AI時代に、2000年前の言葉が刺さる

『座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65』を読んで
ヤマザキマリさんのことを最初に知ったのは、やはり『テルマエ・ロマエ』の映画からだったと思います。
その後も何冊か読んできましたが、今回読んだ
『座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65』 は、また少し違った面白さがありました。
40年も前からイタリアで暮らしているヤマザキマリさんの感覚と、ラテン語さんによる古代の言葉の解説。
その組み合わせがとても興味深く、読み始めから引き込まれました。
古代ローマの時代に語られた言葉が、今の時代にもそのまま通じる。
それどころか、AIやSNSに囲まれて生きる今だからこそ、むしろ強く響いてくる。
そんな一冊でした。
古代の言葉が、今も生きている
最初に印象に残ったのは、
「物事を始めた人は、もう半分を成し遂げている」
という言葉です。
始めることは、プロセス全体の中ではほんの一部にすぎないのかもしれません。
けれど、実際には「始める」という決断こそが一番難しい。
これは今でもよく言われることですが、その考え方が古代からすでにあったということに驚かされました。
一歩を踏み出す。
その勇気の大切さは、時代が変わっても変わらないのだと思います。
怒りは短い狂気である
次に心に残ったのは、
「怒りは短い狂気である」
という言葉でした。
人は感情に駆られると、理性を失いやすい。
それは今も昔も同じなのだと思います。
ヤマザキマリさんが、イタリアの落書きを見て「古代のSNSみたいなものだ」と語っていた部分も面白かったです。
誰かへの怒りや不満を壁に書く。
今なら、それがそのままSNSの投稿になっているのかもしれません。
道具は変わっても、人間の中身はあまり変わっていない。
そう思うと、古代の格言が今も生きている理由がよくわかります。
黄金の中庸という考え方
本書には
「黄金の中庸」
という言葉も出てきます。
極端に走らない。
真ん中を行く。
派手すぎず、卑屈すぎず、ちょうどよいところを大切にする。
今の時代は、どうしても強い言葉、極端な意見、派手な生き方が目立ちやすい。
けれど、そういう時代だからこそ、中庸という考え方がむしろ大事なのではないかと思いました。
怒りすぎない。
贅沢を誇りすぎない。
見栄を張りすぎない。
穏やかに、しかし鈍くならずに生きる。
その感覚を、ローマ人もまた大切にしていたのだと思います。
カルペ・ディエム――今日を生きる
有名な
「カルペ・ディエム」
「一日をつかめ」
という言葉も出てきます。
よく「今を楽しめ」という意味で使われますが、私は今回、もっと深く受け取りました。
未来を不安がって何もしないより、
今日という一日をどう生きるかを考えること。
これは年齢を重ねるほど身にしみる言葉です。
人生には、先のことが見えない時期もあります。
それでも、今日という日をしっかり使っていく。
それが積み重なって人生になるのだと思います。
AI時代だからこそ、考えることをやめてはいけない
この本を読んでいて、私がいちばん強く感じたのは、
「考えることをやめてはいけない」
ということでした。
本の中には、キケロの
「生きることは考えることである」
という思想が出てきます。
これは今のAI時代に、とても大事な言葉だと思います。
AIは本当に便利です。
私も日々使っています。
文章をまとめたり、考えを整理したり、自分一人では追いつかないことを助けてもらっています。
けれど、だからこそ思います。
考えることそのものを、AIに渡してはいけない。
答えを出してもらうことはできても、
それをどう受け止めるか、
そこに違和感はないか、
本当に自分はそう思うのか。
それを考えるのは、やはり人間の役目です。
肉体を使わなければ衰えるように、知性も使わなければ衰えていく。
考えることは面倒です。
でも、考えることをやめた瞬間に、人はとても危うくなるのだと思います。
思考停止は、独裁に都合がいい
本書の中には、思考停止の怖さを感じさせる話もありました。
「余計なことを考えるな」
「言われた通りにしていればいい」
こういう空気は、いつの時代にもあります。
けれど、それは為政者や独裁者にとって都合がいいだけです。
考えない人間は、操りやすい。
歴史の中では、それが何度も繰り返されてきました。
ポル・ポトや文化大革命の話もそうです。
知識人が弾圧されるのは、考える力を持った人間が邪魔だからです。
これは遠い国や昔の話ではないと思います。
現代でも、情報があふれているようでいて、実は「考えなくても済む仕組み」がどんどん広がっている気がします。
だからこそ、自分の頭で考え続けることが必要なのだと改めて感じました。
人は、自分の信じたいものを信じる
本書の中で、現代に最も通じる言葉の一つだと思ったのが、
「人は信じたいものを信じる」
ということでした。
本当にその通りだと思います。
自分に都合のいい情報だけを集める。
聞きたい言葉だけを聞く。
見たいものだけを見る。
今のSNSやアルゴリズム社会は、それをさらに強めています。
自分に合った情報ばかりが流れてくると、それが世界のすべてのように思えてしまう。
でも実際には、見えていないものがたくさんある。
これはとても怖いことです。
噂についての話も印象に残りました。
火のないところに煙を立たせる人がいる。
噂には、人を巻き込む大きな力がある。
だからこそ、簡単に信じないこと。
そして、信じる前に考えること。
その大切さを改めて感じました。
SNSは現代の肩パッド
ヤマザキマリさんの表現の中で、特に面白かったのが
「SNSは現代の肩パッドだ」
という話でした。
バブル時代、大きな肩パッドで自分を大きく見せたように、
今はSNSで自分を大きく見せようとする。
これはとても言い得て妙だと思いました。
もちろん、発信そのものが悪いわけではありません。
私も写真や文章を発信しています。
でも、
「どう見られるか」より「どう生きているか」
の方が大事なのは間違いありません。
見かけより実質。
そう見られることより、そうであること。
古代の言葉が、現代のSNS社会にもそのまま突き刺さるのです。
勇気とは、前に進むことだけではない
本書には勇気にまつわる格言もいくつか出てきます。
「運は勇敢な者の味方をする」
という言葉もその一つです。
待っていても運は来ない。
やはり、動いた人にしか見えない景色があるのだと思います。
ただ、勇気というのは、ただ前へ出ることだけではないとも感じました。
失敗を受け止めること。
屈辱を引き受けること。
頑張った自分をかわいそうだと思わず、もう一度立ち上がること。
それもまた勇気なのだと思います。
本書の中で語られる
「失敗や屈辱は、人間が成熟するための必須栄養素である」
という考え方にも、私は深くうなずきました。
若い頃にはわからなかったことも、年を重ねると少しわかるようになります。
つらい経験が、あとから自分を支えてくれることもある。
そういうことを思えるようになるのも、年齢のよさかもしれません。
昆虫を見ていた頃の感覚
今回、個人的にとても共感したのが、ヤマザキマリさんの昆虫の話でした。
家の中にいるより、外にいるほうが生命反応を強く感じる。
虫たちの世界を見ていると、もう一つの世界をのぞき見るようでワクワクした。
この感覚は、私にもよくわかります。
小さな虫たちも、一匹一匹が一生懸命生きている。
言葉は通じなくても、その存在そのものが励ましになることがある。
人間の社会だけを見ていると息苦しくなることがありますが、
自然の中にある別の生命の営みを見ると、少し視野が広がる気がします。
ああ、ヤマザキマリさんも同じような感覚を持っていたのだな、と嬉しくなりました。
死をどう受け止めるか
死についての言葉も、静かに心に残りました。
「より多くの人々のもとへ行った」
亡くなった人を、そう表現する言葉です。
今この世に生きている人より、すでに亡くなった人の方が多い。
だから死とは、「多くの人々のもとへ行くこと」でもある。
不思議と少し救われる表現だと思いました。
もちろん、大切な人を失った時に、すぐそんなふうに思えるわけではありません。
悲しみには時間が必要です。
でも時間がたつことで、死の見え方が少しずつ変わってくることはある。
自分自身も、いずれそこへ行く。
そう思うと、死をただ怖がるだけではなく、
生きている間をどう使うかの方が大事なのだと感じます。
人生は、使い方がわかっていれば長い
もう一つ、大切にしたいと思ったのが、
「人生は使い方がわかっていれば長い」
という言葉でした。
人生は短い。
確かにそう思うこともあります。
でも、本当は時間が短いのではなく、
自分がそれを浪費してしまっているから短く感じるだけなのかもしれません。
この年になると、つらさや挫折や絶望や失望、屈辱もそれなりに味わってきました。
けれど、それらも含めて、自分に与えられた感情や経験をまんべんなく使い切ることが、
良く生きるということなのではないかと思います。
ポジティブな感情だけではなく、
つらい感情も生きる材料にしていく。
そう考えると、残りの人生もまだまだ使いようがあると思えてきます。
歴史は人生の教師である
本書を読みながら、私は何度も
「歴史は人生の教師だ」
ということを感じました。
歴史というと、つい年号や出来事を覚える学問のように思われがちです。
でも本当はそうではない。
何が起こったか。
なぜ起こったか。
それが今とどうつながっているのか。
そして自分はどう考えるのか。
そこまで含めて、歴史は私たちに生き方を教えてくれるものなのだと思います。
本書に出てくるラテン語の格言は、単なる「昔の名言集」ではありません。
人間が何度も失敗し、悩み、考え、残してきた知恵のかたまりです。
時代を超えて、人間は学び続ける
『座右のラテン語』を読んで改めて思ったのは、
人間は、時代を超えて学び続けなければならない生き物なのだ
ということです。
便利になっても、
AIが発達しても、
SNSで瞬時に世界とつながれても、
人間の本質はそれほど変わっていない。
怒り、愛し、悩み、争い、噂を信じ、見栄を張り、そして死を恐れる。
だからこそ、古代の言葉が今でも生きているのだと思います。
この本は、ラテン語の知識を得るための本というより、
ラテン語を入口にして、今をどう生きるかを考える本
でした。
私の人生があと何年あるかはわかりません。
けれど、こういう言葉をときどき思い出しながら、
考えることをやめずに生きていきたいと思います。
古代ローマの人々が残した言葉が、
こうして今の日本に生きる自分の心にも届く。
それ自体が、文化の深さであり、人間の面白さなのかもしれません。
