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ブログ - 五十嵐工業株式会社 - Page 11

  • 「認知症は“理解”から始まる旅だった」 | 2026.01.19

    「認知症、世界の歩き方、実践編」(筧裕介 著)は、認知症を“遠い話”ではなく、誰もが迷い込みうる世界として、やさしく案内してくれる本だった。イラストやストーリーの力で、「そういう見え方になるのか」「そういう感じ方になるのか」と、頭だけじゃなく感覚で理解できる。読んでいて、どこか他人事ではなく、ふっと「自分も似た旅をしている時があるな」と思った。

    冒頭にある「認知症と共に生きるために必要なのは、対話とデザイン」という言葉が印象に残る。理解できないと、人はつい怒ってしまう。理不尽に見える行動の裏で、本人は「いま自分の頭と体に何が起きているのか」が分からず、必死に辻褄を合わせようとしているのかもしれない。だからこそ、まずは対話で“怖さ”をほどく。そしてデザインで“暮らしの難しさ”を減らす。ここでいうデザインは、見た目を整えるだけじゃない。人間の想像力で環境を整え、社会や地域や生活の課題を、少しでも解ける形にすること——その意味でのデザインだ。

    中でも「時間の速度は自由気まま」という話は、なるほどと思った。几帳面に規則正しく生きてきた人ほど、体内時計のズレが生まれた時に、自分のリズムが崩れて苦しくなるのかもしれない。ズレは小さくても、積み重なると“自分が自分でいられない感じ”につながる。そこに不安が増えれば、怒りや混乱として表に出ることもあるだろう。

    さらに本を読みながら、今の社会の変化とも重なって見えた。食事ひとつとっても、店員さんを呼んで注文するより、タブレットや自分のスマホで操作する場面が増えた。便利な一方で、変化が急すぎると、そこが“見えない壁”になる人もいる。ついていけないと感じた瞬間から、行動範囲が狭まり、世界がどんどん小さくなる。結果として、現実から少しずつ乖離していく——そんな連鎖が起きても不思議じゃない。

    記憶の話も胸に残った。短期記憶が薄くなる一方で、昔の記憶は残りやすい。そして人は、失われた部分を埋めるために創造性で補う。けれど、その創造性が弱まると、霧の中、ホワイトアウトの中で暮らすように、目の前の世界から手がかりが消えてしまう。視界が消えれば、感覚も鈍る。いまメタバースのように、現実とバーチャルが混ざる体験が増えるほど、「いま自分はどこにいる?」という感覚が、誰にとっても起こりうるものになってきた気がした。だからこそ、認知症の世界は“特別な人の話”ではなく、現代を生きる私たち全員のテーマなのかもしれない。

    この本を読んで、私は今年「バリアを作らない暮らし方」を意識しようと思った。新しい仕組みを、最初から不親切だと決めつけない。むしろ「人間が考えた面白い仕掛け」として観察してみる。分からないことは聞く。若い人の会話にも耳を澄ませて、今の社会の空気を知る。そうやって世界に近づき続けることが、将来の自分のためにも、誰かと共に生きるためにも、いちばんの準備になる気がした。
    (※医療的な話は専門家に任せつつ、ここでは“暮らしの視点”としての感想です。)

  • 「一日懸命」で生きてみる | 2026.01.13

    「今日のことだけ考える。」谷崎玄明さんの本を読んで、最初の一言がいきなり刺さりました。
    「考えることに、いい加減疲れていませんか?」って。

    ここで言う“考える”は、勉強みたいに前向きな思考じゃなくて、過去の後悔とか未来の不安をぐるぐる回し続けること。
    正直、まさに今の自分がそれでした。頭の中がずっと忙しい。なのに、目の前の一日がちゃんと味わえてない。

    著者は「生きる上で一番の邪魔は“期待”だ」と言います。
    期待って、明日にすがりついて、今日を薄くしてしまう。
    未来のことを考えすぎるほど、今が空っぽになっていく…この感じ、思い当たる人は多いと思います。

    もちろん長期的な考えは大事。でも、心の視野はあえて狭くしていい。
    考えるべき時は考える。そうじゃない時は、考えない。
    その切り替えができる人が、結局いちばん強いんだろうなと思いました。

    面白かったのが「一生懸命」という言葉の話。
    「一生懸命やってます」って、便利だけど、たまに自分をごまかす言葉にもなる。
    本当に今日を生き切った人が言えるのは「一日懸命」なんだそうです。
    この言い換え、妙に新鮮で、すごく効きました。

    そもそも、私たちが生きられるのは“今日”だけ。
    明日を生きることもできないし、昨日に戻って生きることもできない。
    たった一回きりの一日を、ちゃんと使う。
    その当たり前を思い出させてくれる本でした。

    途中には、よくある人生の矛盾も出てきます。
    人はお金のために健康を削って、あとからそのお金で健康を取り戻そうとする。
    将来を心配しすぎて、今を楽しめない。
    その結果、「今にも生きてないし、将来にも生きてない」状態になる…耳が痛いけど、まさにそうだなと。

    原始仏教の話も印象的でした。
    神みたいな抽象的なものじゃなくて、「一人の人間の実践」としての教え。
    外の評価より、自分の心をちゃんと大事にする。
    それができると、家事みたいな面倒なことも、少しずつ“楽しめること”に変わっていく、と。

    そして「物を増やしたのに幸せになれず、むしろ虚しくなる」話。
    だから減らす。考える量も減らす。
    ただし、何でも捨てればいいわけじゃなくて、「こだわりの逸品は残す」。
    シンプルって、我慢じゃなくて、“好きなものだけが少しある暮らし”なんだなと思いました。

    忙しさの正体の説明も腑に落ちました。
    忙しい人の心って、実は「今やってること以外」でいっぱい。
    明日、明後日、今週、今月…と心が先へ先へ飛んで、勝手に疲れていく。
    だから本当は、シングルタスクに戻るだけで楽になる。
    「やるべきことを常に考えてしまっている=忙しい」って、ほんとその通り。

    最後に残ったのは、かなり潔い言葉でした。
    「理想は、寝たら忘れるような一日」
    そして「頑張れば報われる、は嘘だと思って大丈夫」
    ここだけ聞くと強いけど、言いたいのは“自分の幸せを後回しにしない”ってことなんだと思います。

    幸せは今この瞬間にしかなくて、今日の中にしかない。
    だから丁寧に、シンプルに、今日へ戻る。
    最初は「今日だけ?」って投げやりにも聞こえたけど、読んでいくほど、ものすごく深い哲学だとわかってきました。
    この本に出会えたことで、自分の中に「今日に戻る道」が一本できた気がします。

  • 想像力がいちばん速い。だから世界は変わる | 2026.01.09

    『時空を変える設定にオン!世界はひとつだけではない。選べるのだよ』(ケルマデック著)を読んで、最初は正直「多次元とかパラレルワールド系のスピリチュアル本かな?」と思って手に取りました。
    でも読み進めるうちに、ただ不思議な話を並べた本というより、「自分が今見ている世界って、どこまで“固定”なんだろう?」と考えさせてくる本だと感じました。

    特に面白かったのは、著者が漫画やアニメ、映画や小説を「ただのフィクション」とは見ていないところです。むしろ、ああいう作品は人の心や世の中にちゃんと影響を与えていて、場合によっては“現実を動かす力”にもなる、と言うんですね。

    これ、私はけっこう共感しました。社会がモヤモヤしている時ほど、妙に刺さる作品が流行ったりしますよね。単なる娯楽のはずなのに、見終わったあとに心が落ち着いたり、逆に「自分も変わろう」と思えたりする。
    たぶん私たちは気づかないところで、みんなの気分とか、時代の空気とか、そういうものとつながっているのかもしれません。

    そして、私が「なるほど」と思ったのが、**“究極の速さは想像力”**という考え方です。人の脳は、過去にも未来にもひとっ飛びできる。場所だって一瞬で移動できる。考え方ひとつで、今いる世界の感じ方が変わってしまう。確かにこれは、ものすごい力です。

    ここで私は、写真のことを思い出しました。花を見て「うわ、きれいだな」と感じる時って、花がきれいなだけじゃなくて、こちらの心の状態も関係している気がします。疲れていると見逃す光が、余裕がある日はちゃんと見える。
    つまり“きれい”って、外側だけで完結していない。自分の中の感受性があって、初めて立ち上がってくる。
    この本はそれを、「世界は意識に影響される」と言葉にしているように感じました。

    また、著者は「今、世界がグラグラしているのは、古い考え方を手放す時期だから」とも言います。不安や絶望に出会った時は、つらいけれど、見方を変えるチャンスでもある。
    これもスピリチュアルっぽいようで、意外と現実的だと思いました。昔の常識や成功体験が、今の自分を守ってくれるどころか、逆に重荷になることってありますから。

    読み終えて残ったのは、「世界はひとつじゃない」というより、**“自分はどの世界を生きる設定にしている?”**という問いでした。
    現実は石みたいにガチガチに固定されているだけじゃなくて、同じ出来事でも受け取り方で意味が変わる。意味が変わると行動が変わる。行動が変わると、出会う人も未来も変わる。
    そう考えると「設定を変えたら時空が変わる」という言い方も、私は“自分の意識の置き場を変える技術”として読むと腑に落ちました。

    神秘的なところもあるけれど、読み終わったあとに「今の現実の見え方」を少しだけ変えてくれる本。私にとっては、“信じる・信じない”より、「自分の世界の選び方を点検する本」だった気がします。

  • 「面白い」で選ぶ読書が、結局いちばん強い | 2026.01.08

    『ぼくは古典を読み続ける』(出口治明 著)を読んで、いちばん腑に落ちたのは「古典を読む理由」が、教養のためというより“予測できない時代の備え”として語られていたことでした。世の中って、景気も技術も価値観も、こっちの都合を待ってくれません。だからこそ、目の前の流行やノウハウだけに頼るより、人間がずっと経験してきた「まさか」の連続を、長い時間の目で見直す。その材料として古典が効く――この感じが、すごく現実的でした。

    冒頭の話も強烈で、「生命の歴史はすごく長い。その中で人間が偉いと思い込むのは危ないよね」という視点がいきなり来ます。地球にいる生き物は、同じDNAの仲間で、ミミズみたいに土の世界に完全適応している生き物も、クモの糸みたいに“細いのにめちゃくちゃ強い”仕組みも、すでに最高レベルに進化して今の形になっている。ここを読むと、「人間がピラミッドの頂点」みたいな感覚が、ふっと崩れます。世界は上下じゃなくて、横に広がったフラットな場所で、それぞれがそれぞれのやり方で“最適化して生きてる”んだな、と。

    あと、出口さんの「本の選び方」が、私はかなり好きでした。よく「仕事に役立つ本を5冊教えて」とか言われますが、出口さんはそこにツッコミを入れますよね。5冊読んだくらいで仕事がうまくいくなら、人生そんな甘くないだろう、と。これ、私も同感です。本は“すぐ効く薬”じゃなくて、自分の考え方を広げたり、視点を増やしたりする道具です。だから「役に立つ」より「面白い」が先でいい。

    そして実践方法がわかりやすい。時間がある時は書店で、本文の最初の10ページを読む。最初の10ページは著者が一番気合い入れて作るから、そこで「おっ」とならないなら、その先も厳しい可能性が高い。忙しい時は新聞の書評を頼る。書評を書く人は“打率が高い人”だから、そこから選ぶとハズレが少ない。最後は古典。これを「10ページ・書評・古典」って覚えておいて、と。私も普段、書評やレビューを見たりして選ぶので、このやり方はそのまま使えるなと思いました。

    もう一つ、刺さったのが「人間の脳は進化しないけど、学問は進化する」という話です。遺伝子研究や脳科学が新発見でどんどん更新されるのはみんな納得するのに、なぜか歴史や宗教は“もう結論が出てるもの”みたいに思いがち。でも実際は、文章そのものは変わらなくても、解釈は変わる。聖書もそうだし、古典もそう。だから、子どもの頃に挫折した本でも、今読めば違うものになる。逆に同じ本でも、読む自分が変わったら感想も変わる。本は何回読んでもいい――この言葉に背中を押されました。源氏物語に挫折した話も、むしろ「あ、挫折してもいいんだ」って気がラクになります。

    さらに、人間の無意識の話も面白かったです。脳は意識できる部分がせいぜい数パーセントで、残りは無意識がフル回転してる、という話。認知症で言葉が通じにくくても、丁寧に扱われているか、雑に扱われているかは伝わってしまう、というエピソードは胸に残りました。つまり人は、理屈より先に“空気”や“扱われ方”を受け取っている。古典や哲学が繰り返し言ってきた「人を人として扱う」って話が、机上じゃなく現場のリアルとして響いてくる感じでした。

    結局この本が教えてくれるのは、予測できないことが起きる時代ほど、古典が効くということです。みんな昔から、戦争も災害も恐慌も病も、いろんな「まさか」を経験してきた。その経験が凝縮されて残っているのが古典。だからこそ、未来が読めないほど、古典を読むのが“いま自分たちができる最善策”になる。私はその考えに、かなりうなずきました。読むほどに、安心材料が増えるというより、「揺れた時に立ち戻れる軸」が少しずつ太くなる。そんな読書の仕方を、これからも続けていきたいと思います。

  • 移動とは、自由を取り戻す環境設計だ | 2026.01.07

    『移動する人はうまくいく』(長倉顕太 著)を読んで、いちばん刺さったのは「行動は意思の力だけじゃ変えられない」という前提でした。人は、意思→行動ではなく、環境→感情→行動の順で動いてしまう。だから「やる気を出そう」と気合いを入れても空回りしやすいし、逆に言えば、環境を少しズラすだけで行動は意外と変わる。最初からその視点で話が進むのが、この本の面白さだと思いました。

    そしてテーマである「移動」。人間って、ラクになればなるほど定住したくなる生き物です。慣れた場所、同じ人間関係、いつものルーティン。確かに安心はある。でも定住が進むと、領土や所有の概念が強くなり、農耕の広がりとともに納税や組織のヒエラルキーが生まれ、主人と奴隷のような関係が固定化していく——本書のこの見方は刺激的だけれど、妙に腑に落ちました。現代に置き換えれば、資本家と労働者、得をする側と損をする側、といった構造が見え隠れする。定住が進むほど「考えなくても生きられる仕組み」は整う一方で、「自分の頭で考える力」は退化しやすい。だからこそ、移動が必要になる、という論理です。

    ただ、ここでいう移動は「旅行しよう」「引っ越そう」という話だけではないと、私は受け取りました。今の時代、物理的な移動手段だけじゃなく、空間的・情報的な移動がいくらでもある。例えばYouTubeで、普段なら会えない人の思考に触れる。オンラインで、知らないコミュニティの空気に身を置く。本を読むのも、まさに移動だと思うんです。ページをめくるたびに、自分の常識が置いていかれて、別の視点に連れていかれる。読書が「移動力」になる、という感覚はすごく共感しました。

    「8割の人が同じことをしている時代に、2割側へ行くにはどうするか」。結局これは、才能よりも環境設計の話なんだろうと思います。同じ場所に居続けると、心も体も病みやすい。天候や季節を変えるだけでも人は回復するし、視野も変わる。コロナの話も印象的でした。人口が密集し、不潔さが継続しやすい定住地は、病気にとって理想の温床になりやすい。一方で移動する民族は小集団で散らばっていたから、大流行になりにくかった——この視点で見ると、「家にいましょう」が唯一の正解だったのか?と考えたくなる。密集から離れる方向へ“移る”ことも、本当は選択肢だったのかもしれない。移動できないこと自体が、不幸の種になる。そんな問いが残りました。

    さらに刺さったのは、「欲しい」「やりたい」というセンサーが壊れがちな時代、という感覚です。ずっと同じ環境にいると、好き嫌いすら曖昧になって、望む力が弱っていく。だからこそ、移動で刺激を入れる必要がある。ここで私が大事だと思ったのは、アウトプットです。今は個人でも発信できる時代で、しかもChatGPTのような道具があれば、思考を言語化する筋トレができる。私は毎日本を読み、noteに感想を書くようにしていますが、これは「自分の頭で考える」環境を自分で作っている行為なんだと、あらためて思いました。

    もう一つ、面白かったのが「年下の知人を積極的につくる」という発想です。新しい人間関係は、経験の有無を超えて、新しい経験を連れてくる。離れた人とも意思疎通ができる時代だからこそ、価値観が狭くならず、世界が広がっていく。これも立派な“移動”だと思う。身体を動かす移動だけじゃなく、情報・人・思考が動く場所へ、自分を連れていく。

    そして最後に、自分の言葉をもう一段深くするとこうなります。
    私も、移動を「気分が乗ったらやること」ではなく「自由を回復するための仕組み」にしたい。
    物理の移動なら、月に一度は“初めて”を入れる。初めての店、初めての道、初めての展示、初めて会う人。大きな旅じゃなくていい。小さくズラすだけで、感情が変わり、行動が変わる。
    情報の移動なら、同じ意見が流れ続ける場所から少し離れて、意識的に「違う速度」「違う価値観」「違う世代」に触れる。年下の知人を増やすのも、そのための具体策だと思う。
    そして、その移動で得たものを必ずアウトプットして定着させる。言葉にした瞬間、ただの刺激が、自分の考えに変わる。
    移動とは、遠くへ行くことじゃない。環境を更新し続けて、思考のセンサーを修理し続けること。そうやって私は、自分の自由を少しずつ取り戻していきたいと思います。

  • 「食べること」から始まる、不動産の再定義 | 2026.01.06

    「食べること」から始まる、不動産の再定義

    「トーコーキッチンへようこそ!」池田峰 著を読んで。

    この本は、派手な成功談や即効性のあるノウハウを語るものではない。
    「小さな不動産屋が、入居者のために食堂をつくった」——その静かな事実の奥に、仕事とは何か、商いとは誰のためにあるのかという、根源的な問いが横たわっている。
    読み進めるうちに、これは飲食や不動産の話ではなく、自分の仕事が、誰の暮らしのどんな場面に役立てるのかを、改めて問い直す一冊なのだと感じた。

    トーコーキッチンの対象は、学生に限らず、高齢者や女性、単身で暮らす人たち全体である。
    ここで扱われている課題は、「一緒に食べると楽しい」といった情緒的な話だけではない。むしろ、食べるという本来とても大切な行為が、日々の生活の中で面倒になり、負担やバリアになってしまっている現実に、真正面から向き合っている点が印象的だった。

    献立を考え、買い物に行き、調理し、後片付けをする。
    一人暮らしであればあるほど、食事は「楽しみ」よりも「作業」になりやすい。トーコーキッチンは、その生活上のハードルをそっと下げ、「きちんと食べる」ことを無理なく日常に戻そうとしている。
    この視点こそが、結果として人と人を緩やかにつなぎ、場を生み出しているのだと感じた。

    印象的だったのは、カードキーによる利用者限定の仕組みだ。誰でも自由に入れるわけではないが、所有者と一緒なら友人も利用できる。この「少しだけ閉じている」状態が、特別感を生み、同時に興味や話題性を生む。
    外からはノブが見えるのに鍵がかかっている。その違和感が「なんだろう?」という疑問を生み、それ自体が宣伝になっている点も非常に巧みだと感じた。

    また、年末年始の4日間を除き年中無休、朝8時から夜8時まで営業し、朝食100円、昼夜500円という価格設定にも驚かされた。普通であれば赤字になりかねないが、それでも続けている。その結果、空室率1.5%という、一般的な不動産業では考えられない数字を実現している。
    管理業務を担うだけの会社でありながら、オーナーになりたい人が集まり、入居者・オーナー・運営側すべてが得をする、見事なウィン・ウィンの関係が成立している。

    この本で特に心に残った言葉がある。
    「良い企画は脇が甘い」。

    ガチガチに決められた企画は面白くない。必要な剪定はするが、あえて抜け道を残す。偶然が入り込む余白、遊びのある構造が、人の創造性を引き出す。
    その一方で、1%だけは譲らないルールを設ける。貸切はしない、イベント色を強めない。何のために、誰のためにやっているのか。その軸を決して手放さない姿勢が、この仕組みを支えているのだと感じた。

    これまで当たり前だと思っていた常識を一度疑い、流行りすたりとは別の価値をどうつくるか。
    トーコーキッチンは、その問いに対して一度きりの答えを示して終わるのではなく、進化し続けることそのものを選び、新たな取り組みにも果敢に挑戦している。
    時代の変化を前提とし、学び続け、形を変えながら本質を守る。その姿勢こそが、この取り組みを一過性の成功で終わらせていない理由なのだと思う。

    合理性や効率性を追求すれば、デジタル化は自然に進んでいく。しかし、人が集まり、関係が生まれる部分まで効率化してしまっては、本質を失ってしまう。
    この本を読み終えたとき、自分自身もまた、変化を学び続ける側でありたいと強く感じた。
    静かだが、深く効く。そして、読む者の仕事観を少しだけ更新してくれる。そんな一冊だった。

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