「何もしない」は、自分に戻る時間だった

――『「何もしない」で見えてくる自分軸。そのままの私で満たされる。』を読んで
セルフルミナスコーチ・音伊紅芳さんの『「何もしない」で見えてくる自分軸。そのままの私で満たされる。』を読みました。
「何もしないで、自分軸が見えてくる」
最初は、少し引っかかりました。
そのままの自分でいい。
何もしなくてもいい。
本当にそれでいいのかな、と。
私はどちらかといえば、何かをやっている方が好きです。新しいことを見つけ、考え、動いている方が面白い。
しかし読み進めるうちに、この本が言う「何もしない」は、単にぼんやり過ごすことではないのだと分かってきました。
答えを、いつも他人の中に探してしまう
著者は子どもの頃、「内弁慶だね」と言われていたそうです。
家では自由に話せるのに、外へ出ると人の顔色をうかがい、空気を読む。
どうすれば好かれるのか。
怒られずに済むのか。
嫌われないためにはどうしたらいいのか。
考えてみれば、多かれ少なかれ私たちにもあることではないでしょうか。
「私はどうしたいのか」よりも、
「こんなふうに思われないようにしよう」
「迷惑をかけないようにしよう」
「期待を裏切らないようにしよう」
そんなふうに生きていると、いつの間にか人生の中心に他人の評価が入り込んできます。
そして、自分自身が何を感じているのかさえ見えにくくなってしまう。
これは私にも思い当たるところがあります。
「休む」ことまで仕事にしてしまう
特に面白かったのが、
癒やしでさえ、タスクになってしまう。
という話でした。
「ちゃんと休まなければ」
「休日も有意義に過ごさなければ」
「せっかくの時間だから何かしなければ」
考えてみれば不思議です。
休むためにまで頑張っている。
何もしない時間にさえ、成果を求めてしまっています。
著者が伝えようとしているのは、何もしないことで自分を空っぽにするというより、外から入ってくる「こうすべき」をいったん横に置いてみることなのだと思います。
何をするかではなく、どうあるか
私たちは肩書きをたくさん持っています。
仕事上の立場。
夫として。
妻として。
親として。
子として。
社会人として。
しかし役割は、それだけではありません。
「食器はすぐ洗うもの」
「靴は揃えるもの」
「きちんとしていなければならない」
こんな小さな自分ルールまで、知らず知らずのうちに背負っています。
それを一度全部横に置いてみる。
すると、
「何をするか」
ではなく、
「自分はどうありたいのか」
が少しずつ見えてくる。
家族も同じなのかもしれません。
何かをしてくれるから大切なのではない。
ただ、そこにいてくれる。
それだけで安心できる人がいる。
逆に言えば、自分自身も知らないうちに、ただそこにいるだけで誰かの安心になっているのかもしれません。
一番近くにあるものほど、私たちはそのありがたさが見えなくなるものです。
心は旅をする。でも体はいつも「今」にいる
この本の中で印象に残った考えがあります。
心は過去へ行ったり、未来へ行ったりする。
昔のことを悔やみ、まだ起きてもいないことを心配する。
けれども、体は一度だって「今ここ」以外にいたことがない。
なるほどと思いました。
心がどこまで遠くへ行ってしまっても、自分の体はここにある。
呼吸をする。
椅子に座っている感覚を感じる。
風を感じる。
光を見る。
そんな当たり前の感覚が、心の帰る場所になる。
「何もしない」というのは、思考や感情にすぐ反応せず、もう一人の自分が少し離れたところから自分を眺めてみることでもあるのでしょう。
言葉を増やすほど、見えなくなるものもある
私は本を読み、こうして感想をnoteに書いています。
だから言葉は大切です。
言葉にしなければ、人には伝わらないこともたくさんあります。
しかし一方で、私は以前から、言葉で説明すればするほどピントが薄くなってしまうものもあると思っています。
写真もそうです。
一枚の写真を何百字も使って説明した瞬間に、その写真から感じ取るはずだった何かが小さくなってしまうことがある。
人間同士も同じなのかもしれません。
何を話したかだけではなく、
どんな表情だったか。
どんな声だったか。
一緒にいたとき、どんな空気を感じたか。
「肌が合う」という言葉がありますが、これからAIによって言葉や情報がいくらでも作られる時代になるほど、こうした身体で感じる感覚は逆に大切になるような気がします。
だからこそ、人に会いに行くことにも意味がある。
一人の時間は、孤独になるためではない
私は最近、会社でも一人でいる時間が多くなりました。
以前なら、一人の時間にも何かやることを探していたように思います。
けれども今は、その静かな時間も悪くありません。
何をしたいのか。
何が好きなのか。
何に違和感を覚えるのか。
これからどうありたいのか。
そんなことを静かに眺めてみる。
本に、
一人の時間は孤独になるためのものではなく、再び誰かと心を結ぶための静かな準備なのだ
という趣旨の言葉がありました。
これは、とてもよく分かります。
会いたい人を思い浮かべたり、以前会ったときのことを思い出したりする。
一人でいるからこそ、人とのつながりが見えてくることもあります。
「何もしない」は、何もしていないことではなかった
読み終えて、最初に感じた疑問への答えが少し分かった気がします。
何もしないとは、止まることではない。
諦めることでもない。
自分の内側にある小さな違和感や、かすかな「好き」に気づくために、外から入ってくる音を少し小さくすることなのだと思います。
頑張ったか、頑張らなかったかも、本当は自分で決めればいい。
誰かに認めてもらわなくても、
「ここにいていい」
と思える場所を自分の中に持つ。
それが自分軸の土台になるのでしょう。
私はこれからも新しいことをやるでしょうし、何もしない人間には、おそらくなれません。
でも、何かをすることと同じくらい、
何もしない時間の中で、自分の心や体の声を聞くこと。
それも大切にしてみたい。
何もしない時間とは、空白ではない。
そこには、普段は聞こえない自分自身の声がある。
この本を読んで、「何もしない」という言葉の意味が、少し変わりました。
