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3年前の涙を、今なら言葉にできる

3年前、「感動です!」としか書けなかった

2023年12月16日。

私は映画
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』
を観て、Facebookにこんな投稿をしていました。

年末になっていい映画を観ること出来ました!感動です!
今年見た映画のベスト3に入ります^_^

先日、その投稿を久しぶりに見つけました。

読んで思わず笑ってしまいました。

短い(笑)。

でも、あの時の感動がこの程度だったわけではありません。

とても心を揺さぶられた映画だったからこそ、「今年見た映画のベスト3」とまで書いたのでしょう。

今振り返ると、あの頃の私は、自分が感じていたことの10分の1も言葉にできていなかったのだと思います。

感動した。
泣いた。
いい映画だった。

そこまでは言える。

でも、

「なぜ感動したのか」
「どこで心が動いたのか」
「なぜ、この場面がいつまでも残っているのか」

そこから先を、自分の言葉にすることができませんでした。

そして3年後、『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』へ

そして今回観たのが、その物語の続編・完結編となる

『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』

です。

3年前にあれだけ心を動かされた作品の続きですから、もちろん期待して映画館へ向かいました。

ところが観終わってみると、私には今回の方がさらに心に残る映画でした。

何度も涙が出ました。

私はやっぱり、こういう素直に泣ける映画が好きなんだと思います。

「ここは泣くところだ」と考えて泣くのではありません。

物語の中へいつの間にか入り込み、登場人物の思いが自分の中にも流れ込んできて、気がつけば涙が出ている。

悲しいからだけではありません。

誰かを思う気持ち。
時間を超えてつながっていく思い。
言葉にできなかった気持ち。
そして、美しい風景や人の表情。

いろいろなものが重なった瞬間に、自然と涙が出てくる。

歳を重ねて、涙もろくなったのかもしれません(笑)。

でも、それでいいと思っています。

人のことを思って泣ける。
誰かの人生に自分の人生を重ねて泣ける。
美しいものに心を動かされる。

そんな感覚は、何歳になっても失いたくありません。

写真を撮る者として、映像にも見入った

そして今回、物語と同じくらい惹かれたのが、ロケーションと映像の美しさでした。

私は長く写真を撮っていますから、映画を観ていても、つい光や構図、背景、人物の配置を見てしまいます。

この映画には、

「この場面を一枚の写真にしたい」

と思うようなカットが何度もありました。

光の入り方。
空の色。
花や風景。
人物と背景との距離。

本当に美しい。

ところが同時に、

「これは映画でしか表現できないな」

と思う場面もたくさんありました。

カメラが動く。
人物が歩く。
風が吹く。
光が変わる。
そこに音楽や声が重なり、時間が流れていく。

写真は一瞬を止める表現です。

映画は、その一瞬へ向かっていく時間と、その一瞬が過ぎ去った後まで見せてくれる。

逆に写真には、動かない一枚だからこそ、その前後を観る人に想像してもらえる面白さがある。

写真と映画。

同じ「映像」でも、表現できるものはこんなにも違う。

そんなことまで考えながら観ていました。

3年前の感動は、「言葉になる前」だった

映画を観終わってから、2023年のFacebook投稿をもう一度読み返しました。

なぜ私は、あれほど感動した映画について数行しか書けなかったのだろう。

そこで思ったのです。

感じる力と、言葉にする力は別なのではないか。

心は大きく動いている。

でも、その感情を自分の中から取り出して、

「私はなぜ、ここで泣いたのだろう」

「なぜ、この風景が心に残ったのだろう」

と問いかけなければ、感動は「良かった」「泣いた」「感動した」という言葉の中に収まってしまいます。

3年前の私も、確かに感動していました。

ただ、それはまだ言葉になる前の感動だったのかもしれません。

言葉にすると、自分の中が見えてくる

この数年、私は本を読んだ感想、写真を撮って感じたこと、日々考えたことをnoteに残すようになりました。

最近はAIにも手伝ってもらっています。

でも、AIに感動してもらっているわけではありません。

映画を観て泣くのは私です。

写真を撮りたいと思うのも私。

美しいと感じるのも、何かに引っかかるのも私です。

私は、自分の中に浮かんだ断片的な言葉をAIに投げかけます。

すると、

「なぜ、そう感じたのか」

「本当に言いたかったことは何なのか」

を、もう一度自分で考えることができる。

感動するのは自分。
それを言葉にするところをAIに手伝ってもらう。

今の私にとって、AIはそんな存在になっています。

そして文章になったものを読み返すと、

「ああ、自分はこんなことを感じていたんだ」

と、自分自身に気づかされることがあります。

言葉は、誰かに伝えるためだけのものではない。

自分の心の中を見るための鏡でもある。

最近、そんなことを感じています。

映画にも、人生にも続編がある

今回の
『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』
は、3年前に観た物語の続編でした。

でも考えてみれば、この3年間、私自身の人生にも当然「続き」がありました。

本を読んだ。
写真を撮った。
旅をした。
人と出会った。
いろいろなことを考えた。

そして少しずつ、自分の中にあるものを言葉にするようになりました。

だから今回、物語の続きを観ながら、3年前とは違うものが見えたのかもしれません。

映画が変わっただけではない。

観ている私自身も、3年前と同じではない。

同じ人間でも、時間が変われば映画の見え方も変わる。

本もそうです。

写真もそうです。

そして人生そのものも、きっとそうなのでしょう。

3年前の涙を、今なら言葉にできる

2023年の私は、

「感動です!今年見た映画のベスト3に入ります^_^」

と書きました。

それで十分だったとも思います。

その時の私が残せた、精いっぱいの言葉です。

そして3年後。

『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』を観た私は、こんなにも長い文章を書いている(笑)。

どちらが正しいということではありません。

むしろ、3年前の短い投稿が残っていたからこそ、今の自分との違いに気づくことができました。

昔撮った写真を何年か後に見返すと、撮った当時には気づかなかったものが見えてくることがあります。

言葉も同じなのかもしれません。

あの時には書けなかったことが、時間を経て、ようやく言葉になる。

だから、今感じたことを残しておくことには意味がある。

うまく書けなくてもいい。

短くてもいい。

その時の自分の言葉を残しておけば、何年か後の自分が、その続きを書いてくれるかもしれない。

映画には続編がある。
そして、私たちの人生にも毎日続編がある。

3年前に出会った『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』。

そして今回出会った『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』。

物語の続きを観ながら、私は思いがけず、3年前の自分にも再会しました。

そして、あの時の涙の意味を、今になって少しだけ言葉にできたような気がします。

素直に泣ける映画って、やっぱりいいですね。

そして心が動いたことを、こうして言葉に残すことも、やっぱり面白い。

3年前の感動を上回る、本当にいい映画でした💓

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