしれない。
そこで必要なのが、
水に流すこと。
忘れること。
そして更新すること。
若い頃は「いかに覚えるか」が大切だった。
しかし年を取ったら、
いかに忘れるか
という能力も必要になるのではないだろうか。
これは過去の成功体験についても同じだと思う。
「あの時はこれでうまくいった」
「あのやり方が正しい」
それを忘れられないと、新しいものを受け入れられなくなる。
老いるということは、単に物忘れが増えることではない。
過去の自分を忘れられなくなることの方が怖い。
そんなことまで考えた。
共感することと、理解することは違う
意外だったのは、カウンセラーなど人と接する仕事では、必ずしも共感性が高い人だけが向いているわけではないという話だった。
共感しすぎれば、相手の感情を自分まで背負ってしまう。
大切なのは、相手とまったく同じ感情になることより、
「この人はいま、なぜこう思っているのか」を理解すること
なのかもしれない。
これは仕事だけではなく、日常の人間関係でも同じだろう。
私はあなたと同じ気持ちにはなれない。
けれど、あなたがなぜそう感じているかを考えることはできる。
共感と理解は、似ているようで違う。
この違いは大切だと思った。
人間は、幸せになるために進化したわけではない
さらに面白かったのが、
人間は幸せになるために進化してきたわけではない
という考え方だった。
不安があるから危険に備える。
恐怖があるから逃げる。
不満があるから、もっと良い環境を求める。
生存という観点から見れば、何の不安もなく、いつも満足している生き物が有利だったとは限らない。
だから人間が、
「もっと欲しい」
「まだ足りない」
「この先が心配だ」
と考えてしまうのは、ある意味では自然なのかもしれない。
私はこの話にはかなり納得した。
幸せを求めること自体が悪いわけではない。
ただ、ずっと幸せでいなければならないと思ってしまうことの方が、人間を苦しくするのではないだろうか。
SNSも、何を見るかで変わる
SNSについても、他人の華やかな部分を見すぎることで、自分を不幸だと感じてしまうという話が出てくる。
これはよく言われることだ。
ただ、私はSNSを少し違う使い方で見ている。
私にとってSNSは、
誰かと自分を比較して勝った負けたと考える場所ではない。
写真を通して自分が何を感じたのか。
本を読んで何を考えたのか。
自分の中にあるものを、どう表現するのか。
そういうことを考える場所になっている。
同じSNSでも、
何を見るか、誰を見るか、どう使うかによって、まったく違う道具になる。
情報に振り回されるのではなく、自分に入れる情報をある程度選ぶ。
これも現代社会で賢く生きる一つの方法なのだと思う。
「変わらないこと」は本当に正しいのか
最後に考えさせられたのが、一貫性についてだった。
私たちは、
「あの人は昔から言っていることが変わらない」
という言葉を褒め言葉として使うことが多い。
確かに信念は大切だ。
誠実であることも大切だ。
しかし環境も社会も変わっているのに、
自分だけが何十年前とまったく同じ考え方でいることは、本当に正しいのだろうか。
新しいことを知ったなら、考えを変えてもいい。
間違っていたと思えば、方向を変えてもいい。
昨日言ったことと今日言っていることが違っても、
そこに新しい経験や学びがあるのなら、それは必ずしも悪いことではない。
むしろ、
変われることも、生き残る力なのだ。
「正しく生きる」より「生き延びる」
この本には、
「それは少し極端ではないか」
「本当にそうなのだろうか」
と思う話もいくつもあった。
けれど、それが面白かった。
中野信子さんとひろゆきさんが、それぞれ違った視点から率直に語っている。
片方が正解で、片方が間違いという対談ではない。
一つの話題を別々の方向から眺めているから、
読んでいるこちらも、
「では、自分はどう考えるのだろう」
と立ち止まることになる。
結局、賢く生きるということは、
何でも知っていることでも、
いつも正しいことを言うことでもないのかもしれない。
自分の弱さを知る。
自分の性質を知る。
時には忘れる。
新しいものに合わせて更新する。
周囲の人や環境とうまく付き合う。
そして、ときには自分が信じてきた「正しさ」さえ疑ってみる。
考えてみれば、人間の脳は何万年もの間、
「正しく生きるため」ではなく、「何とか生き残るため」に変化してきた。
そう考えると、
正しさだけに縛られず、
もっと柔らかく、
時にはしなやかに考えを変えながら生きていく。
それも一つの知性なのかもしれない。
そんなことを考えさせられた、
本音の多い、なかなか面白い一冊だった。
