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ブログ - 五十嵐工業株式会社

  • 孤独は、孤立ではなく、自分に戻る力だった | 2026.04.30

    『人生を変える孤独力 幸せな生き方』谷崎玄明 著を読んで

    「孤独力」という言葉に惹かれて、この本を読みました。

    孤独というと、どうしても寂しさや孤立を思い浮かべてしまいます。
    しかし、この本を読み進めるうちに、孤独力とは「人から離れる力」ではなく、自分の心の主人公を取り戻す力なのだと感じました。

    誰かの目を気にしすぎる。
    誰かの言葉を必要以上に受け取ってしまう。
    一人の人から否定されたように感じただけで、まるで世界中から否定されたような錯覚に陥る。

    これは、決して特別な弱さではなく、多くの人が知らず知らずのうちに抱えているものだと思います。
    私自身も、会社を経営し、人と関わりながら生きてきた中で、他人の評価や期待に自分を合わせてしまう場面は少なくありませんでした。

    他人の目で生きると、自分がいなくなる

    本の中で印象に残ったのは、孤独力を養っていない人は、他者評価に依存しやすくなるという考え方です。

    誰かにどう思われるか。
    認められているか。
    嫌われていないか。

    そうしたものを自分の価値の確認方法にしてしまうと、自分の心の声がどんどん遠くなっていく。
    本来の自分、つまり人生の主人公である自分を、いつの間にか隠してしまうのです。

    これはとても怖いことだと思いました。

    人に合わせることは悪いことではありません。
    協調性も大事です。
    しかし、それが行き過ぎると、自分の心ではなく、他人の目を中心に生きるようになってしまう。

    その状態は、人と一緒にいても、かえって孤立に近いのかもしれません。
    なぜなら、本当の自分がそこにいないからです。

    孤独力は、心を鍛える静かな時間

    この本では、歩くことの大切さにも触れられていました。
    歩くことで心が躍動する。
    自分を鍛えることを、楽しみながら続ける。
    そこに孤独力を養うヒントがあるように感じました。

    孤独力とは、何か特別な修行ではないのだと思います。

    一人で考える時間。
    自分の心と体に耳を澄ませる時間。
    誰かの評価から少し離れて、自分が本当にどう感じているのかを見つめる時間。

    そういう時間の積み重ねが、心を少しずつ強くしてくれるのだと思います。

    現代は、時間術や効率化の情報があふれています。
    私自身もITやAIを活用しながら、便利さやスピードの恩恵を受けています。

    けれども、この本を読んで思ったのは、どれだけ便利になっても、最後に自分を支えるのは「自分の心と向き合う力」なのだということです。

    時間を管理する前に、自分の心を見失わないこと。
    効率を求める前に、自分が何を大切にしているのかを知ること。

    それが、孤独力なのだと思いました。

    孤独力の先にあるのは、幸せだった

    本の中で、孤独力を極めた先にあるものは「幸せ」だと語られていました。
    ここがとても心に残りました。

    孤独力は、人を遠ざける力ではありません。
    むしろ、自分の心が安定することで、人とも自然に向き合えるようになる力なのだと思います。

    一人でいることを恐れない。
    けれど、人とのつながりを拒むわけではない。
    自分の考えを持ちながら、傲慢にならない。
    いつでも柔軟に、物事を吸収できる自分でいる。

    これが、本当に孤独力の強い人なのかもしれません。

    私はこの本を読んで、孤独力とは「孤立しないための力」でもあると感じました。
    自分の中にしっかりとした軸があるからこそ、人と比べすぎず、人に振り回されすぎず、そして人に対しても優しくなれる。

    誰もが同じ性格ではなく、誰もが必ず美点を持っている。
    その美点を探し出せる人でありたい。
    そして、自分自身の美点にも気づける人でありたい。

    孤独力を養うことは、人生を閉じることではなく、人生を静かに開いていくこと。
    他人の目から自由になり、自分の心に戻っていくこと。

    この本を読んで、そんなふうに感じました。

    これからも私は、いろいろな本や人との出会いの中で、自分の中の孤独力を育てていきたいと思います。
    そして、孤独を恐れず、孤立せず、柔らかく学び続ける自分でありたいと思いました。

  • 学びは、もう始まっている | 2026.04.28

    『学びをやめない生き方入門』中原淳 著を読んで

    「学びをやめない生き方入門」という題名を見ると、少し身構える人もいるかもしれません。

    これからの時代は学び直しが大事だ。
    リスキリングが必要だ。
    変化に対応するには学び続けなければならない。

    そんな言葉は、今ではあちこちで聞くようになりました。

    たしかにその通りだと思います。
    時代は大きく変わっています。
    仕事のやり方も、情報の取り方も、人とのつながり方も、昔とはまったく違ってきました。

    けれど、この本を読みながら、私は少し引っかかるところもありました。

    「学ばなくてはいけない」と言われすぎると、かえって学びが重たくなる。
    学びとは、本来もっと自然で、もっと軽やかで、もっと自分の中から湧いてくるものではないか。

    そんなことを考えながら読みました。


    学びは「使わなければならない」ものなのか

    本の中では、学びをその場限りにしないことの大切さが語られていました。

    セミナーに参加しても、いい話を聞いたで終わってしまう。
    研修で得た知識を職場で試さない。
    本を読んでも、それが仕事や生活の中でつながっていかない。

    たしかに、そういうことはよくあります。

    学んだことを実践に結びつける。
    経験と知識をつなげる。
    過去に学んだことを別の場面で応用する。

    これは大事なことだと思います。

    ただ、私の感覚では、それは「意識してやらなければならない」というより、問題意識を持っている人間なら自然にそうなるものではないか、とも思いました。

    自分の中に本当に気になることがある。
    何とかしたい課題がある。
    もっと良くしたい仕事がある。
    お客様のために考えたいことがある。

    そういうものがあると、読んだ本の一節も、見た風景も、人との会話も、自然に自分の中でつながっていきます。

    「これはあの仕事に使えるかもしれない」
    「この考え方は会社の未来に関係しているかもしれない」
    「この土地で見たものは、ものづくりの発想につながるかもしれない」

    そうやって、学びは勝手に動き出すものだと思うのです。


    私は昔から、知らない場所に首を突っ込むのが好きだった

    この本の中には、いつもと違う書店のコーナーに行ってみる、普段読まないジャンルの本を手に取ってみる、異なる土地の文化に触れてみる、という話も出てきます。

    これは私も昔から好きでした。

    出張に行くとき、ただ仕事先に行って帰るだけではもったいないと思っていました。

    その土地の新聞を読んでみる。
    地方版の記事を追ってみる。
    その地域で何が話題になっているのかを知る。
    美術館や歴史的な場所にも足を運んでみる。

    そうすると、ただの移動が、急に学びの時間になります。

    その土地に暮らす人たちが何を大切にしているのか。
    どんな歴史があり、どんな課題があり、どんな空気が流れているのか。

    現地に行く前から少しずつ自分の中に入れておくと、その場所に立ったときの見え方が変わります。

    これは、勉強というより、好奇心です。

    「せっかく行くなら、少しでも深く味わいたい」
    「ただ通り過ぎるのではなく、その土地の息づかいに触れてみたい」

    そういう気持ちが、自然に学びになっていたのだと思います。


    学びは、すでに自分の中にある

    この本を読んで、一番共感したのは、最後の方に出てくる「あなたはもうすでに学び始めている」という考え方でした。

    疑問を持った時点で、学びは始まっている。
    気になった時点で、もう入り口に立っている。
    人は本当は、日々の中で何かしら学んでいる。

    これはとても大切な視点だと思いました。

    「学ばなければならない」と言われると、人は身構えます。
    自分はまだ足りない。
    もっと勉強しなければならない。
    何か新しいことを始めなければならない。

    そう思うと、学びは義務になります。

    けれど本当は、誰もがすでに学んでいるのだと思います。

    仕事で失敗したこと。
    人との関係で考えさせられたこと。
    旅先で見た風景。
    本を読んで少し引っかかった言葉。
    SNSで出会った異なる世代の考え。
    孫との時間。
    写真を撮るときの視線。
    会社の未来を考える時間。

    それらは全部、学びの種です。

    ただ、それに自分で気づいていないだけなのかもしれません。

    学びとは、机に向かって何かを覚えることだけではありません。
    資格を取ることだけでもありません。
    セミナーに参加することだけでもありません。

    自分の中に起きた小さな違和感や疑問を、見過ごさないこと。
    それが本当の学びの始まりなのだと思います。


    押し付けられた学びではなく、自分から湧いてくる学びへ

    正直に言えば、この本には少し「学びなさい」と言われているような印象もありました。

    もちろん、著者の意図はそうではないと思います。
    現代社会の中で、学びを続けることの大切さを伝えようとしている本です。

    ただ、私は読みながら、学びは人から押し付けられるものではないと改めて感じました。

    学びは、もっと自分の内側から始まるものです。

    気になる。
    面白そうだ。
    これは何だろう。
    なぜこうなるのだろう。
    自分の仕事に関係するかもしれない。
    自分の人生に必要かもしれない。

    そういう小さな心の動きが、学びを前に進めます。

    そして、その小さな動きに気づける人は、いくつになっても学び続けられるのだと思います。

    私は本を読むことが好きです。
    旅をすることも好きです。
    写真を撮ることも好きです。
    新しい技術やAIに触れることも好きです。

    それらは別々の趣味や行動のようでいて、実は全部つながっています。

    ものづくりにもつながる。
    会社の未来にもつながる。
    人との関係にもつながる。
    自分の人生の見方にもつながる。

    そう考えると、学びとは特別な時間ではなく、生き方そのものなのかもしれません。


    すでに学んでいる自分から始めればいい

    この本を読み終えて、私は「もっと学ばなければ」と思ったというより、「自分はすでに学んできたのだ」と確認できた気がしました。

    そして、これからも大げさに構えず、少し気になったものには首を突っ込んでみたいと思います。

    いつもと違う本棚を見る。
    知らない土地の新聞を読む。
    若い人の考えに触れる。
    SNSで知らない感性と出会う。
    旅先で歴史や文化を感じる。
    日々の仕事の中で、小さな違和感を拾う。

    そういうことの積み重ねが、学びをやめない生き方なのだと思います。

    学びとは、立派なことを始めることではない。
    もうすでに始まっている自分の学びに気づくこと。

    この本は、私にとって「新しく学びなさい」と背中を押す本というより、これまで自分が自然にやってきた学びを、改めて見つめ直す本になりました。

    少し引っかかりながら読む本も、また面白いものです。
    すんなり納得するだけが読書ではありません。

    違和感もまた、学びの入り口なのだと思います。

  • 休むことは、人生を取り戻す勇気だった! | 2026.04.27

    ――『休む勇気』谷口たかひさ 著を読んで

    谷口たかひささんの『休む勇気』を読んで、私は何度も立ち止まりました。

    この本は、単に「もっと休みましょう」と言っている本ではありません。
    むしろ、私たちが長い間、当たり前だと思い込んできた働き方、生き方、教育のあり方まで問い直してくる本でした。

    特に心に残ったのは、
    「人生で一番大事な仕事は、思い出作り」
    という考え方です。

    仕事はもちろん大切です。
    私自身、会社を経営してきて、仕事に責任を持つこと、社員やお客様に向き合うことの重さは身にしみています。

    しかし、それでも最後に人生を振り返った時、心に残るのは売上や忙しさだけではないはずです。
    誰と笑ったか。
    どこへ行ったか。
    何に感動したか。
    誰と同じ時間を過ごしたか。

    そういうものが、人生の本当の宝物になるのだと思います。


    休めない社会で、休む勇気を持つ

    日本には、まだまだ「休めない空気」があります。

    忙しいことが立派。
    無理をすることが美徳。
    人に迷惑をかけないために、自分を後回しにする。

    そんな価値観が、知らず知らずのうちに私たちの中に染み込んでいます。

    けれど本書を読んで、私は改めて思いました。
    疲れて当然、休んで当然。人間だもの。

    この言葉はとてもシンプルですが、深いです。

    人間は機械ではありません。
    心も体も、使い続ければ疲れます。
    それなのに、疲れた自分を責める。
    休むことに罪悪感を持つ。
    これは、よく考えるととても不自然なことです。

    本書では、いきなり一日休むのではなく、まずは10分から15分のマイクロ休憩を取ることが勧められていました。

    これは現実的で、私にも取り入れやすい考え方だと思いました。

    休むことが苦手な人は、まず脳に
    「休んでも大丈夫」
    という感覚を覚えさせる必要がある。

    休む時間をスケジュールに入れる。
    スマホから離れる。
    週に一つ、自分のための予定を入れる。

    こうした小さな行動が、これからの人生を守ってくれるのだと思います。


    働き方改革より、休み方改革

    私は会社を経営する立場として、働き方についてはずっと考えてきました。

    残業をなくす。
    定年制をなくす。
    リモートでも働ける仕組みをつくる。
    AIやITを使って、無駄な作業を減らす。

    そういうことを、自分なりに少しずつ進めてきました。

    ただ、この本を読んで特に響いたのは、
    「働き方改革」よりも「休み方改革」
    という視点です。

    働き方は、会社や経営者の考え方に大きく左右されます。
    しかし休み方は、自分自身の意識から変えていける部分があります。

    何をするかではなく、何をしないか。
    何を増やすかではなく、何を減らすか。
    何を抱え込むかではなく、何を人に頼るか。

    これからは、この選択がとても大事になると思います。

    特に私たちの世代は、何でも自分でやることを良しとしてきたところがあります。
    人に頼ることを、どこか恥ずかしいことのように感じてきた人も多いと思います。

    でも本書では、
    自立とは、誰にも頼らないことではなく、依存先がたくさんあること
    という考え方が示されていました。

    これはとても大事です。

    頼れる人がいる。
    相談できる人がいる。
    任せられる仕組みがある。
    AIや道具も含めて、自分を支えてくれるものが複数ある。

    それは弱さではなく、むしろしなやかな強さなのだと思います。


    教育は、もっと「幸せに生きる力」を育てていい

    この本を読んで、私は教育のことも強く考えました。

    日本の教育は、義務を教えることには熱心です。
    きちんとしなさい。
    迷惑をかけてはいけません。
    時間を守りなさい。
    みんなと同じようにしなさい。

    もちろん、これらは大切なことです。

    しかし一方で、
    自分の権利を守ること
    自分の心と体を大切にすること
    嫌なことには嫌だと言うこと
    助けてと言えること
    こうしたことは、十分に教えられてこなかったのではないかと思います。

    私は、教育とは本来、子どもたちを比較して順位をつけるためのものではなく、
    その子が自分の人生をどう幸せに生きるかを考える力を育てるものだと思います。

    体育も、本来は運動好きな子を育てるためにあるはずです。
    ところが、競争や優劣ばかりが前に出ると、一部の得意な子以外は、運動そのものが嫌いになってしまうことがあります。

    これは勉強も同じです。

    比べられる。
    評価される。
    遅れてはいけない。
    間違えてはいけない。

    そういう空気の中で、子どもたちは本当に学ぶ楽しさを感じられるのでしょうか。

    私は、これからの教育にはもっと
    休む力
    頼る力
    自分で考える力
    面白がる力
    が必要だと思います。

    そしてこれは子どもだけでなく、大人にも必要です。


    オンライン教育とAIで、学び方はもっと変えられる

    本書の要約の中にあった、教育現場でのオンライン授業や動画活用の話にも共感しました。

    教えることが本当に上手な先生の授業を、地域や学校に関係なく子どもたちが見られる。
    わからないところだけ、目の前の先生に質問する。
    子どもが動画で学んでいる時間に、先生は別の業務を進められる。

    これは、先生の働き方を変える可能性もありますし、子どもたちの学び方を広げる可能性もあります。

    私は普段から、AIやITを使って仕事の効率化を考えています。
    これは建築の仕事だけでなく、教育にも大きく関係すると思います。

    これからは、先生がすべてを一人で抱え込む時代ではない。
    子どもも、学校という一つの場所だけに閉じ込められる必要はない。
    学び方はもっと自由でいい。

    もちろん、人と人が直接関わることは大切です。
    しかし、全部を対面で、全部を同じ時間に、全部を同じ方法でやる必要はないはずです。

    AIや動画やオンラインを使えば、先生も少し休める。
    子どもも、自分のペースで学べる。
    学校に行きづらい子にも、学びの道が開ける。

    教育にも、もっと「休む勇気」と「変える勇気」が必要なのだと思います。


    生産性ゼロの時間が、人を幸せにする

    この本でもう一つ強く残ったのは、
    生産性ゼロの時間こそが、自分を幸せにする
    という考え方です。

    これは、今の時代にはとても大切な言葉だと思います。

    私たちは、何かをしていないと不安になります。
    スマホを見る。
    メールを見る。
    ニュースを見る。
    SNSを見る。

    何もしていないようで、脳はずっと働き続けています。

    しかし、本当に自分の心が戻ってくるのは、何もしない時間なのかもしれません。

    海辺でぼんやりする。
    山の景色を見る。
    孫と何気ない時間を過ごす。
    写真を撮りながら、光の変化を待つ。
    本を読んで、すぐに結論を出さずに考える。

    そういう時間は、一見すると生産性がないように見えます。

    でも、その時間があるからこそ、人間は人間らしくいられるのではないでしょうか。

    私自身、写真を撮る時間、本を読む時間、旅をする時間、孫と過ごす時間が、仕事以外の自分を育ててくれていると感じます。

    仕事だけで人生を埋め尽くしてしまうと、仕事が弱くなった時、自分の居場所までなくなってしまう。
    だからこそ、定年後ではなく、定年前から、仕事以外の自分を育てていく必要があるのだと思います。


    空気を読みすぎると、人生を失う

    この本の中で、私が特に共鳴したのは「空気を読む」ということへの問いでした。

    日本では、空気を読むことが大切にされます。
    もちろん、それによって人間関係が円滑になる場面もあります。

    しかし、空気を読みすぎることで、私たちはどれだけのことを諦めてきたのでしょうか。

    本当は休みたいのに、休めない。
    本当は行きたい場所があるのに、後回しにする。
    本当は会いたい人がいるのに、忙しさを理由にする。
    本当は新しいことを始めたいのに、人の目を気にする。

    そうやって失われた時間は、戻ってきません。

    本書では、その空気が浦島太郎の玉手箱の煙のように、挑戦や経験ができたはずの時間を奪い、後悔だけを置いていくものかもしれない、という表現がありました。

    これは本当にその通りだと思いました。

    残りの人生で一番若いのは、今日です。
    今日という日は、残りの人生の最初の一日です。

    そう思えば、休むことも、遊ぶことも、会いに行くことも、学び直すことも、決して後ろめたいことではありません。

    むしろ、人生を取り戻す行為なのだと思います。


    休む勇気は、未来を面白がる勇気

    私はこの本を読んで、休むことの意味が少し変わりました。

    休むとは、止まることではない。
    怠けることでもない。
    人生から逃げることでもない。

    休むとは、もう一度、自分の人生を自分の手に戻すことなのだと思います。

    そして、休んだ先にあるのは、ただの回復ではありません。
    新しいことを面白がる力。
    人とつながる力。
    自分の本音に気づく力。
    仕事以外の自分を育てる力。

    これからの人生で大事なのは、若い頃のようにただ頑張り続けることではなく、
    恥ずかしくても、面白いことを探すこと
    なのかもしれません。

    うまくいかないこともある。
    続かないこともある。
    人から見れば、何をやっているのだろうと思われることもある。

    でも、それでいいのだと思います。

    やってみてうまくいかないことは、後退ではなく前進です。
    人生は、うまくいかないことの方が多い。
    それでも一つひとつ試していくことが、思い出になり、自分の世界を広げてくれる。


    最後に

    『休む勇気』は、休み方の本でありながら、私には人生の後半をどう生きるかを問いかける本でした。

    仕事は大切です。
    でも、仕事だけが人生ではありません。

    教育も、働き方も、家庭も、地域も、これからはもっと
    「人が幸せに生きるためにはどうしたらいいか」
    という視点から考え直す必要があると思います。

    休むことは、人生をあきらめることではない。
    休むことは、自分を大切にすること。
    周りの人との時間を大切にすること。
    そして、これからの人生をもう一度面白がること。

    残りの人生、今が一番若い。

    だからこそ私は、これからも仕事以外の自分を育てながら、
    写真を撮り、本を読み、旅をし、人と会い、孫と笑い、
    恥ずかしくても面白いことを探していきたいと思います。

    休む勇気とは、
    人生を取り戻す勇気だった。

  • 高齢になったら、恥ずかしく面白いことを探す | 2026.04.24

    背中に編んだQRコードという、小さな実験

    高齢になったら、少し恥ずかしくて、少し面白いことを探したい。
    そうしないと、思考も行動もだんだん硬直して、ますます衰退していく気がするからです。
    今回始めた「背中に編んだQRコード」の試みは、そんな自分なりの小さな実験です。

    私のモットーがある。

    高齢になったら、恥ずかしく面白いことを探す。

    なぜそんなことを思うのか。

    それは、年齢を重ねるほど、人はどうしても無難な方へ、目立たない方へ、説明しなくていい方へと流れていくからだと思うからだ。
    もちろん、それは自然なことでもある。
    失敗は減るし、余計な摩擦も少ない。

    けれど、その「無難」を積み重ねていくうちに、気がつけば発想まで小さくまとまり、行動まで縮こまってしまう。
    それが、私には少し怖い。

    だからこそ、少し照れくさくて、少し可笑しくて、自分でも「何をやっているんだろう」と笑ってしまうようなことを、あえて探したいと思っている。
    今回の「背中に編んだQRコード」も、その延長線上にある。

    話しかける代わりに、背中でひらく入口

    私は写真を撮ることが好きだ。

    自然の風景も、人の気配も、偶然の光も、その場にしかない空気も、なるべく自分らしく受けとめて残しておきたいと思う。
    そして撮った写真をInstagramに上げ、誰かに見てもらえたり、「いいね」をもらえたりすると、また次の景色に会いに行きたくなる。

    私にとって写真は、ただの記録ではない。
    次の一歩をくれるものでもあり、誰かとのゆるやかな接点でもある。

    本当は、同じ景色に心を動かされた人と、その感動を少し共有したい。
    「あ、わかるなあ」とか、
    「ここ、良かったですね」とか、
    ほんのひと言でも交わせたら、きっと楽しい。

    でも、見ず知らずの人にいきなり話しかけるのは、なかなか勇気がいる。
    こちらは親しみのつもりでも、相手は静かにひとりでいたいかもしれない。
    その距離感は、やはり大事にしたいと思う。

    そこで考えたのが、背中にQRコードをつけるという方法だった。

    こちらから無理に話しかけない。
    興味を持った人だけが、後ろからそっと読み取る。
    言ってみれば、背中に小さな入口をひとつ下げて歩くようなものだ。

    声をかける代わりに、背中でやわらかく「どうぞ」と言う。
    そんな仕組みがあってもいいのではないかと思った。

    印刷ではなく、あえて手で編む

    この仕組みだけなら、印刷したワッペンでも、アイロンプリントでもできる。
    けれど、それでは少しおとなしい。

    どうせやるなら、見た人が
    「え、これ編んであるの?」
    と少し驚き、少し面白がってくれるものにしたかった。

    そこで思いついたのが、かぎ針編みのQRコードだった。

    ローテクなのにデジタルにつながる。
    手仕事なのにSNSへの入口になる。
    この少しちぐはぐな感じが、なんとも面白い。

    しかも、手で編んだものには、印刷物にはない温度がある。
    きれいすぎない。
    少し不器用で、少し人の気配が残る。
    私は、そういうものに惹かれる。

    正直に言えば、こんなことを考えている自分を、どこかで可笑しいとも思っている。
    でも、その可笑しさがあるからこそ、やってみたくなる。
    普通の名刺ではつまらない。
    少し照れくさくて、少し笑えるくらいが、今の私にはちょうどいい。

    実際に姪に一枚作ってもらって、少し伸びても読み取れることが分かった。
    これは私にとって、とても大きかった。

    面白い思いつきで終わるのではなく、ちゃんと使えるかもしれない。
    そんな手応えが、少しずつ出てきたからだ。

    ここで私は、単に変わったものを作りたいのではなく、人とのつながり方そのものを少し変えてみたいのだと気づいた。
    話しかける勇気の代わりに、背中に編んだQRコードを下げる。

    なんとも遠回りで、不器用なやり方だと思う。
    けれど、今の私にはそれがしっくりくる。
    無理をしない。
    押しつけない。
    でも、ひらいている。

    そんな在り方が、この小さなQRコードには宿っている気がする。

    高齢だからこそ、少し恥ずかしいことをやる

    年齢を重ねると、どうしても自分の中のブレーキが強くなる。

    「そんなことしてどうする」
    「今さら恥ずかしい」
    「わざわざそんなことをしなくても」

    そんな声が、どこからか聞こえてくる。
    他人の声というより、自分の中から聞こえてくることの方が多いかもしれない。

    でも、その声に従ってばかりいると、思考も行動も固まり、だんだん世界が狭くなっていく。
    だから私は、あえて少し恥ずかしいことをする。

    少し恥ずかしい。
    でも少し面白い。
    その境目にこそ、新しい風通しがある気がしている。

    手編みのQRコードを背中に下げて歩くなんて、たしかに少し照れくさい。
    でも、その照れくささを越えた先に、誰かとの思いがけない会話や、やさしい接点が生まれるかもしれない。

    笑われても、それはそれでいい。
    むしろ少し笑ってもらえたら、この企画は半分成功したようなものかもしれない。
    「何それ、面白いですね」
    そのひと言が生まれたら、もう十分価値がある。

     

    Instagramへ直接つなぐことも考えた。
    けれど、私の知り合いには高齢の方も多く、Instagramを使っていない人も少なくない。

    そこで飛び先は、リットリンクの方がやさしいのではないかと思うようになった。
    写真に興味がある人にも、そうでない人にも、まず入口として受け止めてもらいやすいからだ。

    さらに取り付け方法もいろいろ考えた。
    面ファスナー、ピン留め、ワッペン式。
    その中で、今いちばん面白く、見た目にもわかりやすいのは、ゼッケン式のひも付きだと思っている。

    上から下げ、下のひもを前に回して結ぶ。
    どこか昔ながらで、少し滑稽で、でもその真ん中にはQRコードがあり、その先にはデジタルの世界がつながっている。
    古いようで新しい。
    この感じが、なんともたまらない。

    たぶん私は、こういう「ちょっと時代遅れに見えて、実は今っぽいもの」が好きなのだと思う。

    背中でひらく、小さなギャラリー

    私はこの企画を、単なる遊びだとは思っていない。
    もちろん、自分がいちばん楽しみたい。
    そこが出発点だ。

    でも同時にこれは、好きなことを好きなやり方で、人と共有していくための、小さな装置でもある。

    押しつけず、急がせず、興味のある人だけがそっと入ってこられる入口。
    見るだけでもいい。
    無言フォローでもいい。
    そんな距離感の交流が、今の時代にはむしろ心地いいのではないかと思っている。

    ARグラスのようなものが普通になれば、また別の発信の仕方も出てくるのだろう。
    でも、そこへ行く前の今だからこそ、あえて手で編んだQRコードを背負うローテク感が面白い。
    便利さだけでは出せない、人の気配のようなものが、そこにはある気がする。

    高齢になったら、恥ずかしく面白いことを探す。
    この背中のQRコードは、そのモットーから生まれた。

    そして私は、こういう少し照れくさい実験を、これからも続けていきたいと思っている。
    硬直しないために。
    衰退しないために。
    そして何より、自分自身がまだ面白がれる人間でいたいからだ。

     

  • 情報は速いが理解は遅い | 2026.04.23

    『異文化理解』青木保 著を読んで

    情報は、一瞬で届く。
    けれど、その国の歴史や人の感情、文化の奥行きまで理解するには、ずいぶん時間がかかる。
    『異文化理解』を読んで、そんな当たり前でいて忘れがちなことを、私はあらためて思い出しました。
    中国やタイのような外国のことだけでなく、目の前の相手をどう理解しようとするか。
    この本は、そんな自分の姿勢まで静かに問い返してくる一冊でした。


    「速い情報」と「遅い情報」という視点

    本書の中で語られていた
    速い情報」と「遅い情報」という考え方は、とても印象に残りました。

    速い情報とは、見ればすぐにわかった気になれる情報です。
    ニュース映像、短い見出し、象徴的な場所や出来事、簡潔な解説。

    たしかにそれらは便利ですし、時代を知るうえで必要でもあります。
    しかし、それだけでその国の歴史や文化、人々の感情、ものの見方まで理解したことにはならない。

    そこには、やはり時間がかかるのです。

    つまり、
    情報のスピードは上がっても、理解の速度までは同じようには上がらない。

    この指摘は、いまの時代をとてもよく表していると思いました。


    以前から感じていたことを、改めて思い出した

    この本を読みながら、私は以前から自分の中にあった感覚を、改めて思い出しました。

    人は少し情報を得ると、つい見えた気になってしまう。
    けれど本当の理解には、もっと時間がかかる。

    そんな当たり前のことを、
    私はこの本によって、静かにもう一度呼び戻された気がしました。

    普段から本を読み、新聞を読み、AIも使いながら情報に触れているつもりでも、
    それでもなお、理解した“つもり”のまま通り過ぎていることが、たくさんあるのだと思います。

    知っていることと、理解していることは違う。
    この本は、そのことを改めて気づかせてくれました。


    文化の違いは、争いの原因そのものではない

    本書の中で特に心に残ったのは、
    文化の違いそのものが争いを生むわけではない
    という視点でした。

    人間関係がこじれたり、政治や経済の問題が深刻になったりしたときに、
    「文化が違うから」という言葉が、
    相手を遠ざけたり、排除したりする理由として使われてしまう。

    この指摘は、とても重く感じました。

    違いは本来、理解の入口であるはずです。
    けれど状況によっては、それが分断の口実にもなってしまう。

    これは国と国との関係だけでなく、
    私たちの日常の人間関係にも通じることではないかと思いました。

    会社でも地域でも家庭でも、
    人はそれぞれ違う背景を持っています。

    育ってきた環境も、受けてきた教育も、
    ものの見方も、言葉の受け取り方も違います。

    それなのに私たちは、ときどき相手を自分のものさしで手早く理解しようとしてしまう。
    そのとき、相手の言葉の奥にあるものや、態度の背景にあるものを見落としてしまうのだと思います。


    中国を本当に「異文化」として見てきたのか

    本書では、とくに中国文化についての指摘も印象的でした。

    日本は長い歴史の中で、
    中国から漢字や儒教をはじめ、実に多くのものを受け取ってきました。

    日本にとって中国は、大きな文化的モデルでもあったはずです。

    にもかかわらず、
    それを本当の意味で「異文化」として理解しようとしてきたかというと、
    必ずしもそうではないのではないか。

    著者は、そこを問いかけています。

    私はこの指摘に強くうなずきました。

    近いもの、なじみのあるもの、昔から影響を受けてきたものほど、
    逆に深く学ばずに済ませてしまうことがある。

    知っているつもりになってしまう。

    これは国のことに限らず、
    人間関係でもよくあることだと思います。

    近い存在ほど、思い込みで見てしまう。
    それはとても人間らしいことですが、
    そこに大きな見落としが潜んでいるのだと感じました。


    タイについて思い浮かべたこと

    そして私は、この本を読みながらタイのことも思い浮かべました。

    タイという国は、日本人にとって比較的親しみを持ちやすい存在かもしれません。
    観光地としての印象もありますし、
    「微笑みの国」というやわらかいイメージもあります。

    けれど、その親しみやすさだけで、
    タイを理解したことにはもちろんならないはずです。

    タイにはタイの宗教観があり、
    社会の秩序があり、
    人と人との距離感があり、
    王室に対する独特の感覚もあります。

    そうした背景を知らずに表面の印象だけで見てしまえば、
    結局それもまた「速い情報」の範囲を出ないのだと思います。

    好意的な印象であることと、
    深く理解していることは別です。

    中国にしても、タイにしても、日本にしても、
    私たちは名前や印象だけで語りすぎているのではないか。

    そんな気持ちが、自分の中に生まれました。


    純粋な文化など、もうない

    著者は、純粋な文化などもう存在しないとも語っています。

    たしかに今の時代、
    どの国も他の文化と無関係ではいられません。

    人も、物も、情報も行き交い、
    文化は混ざり合いながら変わっていきます。

    そう考えると、異文化理解とは
    「違うものを遠くから眺めること」ではなく、
    他者の中にある良さや深さを知り、
    自分の中に取り入れていく態度なのだと思いました。

    守ることばかりではなく、学ぶこと。
    拒むことばかりではなく、受け止めること。

    その柔らかさが、これからの時代にはますます大切になるのでしょう。


    仕事の現場にも通じること

    私はものづくりの仕事をしていますが、
    お客様の要望もまた、表面だけではなかなかわからないものです。

    図面や条件を見ただけで理解したつもりになってしまうと、
    本当に求めていることを取りこぼしてしまうことがあります。

    言葉にならない希望や不安、
    まだ形になっていない思いが、その奥にある。

    だからこそ、
    早く答えを出すことよりも、
    丁寧に受け止めることの方が大事だと感じる場面が少なくありません。

    そう考えると、この本が語っている異文化理解は、
    決して外国を知るためだけの話ではなく、
    人と向き合うあらゆる場面に通じる姿勢なのだと思います。


    情報があふれる時代だからこそ

    情報があふれる時代だからこそ、
    私たちはつい早く判断したくなります。

    すぐに整理し、
    すぐに意見を持ち、
    すぐに結論を出したくなる。

    けれど本当に相手を理解しようとするなら、
    その前に少し立ち止まる時間が必要です。

    見えているものだけで決めず、
    その背後にあるものにまで思いを巡らせること。

    その手間を惜しまないことが、
    異文化理解の第一歩なのだと感じました。


    この本が残してくれたもの

    この本は、異文化を理解するための本であると同時に、
    自分の理解の浅さを見直す本でもありました。

    情報は速い。
    けれど理解は遅い。

    だからこそ、
    早く知った気になるのではなく、
    時間をかけて知ろうとすることに意味があるのだと思います。

    中国も、タイも、日本も、
    そして目の前の一人ひとりも、簡単にはわからない。

    けれど、簡単にはわからないからこそ、
    理解しようとする姿勢そのものが、人として大事なのだと改めて感じました。

    この本は、そんな大切なことを静かに思い出させてくれる一冊でした。

  • 切なさの先に残る、あたたかな一通 | 2026.04.22

    映画『人はなぜラブレターを書くのか』を観てきました。
    最近観た映画の中でも、久しぶりにこれほど深く心を揺さぶられ、涙をこらえきれなかった作品でした。

    この映画は、ただの恋愛映画ではありませんでした。
    そこに流れていたのは、もっと静かで、もっと奥深い、人が心の中にそっとしまっている想いでした。
    誰にでも、伝えたかったのに伝えられなかった言葉がある。
    本当は口にしたかったのに、勇気が出なくて飲み込んでしまった気持ちがある。
    そんな、ふだんは見えない心のひだを、この映画はとても丁寧に映し出していたように思います。

    テーマには「死」という重いものがあります。
    突然訪れる死。
    あらかじめ宣告される死。
    そのどちらも、人の力ではどうにもならない現実です。
    けれどこの作品は、ただ悲しみや喪失を描くだけではなく、その限りある時間の中で、人は何を思い、誰に何を伝えたくなるのかを静かに問いかけてきます。

    観ながら何度も思いました。
    人は、言葉にできないからこそ手紙を書くのではないか、と。
    面と向かうと照れてしまうこと。
    声に出そうとすると、うまく言えなくなること。
    でも文字になら、どうにか気持ちを託せることがある。
    それは弱さではなく、むしろ人が誰かを大切に思うからこその、もうひとつの勇気なのだと思いました。

    ラブレターという言葉には、どこか甘酸っぱい響きがあります。
    けれどこの映画が見せてくれたのは、単なる恋のときめきだけではありませんでした。
    切なさ、ためらい、ぬくもり、後悔、やさしさ。
    そうしたいくつもの感情が折り重なって、一通の手紙ににじんでいく。
    その姿がとても人間らしく、観ているこちらの胸の奥まで静かに届いてきました。

    派手な出来事で感情を揺さぶるのではなく、誰もが心のどこかに持っている記憶や感情にそっと触れてくる。
    だからこそ、観終わったあともしばらく余韻が残りました。
    「あの時、自分は誰に何を伝えたかったのだろう」
    「まだ伝えていない言葉があるのではないか」
    そんなことを、帰り道に自然と考えさせられました。

    生きているうちにしか伝えられない言葉があります。
    そして、その言葉は立派でなくてもいいのだと思います。
    うまくまとまっていなくても、少し不器用でも、その人の心から出た言葉であれば、きっと誰かの心に届く。
    手紙とは、相手のために書くものでありながら、同時に自分の気持ちを確かめる行為でもあるのかもしれません。

    この映画は、そんな当たり前でいて、つい忘れてしまいがちな大切なことを思い出させてくれました。
    甘酸っぱく、切なく、そしてあたたかい。
    胸のひだを静かに揺らしながら、観終わったあとにやさしい余熱を残してくれる作品でした。

    切なさの先に残る、あたたかな一通。
    この題名そのままの余韻を、私はしばらく忘れられそうにありません。
    とても素晴らしい映画でした。

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