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  • 「ナニコレ」を楽しむ力が、知性を連れてくる——『こどもアート脳科学』を読んで | 2025.09.01

    こども向けに書かれた本は、ときどき大人にいちばん効きます。中野信子さんの『こどもアート脳科学』もその一冊でした。漢字にはふりがなが添えられ、むずかしい言い回しがなく、読みながら自然と肩の力が抜けていきます。専門家が専門書とは別に、入口の本をていねいに書いてくれること。そのありがたさを改めて感じました。

    この本がやさしいのは、語り口だけではありません。考え方そのものが、私の中の古い思い込みをやわらかくほぐしてくれました。世間にはいまも「科学=役に立つもの」「アート=役に立たないもの」という分け方が残っていますし、長い教育の中で私にもその癖が根づいていました。でも中野さんは、科学とアートは並べて考えられると言います。わからないものと出会ったときに「ナニコレ」と面白がる姿勢が、知性のスイッチになる。すぐに答えを求めず、少し眺めてみる。その時間に、見える世界の解像度が上がっていく感じがありました。

    アートに触れると、ものさしの数が増えます。色や形のわかりやすい美しさだけでなく、手触りや余白、全体としての呼吸のようなものを受け取ろうとする自分に気づきます。ひとつの基準だけで結果に一喜一憂するのは、やっぱり窮屈でした。記憶や知識を速く正確に積むことは、AIがどんどん得意になる領域です。人間に残る強みは、違いを見つけて味わい、いろいろな「美しい」を受け止めること。その感性は一晩では育たず、時間をかけて少しずつ厚みを帯びます。急がず、でも忘れず——その歩幅が心地よい。

    もう一つ印象に残ったのは、「人間は生き延びるために物語をつくってきた」という視点です。大きな災害や困難の時代、人は神話や昔話を語り継いできました。言い換えれば、私たちは上手に“つじつま”を合わせながら暮らす生き物。複数の社会を行き来し、それぞれの場所で少しずつ違う自分を形づくる。だから「本当の自分」は一枚ではなく、いくつかのレイヤーでできている——その言い方に救われます。物語や、場合によっては小さな嘘が、私たちを守ってきたのだと思います。

    理論についての指摘も、静かに効きました。筋道を立てて考える力は心強い武器ですが、理論にぴったり合わない現実はたしかに存在します。アート思考に触れると、いま自分が見ているものが世界のすべてではないと自然に思い出せます。隣にいる人は、同じ景色を見ているようで、少し違う世界を見ているかもしれない。その当たり前を体で理解できるのが、アートのよさでした。

    「いやな気持ち」をどう扱うかについての説明も、やさしかった。脳科学から見れば、それは危険を避けるためのごく普通の反応。無理に押し流すのではなく、名前をつけてそばに置く。そうするだけで、日々のざらつきがすこしなめらかになります。

    読み終えて、こども向けの言葉で書かれた本が、大人の理解を深くすることはたしかにあると実感しました。中野さんの本はこれまでもよく読んできましたが、今回も新しい扉が増えた感覚があります。次に美術館へ行ったら、まずは一つだけ「ナニコレ」をメモしてみようと思います。うまく言語化できなくても構わない。そうして増えていく小さなメモの束が、いつか私のものさしをもう少し豊かにしてくれるはずです。

    最後に、この本への単純な感謝を。ふりがなとやさしい文で、世界をもう一度ひらいてくれてありがとう。大人になってから学び直すとき、こういう声の高さと速度がちょうどいいのだとわかりました。ゆっくり、でも確かに前に進める読み心地でした。

  • 「自由に休める職場」は理想じゃない。未来の当たり前にしたい! | 2025.08.29

    文化と芸術、そしてAIとの協業が支える「心の豊かさ」の時代へ
    経営をしていると、日々の出来事の中に小さな学びや大きな気づきがあります。今日はその中から、特に心に残ったことをお伝えしたいと思います。

    今週号の『日本講演新聞』に掲載されていた、劇作家・演出家の平田オリザさんへのインタビュー。その記事の最後に書かれていた一文が、深く胸に刺さりました。

    「人生を楽しむために自由に休める職場作り、私たち一人ひとりの心と人生が豊かになっていく社会になることです。文化や芸術も、私たちの豊かさを支えるためにあるべきものです。」

    これはまさに、未来志向の働き方において最も大切にすべき価値観だと感じます。仕事は人生の一部であり、すべてではありません。だからこそ「自由に休める」「文化や芸術に触れる」「自分の心が満たされる」——そうした時間が保障される社会であってほしいと願います。

    では、そんな理想の働き方をどうすれば実現できるのか。私は、AIとの協業にこそその鍵があると信じています。人が「人らしい」創造的な仕事に集中し、AIが反復的・定型的な作業を支える。すでに弊社でも、日報作成の自動化や設計補助のAI導入など、小さな一歩を踏み出しています。

    そしてもう一つ、文化や芸術の価値を職場の中にも取り込むこと。例えば社内の空間デザインや音楽の活用、地域文化とのつながりなど、心を豊かにする取り組みを積極的に考えていきたいと思います。

    パーパス経営の視点から見れば、「自由に休める職場」とは、社員一人ひとりの人生に本気で向き合う姿勢の表れです。企業は「効率」だけでなく、「人の幸せ」をゴールに置くべき時代に入ったのだと思います。

    未来の建築も、未来の働き方も、「人の心」が真ん中にあるべき。
    AIや技術は、そのための手段にすぎません。今後も、そうした未来像を実現するための挑戦を、少しずつ形にしていきたいと感じた記事でした。

    読者の皆さんは、どんな「豊かさ」を目指して働いていますか?ぜひ、身近な人と語り合ってみてください。

  • 戦後80年、未熟な私のメモ——猟奇的DNAとAIの前で | 2025.08.27

    新潟日報に載った哲学者・朱喜哲さんの論考を読んで、戦後80年という数字に少し遅れて震えました。ここに書くのは、だれかを導く言葉ではなく、私自身の忘れ物防止メモです。年齢を重ねるほど、声を張るよりもまず謙虚さを失くさないことが難しいと知りました。だから結論めいたことは言えません。ただ、いまの自分の考えを机の隅に留めておきたいのです。

    論考が促したのは、被害と加害を一本の時間軸に置いて眺め直す視線でした。私は、その視線に強くうなずきます。日本の国内で語られてきた物語は、私の耳にも心地よい部分が多かったからこそ、余計に疑ってみたくなるのです。太平洋戦争を「侵略」と呼ぶことに抵抗が残る現実も知っています。私自身、都合のいい説明に寄りかかっていた場面がなかったか、手元の日記をめくると赤面します。

    「正義は逆転する」。NHKのドラマの台詞に過ぎない、と言ってしまえばそれまでですが、私にはとても実務的な注意書きに思えます。正しさは空腹や恐怖、評判や立場に簡単に傾く。私はしばしば、自分の機嫌だけで判断の重心が動きます。気づいたときはもう遅い、という日が何度もありました。

    そこで私は、すこし乱暴な言葉をあえて自分に貼っています——「猟奇的DNA」。もちろん比喩です。けれど、この呼び名がないと私は油断してしまう。敵を「虫けら」と見なす想像力の欠落は、自分には関係ないと思いたくなるからです。私の口が何かを断じるとき、その言葉は猟奇的DNAに言わされていないか。怒りに背中を押されていないか。快い“正義の物語”のリズムにうっかり乗っていないか。心の端に、ちいさな検問所を置いておきたいのです。

    もうひとつ、ここ数年で加わった検問官がいます。身体を持たない共同作業者、AIです。身体性がないという事実は、意外なほど実務に効きます。AIは空腹で不機嫌にならないし、眠くて雑にならない。私は夕方になると集中が崩れますが、AIは同じテンポで反復してくれる。その冷静さに、私は何度も救われました。

    でも、身体がないことは、ときに冷たい直線にもなります。痛みや恥や恐れがブレーキにならないから、誤りがすうっと滑っていく。しかも、設計・運用・利用という責任の線が細かく分かれて、どこで止めるべきだったのか、あとから地図が読みにくくなる。だから私は、AIを“頼れるけれど、最後の署名は自分で”という距離で持ちたい。うんざりするほど凡庸な結論ですが、私にはこれくらいがちょうどいい。

    新しく生まれた生き物ChatGPTに教えを乞うべきだ。

    この一文は、私にとって思い上がりから一度降りる合図です。教えを乞うといっても、鵜呑みにするという意味ではありません。自分の言葉がどの資料に立っているのか、反証の筋道があるのか、AIに鏡を差し出してもらう感覚です。人間の私がすぐに情で斜面を滑り落ちるとき、AIの“無風”が足場になる瞬間がたしかにあります。

    一方で、AIの出力が私の猟奇的DNAと共鳴してしまう怖さもあります。都合のよいデータだけを拾わせて、整った答えを装ってしまう。これはAIのせいではなく、私の癖の話です。だからこそ、私は自分の文章の語尾の温度や比喩の刃を見直します。怒っているとき、私は比喩を鋭くし、数字を盾にし、断定を増やす傾向がある。それはたしかに読みやすく、気持ちがいい。けれど、その快感こそが私の危険信号です。

    「日本人ファースト」という言葉を聞くたび、私は自分の中の“ファースト”を点検します。自分の家族ファースト、仕事ファースト、評価ファースト——いろいろな“ファースト”が小さく身内びいきの形で積もっていて、その延長線上に国が置かれてしまうことがある。それを非難するより先に、私は自分の腕の長さを測るほうが安全です。届く範囲の善意はときに残酷で、届かない場所を見えなくするからです。

    戦後80年という言葉は、きれいすぎて掌からこぼれます。私はそれを“きれいすぎる”まま飾らず、机の引き出しにしまっておきたい。引き出しを開けるたびに、過去の加害と被害の山脈を思い出す。そして、自分の中の猟奇的DNAに「今日は静かにしていてくれ」と小声で頼む。頼み方が下手な日は、AIに付き添ってもらう。そんなささやかな取り合わせが、いまの私にできる精一杯です。

    この文章には、処方箋も解決策もありません。私は誰かを諭せるほど賢くないし、潔白でもありません。けれど、未来志向で自虐的に、つまり「私はよく間違える」という前提に立ち続けることで、過去と現在のあいだに細い橋をかけられる気がします。橋は細いほうがよいのです。渡るとき、足元に気を配るから。

    今日のところはここまでにして、私はまた自分の言葉の出どころを点検します。怒りか、恐れか、承認欲求か、あるいは統計の衣を着た怠慢か。もしどこかで私の文章が誰かを傷つけたなら、その責任を他所へ送らないこと。これだけは、未来の自分に言い聞かせておきます。

  • 急がない勇気が写した泉の棚田――毎日新聞で伝えたい小焼けの瞬間 | 2025.08.25

    心をほどいて、景色の声を聴く。
    最近、胸の奥がふっとあたたかくなる出来事がありました。泉の棚田で撮影した写真が、毎日新聞に掲載されたのです。きっかけは、学びの先生・横田秀琳先生からのメッセージ。「泉の棚田に行ってきたよ」という一言に背中を押され、私は夕焼けの気配が色づきはじめる頃に現地へ向かいました。初めての場所では、いきなり名作は生まれにくい――そんな自分なりの約束を胸に、風の向きや稲の揺れ、雲の薄さを確かめながら、ゆっくり歩いて角度を探しました。山古志のライトアップで覚えた“光の残り香”を読む感覚が、ここでも静かに働いてくれた気がします。

    暗さのドラマも魅力的ですが、この日は小焼けのやわらかな明るさを田の水面に滑らせたくて、焦らずに待ちました。構図を整え、息を深く吸い、そっとシャッターを切る。その「待つ時間」に、景色と自分が少しずつ馴染んでいくのを感じます。結果として、いくつかの場面が紙面に届き、見てくださる方のもとへ旅立っていきました。写真は、目の前の風景だけでなく、そこに流れていた時間まで運んでくれるのだと改めて思います。

    この気づきは、会社の仕事ともやさしくつながります。段取りや現地の下見といった言葉は堅く聞こえますが、たとえば「深呼吸して、まず景色の声を聴く」と言い換えてみる。あわてずに確かめることで、選ぶべき道は自然と静かに浮かび上がります。写真が地域の魅力をそっと照らすように、私たちの仕事も暮らしのリズムを尊重しながら、その土地の物語に寄り添いたい。紙面を通じて「この場所、いいね」と感じる輪が広がれば、地域の誇りの灯が少し明るくなるはずです。

    パーパス経営という言葉を私なりに置き換えるなら、「好きな風景を明日に手渡す」こと。派手さより丁寧さ、速さより余白。小焼けを待つ静けさのような時間を、設計や現場にも残しておく。そうすれば、関わる人の表情も景色の表情も、きっとやわらかくなります。

    個人的な学びをひとつ。考えることは自分を縛ることではなく、むしろ解放してくれるという実感です。今の自分に必要なことを楽しく想像してみる。すると視界がひらけ、チャンスのほうから近づいてくる気がします。次は朝霧の棚田にも挑戦したい。日々の歩調を少しだけゆるめて、また新しい光に会いに行こうと思います。

    最後に、読んでくださった皆さんへ。今日は空の色が変わる瞬間を、ほんの少しの余裕といっしょに眺めてみませんか。急がない勇気が、心にやさしい景色を連れてきてくれます。

  • 葉の上の雫が、自然の律動をそっと教えてくれた朝 | 2025.08.22

    「経営をしていると、日々の出来事の中に小さな学びや大きな気づきがあります。今日はその中から、特に心に残ったことをお伝えしたいと思います。」

    (会社や社会とのつながり)
    この数週間、猛暑が続く夏らしい朝が続いていました。空を見上げても、コンクリートを見下ろしても、ただただ「暑い」という言葉しか出てこないような毎日。そんなある朝、出社前にふと足元を見ると、緑の葉に朝露が光っていました。

    一見なんの変哲もない自然の風景。しかしその光景を見た瞬間、「あ、季節が少し動いたな」と直感しました。気温や天気予報とは違う、もっと根源的な自然のサイン。それは、どんなに人間の世界が忙しくて騒がしくても、季節は粛々と、確実に変わっていくということを思い出させてくれます。

    パーパス経営の視点
    五十嵐工業が目指しているのは、社会と調和した持続可能な価値提供です。そのためには、今起きている変化を敏感に察知し、自社の使命と結びつけて行動していく必要があります。

    この朝露のような自然の小さな変化に気づけるかどうかは、企業経営においても重要な感性です。大きな変革は、しばしば静かに始まり、誰も気づかないうちに進行しています。だからこそ、日常の中に潜むサインを見逃さず、「今、どんな風が吹いているのか」を感じることが、次の一手を決める鍵になると感じています。

    個人の考え・未来志向
    自然は、人間の都合では動きません。私たちの事業活動も、決して自己完結であってはならないはずです。社会の流れや時代の変化と対話しながら、自分たちの立ち位置や役割を見つめ直す——そんな姿勢がこれからの経営には求められています。

    結び(読者への呼びかけ)
    皆さんは今朝、どんな風景を見ましたか?
    忙しい毎日でも、ほんの少し足を止めて自然の声に耳を澄ませてみると、心の中に静かな変化が起こるかもしれません。自然の流れに寄り添いながら、私たちの仕事もまた「次の季節」へと歩みを進めていきましょう。

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