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  • レンズが連れていった場所で、縁に出会った! | 2026.01.21

    写真を撮りたい――それだけのはずだった。
    けれど気づけば、平日にもかかわらず少林山達磨寺へ向かっていた。
    だるまの炎と洞窟の静寂の中で、「足るを知る」という言葉が、あとから静かに腑に落ちていく。
    レンズに導かれ、縁に出会った一日の記録。

    炎と静寂が導いた「足るを知る」心の旅
    正直に言うと、始まりは単純で、「撮りたい」だった。
    群馬県高崎市・少林山達磨寺のお焚き上げ。赤いだるまと炎の迫力は、写真を撮る者にとって抗いがたいものがある。

    気づけば、平日にもかかわらず、私はそこへ向かっていた。(妻と共に)
    けれど後から思うと、撮影以上の何かがあった。
    なにか不思議な力に背中を押されたような、あるいは呼吸をするのと同じくらい自然な流れで、そこへ向かっていた――そんな感覚が今も残っている。

    火に包まれるだるま供養と心の静けさ
    寺院の一角には所狭しと大小様々な達磨が積み上げられ、その前に僧侶たちが静かに立っていた。集まった人々の表情には、新年に古い達磨を手放し感謝を捧げる厳かな緊張感と、祭りを見るような高揚感とが入り交じっている。私も最前列の隅に陣取り、ファインダー越しにその光景を見守った。やがて読経の声が響き始め、境内の空気が一層張りつめていくのを感じる。


    読経が始まり、やがて火が入る。 炎が立ち上がり、煙が空へと流れていく。
    音、匂い、熱、そのすべてが「今ここ」に意識を引き戻す。
    燃えさかる炎を前に、不思議と心が静まっていくのを感じた。最初はその迫力に興奮していたはずの胸の高鳴りが、炎が天に昇るにつれて穏やかさへと変わってゆく。ごうごうと燃える火は、古い達磨と共に人々の一年分の願いや想いも浄化しているかのようだった。私もまた、昨年の心残りや焦りが煙と一緒に空へ溶けていくような開放感を覚える。


    達磨供養の炎が激しく燃え上がる。煙にあたれば無病息災ともいわれ、多くの参拝客が手を合わせていた。私もまた、ただ黙って、その場に立っていた。
    立ちのぼる火柱を見上げながら、「これで十分ではないか」という声が心の奥から湧き上がった。欲や不安が洗い流され、今あるものだけで満ち足りている……そんな感覚がそっと芽生えていたのである。後に知ったことだが、禅宗には**「足るを知る者は富む」**(足りていることを知る人は本当に豊かだ)という教えがあるという。まさにこのとき私の心に宿り始めたのは、その「足るを知る(知足)」という境地だったのかもしれない。

    洞窟観音で出会う静寂と縁
    炎の儀式が終わる頃、心は不思議な静けさに包まれていた。達磨供養の現場を後にしつつも、その余韻で足取りは軽い。燃え尽きて灰になった達磨の山を横目に、「ありがとう」と小さく手を合わせて別れを告げた。カメラのメモリーカードには炎の写真が収まっているが、ファインダー越しでは捉えきれない大切な何かが胸に刻まれた気がした。

    予定でもう一カ所せっかくここまで来たのでと言う思いで、近くにあると聞いていた「洞窟観音」を訪ねてみることにした。導かれるように、薄暗い洞窟の入口へと入っていく。洞窟内はひんやりと静まり返り、外の喧騒が嘘のようだ。灯籠の淡い光に浮かび上がる無数の観音像が、岩肌に沿ってずらりと並んでいる。私たちの小さな会話の音だけが響く長い石の回廊を進むうち、心の奥底までシンと澄み渡っていくのを感じた。


    全長400mを超える人工の洞窟の中に、観音像が39体。静かな暗がりに、ひとつひとつが守るように立っている
    薄明かりの中、観音様の前で手を合わせていた。そこで知ったのだが、この洞窟観音は明治の時代に呉服商として成功した 山田徳蔵(1885–1964) が私財を投じ、人々のためにと長年かけて手掘りで造り上げたものだという。
    大正8年に着工し、約50年もの歳月をかけて“ほぼ人の手”でつくり上げた。さらに驚いたのは、その山田徳蔵氏が 新潟県柏崎市の出身 だと知ったこと。
    遠くへ撮影に来たつもりが、気づけば「自分のルーツ」に触れていた。
    こういう偶然って、あとから思い返すほど、じわじわ効いてくる。

    洞窟の中でシャッターを切りながら、私はたぶん「撮っている」だけじゃなかった。
    暗い空間に刻まれた祈りを、黙って受け取っていた気がする。静かな洞窟に身を置いていると、不思議な縁(えん)で故郷と結ばれたような気持ちになった。考えてみれば、この洞窟観音を作った人々や長年参拝してきた人々の想いと、自分という存在が時空を超えてつながったとも言えるだろう。偶然に導かれた出会いが、実は必然の連なりの中にあったことをしみじみと実感する。燃え盛る炎の後に訪れた静寂の時間は、私の心に過去から未来へと通じる一本の糸を通してくれたようだった。

    あの日の経験から『知足たる人生』へ
    こうして写真撮影のつもりが始まりだった不思議な旅は、家路につく頃には心に小さな変化をもたらしていた。あの日以来、「足るを知る」という言葉が折に触れて思い浮かぶようになったのだ。実際、後日になって偶然手に取った一冊の本がある。谷崎玄明氏の著書『知足たる人生』である。タイトルに引き寄せられるように読み始めたその本には、知足とは「すでに満たされているということを理解する」ことだと書かれていた。ページをめくるごとに、達磨の炎の前で感じたあの静かな満足感や洞窟で味わった心の連なりが、鮮やかに脳裏によみがえる。文字を追いながら、「そうだ、あの日私は確かに『足りている』ことを知ったのだ」と静かに頷いている自分がいた。

    写真に収めた光景と、綴られた言葉が響き合い、私の中でひとつの物語を完成させたように思う。
    カメラが導いてくれた偶然の出来事たちが、実は必要な必然だったのだと今では感じている。燃える達磨の炎と洞窟の静寂が教えてくれた「足るを知る」という感覚——それはこれからの人生を支える大切な羅針盤になりそうだ。これからも静かな心で日々の十分さに目を向け、『知足たる人生』を深めていきたい。あの日の小さな旅が与えてくれた気づきを胸に、私はゆっくりと前に進んでいくつもりだ。

  • 「やりたいこと」は、感情の小さな扉から始まる | 2026.01.20

    『「やりたいこと」の見つけ方』西 剛志 著を読んだ。冒頭に出てくるトム・ソーヤの言葉が、いきなり深い。
    「人生で一番大切な日は2日ある。生まれた日と、なぜ生まれたのか分かった日」。
    正直、“なぜ生まれたのか分かった日”なんて本当に来るのかな…と思った。でも読み進めるうちに、「答えが突然ドンと降ってくる」というより、「日々の感情から、じわじわ分かってくる」ものかもしれないと思えてきた。

    この本がまず言ってくれて助かったのは、「やりたいことが見つからないのは、あなたのせいじゃない」ということ。今は情報も選択肢も多すぎる。選べるはずなのに、逆に頭が止まってしまう。まさにそれだと思った。だから“やりたいこと”を探すときに、いきなり職業名を決めようとしなくていい。先に見るべきは「自分の感情」だ、と。

    やりたいことがある人は、理屈より感覚で決めていることが多いとも書かれていた。条件が少ないときは考えたほうが当たりやすい。でも条件が増えてごちゃごちゃしてくると、考えすぎるほど迷ってズレる。そんなとき直感のほうが役に立つ、という話は納得だった。もちろん直感も“経験”が育てる部分は大きいと思うけど、頭だけで全部決めようとするよりは、体の反応も信じたほうがいいのかもしれない。

    怖いのは「自分はこういう人間だ」という思い込みだ。挑戦する前から「どうせ無理」と決めてしまう。そうやって本音にフタをする癖がつくと、だんだん「自分が本当は何を望んでるのか」が分からなくなる。これは身に覚えがある。
    それに、私たちは“達成”よりも、“成長してる感じ”のほうが嬉しかったりする。結果より「前に進んでる感覚」が力になる。だから大きな目標を一発で当てるより、少しずつ前に進める形を作るのが大事なんだと思った。

    本の中には「外に向かうタイプ」「内に向かうタイプ」という整理も出てくる。人との関わりや場づくりで熱くなる人もいれば、自分の中を掘ることでワクワクする人もいる。どっちが上とかじゃない。ただ比率が違うだけ。
    ただ、周りの気持ちばかり優先して、自分の気持ちが置き去りになると、やりたいことは見つかりにくい。逆に自分だけでもダメ。人の意見を聞ける柔らかさと、流されない強さのバランスが大事だ、という話が良かった。

    あと印象に残ったのは、コンフォートゾーン(安心な場所)とストレッチゾーン(ちょい不安な場所)の話。やりたいことのヒントは、安心の外側に転がっていることが多い。でも、一歩出てみると、最初は不安でも慣れて「普通」になる。だから、ちょっと面倒なことも、あえてやってみる価値がある。

    そして「運がいい人は出会いが多い」という話。ここで言う出会いは、人だけじゃなく、機会や場所も含む。オンラインの時代だからこそ、直接会って得られる空気感とか、言葉にできない学びの価値は上がっている気がする。やりたいことをやっている人と会うと、こちらの考え方まで影響を受ける。だから「会いに行く」って、ただの気合いじゃなく、ちゃんと意味があるんだろう。

    さらに面白いのが、「やりたいことが見つかる人ほど寄り道が多い」というところ。最短で行こうとすると視野が狭くなる。でも寄り道は、思いがけない自分を見つけやすい。旅行先でふと気づく、とか、たまたまの会話でスイッチが入る、とか。私も、計画してない動きの中で世界が広がった経験があるから、この話は励みになった。

    結局この本は、「やりたいことは“答え”じゃなくて、“育てるもの”」だと背中を押してくれた気がする。自分の心が動くものをよく見て、少しだけ安心の外に出て、出会いと寄り道を増やす。そうやって小さな扉を開けていくうちに、いつか「自分は何のために生きてるんだろう」にも、自分なりの手触りが出てくるのかもしれない。

  • 「認知症は“理解”から始まる旅だった」 | 2026.01.19

    「認知症、世界の歩き方、実践編」(筧裕介 著)は、認知症を“遠い話”ではなく、誰もが迷い込みうる世界として、やさしく案内してくれる本だった。イラストやストーリーの力で、「そういう見え方になるのか」「そういう感じ方になるのか」と、頭だけじゃなく感覚で理解できる。読んでいて、どこか他人事ではなく、ふっと「自分も似た旅をしている時があるな」と思った。

    冒頭にある「認知症と共に生きるために必要なのは、対話とデザイン」という言葉が印象に残る。理解できないと、人はつい怒ってしまう。理不尽に見える行動の裏で、本人は「いま自分の頭と体に何が起きているのか」が分からず、必死に辻褄を合わせようとしているのかもしれない。だからこそ、まずは対話で“怖さ”をほどく。そしてデザインで“暮らしの難しさ”を減らす。ここでいうデザインは、見た目を整えるだけじゃない。人間の想像力で環境を整え、社会や地域や生活の課題を、少しでも解ける形にすること——その意味でのデザインだ。

    中でも「時間の速度は自由気まま」という話は、なるほどと思った。几帳面に規則正しく生きてきた人ほど、体内時計のズレが生まれた時に、自分のリズムが崩れて苦しくなるのかもしれない。ズレは小さくても、積み重なると“自分が自分でいられない感じ”につながる。そこに不安が増えれば、怒りや混乱として表に出ることもあるだろう。

    さらに本を読みながら、今の社会の変化とも重なって見えた。食事ひとつとっても、店員さんを呼んで注文するより、タブレットや自分のスマホで操作する場面が増えた。便利な一方で、変化が急すぎると、そこが“見えない壁”になる人もいる。ついていけないと感じた瞬間から、行動範囲が狭まり、世界がどんどん小さくなる。結果として、現実から少しずつ乖離していく——そんな連鎖が起きても不思議じゃない。

    記憶の話も胸に残った。短期記憶が薄くなる一方で、昔の記憶は残りやすい。そして人は、失われた部分を埋めるために創造性で補う。けれど、その創造性が弱まると、霧の中、ホワイトアウトの中で暮らすように、目の前の世界から手がかりが消えてしまう。視界が消えれば、感覚も鈍る。いまメタバースのように、現実とバーチャルが混ざる体験が増えるほど、「いま自分はどこにいる?」という感覚が、誰にとっても起こりうるものになってきた気がした。だからこそ、認知症の世界は“特別な人の話”ではなく、現代を生きる私たち全員のテーマなのかもしれない。

    この本を読んで、私は今年「バリアを作らない暮らし方」を意識しようと思った。新しい仕組みを、最初から不親切だと決めつけない。むしろ「人間が考えた面白い仕掛け」として観察してみる。分からないことは聞く。若い人の会話にも耳を澄ませて、今の社会の空気を知る。そうやって世界に近づき続けることが、将来の自分のためにも、誰かと共に生きるためにも、いちばんの準備になる気がした。
    (※医療的な話は専門家に任せつつ、ここでは“暮らしの視点”としての感想です。)

  • 「一日懸命」で生きてみる | 2026.01.13

    「今日のことだけ考える。」谷崎玄明さんの本を読んで、最初の一言がいきなり刺さりました。
    「考えることに、いい加減疲れていませんか?」って。

    ここで言う“考える”は、勉強みたいに前向きな思考じゃなくて、過去の後悔とか未来の不安をぐるぐる回し続けること。
    正直、まさに今の自分がそれでした。頭の中がずっと忙しい。なのに、目の前の一日がちゃんと味わえてない。

    著者は「生きる上で一番の邪魔は“期待”だ」と言います。
    期待って、明日にすがりついて、今日を薄くしてしまう。
    未来のことを考えすぎるほど、今が空っぽになっていく…この感じ、思い当たる人は多いと思います。

    もちろん長期的な考えは大事。でも、心の視野はあえて狭くしていい。
    考えるべき時は考える。そうじゃない時は、考えない。
    その切り替えができる人が、結局いちばん強いんだろうなと思いました。

    面白かったのが「一生懸命」という言葉の話。
    「一生懸命やってます」って、便利だけど、たまに自分をごまかす言葉にもなる。
    本当に今日を生き切った人が言えるのは「一日懸命」なんだそうです。
    この言い換え、妙に新鮮で、すごく効きました。

    そもそも、私たちが生きられるのは“今日”だけ。
    明日を生きることもできないし、昨日に戻って生きることもできない。
    たった一回きりの一日を、ちゃんと使う。
    その当たり前を思い出させてくれる本でした。

    途中には、よくある人生の矛盾も出てきます。
    人はお金のために健康を削って、あとからそのお金で健康を取り戻そうとする。
    将来を心配しすぎて、今を楽しめない。
    その結果、「今にも生きてないし、将来にも生きてない」状態になる…耳が痛いけど、まさにそうだなと。

    原始仏教の話も印象的でした。
    神みたいな抽象的なものじゃなくて、「一人の人間の実践」としての教え。
    外の評価より、自分の心をちゃんと大事にする。
    それができると、家事みたいな面倒なことも、少しずつ“楽しめること”に変わっていく、と。

    そして「物を増やしたのに幸せになれず、むしろ虚しくなる」話。
    だから減らす。考える量も減らす。
    ただし、何でも捨てればいいわけじゃなくて、「こだわりの逸品は残す」。
    シンプルって、我慢じゃなくて、“好きなものだけが少しある暮らし”なんだなと思いました。

    忙しさの正体の説明も腑に落ちました。
    忙しい人の心って、実は「今やってること以外」でいっぱい。
    明日、明後日、今週、今月…と心が先へ先へ飛んで、勝手に疲れていく。
    だから本当は、シングルタスクに戻るだけで楽になる。
    「やるべきことを常に考えてしまっている=忙しい」って、ほんとその通り。

    最後に残ったのは、かなり潔い言葉でした。
    「理想は、寝たら忘れるような一日」
    そして「頑張れば報われる、は嘘だと思って大丈夫」
    ここだけ聞くと強いけど、言いたいのは“自分の幸せを後回しにしない”ってことなんだと思います。

    幸せは今この瞬間にしかなくて、今日の中にしかない。
    だから丁寧に、シンプルに、今日へ戻る。
    最初は「今日だけ?」って投げやりにも聞こえたけど、読んでいくほど、ものすごく深い哲学だとわかってきました。
    この本に出会えたことで、自分の中に「今日に戻る道」が一本できた気がします。

  • 想像力がいちばん速い。だから世界は変わる | 2026.01.09

    『時空を変える設定にオン!世界はひとつだけではない。選べるのだよ』(ケルマデック著)を読んで、最初は正直「多次元とかパラレルワールド系のスピリチュアル本かな?」と思って手に取りました。
    でも読み進めるうちに、ただ不思議な話を並べた本というより、「自分が今見ている世界って、どこまで“固定”なんだろう?」と考えさせてくる本だと感じました。

    特に面白かったのは、著者が漫画やアニメ、映画や小説を「ただのフィクション」とは見ていないところです。むしろ、ああいう作品は人の心や世の中にちゃんと影響を与えていて、場合によっては“現実を動かす力”にもなる、と言うんですね。

    これ、私はけっこう共感しました。社会がモヤモヤしている時ほど、妙に刺さる作品が流行ったりしますよね。単なる娯楽のはずなのに、見終わったあとに心が落ち着いたり、逆に「自分も変わろう」と思えたりする。
    たぶん私たちは気づかないところで、みんなの気分とか、時代の空気とか、そういうものとつながっているのかもしれません。

    そして、私が「なるほど」と思ったのが、**“究極の速さは想像力”**という考え方です。人の脳は、過去にも未来にもひとっ飛びできる。場所だって一瞬で移動できる。考え方ひとつで、今いる世界の感じ方が変わってしまう。確かにこれは、ものすごい力です。

    ここで私は、写真のことを思い出しました。花を見て「うわ、きれいだな」と感じる時って、花がきれいなだけじゃなくて、こちらの心の状態も関係している気がします。疲れていると見逃す光が、余裕がある日はちゃんと見える。
    つまり“きれい”って、外側だけで完結していない。自分の中の感受性があって、初めて立ち上がってくる。
    この本はそれを、「世界は意識に影響される」と言葉にしているように感じました。

    また、著者は「今、世界がグラグラしているのは、古い考え方を手放す時期だから」とも言います。不安や絶望に出会った時は、つらいけれど、見方を変えるチャンスでもある。
    これもスピリチュアルっぽいようで、意外と現実的だと思いました。昔の常識や成功体験が、今の自分を守ってくれるどころか、逆に重荷になることってありますから。

    読み終えて残ったのは、「世界はひとつじゃない」というより、**“自分はどの世界を生きる設定にしている?”**という問いでした。
    現実は石みたいにガチガチに固定されているだけじゃなくて、同じ出来事でも受け取り方で意味が変わる。意味が変わると行動が変わる。行動が変わると、出会う人も未来も変わる。
    そう考えると「設定を変えたら時空が変わる」という言い方も、私は“自分の意識の置き場を変える技術”として読むと腑に落ちました。

    神秘的なところもあるけれど、読み終わったあとに「今の現実の見え方」を少しだけ変えてくれる本。私にとっては、“信じる・信じない”より、「自分の世界の選び方を点検する本」だった気がします。

  • 「面白い」で選ぶ読書が、結局いちばん強い | 2026.01.08

    『ぼくは古典を読み続ける』(出口治明 著)を読んで、いちばん腑に落ちたのは「古典を読む理由」が、教養のためというより“予測できない時代の備え”として語られていたことでした。世の中って、景気も技術も価値観も、こっちの都合を待ってくれません。だからこそ、目の前の流行やノウハウだけに頼るより、人間がずっと経験してきた「まさか」の連続を、長い時間の目で見直す。その材料として古典が効く――この感じが、すごく現実的でした。

    冒頭の話も強烈で、「生命の歴史はすごく長い。その中で人間が偉いと思い込むのは危ないよね」という視点がいきなり来ます。地球にいる生き物は、同じDNAの仲間で、ミミズみたいに土の世界に完全適応している生き物も、クモの糸みたいに“細いのにめちゃくちゃ強い”仕組みも、すでに最高レベルに進化して今の形になっている。ここを読むと、「人間がピラミッドの頂点」みたいな感覚が、ふっと崩れます。世界は上下じゃなくて、横に広がったフラットな場所で、それぞれがそれぞれのやり方で“最適化して生きてる”んだな、と。

    あと、出口さんの「本の選び方」が、私はかなり好きでした。よく「仕事に役立つ本を5冊教えて」とか言われますが、出口さんはそこにツッコミを入れますよね。5冊読んだくらいで仕事がうまくいくなら、人生そんな甘くないだろう、と。これ、私も同感です。本は“すぐ効く薬”じゃなくて、自分の考え方を広げたり、視点を増やしたりする道具です。だから「役に立つ」より「面白い」が先でいい。

    そして実践方法がわかりやすい。時間がある時は書店で、本文の最初の10ページを読む。最初の10ページは著者が一番気合い入れて作るから、そこで「おっ」とならないなら、その先も厳しい可能性が高い。忙しい時は新聞の書評を頼る。書評を書く人は“打率が高い人”だから、そこから選ぶとハズレが少ない。最後は古典。これを「10ページ・書評・古典」って覚えておいて、と。私も普段、書評やレビューを見たりして選ぶので、このやり方はそのまま使えるなと思いました。

    もう一つ、刺さったのが「人間の脳は進化しないけど、学問は進化する」という話です。遺伝子研究や脳科学が新発見でどんどん更新されるのはみんな納得するのに、なぜか歴史や宗教は“もう結論が出てるもの”みたいに思いがち。でも実際は、文章そのものは変わらなくても、解釈は変わる。聖書もそうだし、古典もそう。だから、子どもの頃に挫折した本でも、今読めば違うものになる。逆に同じ本でも、読む自分が変わったら感想も変わる。本は何回読んでもいい――この言葉に背中を押されました。源氏物語に挫折した話も、むしろ「あ、挫折してもいいんだ」って気がラクになります。

    さらに、人間の無意識の話も面白かったです。脳は意識できる部分がせいぜい数パーセントで、残りは無意識がフル回転してる、という話。認知症で言葉が通じにくくても、丁寧に扱われているか、雑に扱われているかは伝わってしまう、というエピソードは胸に残りました。つまり人は、理屈より先に“空気”や“扱われ方”を受け取っている。古典や哲学が繰り返し言ってきた「人を人として扱う」って話が、机上じゃなく現場のリアルとして響いてくる感じでした。

    結局この本が教えてくれるのは、予測できないことが起きる時代ほど、古典が効くということです。みんな昔から、戦争も災害も恐慌も病も、いろんな「まさか」を経験してきた。その経験が凝縮されて残っているのが古典。だからこそ、未来が読めないほど、古典を読むのが“いま自分たちができる最善策”になる。私はその考えに、かなりうなずきました。読むほどに、安心材料が増えるというより、「揺れた時に立ち戻れる軸」が少しずつ太くなる。そんな読書の仕方を、これからも続けていきたいと思います。

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